第31話 星の雨と砕けた君

空から降り注ぐ、止まることのない無数の流れ星に、優菜は呆然と見入っていた。

今後数千年は現れないであろうこの光景に、きっと日本全国でどよめきが上がっているに違いない。

僕はその星の雨を見上げながら、優菜に説明する。


「三月二十八日から二十九日にかけて、エペルト彗星が残した小さな塵屑が地球に降り注ぐ。このエペルト大流星雨の極大日が、丁度今日なんだ。本当に、僕の命がこの時まで持ちこたえてくれて、よかったよ」

「こんな流れ星、見たことないよ!こんな幻想的で、まるでお伽噺みたいな景色」

「過去にも流星雨はあったという記録はあるけれど、ここまでのものだったかは……いや、断言できる。僕らが今見ているこの星の雨が、人の歴史が始まった中で一番凄い流星雨だよ」


僕はそう断言して、しばし星の雨が作り上げる幻想的な光景を見続けた。

この世界には、様々な絶景がある。太古の地球が生み出した瀑布や、長い年月をかけて削られた渓谷、どこまでも続く白い砂浜に青い海。

この世界で一番美しい光景は?と聞かれたら、幾らでも選択肢が生まれる。

だけど、今この瞬間、この星の雨を見ている人がこの問いを受けたのならば、全員が全員、エペルト大流星雨だと答えるだろう。


優菜も声を出さずに空を見上げる中、僕は沈黙を破った。


「僕は、君に縋っていただけだった」

「……」


ポツリと呟いた言葉に、優菜は黙って耳を傾ける。

視線は夜空に向いたままだけど、確かに聞こえている。聞いている。


「あの日、君に声をかけたのは、君の自殺を止めようと思ったからだ。あの時は君を一人にすると危ないと思ったから、傍に居てあげないといけないって思ってたんだ。でも、それだけじゃなかった」


皹だらけの左手を持ち上げ、僕は独白を続ける。


「強がってはいたけど、単純に、秘密を共有できる仲間が欲しかったんだ。死ぬとわかった中で何か、目的が欲しかった。目を逸らせることが欲しかった。縋ることのできる何かが、欲しかったんだ」

「……それが、私だったんだ」


うん、と頷く。

幼馴染たちを頼る選択を断ち切った僕は、事実上一人だった。

たった一人で死の恐怖に内心で怯え、心細かった所に現れたのが、優菜だったのだ。


「都合がいい話だけど、君と一緒にいるときは、気持ちが楽になれたんだ。僕の病気のことを知っている君と一緒にいるときだけは、見られてはいけないっていうプレッシャーがなかったし、素の自分を出すことができたから。

一方的で申し訳ないけど、僕は君に依存していたのかもしれない。

君がいなかったら……きっと僕は壊れていたよ」


その時。

僕が持ち上げていた左手に更に大きな亀裂が生まれ、手首から先がバラバラに砕けて地に落ちた。


「──ッ」

「もう残り時間も少ないみたいだね」


手首から先だけではない。

今こうしている間にも、少しずつ、しかし確かに身体の各所で崩壊が始まっていた。この終わり方は、ずっと前から聞かされていたもの。だが、実際に目の当たりにすると、やはり驚きを隠せないものがある。

そんな中……自身の身体が崩壊しているのにも関わらず、僕は酷く冷静に言葉を続けた。


「……ごめんね、優菜。出会ったばかりの時も言ったけど、僕は弱くて惨めな人間なんだ。君を支えてあげるつもりだったのに、いつのまにか支えてもらっていた。いや、僕が勝手に寄り掛かっていただけか。あの並木の下で湊に言われて、初めて自覚したよ。

だから、もう一度謝らせてほしい。勝手に縋ってしまって、ごめん」

「謝らないでよ!」


大きな声でそう言った優菜は僕の正面に回り込む。

映し出された優菜の瞳は、頬は、涙に濡れていた。


「あなたが私に声をかけてくれたから、私に縋ってくれたから、私は救われたんだよ!春斗が私を縋ったことを悪いことと言うなら、私が春斗を縋ったことも悪いことになってしまう……」

「……」

「あの並木の下で、如月君にも言われたでしょう?自分を弱いと思うなら、人を頼る強さを身に着けろって。辛い時に人を頼ってしまうことは悪いことではないんだよ。だから、謝らないで」

「……そっか」


更に身体の崩壊は続く。

ガラガラと崩れる建造物のように、僕の身体は段々と崩れていった。そして、僕の身体が壊れていく様を、優菜は真正面から悲痛そうに見つめる。

溢れた涙は砕けたプラスチックの身体に落ち、それと共に消えていった。


僕は涙でくしゃくしゃになった優菜の顔に手を伸ばし、まだ残っている右手で瞳の涙を拭った。


「じゃあ、僕が言うべきなのは、ありがとうだね」


喉にも大きな亀裂が入ったからか、僕の声は掠れていた。

だけど、はっきりと聞こえる声だ。


「学校の屋上で飛び降りるのを踏み留まって、僕の話を聞いてくれて。

放課後の部室で、つまらないはずの星の話に付き合ってくれて」


片目しか見えないけれど、しっかりと両目を見開いて優菜を見据えて言葉にする。

もう二度と言う機会はない。

だから、僕の身体が消える前に。


「それだけじゃない。

一緒に夏祭りや山に行ってくれたことも、放課後の寄り道に付き合ってくれたこともある。プラスチック化が進む度に辛くなって、そんな時に君が隣にいてくれ本当に助かった。僕の我儘を沢山聞いてくれた。君がいたから、僕は心を壊さずに済んだ。僕は、ありがとうの言葉だけじゃ足りないくらい、多くのことをしてもらったよ」

「……うん」


口元を押さえた優菜は、嗚咽を我慢しながら頷く。

ジッと目を合わせていると、彼女が泣いているのにつられて僕の瞳にも涙が滲んで来た。けれど、必死で堪える。

きっと、優菜に涙は見せたくなかったのだろう。遠くからならまだしも、至近距離ではやはり恥ずかしいから。

だから、僕は星の雨が降る空を見上げて誤魔化す。もうかなり視界はぼやけていて、流星自体もおぼろげにしか見えないけれど、それでも認識はできる。

霞む視界で夜空を眺めながら、僕は最後の問いを口にした。


「優菜にとって、この一年はどうだったかな?」


本当に小さい声。

大きな声が出ないのは、当然か。既に喉は四割程度崩落している。いや、喉だけじゃない。身体はもう、とっくに死んでいてもおかしくない程に崩れている。

声を絞り出せるのが不思議なくらいだ。

もしかして、神様が僕を早くに連れて行ってしまう代わりに、最後に話す機会を与えてくれたのかもしれない。


辛うじて聞こえるようなものだったけれど、優菜はしっかりとそれを聞き取っていて、涙を必死で堪えながら答えた。


「ぐす……ッ、一番、よかったよ。私の人生の中で……ッ、一番、色んなことができて、楽しくて、友達ができて……あなたと出会えた一年だから!!悪いわけないよ!」

「……うん、なら、もう大丈夫、だね。もう、死にたいだなんて、思っちゃだめだよ?嫌なことが、あったら……花蓮たちに頼って。頼ることは、悪いことじゃないんだから」


最後の台詞は、先ほど優菜に言われたことをそのまま言っただけだ。

けど、彼女はそれに気づいていないのか……いや、確実に気が付いている。

その証拠に、涙を一瞬だけ堪え、微笑を浮かべたから。


「うん。わかった。約束するよ」

「……」


言葉を返そうとしたけれど、もう声は出なかった。

代わりに僕は、最後の力を振り絞って、優菜の頬に手を添え──微笑んだ。



そして次の瞬間、僕は星明りを受けてキラキラと光り輝く、プラスチックの粒子となった。

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