一章 プラスチック症候群

第1話 宣告

「晴斗君。君の命は、もって後一年だ」


主治医の佐伯先生から告げられた言葉を聞いても、は特に何の感慨も驚きも湧かないまま「そうですか」と答えた。

別に、何も早く死にたいと思っているわけではない。死んだら好きな漫画も読めなくなるし、趣味や友人と遊ぶ時間だって永遠に失うことになる。


死ぬのは、正直に言えば嫌だろう。


だけど、不思議と現実を受け入れている自分がいるのも事実。

なら、大袈裟にわざとらしく悲しむよりも、受け入れている自分を出した方が自然だ。


「あんまり、驚いていないみたいだね」

「治療方法がないって随分前に言ったのは、先生ですよ?その時点で死ぬのは分かってましたから」

「……すまないね」

「先生が悪いんじゃないんですから、謝らないでください」


申し訳なさそうに白髪交じりの頭を下げる佐伯先生は、全く悪くないのだ。

病気にかかってしまった僕が悪い……ともいえないが。好きで病気になったわけではないし、何より、これは誰にも予期できないことだ。

それでも、誰かが悪いというのなら──。


「こうなったのは、あらゆる人間のせいです」


僕は半透明に変色した左手を摩った。

変わっているのは色だけではない。質感も、硬さも、人間の肌とは程遠いものになっている。

数年前、イギリスで初めて確認されたこの新しい奇病は、症例が極端に少なく、しかし世界中に驚きを齎したものだ。

名は。


「プラスチック症候群。数千万人に一人と言われる病気が、まさかこんなに身近で起こるなんてね……」


佐伯先生は無念そうに言い、カルテに症状や病名、診察結果をボールペンに記していった。


プラスチック症候群。

初めての症例が確認された英国では花の心臓フラワー・ハートと呼ばれる、世界でも数件の症例しか確認されていない難病だ。

原因は海などに投げ捨てられたプラスチック。

それらが魚などの体内に入り、それが食物連鎖の過程で生物濃縮を起こし、最終的に人間の体内へと取り込まれることで発症する。取り込まれたプラスチックは体内に吸収され、血流に乗って細胞へと到達。徐々に細胞を侵食していき、身体を作る組織を完全にプラスチックにしてしまうのだ。


「今は半透明だけど、死期が近づくにつれて完全な透明へと変色していく。そして、最期はバラバラに砕け散ってこの世を去ることになる、でしたっけ?」

「……間違いではないけど、それを口にするのは怖くないか?」


佐伯先生が苦笑して言うけれど、別に僕は恐怖なんて感じない。


「全然。寧ろ、最期にダイヤモンドダストみたいに綺麗になって死ねるのって、格好いいじゃないですか。死体も何も残らない、完全な消滅ってアニメみたいですし」

「プラスチック症候群患者の最期は、とても幻想的なものだと聞く。でも、だからと言って格好いいわけじゃないと思うよ」

「交通事故で身体が滅茶苦茶になるよりずっとマシですよ。手足の不自由もないみたいですから」


まだ詳しくは解明されていないけれど、プラスチックに変貌した手足は、何故か今まで通りに動かすことができるのだ。物を掴んだりする動作にも支障はない。

左手を開閉していると、佐伯先生は笑った。


「君はとことんポジティブだね」

「そこだけが、僕の長所だと思っています」


笑って返す。

人間の愚行によって引き起こされるこの病気は、因果応報と表現するに相応しいものだ。海を汚し、地球を汚染してきた種に対する罰。

その罰を受けるのが、たまたま僕だっただけ。神様からの天罰は、避けようがないって古来の人だって常識のように知っている。

無理に逃れるんじゃなくて、受け入れて残された時間を有意義に使った方が賢いと僕は思っている。

そんな考えを持っているのだ。


「で、僕はこれからどうなるんですか?入院生活を送るとか?」

「君がそうしたいなら、その選択もできる。何せ、世界でも数例しか確認されていない病気だからね。今からすぐにでも入院することはできる。けど、そうしたいのかい?」


首を横に振った。

余命一年。その期間を、病院に籠って終わらせるなんてことはしたくない。だって、本当に最後の一年。悔いを残して死ぬような真似はしたくないと思うのは当然だろう。


「今まで通り普通に暮らしたいです」

「まぁ、そうだろうね。誰かに移してしまうようなものではないから、隔離処置もない。今まで通り、普通の生活をして構わないよ。ただ、事情はご家族に──」


言いかけ、佐伯先生は謝った。


「すまない」

「いいですよ。今更、家族がいないことなんて気にしてませんから。続きを」

「あ、あぁ。これまで通りの生活を送ることは構わないけど、二週間に一度健診に来ることが条件だ。今はまだ左手だけだが、侵食率を確認するから。それと──」


カレンダーを指さし、佐伯先生はボールペンで指さす。

指示した箇所は、三月二十九日。


「この前後の日が、君が亡くなる日だよ。本来これはご家族の人に話すことなんだけど、君にはいないからね。心苦しいけど、知っておいてくれ」

「丁度一年後ですか」

「そうなるね。それでもう一つの条件が、この一週間前には入院してもらう。街中で亡くなられても、困るからね」

「まぁそうですよね。わかりました」


街を歩いている最中、突然バラバラに砕け散ったら周囲の人を驚かせるどころか、死亡じゃなくて行方不明になってしまう。

死ぬ瞬間は、佐伯先生が看取るということだろう。


「ただ、覚えておいてくれ、春斗君。この余命はあくまでも現時点でのことだ。その間に治療方法が確立される可能性だってゼロじゃない。最後まで、希望は持っていてくれ」

「……わかりました」


佐伯先生が僕の肩を掴んで言うので、一応頷いておく。

それがどれだけ可能性の低いことであるか、ありえないことであるかは、医者である先生が一番よくわかっていることだろう。

僕に希望を持たせようとしてくれているのはありがたいし、嬉しい。けど、希望を持って死を目前に迎えるより、受け入れたうえで死を迎える方が当人は絶望せずに済むのだ。

僕は絶望なんてしないけれど。


「残りの時間、僕は自分なりに有意義に使います。友達と遊んで、授業を受けて……当たり前のことができなくなる前に、やりきっておこうと思います」

「……あぁ」


それを最後に、僕は診察室を後にする。


別に、余命宣告されたこと自体は悲しくない。

残り一年でこの世を去ることが決まったとしても、心残りをなくすかはこれからの行動次第。悔いが残らないよう、精一杯日々を生きる。


診察代の支払いを済ませ、病院の自動扉を潜って外に出る。

春先の温かな陽光が天から降り注ぎ、思わず目を細める。


春は新しい生活の始まりだ。

学生は学年や学校が変わり、大学生は社会の一員として新たな一歩を踏み出す。

僕もそれに漏れず、新しい生活となるのだ。

今までとは違う、残された時間が明確になり、刻一刻と死が近づいてくる生活に。


悔いは残さない。


それを目標に、僕は八分咲きの桜並木を歩き出す。

悲しくなんてない。

そのはずなのに、何故か僕の瞳からは、涙が溢れて、アスファルトの上に落ちた。

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