第20話 誘い

その日の放課後。

夕焼けが差し込む教室で一人パンフレットの中身を見ていた僕の肩を、何か強い衝撃が走った。

衝撃というよりも、誰かが僕の肩を叩いた感触だったので、必然的にその人物は絞られてくる。肩越しに振り返り見上げ、僕は何でもないように言った。


「どうかしたの?湊」

「あれ?妙だな、いつもなら痛いって大袈裟に言うと思ったんだが……」


僕が痛がらなかったことを不思議に感じた湊が言うが、すぐに「まぁいいか」と話しを戻した。


「いや、部活行かないのかと思ってな。ずっとそのパンフレット眺めてるし」

「ん?あぁ、行くけど……その前に寄るところがあるんだ」


パンフレットを手にしたまま、僕はリュックサックを担ぐ。


「行くって何処に──あ、おい!」


湊の呼び止めも無視し、僕は足早に教室を後に。

そのまま向かった先は、二年二組の教室だ。目的は当然、決まっている。


「優菜」


丁度廊下に出てきた優菜に声をかけた僕が足早に近づくと、彼女は驚きに目を見開いた。

普段僕が教室に彼女を迎えに来ることなんてない。屋上と部室の鍵を持っている僕が先に向かい、そこでお茶を淹れて優菜を待っている、というのがいつものスタンスなのだ。

突然迎えに来られては、驚くに決まっている。


「は、春斗?どうしたの?教室にまで来て──」

「星空を見に行こう!ほら、流星群のシーズンだし、良い場所を見つけたんだ!」

「ちょ、ちょっと!」


言葉を遮ってそんなことを言った僕の口を、優菜は大慌てで塞いだ。

次いできょろきょろと周囲を見回し、自分たちが目立ってしまっていることを確認した優菜は早口で言って、僕の手を引いて歩き出す。


「とりあえず部室に行こう。ここじゃあんまりだし」


その場を立ち去る時、僕らの周りにいた生徒たちはチラチラと僕らを見て、


「あの二人、付き合ってんの?」


と、言うのを聞いて、優菜は若干顔を赤らめていた。



「教室の前でああいうことを言うのは、やめてほしいな」


早足で屋上まで歩き、部室の鍵を開けて中に入った僕らが荷物を置いた直後、優菜は困ったように僕にそう言った。

いつものように紅茶を準備して机の上に置いた僕は「ごめんよ」と謝り、先ほどまで持っていたパンフレットを優奈に手渡す。

それを受け取った彼女はそこに書かれていた文字を読み上げた。


「星空観賞便……琵琶湖の近くのロープウェイで、こういうのがあるの?」

「そう。丁度近い時期に始まるし、流星群も丁度いいタイミングだから。天文学部として、これを逃す手はないよ。そこにチケットついてるから、格安になるからさ」

「はぁ、これに誘うためだけに、態々教室まで来たの?」

「?そうだけど」


首を傾げる僕に、優菜は呆れた表情を浮かべた。


「こういうことなら、普段から部室で話しているんだし、今回も部室に来てから誘えばよかったんじゃない?どうしたの?今まで教室に来て誘いに来るなんて、なかったよね?」

「……」


僕は一瞬口ごもり、しかし、すぐに神妙な面持ちで口を開いた。


「ごめん。だけど、このパンフレットを見てから浮かれちゃってさ。だって、ロープウェイで高所まで行って星空観賞を友人と、なんて経験僕はないからさ。湊と花蓮はどうせなら二人で行きたいだろうし、僕と一緒に星を見に行ってくれる人は浮かばなくて。でも、今年は同じ部員の優菜がいるし、きっと一緒に行ってくれるだろうと思って。それに、恒常的に空を見上げればある星でも、流星なら優菜も興味を持ってくれるだろうと思ったから、それで──」

「あー、もういいよ。それくらいにして。よくわかったからさ」


僕が熱弁を始めたことで、これ以上はかなり長くなると思ったタイミングで優菜が止める。

僕は言葉を区切り、聞こえない程度に安堵の息を吐いた。


「まぁ、そういうわけでちょっとテンションが高くなっていたんだ。ごめんよ、迷惑なことしちゃって」

「それはいいよ。好きなことで、舞い上がっちゃったんだもんね」


紅茶を啜った優菜は再びパンフレットに目を通し、詳細を読み込む。

その間に、僕は持って来ていたクッキーを御茶菓子として机の上に並べた。抹茶や苺など、種類豊富な徳用セットのものだ。


「……山の上で星空観賞ってことは、かなり寒くなりそうだね。結構厚めのコートがいりそう」

「気温はマイナスにもなるだろうね。手袋とかも忘れないようにしないといけない。まぁ、僕はいらないけどね。温度も感じないし」

「自虐ネタ、全然笑えないからね。あ、クッキー」

「いいよ、食べて」


優菜は「ありがと」と言ってクッキーを頬張り、僕は携帯のカレンダーアプリを開き、予定日の相談を持ち掛けた。


「それで、予定は十一月二日にしようと思うんだけど、どうかな?」

「日曜日?でも、それだと次の日は学校じゃ──あ、祝日か」


十一月最初の日曜日の翌日は、運のいいことに祝日だ。

休みなので、前日に夜遅くまで起きていても次の日の朝に差し支えることはない。健康面を考えれば規則的な生活を送った方がいいのだろうが、一日くらいは羽目を外してもいいだろう。同じ夜は二度と来ないのだから。


「山の綺麗な空気と空に舞う星と流星。想像しただけで、凄く綺麗に思わない?」「そう言われると本当に綺麗に思えるけど、流星って一時間に何個かでしょ?」

「まぁ、そうだね」


流星群と言っても、雨のように降るということはない。

何百年も前には星が雨のように降ったという記述があったりもするけれど、残念ながら今年はそう言ったものは見られないだろう。

瞬く星を眺めていたら、不意に流れ星が流れる。その頻度が多い、というだけだ。

だけど、僕は流れ星が流れる回数が多いだけでテンションが上がる。


「小一時間もすれば、多分優菜は飽きると思う。その間にどれだけ流星が流れてくれるかが、今回の天体観測の肝になるね」

「遠回しに飽きっぽいって言ってる?」

「事実じゃないかい?」

「まぁ、そうかも。星を何時間も眺めるってことは、できないかなぁ」


普通の人ならそうだろう。

寧ろ、僕のように星を何時間も続けて眺めることができる人間の方が珍しい方だ。変化の乏しいものを見続けるというのは、人によっては苦痛に感じるかもしれない。


「ちなみに、湊に関してはもっと凄いと思うよ。一枚の絵を一時間以上鑑賞し続けられるって、どう思う?」

「変人……っていうと語弊があるね。でも、ちょっと変かな」


星は一応角度を変えるし、何なら流れ星が流れたりする。

でも、絵画は全く変わらないのだ。それを何時間も見られるというのは、ある種才能に近いのかもしれない。少なくとも僕や優菜には無理だ。


「あれ?如月君って、絵が好きだから美術部にいるんだっけ?」

「それも大きな理由だけど、多分、決め手は花蓮を綺麗に描きたいって理由だった気がする。昔はハンドボール部だったんだけど、怪我をしてからやめたんだって」

「あぁ、花蓮ちゃんをね」

「ちなみに花蓮は湊がいるからって理由で美術部に入った」

「もう、何も言うことはないよ」


二人の愛はどこまでも深まっていくばかり。

倦怠期なんてものはあの二人には存在しないだろう。その期間があれば、二人はもっと愛を深め合うに違いない。


「あれで優秀な結果を出しちゃうからなぁ、あの二人」

「部室でイチャイチャしていても、何も言えないわけだね。ちょっと他の部員の子たちが可哀想かも」


あの甘い瘴気に当てられ続ける部員の子たちに同情してしまう二人。

同時に思い出すのは、夏祭りの日、花火を目前にして唇を重ねる二人の姿。人目を気にせずああいうことをしてしまうあたり、少しブレーキが壊れているのではないかと思ってしまう。

優菜はそう考えた直後に、僕は彼女にお願いする。


「僕がいなくなった後は、あの二人のことをよろしくね」

「役不足だよ」


優菜はばっさりと言い切った。

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