四章 紅葉と星空の秋
第18話 変わりゆく容体
夏休みが明けてから一か月ほどが経過した頃。
九月も終わりを迎えるということで涼しくなっていた朝方、僕は自室の姿鏡の前で上裸になり、自身の身体を見つめていた。
薄暗い室内。しかし、カーテンの隙間から入り込む朝日に照らされた身体は、その人間のものではない特徴をよく示している。
僕の肉体は今、四割ほどが半透明なプラスチックに変化を遂げていた。
両腕は完全に半透明になり、左肩から胸部にかけても侵食が広がりつつある。加えて、左足も脛辺りまでは半透明に。
そして極めつけは……僕の左手指先。
そこは他の部位のように半透明ではなく、向こう側の景色が歪んで見えてしまう、透明をしていた。
この病気最大の特徴でもある、死期が近づくと身体は透明に変化を始める、という症状だ。
ここまで来れば、嫌でも自分の死を意識してしまう。どれだけ思い悩んでも、苦しい助けてくれと医者に頼もうと、この病気は治らない。
受け入れるしか道がないわけではあるが、僕は既に……佐伯先生から余命宣告を受けた時点で覚悟は決めていたのだ。
残された期間は、約半年。
そのことを再認識し、僕は登校のために制服に着替えた。
◇
「どうかしたの?」
妙に長く感じた六時間の授業を乗り切った僕は、部室にやってきた優菜にそんな声をかけられた。
普段はすぐに用意してあるはずの紅茶を用意せず、ソファに寝転がっている。携帯も小説も手に取らず、日も沈んでいないのでまだ星が顔を見せていない夕焼け空を眺めている姿勢。
僕にしては珍しい、ということだろう。
いつも通り荷物をソファの上に置いた優菜を視界に入れた僕は身体を起こし、額を右手で押さえながら呻いた。
「ちょっと……身体が怠くってさ」
数日前から身体に倦怠感を感じていたのは、既に優菜にも話していたこと。
怠くて眠いことが多いのだが、別段熱があるわけではない。風邪も引いていないが、少しだけ体調が悪いのだ。季節の変わり目のせいというのもあるだろうが。
「熱はないんだもんね?うーん、寒暖差に身体がついていっていないとか?」
「そうかもね。体温計るときはちょっと苦労してるよ」
「?どうして?」
優菜が首を傾げるので、僕は笑って左脇を指さした。
「いつも体温測定をしていた部分がプラスチックになってるから、正確な温度が計れなくてさ」
「……そっか、もうそこまで」
悲し気に目を伏せた優菜は、普段は僕がやっている紅茶淹れを行い始めた。
ティーバッグを取り出してカップの中に入れ、お湯が沸きたつのを待つ。
僕がこうして動くのを億劫にしているので、今日は自分が淹れてやろうという優しさの表れか。
「ごめんよ、僕がやることなのに」
「病人みたいな人にやらせられないよ。出会った時から病人だけどさ」
「言われてみればそうだね……もしかして、この身体の不調もそれが原因、ってこともあるかも」
夏休みが終わってから、侵食の速度は格段に上がったように思える。
考えてみれば、身体のプラスチック化に比例して体調も悪くなっているような印象を受けた。体育の授業は全て見学しており、その上普段運動を控えるように主治医の佐伯先生から忠告を受けているので、筋力は落ちているだろう。
体力は……そこまででもない。
「大丈夫……じゃないのは会った時からわかっていることなんだけど」
「別に私生活に問題はない程度だから。眠れば疲れは取れるし、今はそうでもないよ」
「じゃあなんで寝転がっていたんですかー?」
カチッとお湯が沸いたことを知らせる音が響き、優菜はポットを持ち上げカップの中にお湯を注ぎながら聞いてくる。
再び寝転がった僕は逆さに見える視界で彼女の様子を見つめながら、窓から入り込む冷たい風に髪を揺らす。
「疲れてるっていうか……滅茶苦茶気持ちいんだよね。今日」
「気温がってこと?」
「気温もそうだけど、もっと他にもさ」
現在の気温は十八度。
熱くもなく寒くもなく、非常に快適な気温に加えて、涼しい秋風が身体を撫でていく。空気を澄んでいて空が綺麗に見えるということも相まって、今日はダラダラと寝転がってゆっくりしたい気分でもあったのだ。
「同じ気温でも暖かく感じる春より、涼しく感じる秋の方が僕は好きなんだよ。寝心地も、不思議と秋の方が良く思える。あぁ、ありがとう」
目の前に紅茶を置いてくれた優菜にお礼を言って続けた。
「それに春と違って、秋は天文ショーが結構多く見られる。しし座流星群とかは、その代表的なものかな」
「あ、それは聞いたことある。毎年テレビで特集組まれたりするよね」
「数ある流星群の中でも群を抜いて見える流星の数が多いからね。僕も何度も山に行って、観察をしたもんだよ。まぁ、今年度は三月に流星群が霞むくらいの天体イベントあるんだけど。でも、綺麗なことに間違いはないよ。極大日には更にたくさん見ることができる」
シーズン中、最も多くの流星群が見られる日を極大日という。
この日は通常の二倍から三倍ほどの流星を観測することができるため、多くの人が空を見上げる。
それは勿論僕も例外ではなく、毎年灯りの少ない場所に移動し、流星観測に勤しんでいる。
今年はどれだけの流星を見ることができるのかなぁ、なんて呑気に言っていると、不意に優菜が暗い声で言った。
「本当に……進んでるね」
「え?」
疑問に思い優菜の方へと顔を向けると、彼女は僕の顔ではなく、寝転がった際に少し捲れた僕の腹部に視線を固定していた。
自分で確認せずともわかることだが、そこはきっと、半透明になっている部分。
「時期を考えれば、進行速度は妥当だと思うけどね。半年くらい経ったわけだから、そろそろ胴体の方もプラスチック化が始まる頃だ」
「確か、プラスチック化した部分は体温がなくなるんだよね?大丈夫なの?これからは寒い冬になるのに」
「その辺りは多分大丈夫だと思うよ。特に主治医の先生からは何も言われてないし」
正確には、佐伯先生もどう言ったらわからないというのが適当だろう。
しかし、彼にとっても僕はこの病気の初めての患者で、前例も情報も少ない中で僕の診断をしてくれていること自体ありがたいことに思うべきだ。
自分では無理だ、他の病院を当たってくれと投げ出してしまっても誰も文句など言えないのだから。
「この分だと、顔に変化が現れるのも近いかもしれない」
「そうなると、学校に来れなくなる?」
確かに顔は他の部位と違って隠すのが難しい。毎日覆面姿で学校に通う、ということは倫理的にもアウトだ。
「少しの箇所なら、絆創膏を貼ったり、包帯を巻いたりっていうことができるけど……」
「クラスの人たちは心配するんじゃない?」
「するかもね。少なくとも、何かがあったんだとは思われる」
当然だ。
友人がいきなり顔に絆創膏やら包帯をつけて登校してくれば、誰だって心配するに決まっている。特に、僕には湊と花蓮がいる。ちょっとした怪我でさえ過剰に心配する、心配性の二人がいるんだ。追及は免れない。
今の内から言い訳は考えておかなければならないだろう。
「考えてみれば、もう隠し始めてから半年以上経つんだよなぁ……。今までバレなかったのが、ちょっと不思議に思うくらい」
この半年間、違和感を感じる部分も多くあっただろう。
しかし彼らは一度たりとも、それを直接聞いてくることはなかった。
このまま、最後の日──僕が自由に街に居られる日まで、何事もなく過ぎ去って欲しいと願っている。死の期日が迫り、当初佐伯先生に告げられた入院の予定日まで。
もしも悟られずにその日を迎えることができたのなら、僕は覚悟を決めて二人に話す。その時くらいしか、勇気を出すことはできないから。
でも、同時にこの時の僕は、わかっていたのかもしれない。
自らの人生がそうであったように、自身の願いとは、そう簡単に手に入るものではない。全ての事が上手く行く確立など、限りなく低い数値なのだということを。
神妙に両掌に視線を落とす僕を、優菜は憐みの籠った瞳で見つめていたことは、僕も知らないことだ。
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