第22話 星空の下の告白

時刻は午後八時三十分。

眠りに着いてからおよそ三時間が経過した頃、僕と優菜は駅の外にある芝生の上で並び、頭上に広がる星々を眺めていた。

秋の夜空に浮かぶ星々は光の少ない山頂からは輝かしく瞬き、三日月に欠けた月もまた、月光で僕らを照らしていた。


東の空に見える秋の大四辺形に、南に見える唯一の一等星であるフォーマルハウト。満点の星空の中に浮かぶそれらに負けない程、他の星々も輝いている。

秋の澄んだ空気も相まって、パンフレットで見るような綺麗な景色が視界いっぱいに広がっていた。


「街中で見るのとは、やっぱり全然違うね」


見上げていた優菜が手袋の上から暖かい紅茶が入った缶を握りしめ、呟いた。

これだけの星空は、光が多い街中では決して見ることができないだろう。


「山の上の、光が少ない場所だからこその星空だよ。学校の屋上でもこれだけのものは見られない」

「寒いけどね」

「それはまぁ、仕方ないことだよ」


気温は既にマイナスとなっている。

ニュースによれば、今年は例年よりも気温が低くなり、十二月には雪が観測されるところも出て来るだろう、とのこと。

何年振りかのホワイトクリスマス、ということもあり得るだろう。

と、その時。


「あ、流れ星」


三日月の西側を、一筋の光の線が通過した。

見えたのは本当に一瞬だったけれど、同じくそれが見えていた周囲の観光客からも「おぉ」と小さな歓喜が聞こえてきた。


「流石にシーズン中だ。きっと、鑑賞中にまだ沢山の流れ星が見えるはずだよ」

「まだ見始めてから五分くらいだけど、これは幸先が良いってことなのかな?」

「かもね」


思ったよりも優菜のテンションが上がっていることに安堵しながら、僕も星空観賞に集中する。

すぐに飽きられて「帰ろう」と言われたらどうしようか、と少しだけ不安だったのだ。けど、こうして楽しそうにしてくれて、ほっとしている。

来てよかったと思って貰えれば、僕は満足だ。


そうして星空を眺めて、十数分が経過した頃。

首が疲れてきたな、と視線を下方に戻した時、不意に優菜が僕を呼んだ。


「ねぇ、春斗」

「ん?」

「最近、どうしたの?」

「──」


僕が優菜の方を見ると、彼女もまた、僕の方を向いていた。

その瞳は、言い訳なんて許さない、と雄弁に語っているように迫力があった。

考えれば、気が付かないはずがなかった。隠し通すには、僕は行動で示し過ぎた。


「……流石に、露骨過ぎたかな」

「そうだね。何だか、常に焦っているみたいに思えた。落ち着きがないというか、そわそわしているっていうか……。とにかく、様子がおかしいのは前からわかってた」

「考えてみれば、一番一緒にいる時間が長い君に悟られないわけがないよね」


ははっと乾いた笑いを上げる僕とは違い、優菜はとても心配そうだ。

いや、実際に心配しているのだろう。今だけではなく、随分と前から。

ここまで来て、嘘を吐くんじゃないよね?そんなことをしても、本当のことを話すまで絶対に追及するから。

視線にそんな訴えが込められているのが、嫌でもわかった。わかりやすいくらい。


覚悟を決めた僕は数瞬の間を開け、左手に着けていた手袋を外し、優菜に見せる。

それを見た彼女は目を見開き、中身が無くなっていた空き缶をその場に落とし、口元を両手で塞いだ。カランと大きく響く缶の音など、まるで気にならない。

耳からの情報よりも、目から入った情報に、衝撃を受けたから。


「その、手……」

「死期が近づいているんだよ」


僕の左手は、手首までが完全な透明化を果たしていた。

半透明な時とは違い、反射する星空は本当に綺麗なもの。遠目から見れば、そこに手が存在していないと思ってしまうほどの透明度だ。

微かに輪郭だけが存在している不思議な手は、もはや人間の手の感触はない。硬質で、しかし弾力もあるという、何とも不可解な感触に変化してしまっている。


動揺し、ドキッと大きく脈動した鼓動を抑えるように胸元に手を置いている優菜。

そんな彼女に、僕は心情を吐露した。


「最初は、死を受け入れていたんだ。一年間の猶予の中で、僕は僕なりに後悔のないように過ごそうと思って、明るく振る舞っていた。そうしている間は、余命が迫っているってことを忘れることができたから」

「……」


優菜は様子がおかしかったのはそういうことか、と内心で思った。


「やりたいことはまだ沢山ある。だけど、残された時間は少ない。僅かな時間の中で多くのことをやらないと、っていう思いが強くて、焦っていた……いや、生き急いでいたんだ」


死神が鎌首をもたげている状態を示す、身体の透明化。

今まで以上に死が身近に迫っているのを実感して、怖くなっていたのだろう。一人でいると、気が狂いそうになるくらいに。

だから、何かに縋った。頼った。心の拠り所を求めた。

それが、星を見るということだった。


「やりたいと思うことをやっている間は──星を眺めている間は、僕も生きているんだって実感ができたんだ。言うなれば今の僕は、星に縋って日々を生きている。体温の消えた自分の身体はほとんど死人も同然。生きているって、実感が欲しかったんだよ」

「最近、眠れていないのは……」

「眠れないわけじゃない。ただ、眠るのが怖いんだ。だって、目を開けたらもの凄い時間が経過しているわけで、僕の意識が無い間に、僕の命の終わりがとても近づいていることになる。だから最近は眠らずに、好きな星を眺めているんだ。目に焼き付けるように」


星を見ることができるのは、生きている間だけ。

満点の星空観賞をしている間、僕は生の充足感を味わうことができるのだ。


「考えて見れば、最初の頃は完全に虚勢を張っていたよ。ダイヤモンド・ダストみたいに死ねるなんて綺麗だとか、現実を受け入れているだとか、今になってみれば見栄を張っていたとしか思えない。本当は怖いのに、周りを安心させるために強がっていた。強く見せていた」

「晴斗……」

「失望した?君に散々色々と言っておいて、自分のことになると、どうしようもなくなる僕なんて……みっともないよね」


左手に映る夜空に、一筋の光が通った。

しかし、一つ目のように喜ぶことはできなかった。

二人の間には重苦しい空気が流れる。死に恐怖する僕は、誰かに話したことで心をが軽くなるのかと何処か期待していたようだが、そんなことはなかった。

寧ろ、顔の表情からわかるくらいに、心の重しが増加したのを感じられた。

と。


「そんなことないよ」


突然僕の首元に抱き着いた優菜はそう言い、背中を摩る。

いきなりの行動に僕が動揺しているのを知ってか知らずか、彼女は自分に失望しかけていた僕を慰めるように言葉を連ねる。


「みっともなくなんてない。死ぬのは、皆怖いんだから」

「優菜……」

「貴方が自分をみっともないなんて言うなら、私なんてもっとみっともないよ?死ぬのは怖くないなんて言って屋上で死のうとして。春斗に止められなかったら、今頃私は死んでいたかもしれない。自分の余命が宣告されて、例え今まで虚勢を張り続けてきたのだとしても、私は貴方を強い人間だと思う」


例えそれが、作り物の強さだとしても。

何かに縋って、ようやく保てていたものだとしても。


「大丈夫だよ。まだ心臓は動いている。この鼓動が止まるまでは一緒に……生きていてあげるから」

「……それは、僕が最初にしたお願いかい?」

「うん。「僕が死ぬまで、生きていてほしい」。そう言ったのは春斗だよ。そして、私はその約束を承諾した。約束を守らないほど、私は薄情じゃないからね」

「……そうか」


いつの間にか、恐怖心は消えていた。

その代わりに、僕は大きく高鳴る心臓の鼓動を身体中で感じる。僕と優菜の二人分のものが、触れ合った身体に伝わる。

きっと、優菜も僕の鼓動を感じていることだろう。若干彼女の心拍が早い気がするのは、気のせいではない気がする。


「……ありがとう、優菜」

「どういたしまして」

「もう少し、このままでいいかな?何だか凄く、落ち着くんだ」

「……うん」


恥ずかしそうにしながらも、肯定を示してくる優菜。

だけど、彼女のその羞恥もすぐに消え去った。僕が何かを堪えるように、歯噛みしていることを知ったから。

何を堪えているのかは……想像に難くない。

優菜は僕が自分から離れるまで動かず、ただジッと、僕の背中を撫で続けた。



そしてこの日から一ヵ月。

日常は、大きく変化した。

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