第21話 上空からの紅葉

そして、星空を見に行こうと約束した、十一月一日の午後五時。

湖の水面に夕陽の光が反射し、webで取り上げられる絶景が目の前に広がっている時間帯。

僕らは電車を降りて駅を出て、ロープウェイ乗り場へと足を運んでいた。

秋らしく気温も低いため、目に入る人々はかなりの厚手をしている。現状はそうでもないので、分厚いコートを着ると汗を掻いてしまう程。そしてここで汗を掻けば、山の頂に行った際に痛い目を見ることになる。

けれど薄着だと寒いという、ちょっと判断に困る気温になっているのだ。


「ちょっと寒いかも」


隣で一緒にロープウェイ乗り場の列に並んでいる優菜は、逆に少し薄手で来てしまい寒そうにしていた。僕のものとは対照的な白い手袋を着用してはいるものの、寒さを凌ぐことはできなさそうだ。


「だから厚めの服を持ってきなって言っただろ?」

「コートはあるんだけど、鞄の奥に入ってて……。その上に荷物があるから、こんなところじゃ取り出せないんだよ」

「まぁ、この人混みじゃね」


今は列に並んでいるので、それなりに人が密集している状態。

こんなところで手荷物を広げるのは、少々迷惑になる。しかし寒いことに変わりはないので、必然的にその状態で耐えるしかない。


「昼間は暖かかったから、ちょっと油断したなぁ」

「陽が落ちると一気に気温が下がるからね。秋はそういうところに気をつけなくちゃ……はい」


僕は言いながらショルダーバッグを優菜に手渡し、その間に来ていた男物のカーディガンを脱ぎ、彼女に渡した。


「え?でも、これじゃ春斗が寒く……」

「僕はいいんだよ。何でかは……察してほしい」

「……」


言葉にしなくてもわかるのだろう。

受け取った優菜の表情は暗いものだった。

僕のプラスチック化は、もうかなり進んでいる。それこそ、胴体もかなり。

特徴としてある体温が消えるというのは、言ってしまえば温度による変化を身体で感じることができなくなるということでもあるのだ。だから、僕は人よりも寒さにも暑さにも鈍い。今も、優菜が言うほどの寒さは感じていないのだ。

寒いのは、顔くらい。


「……ありがと」

「いいえ。ここでコートを着て汗を掻いたら、絶対に風邪を引くからね」

「短時間で引かないような気もするけどね」


僕のカーディガンに袖を通した優菜は、思いのほか似合っていた。

白いパーカーの上に黒いカーディガンは、色合いとしてもかなりマッチしているみたいだ。僕が普段着ているよりも、彼女が着たほうが似合っていると感じたほど。


「僕より似合ってるね」

「そう?でもこれ、男物じゃ……」

「あんまり関係ないと思うよ。着てみて似合うなら、別にどちらが着ても問題ないでしょ」

「そうかな」

「そうだよ。何なら、それあげるからさ」

「え?いや、それは流石に……」

「いいよ。だって、どうせ僕は来年には着られないんだし」


そのタイミングで、列が動き出した。

ロープウェイの前にいる係員にチケットを見せて切ってもらい、中へと誘導されるがままに乗り込んでいく。人が乗り込む度に揺れる中に、一緒に入った優菜は少し怖がり僕の服を掴んでいた。

どうやら、彼女は安定しない足場が苦手らしい。


「高い所が苦手、ってわけじゃなさそう」

「足場が安定しないところは、ちょっと苦手なんだ。落ちるんじゃないかって不安いなる」

「自殺しようとしていた人の言うこととは思えないなぁ」

「……そうかも」


クスッと笑った優菜は、動き出したロープウェイの揺れに身体を震わせ、開いていたもう片方の手で僕の胸元を掴んだ。

両手でしがみつく様子は、まるで断崖絶壁に立っている人みたいだ。


「そんなに怖がらなくても、これは落ちたりしないよ」

「わかってるけど、その、身体がね……」

「勝手に反応しちゃうんだ」

「揺れてるわけだし、結構──うわぁ」


窓の外に視線を移した優菜は、そこから見える光景に言葉を止めて見入った。

つられて、僕もそちらに視線を向ける。


「……綺麗だ」


窓の外に見える景色は、正に秋を連想させるものだった。

眼下に覗く山々の側面は色づいた木々で覆われ、綺麗な紅葉を作りだしており、季節を感じさせる鮮やかさ。その奥に見える巨大な湖には夕陽の光が反射しており、まるで水面が燃えているように錯覚させる色彩。空に見える沈みかけの太陽も夕暮れ秋のコントラストを演出。

紅葉を見るにはベストコンディション。

この日を選んでよかったと、素直に思わせてくれる景色だ。


「……揺れの怖さは飛んだ?」

「うん。もう、怖くないかな」


僕から手を離した優菜はそう言って、窓の外に広がる広大な景色に意識を向ける。

今は話すこともないと判断した僕もそれに倣い、終始無言で眼下に広がる紅葉に視線を投じる。

高度を上げていくに連れて小さく見える、麓の建物を見下ろして。



どれくらいロープウェイに乗っていただろうか。

景色を満喫していた頃には山頂駅に到着しており、扉が開かれると同時に山頂の冷たい冷気が身に染みて感じた。


「さ、寒いね……」

「コートを着た方がいいと思うけど、すぐに駅の二階に行くし、ちょっとだけ我慢して」

「う、うん」


気温はかなり低く、吐く息は既に白い。

優菜は薄着とは言えない服装だが、それでもこの寒さの中では心もとない程度の厚着でしかない。

何度か来たことがある僕はロープウェイを下りてすぐに山頂駅の二階にある休憩スペースへと移動した。流石に乗り場とは違い、駅の中は暖房が効いていてかなり暖かく、入った瞬間何か暖かいものに包まれるような感覚を覚えた。


そのまま一階から二階の休憩スペースへと移動し、窓際の席に優菜を着かせた。

ここは星空観賞の時間まで時間を潰すのに最適な場所であり、多くの観光客がここで暖を取りながら過ごす。今日は三連休ということもあり、いつもより人が多い気がした。それでも、空席は幾つもあるけれど。


「今の内に、鞄の中からコートを出しておくんだよ」

「うん。あ。ありがとう」


近くにあった自動販売機で飲み物を買った僕は、片方のカフェオレを優菜に手渡した。


「綺麗でしょ、ここ」

「山頂だから、紅葉は終わりかけてるけどね」

「もう十一月だから、仕方ないよ」


窓の外から見える木々は既に色づいた葉が散っており、既に紅葉のシーズンは終わりを迎えている。それどころか、少しばかりの雪が積もっている箇所も見受けられた。

色づく木々は見られないけれど、この場所から眺める雲一つない景色は十分に綺麗な景色と言えるのだが、少々物足りなさを感じるのは仕方ないことだろう。ロープウェイから美しい紅葉を見たばかりなのだから。


「星が見える時間って、何時くらい後だっけ?」

「えっと……」


僕は腕時計を見て、時刻が午後五時三十分であることを確認する。

外では既に空が暗くなっており、一番星が東の空に顔を出している。この分なら、一時間もしない内に空には多くの星が煌めくことだろう。


「七時頃には、沢山の星が見られると思うよ。星座がしっかり見られるのは、八時くらいだと思うけど」

「二時間くらいかぁ……そんなにやることないなぁ」

「本当はもっと遅くの時間に来ても良かったんだけど、紅葉を見るってなるとこの時間には来ないと見られないからさ。まぁ、気長に待てばいいよ。幸いここは暖かいし、眠っていてもいい。時間になったら、起こすから」

「……」


僕が提案すると、優菜は僕の目元をジッと見つめ、溜息を一つ吐いた。


「……眠るべきなのは、君の方だと思うけど」

「え?」

「気が付いてる?目元、濃い隈ができてるの」


優菜は携帯ケースに付属していた小さな鏡を僕に向ける。

そこに映った僕の顔は、有体言って酷い顔をしていた。美醜の話ではなく、眼鏡の下の目元には色濃い隈が出来上がっており、誰から見ても寝不足であるということを示している。


「……」

「最近眠れてないんだよね?眠っていてもいい……というか、眠った方がいいよ」

「……そう、だね」


僕はその言葉に素直に従い、眼鏡を外して机の上に突っ伏す。


「ごめん。少し、眠らせてもらうね」

「うん。お休み」


柔らかく、僕とは違って体温のある暖かい手が髪を撫で、心地よい感触を感じながら僕は眠りに落ちた。

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