第4話 夕暮れの教室

教室に向かった後は、昨年同様同じクラスになった友人たちに挨拶を交わし、割り当てられた窓際の後ろから二番目という、最高に近い自分の席で担任の小林先生が来るのを待っていた。

当然、僕の容態のことは誰にも話していない。

死を意識されて気を使われてもあまり嬉しくないし、僕は今までの通りの楽しい学校生活を送りたいから。


小林先生以外には言わず、あくまで肌が光に弱くなっていると誤魔化すつもりだ。その辺りは、小林先生が便宜を図ったくれるということなので、心配はしていない。

これは幼馴染の湊と花蓮も例外ではない。

二人には特に、悲しませたくないから。あくまでいつものように、普段通りのままで接していてほしいから。


「なんて、ドラマの主人公みたい」


夕陽が差し込む放課後の教室で、僕は夕暮れの中、グラウンドでサッカーボールを蹴るサッカー部の部員たちをぼんやりと眺めながら呟いた。

始業式は午前中で終わったけれど、部活のある生徒は今日も夜まで活動がある。皆その競技に熱中している子たちだから、いつもより長い時間練習に励むことができると喜んでいた。凄い熱意だなと、思わず声に出して感心してしまったほど。


かくいう僕は特に運動部に所属しているわけではないけど、読みかけの小説を読んだり、スマホで調べ物をしたりしてこの時間まで教室に残っていた。

理由は……一番ではないけれど、夕暮れ時の教室を見ておきたかった、というのがある。

去年から見慣れた光景ではあるのだけど、何だか死ぬとわかったらこの光景も眩しいものに思えてきたのだ。茜色に染まる教室内には、昼間とは全く違う美しさというか、THE・青春、という感じがする。伝わりづらいかもしれないが。


「この光景も、あとどれくらい見られるのか……」

「何を黄昏てんだよ、お前は」


自分の席に座りながら呆けていると、不意に声がかけられた。

声のした方向に視線を向けると、教室の扉の前にはリュックサックを背負った湊の姿があった。午前中までの制服ではなく、絵の具に塗れたパーカーを着用している。見ると、頬にも黄色い絵の具が飛び散っていた。


「部活帰り?」


僕が何気なく聞くと、湊はこちらに向かって歩み寄りながら手に持っていたペンをくるくると回した。


「部活中だよ。中々上手く描けなくて、かなり苦戦してる」

「珍しいな、湊がそんな風に悩むなんて」


湊はかなり絵が上手だと聞いている。

いつも題材を決めると、瞬く間に描いてしまうと花蓮が言っていたのだけれど……何か、そんな悩める画家と化してしまう問題が生じてしまったのだろう。


「何を描いているんだ?」

「花蓮」


即答された答えに唖然とする中、湊はかたんと机に筆をおき、両手の拳をぐっと握りしめた。


「まだまだ、俺の技術じゃ花蓮の美しさを表現することは難しいみたいだ。野に咲く純潔無垢な彼岸花がここまで輝かしいと、俺も参っちまうぜ」

「自分で言ってて恥ずかしくないの?その惚気」

「事実を言っているだけなのに、恥ずかしがることなんてあるのか?」


真顔で首を傾げて来る辺り、これが湊クオリティなのだろう。

思わず唖然と口を開けてしまうが、僕は相変わらずだなと笑った。


「そんなに好きなら、しっかりと描いてあげなよ。一生の宝物になるくらいのものをさ」

「あぁ。そのレベルにまで仕上げるために、今は休憩中だ。花蓮も部員の女子たちと喋ってる」

「湊も混ざって来れば?」

「ただでさえ女子の比率が高いんだ。女だらけのところに俺が行くと

アウェイな感じになるだろう?それで気分転換ついでに、二組に来たっていう転校生の名前を確認してから四組に来たら、お前を見つけたってわけだ」

「転校生なんか来たの?」

「あぁ。ちょうど今日からな。女子って聞いたけど」


粗方の事情を聴き、なるほど、と僕は頷く。


「こんな時間に教室に来るなんて、珍しいと思ったよ」

「お前は何してんだ?」


前方の席に腰を下ろした湊は首を傾げたため、僕は鞄の中から一冊の本を取り出して渡した。

書かれているタイトルは、”砕けた流れ星”。


「小説、だよな?」

「そうだよ。最近本屋に並んだものなんだけど、見つけて買ったんだ。結構面白くて、教室に残って読んでいたんだよ」


内容としては、難病を患った少女が一人の少年と出会い、闘病生活を送っていくという物語だ。時には心が折れそうになる少女を、少年が必死になって励まし、乗り越えていく。年若い少年少女の甘く不器用で、輝かしい青春が細かく描写されている、久しく出会っていなかった引き込まれる小説だった。

シンプルに面白く、どんな結末を迎えるのかが楽しみになる。


「恋愛小説か……。俺には向かないな」

「なんで?花蓮がこういうの好きだろうし、一緒に恋愛の映画とか見てるんじゃないの?」

「他人の恋に興味はない」

「どれだけ花蓮が好きなんだよ君は……」

「この世界のどんなものよりも」


真顔で言い放った湊のことを疑う余地は微塵もない。

この顔で嘘を言うなんてことは絶対にないし、心の底からの本心であることは間違いないだろう。しかも無駄にイケメン。

これだけ愛されていて、花蓮も幸せだな。


「湊が浮気する可能性は零を通り越してマイナスにまでいっているだろうね」

「浮気とか絶対無理だな。それは花蓮も同じだけど」

「あれ?花蓮もそこまで愛が重かったっけ?」


見た感じは普通。

そこまで重過ぎる愛を持ってるようには見えなかったのだが。


「携帯の写真フォルダに俺の写真が千枚くらいあった」

「君たち普通のカップルじゃないって自覚したほうがいいかもしれない」

「相思相愛ってことでいいじゃねぇか。それよりも──」


やや強引に話を変えた湊は、僕の左手に視線を落とした。

黒い手袋に覆われた手を。


「なんで教室の中で手袋なんてしてんだ?」

「光線過敏症だよ」

「?なんだそれ」


僕は事前に用意してあった言い訳を、あたかも本当のことのようにつらつらと言葉にする。嘘を信じ込ませるのは、得意だった。


「肌が光に晒されると炎症が起こるんだよ。丁度今年の冬くらいから発症してさ。検査したら、今のところは左手だけなんだけど、いずれ全身にも症状が出るかもしれないってさ」

「突然そんな病気になるのか?」

「病気なんて、僕らがわからないことだらけじゃないか。最初は疑ったけど、後天性でこういうことは実際にあるんだって」

「気の毒だな……って、そんな状態で夕陽浴びて大丈夫なのか?」

「夕陽は光線が弱まるから大丈夫だよ。一番きついのは昼間の日光だし」


ぺらぺらと嘘を並べる僕を、湊は全く疑う様子がない。

幼馴染とは言え、僕の饒舌な嘘を見破ることはできないようだ。勿論、この嘘は彼のためを思ってのことなのだけど。


「とことん不運だな。ご家族のことといい……すまん」

「いいよ。運がないのは昔からだし」


家族が全員亡くなってしまったことも、プラスチック症候群になってしまったのも、全て僕の人生であり、運命なのだ。宗教に属しているわけではないけれど、神様の決めたことに口を出すのはよくない。

恨んだところで、どうにかなるというわけでもない。

目の前の現実は受け入れるのが最良。

それは、これまでの僕の人生において学んだことだ。

さて、と僕は鞄を担いで立ち上がる。


「僕はそろそろ行くよ。掃除しないといけないし。湊もそろそろ愛しの花蓮のところに戻った方がいいんじゃないか?」

「っと、そうだった。気分転換も終わったし、続きをやりますかなぁ」


大きく伸びをした湊の視線の先では、既に太陽が沈みかけている。

茜色に染まっていた教室には闇が訪れ、代わりに光を灯すのは西に浮かぶ一番星。

小さな小さな灯火は、その存在を主張して夜空に浮かんでいた。


「あんまり遅くならないように」

「それはこっちの台詞だ春斗。お前の方こそ、夜じゃないと活動できないって言い訳口にして遅くまで学校にいるんじゃないぞ?」

「わかってるよ。じゃあね」


片手を挙げて、僕らはそれぞれ別の方向に向かって廊下を歩く。

湊は美術室のある方向へ。

そして僕は……屋上に続く階段の方へ向かった。

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