第3話 報告
「……そうか」
昨年の担任であり、今年度も再び僕のクラスの担任になるらしい小林先生はトレードマークになりつつある黒縁眼鏡を外し、唸るようにその一言を呟いた。息をゆっくりと吐き、腕を組んで難しいことを考えているように首を捻る。まだ三十代前半だというのに、随分と年寄り臭い仕草だ。
既に確認してあるため生徒たちが集まっている昇降口を素通りした僕は、湊と花蓮と別れて一人職員室に向かった。
理由は、まだ余命宣告される前から僕の病気のことを知っていた彼に、容体を伝えるため。一応色々と気にかけてもらっているし、彼には伝えておかないといけないと考えたため。
僕は職員室の中に他に誰もいないことを確認して、左手の手袋を外して見せた。
半透明に変色した、僕の変わり果てた身体を。
「まだ左手だけの侵食ですけど、いずれ全身に回るそうです」
「その期間が……あと一年か」
「予定では、ですけどね。多少の前後はすると思います」
「どちらにせよ、もう長くはないってことに変わりはないわな……」
「余命一年って映画みたいですよね」
茶化すように僕が笑うと、小林先生は溜息を吐きながら聞く。
「そんなドラマチックに感動して終わり、ってわけじゃないだろ。役者たちはカーテンコールが下りれば元の生活に戻れるけど、現実じゃそうはいかん。お前はそのまま、消えちまうんだからな」
「わかっていますよ。ちなみに、この病気の最期はとても綺麗だそうです。死期が近づくと身体が透けるほど透明になって、バラバラに砕け散って終わりを向かえる。ダイヤモンドダストみたいに、キラキラに輝くんですよ」
「それは幻想的なこって……」
顎鬚を撫でながら小林先生は煙草を口に咥え、ここが職員室だったことを思い出してすぐに箱の中に戻した。ヘビースモーカーの弊害が出ている。
「先生、禁煙したらどうですか?」
「馬鹿野郎、俺から煙草を取ったら何が残るってんだ。俺はニコチンとタールと一酸化炭素で構成されている人間なんだぞ」
「存在自体が煙草じゃないですか。一生喫煙スペースから出ないでくださいよ」
「歩く煙草君ってか。まぁ、そんな冗談はさておき……これから、どうするんだ?」
小林先生の問いに、僕は腕を組んで首を傾げた。
映る視界が斜めになる。
「これから、とは?」
「決まってるだろ。お前は余命が決まっている難病の患者だ。病院で生活するとか、自宅待機とか、色々と処遇を言われてるんじゃないか?」
「別に、これまで通り普通に学校に通います」
と言うと、小林先生は露骨に心配そうな表情を作った。
「……大丈夫なのか?」
「全く解明されていませんが、この身体はプラスチックに変化しても動きに全く支障はないんです。だから、問題はないですよ」
本当に不思議に思う。
身体がプラスチックになっているというのに、肉体としての機能は死んでいないということなのだ。今も左手を開閉する動作に支障はないし、特に何ともない。
……いや、死んでいる機能なら一つあるって、聞いていたか。
「身体もそうだが、俺が心配してるのは周りのことだ」
「周囲、ですか」
「そうだ。そんな常人とはかけ離れた身体、高校生くらいの年頃なら面白がって寄って来るかもしれない。中にはデリカシーのない発言をするような奴もいるだろう。そんな動物園みたいになるの、お前は嫌だろう?」
確かに、学校には頭の悪い連中が必ずいる。
授業中に化粧したり、後ろの席で騒ぎながらゲームする馬鹿とか。そんな連中は大抵相手を思いやるとかそんなことは考えないし、寧ろ無意識の間に傷つける言動をすることもあるかもしれない。
小林先生の心配も理解できるとして上で、左手に視線を落とした。
「一応、学校の中では変化した部位を隠すようにします。身体は服で隠せますし、手には常に手袋を」
「お前がそれでいいならいいが……手袋は両手にしておけ。片手だけだと不自然がられる。それと、腕まで覆う長いタイプを使え」
「?どっちも変わらないと思いますが……」
「馬鹿野郎。肌が弱いからってことにしておけばいいんだよ。腕を完全に覆えば、その言い訳が使える。それと、屋外の体育の授業は休むように」
「えぇ……」
「お前が残り一年、学校で平穏に暮らしたいと願うなら、これは必要なことだ」
周囲から妙な好奇心を持たれず、ただ平穏に今まで通りの生活を送るための必要対価。昨年までは身体の内部が少しだけ変わっていて、表に出てきていなかったから何も気にせずに過ごすことができていたということだけど、今年はそうはいかない。
それに考えれば、腕だけで済んでいるのは幸いなことなのかもしれない。
これが全身に回れば、隠すなんてことはできなくなるだろうし。
小林先生の言いつけは、守らないといけない。
「わかりました」
「良い子だ。しかし、一年か」
感慨深く呟く小林先生は、ギシっと椅子の背もたれを歪ませて蛍光灯の光る天井を仰いだ。
組まれた腕に力が入り、白いカッターシャツの上に着ていたセーターに皺が寄る。
「十七……いや、まだ十六か。短けぇよなぁ、人生」
「僕の場合は特殊というか特例だと思いますがね。でも、短いですよ。まだまだやり残したことだらけですから」
「そりゃそうだろ。俺がお前くらいの歳の頃なんて、後先考えずに遊びまくってた。死ぬなんてこと、尚更考えてなかった」
それが普通だ。
高校生で死を意識するような人なんて、そうそういない。まだ人生の五分の一程度しか経っていないんだから。
本当に、短い人生だ。
と、小林先生は僕の肩に手を置いた。
「雨宮。後悔するなとは言わんが、全力で生き急げ。できるだけ良い人生だったと思えるように行動しろ。残された時間は本当に短いんだからな。短い期間の恋人を作るもよし、友人たちと遊びに出かけるもよし。とにかく、悔いを少なくしろ」
「そこは普通、悔いは残すなって言う場面じゃないですか?」
「人間は欲が深い生き物だからな。考えれば考える程、後悔は生まれる。だから、最初にピックアップしておけ。後から湧いて出てきたことは、思い付きだ。今、本当にやりたいことを書いて実行しろ。犯罪とか迷惑行為以外でな」
ところで、と小林先生は目元をトントンと数回小突いた。
「眼鏡なんて、かけてたか?」
「あぁ、これは違うんです」
湊にも同じことを言われたなと思いながら、僕は耳元に手を伸ばし、眼鏡のフレームについた薄いボタンに触れた。
「度も多少入ってますけど、これはカメラがついてるんですよ。去年身体の内部がプラスチック化していることが分かった時に、何か記録を残しておこうと思って。数か月前からかけはじめました。撮影した映像を自動的にパソコンの中に転送してくれるんですよ」
「……変なもの撮るなよ?」
「撮りませんよ!」
このカメラはスイッチを押さないと撮れない仕様だし、そんな妙なものを撮るような真似はしない。これは、僕の人生最後の一年間の記録なのだから。
「大体、そんなの遺してどうするんだ?見せる相手がいるわけでもあるまいし」
「短いとはいえ、一年間で何かあるかもしれませんからね。それに、たとえ何もなかったとしても、湊と花蓮に託します」
「あぁ、幼馴染連中か。確かに、何もないよりはいいかもしれないが……多分、あいつら泣くぞ?」
「悲しんでくれるってことは、それだけ大事に思われている証拠です。思い出に浸る程度に見てもらえると、嬉しいですよ」
ふと壁にかけられた時計に視線を移すと、八時五十分。
始業式ゆえに少し遅く始まるが、生徒たちが登校してくる様子が窓から見て取れる。先ほどから既に数名の先生が職員室に入ってきているし、僕もそろそろ新しい教室に行くべきだろう。
「じゃあ先生、今年一年よろしくお願いします」
「あぁ。最後の教師が俺でいいのかわからんが、役不足にならんように頑張るさ」
聞き届け、僕は一礼して先生と職員室を後にした。
良い先生だ、本当に。
僕の最後の担任があの人でよかったな、と一安心する。生徒からの評判は良く、実際親身になって話を聞いてくれたこともあった。この学校の中では、一番話しやすいと言ってもいい。
背負ったリュックサックを背負い直し、階段を上りきった──と同時に、どん、と軽く誰かとぶつかった。
「あ、ごめんなさい……」
ぶつかったのは、肩口で切り揃えられた茶色めの髪をした女子生徒。
表情はとても暗く、少し下がった目尻はどこか怯えているようにも思え、かなり内向的な性格をしていそうな印象を受ける。
彼女は申し訳なさそうにぺこりと頭を下げ、足早に僕の前から立ち去った。
「……」
僕は彼女が下りて行った階段をジッと見つめ、再び教室を目指して歩き始める。
この時、僕が何を思ったのかは、わからなかった。
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