第19話 紅葉計画

更に日が経ち、十月も半ばに入った頃。

残暑も過ぎ去り本格的に寒くなり、生徒たちの中には冬用のブレザーを着て登校する者の姿もちらほらと見受けられる。

僕もその例に漏れず、冬用の厚手のブレザーを着用し、その下に来ているワイシャツを首元までしっかりとボタンで閉め、ネクタイを締めている。

僕の場合は寒いからというよりも、半透明な箇所を隠すためという目的の方が強いけれども。


最近は変質した部分が広がってきているので、ふとした時に気が付かれるのではないかと内心でひやひやしていることが多い。

授業中である、今も。


「なぁ春斗。この問題なんだけどさー」


国語の授業中、前方の席に座っている湊が身体ごと僕の方へと振り向き、配布された自習用プリントの問いをシャーペンの席で示した。


「ん?」

「この時、この登場人物はどう思ったかってところなんだけど、こんなの俺たち作者じゃないんだからわかんないよな」

「まぁね。実際に登場人物が感じていることは、当人にしかわからないものだよ。しかもこれは主人公の一人称視点だし、心理描写が一切書かれてない。一応四択だから、自分だったらこう思うかなって当てはめてみるのが一番いいんじゃないかな」

「ふぅん……一人称視点?ってのは心理描写が書かれている奴の視点、ってことだよな?」

「うぅん、定義が難しいけど、そんな感じでいいと思う」


小説を普段から読まない湊には、こういった物語系の問題は少し苦手だったようだ。逆に、僕は普段漫画は読まずに小説ばかり読んでいるので、国語はかなり得意な方。


「湊も少しは本を読んだ方がいいよ」


と、湊の隣の席にいた花蓮が頭を抱える彼氏に助言。

本は己の成長に繋がるため、読むのはとてもいいと僕も普段から湊には言っていること。だが、どうも本人は嫌そう。


「いや、文字がずらっと並んでるのは苦手なんだよ。漫画は絵がメインだし、読みやすくていいんだけさ」

「小説は自分の想像力で面白さが決まるところがあるからね。想像豊かな人だと、文章から情景とかを頭の中で思い浮かべやすいし。でも、そういう人の方が少ないからね。現に、小説は漫画よりも売れにくい」

「でも、だからと言って読まない理由にはならないよ。湊は今度私の家で読書会ね。うちは両親が本好きだから、読む本には困らないから」

「うげぇ、マジかよ……勘弁してくれ」


心底嫌そうに顔を顰める湊に僕らは苦笑する。

何もそこまで嫌がらなくても、と軽口を叩きあっていると、湊が不意に「ん?」と僕の襟元に視線を固定した。


「晴斗、お前……首元に何かついてないか?」

「──ッ!」


咄嗟に指摘された箇所に手をやり、何かを拭う仕草をしながら制服の位置をずらす。プラスチック化している箇所は把握しているため、これで湊からは見えないはずだ。


「あー、糸くずだね。多分、ワイシャツの縫い目のが解れたんだと思う」

「糸くずか。それにしては光ってみたいに見えたけど……」


納得がいっていないように首を傾げるが、追及するほどでもないと思ったのか、湊はそれっきり話を変えて問題に集中した。

戦々恐々とした僕は襟元を正した後、胸元に入っていたメモ帳を取り出し”明日からはハイネック着用”と書き記した。


「……」


花蓮は疑わし気な目で僕を見ていたけど、全力で気づかないふりをする。

彼女は賢く、鋭い子だ。話してしまえば、僕の動揺を見逃さずに追及してくるに決まっている。

気付かないふりをして話題を逸らすのが得策だ。


「そういえば、二人は秋に何処か行ったりしないの?」

「何処かって、例えば?」


問題に向かっていた湊が顔を上げた。


「秋って言えば、食べ物が美味しいっていうし、紅葉を見に山に行ったりさ」

「紅葉かぁ……確かに綺麗なんだろうけど……」


頬を掻き、湊は花蓮の方を向いて言った。


「俺たち、室内でゆっくり過ごす方が好きなんだよな。どっちかの家に行って、一日中ダラダラしてるみたいな」

「おうちデートっていうの?私も湊も、あんまり外に出歩くのはね」

「へぇ、初耳なんだけど」


十年以上の付き合いがある僕もその情報を知らなかった。

湊は見た目的に活発なイメージがありそうなのだが。


「家の中に二人でいると、身体も心も休まるだろ?家に居てもゲームとかで楽しむことはできるし、それに……」

「変な人に絡まれることもないし」

「あぁ、そういうことか」


僕は納得して思わず頷いた。

二人共かなり整った容姿をしているので、外を歩いているとかなりの確率でナンパされるのだ。片方が一人になったら、すぐに声をかけられる。

湊も花蓮も、互いに気が気ではないということが多いらしい。容姿に恵まれた者の宿命とも言うべきなのだろうけれど、そこのところは少し同情する。


「ま、まぁ、それだけじゃないけど……な?」

「ちょ、ちょっと湊!」


照れながら口元がにやつくのを押さえる二人を見れば、何を言いたいのかは察しがついた。


「あー、うん。なんていうか……ほどほどにね」

「「……」」


無言の二人。

つまり、既に手遅れということだろうか。問題を解く時間であり、周りも同じように雑談している生徒が多いにせよ、この話題をここでこれ以上続けるのはよろしくない。

何となく気まずくなった空気を払拭するように、湊が強引に僕へ問うた。


「そ、そういう春斗は何処か行ったりしないのか?ほら、星巻さんと」

「一応、誘うつもりでいる」

「へぇ、何処に?」


花蓮が興味深そうに聞いてくるので、僕はリュックサックの中から一枚のパンフレットを取り出した。

そこに書かれていた文面は──。


「ロープウェイの、星空観賞便?」

「うん。三週間後から始まるから、行こうかと思って。ほら、割引のチケットもあるし」


たまたま手に入ったこのチケット。

星空が綺麗に見える山の上での鑑賞ができるとなれば、行くに越したことはないだろう。それに、秋の山は紅葉も綺麗だと聞く。何も楽しみは星空だけではないのだ。


「星空を二人で鑑賞とか、大層ロマンチックなデート……の、はずなんだろうけど……」


湊が言いかけるが、言葉尻を小さくしていく。

灯りの少ない山の頂。見上げれば空に瞬く満点の星空。

年頃の男女が二人で行くデートならば最高にムードも盛り上がり、絶好のデートスポットということになる。

だけど、僕の頭の中はそんなことは微塵も考えていなかった。


「快晴の夜空に広がる満点の星空。輝く一等星の中には秋の大四辺形を模る四つの星が群を抜いて輝きを放ち、ペガスス座を構成している。街中では決して見られないような空が見られるんだろうなぁ。性能のいい双眼鏡を使えば、星雲だって見られるかもしれない。

澄んだ空気に星が輝き乱舞する夜空の中を通過する流星。燃え尽きるその一瞬の時間で人を虜にする魅力。あぁ、僕は星空の下で生きて行きたいよ……」

「湊。そろそろ春斗君を現実世界に連れ戻してくれない?」

「いや、こいつこのモードになるとしばらくは自分の世界から帰ってこれないんだよ。多分、頭の中に小宇宙を展開しているはずだ。星好きだけに」


自習時間が終わり、担当の先生が再び授業に戻していく中、未だ現実世界に戻ってこない僕に呆れた様子の二人。

その後、僕は先生に名前を呼ばれるまで、ずっとこの調子で一人頭の中に広がる宇宙の中を泳いでいた。

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