第17話 一夏に咲く炎の花

眼前に広がる広大な湖。

星明りすら映し出巨大な鏡のようなそれは、上空に打ちあがった花火も綺麗に反射していた。天高く昇る小さな火球から、大輪のように爆発する炎の花、燃え尽き地に落ちていく火の粉まで、全てを映し出す。逆さ富士ならぬ逆さ花火。

幻想的な光景は、上空の花火を見る人々の視線を下方にも下げさせる。


一度打ち上げられた花火は勢いに乗り、それから次々に上空に炸裂される。

天に咲いた花畑。

そう表現する詩人が過去にいたのではないかと自然に連想してしまう夏の風物詩に、祭りに来ていた恋人たちのムードは最高潮に高まった。


「綺麗だね」

「うん……」


段々と眼前の光景に眼を奪われた言葉数が少なくなる中、周囲にいたカップルたちは大胆にも身体を至近距離まで密着させ、影を重ね合う。

そこに咲いてるのは美しく天に散る炎の花だけではなく、地上ではそこかしこで恋の花が咲き乱れる。

ムードは最高。タイミングは抜群。ここでやらねば恋慕を抱いていると言えようか。


どちらからともなく近づく身体と影。

顔を見合わせれば、お互いに顔を真っ赤に恥じらいの表情を浮かべている。心臓の鼓動は加速し、時の流れもゆっくりに感じる。

本当にしていいのか?相手はそんな気分ではないのではないか?

そんな葛藤が頭の中で渦巻く一方、したい、という欲求も大きさを増していく。


そんな永遠とも言える思考を終え──重なり合う、口元。

互いに目を閉じ、その感触だけを堪能しようと意識を集中。

その瞬間──二人の愛を祝福するかのように、満開の花火が夜空の下にドーンと音を響かせ、開花した──。



「何やってんだ、あの子たちは」


丘の上に辿りつき、カップルたちがイチャつく中を探すこと数分。

ようやく発見した二人は互いにムードを意識し、愛の再確認を行っていた。

声をかけるのは無粋。いや、今行こうものなら殺気にも似た視線を向けられることは間違いない。

ということで、僕は顔を真っ赤にドキドキと興奮冷めやらぬ様子の優菜と共に、少し離れたベンチの上に座っていた。丁度彼らとの間に一本の松があるため、視覚的には死角。すぐには見つからないだろう。


「見つけたと思ったらこれとか……全く。羽目を外し過ぎだよ」

「す、すごいね」

「あんな風になっちゃ駄目だよ?」

「ならないよ!」


優菜にこんな度胸があるわけないので、実質忠告は無用なものである。

万が一……も、ありはしないだろう。


「ま、あれは放っておいて。綺麗に見えるでしょ?ここ」

「……うん」


皆花火を近くで見ようと湖の周辺に集まるため人は少なく、小高い丘の上にあるため障害物もなく見晴らしがいい。

真下よりも迫力は劣るだろうが、十分以上に綺麗に見える。

花火の色彩、湖に反射する姿、反響する大きな音。

どれも地元が誇るだけのことはある。


「去年は台風が直撃して、花火大会そのものが中止になっちゃったからさ。今年は無事に天気が持ってくれてよかったよ」

「……最後の花火大会、なんだもんね」

「うん」


優菜はちらりと湊たちがいる方向を向いてから、僕にだけ聞こえる声で話す。

気を遣っているんだ。僕の余命が迫っていることは、二人だけの秘密だから。


「今、こうして見ている景色も最後だ。そう思うと、名残惜しい。最近は、更に進行してきたからね」

「どの程度まで、進んだの?」


恐る恐る優菜が問うので、僕は左ではなく右手の手袋を外した。

人差し指と中指、二つの指の第二関節辺りまでが、半透明に変化している。

身体を蝕んでいる証拠だ。無機質で、体温のない、けれども確かに自分の意思で動かすことができる。

その表面は打ち上げられる花火を映し、色とりどりに輝いている。


「残りの時間で、どれだけのことがやれるのか……どれだけの記録が残せるのか」


僕は眼鏡に触れる。

この眼鏡についた小型カメラに記録された映像は、今までの生活の極一部。流石に、全てを記録できるほどの容量は持ち合わせていないのだ。


「それ、カメラになってるの?」

「言ってなかったっけ?一応僕の生きた記録として、残してあるんだ。こういうイベント……というよりも、僕が記録に残しておきたいと思った時に、ここのボタンを押して録画する。データは自動的に家のパソコンに送られて、保存されるんだ」

「そんな眼鏡があるんだ……」

「ドライブレコーダーみたいなものだよ」


当然今も電源は入っている。

この夏祭りの様子は、絶対に記録しておきたかったから。


「ちなみに、さっきの湊たちの熱いキスもバッチリ撮ってあるからね」

「それは盗撮って言うんじゃ……」

「湊には承諾を貰っているから大丈夫。この眼鏡のことは話してあるし」

「そ、そうなんだ……」


承諾したという湊に若干引きながらも、優菜は納得した。


「今更だけど、優菜のことも結構撮っていたよ。ごめん。不快だったなら、帰って消去するけど」

「いいよ。生きた証のために撮ってるものに、ケチ何てつけないから」

「ありがとう」

「それにしても……」


半分ほどになったリンゴ飴を一度齧った後、優菜は僕に問うた。


「晴斗がいなくなった後、撮った映像はどうするの?ご家族もいないわけだから、処分されちゃうんじゃ?」

「託す人はいるだろう?丁度そこでいちゃいちゃしてる二人」

「……託していいのか不安になるね」


人目を気にせず二人の空間を構築していては、そう思っても仕方ない。

僕にとっては幼馴染で、親友で、一番信頼できる子たちなのだけれど……。


「じゃあ、優菜が貰ってくれる?」

「私が?」


人差し指で自分を指さす優菜。

まさか自分が託し先に選ばれるとは思っていなかったのだろう。


「考えてみれば、撮った記録はほとんどが君と過ごしたものだよ。撮り始めたのは今年の始めくらいだけど、頻繁に録画をしているのは君と出会ってからだし」

「そんなに私のこと撮ってたの?」

「それなりに。だって、基本的に放課後はいつも一緒にいるじゃないか」


改めて言葉にすると、気恥ずかしい。

男女が毎日のように放課後、二人きりで部室にいるというのは、中々普通のことではない。一緒に喫茶店にも行き、帰りも一緒に帰り……これでは湊と花蓮のことを言えないではないか。


「どうする?僕と一緒にいる時の優菜の姿が沢山収められているデータを、湊たちに渡してもいい?」

「ダメ。絶対にダメ。その時は私が貰うから!」


慌てた様子で言う。流石にそんな映像を見られるのは乙女として恥ずかしい。

いや、乙女だからではない。僕だって自分のそんな姿を見られるのは流石に勘弁してほしい。

花火の音が大きいため、聞こえるように大きな声で話す。

これだけ大きな声を出しても、湊たちには聞かれていないだろう。


「もう、それは脅しなんだからね」

「脅しじゃなくて質問だよ。別に、僕は湊たちに渡してもいいと思ってるんだし」

「だったらそういう聞き方しなくてもいいと思うなぁ……。はぁ、本当に、余命が迫っているとは思えないくらい元気いっぱいだよね」

「…………まぁね」


長い沈黙を作った僕は、ん?と首を傾げる優菜に誤魔化すように携帯を開いた。

花火が始まってから既に三十分ほどが経過している。そろそろ残りも少なくなり、一度に多くの花火を打ち上げるフィニッシュが行われることだろう。


「花火も終盤だよ。どうする?声かける?」

「えっと…………まだ、よそうか」


ちらりと湊たちの様子を覗いた優菜は、そう言って再びベンチに腰を下ろした。

僕の視界の端に映っている彼らは、互いに寄り添い合いながら芝生に腰を下ろし、仲睦まじく湖を眺めていた。

ここで邪魔をするのは邪推だろう。花火が終わるまでの間、そっとしておくことにした──その時。


「わぁ……」


一際大きな花火と共に、残りの花火全てが使われるフィナーレが打ち上げられた。

様々な色の花火が宙に咲き乱れ、消えては咲き、消えては咲きを繰り返す。

星の爆発にも似たそれは、湖の夜を光り輝かせる。


「あぁ、綺麗だな」


人生最後の、祭りの花火。

それは今までで一番美しく目に映り、思わず涙が滲んでしまう。指先で眼鏡を押し上げ拭い、消えゆく花火の残滓までもを眺めつづけた。


花火大会終了のアナウンスと共に引き返し始めた客とは裏腹、じっとその場に留まり続ける湊と花蓮。

やれやれと僕は優菜と顔を見合わせ、二人を呼びに近づいていく。


もう二度と来ない僕の夏。

それは花火のように輝き、最後の瞬間まで心に残り続けるものだった。

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