◇蓼沼19◇ 告白って簡単なことじゃないんだよ

「で……出来たぁ……!」


 家庭科室の机の上にあるのは、焼き立てほかほかのクッキーである。

 焼き色もばっちり、齧るとさっくりほろり。さすがはトンちゃん監修!


「まぁ、柘植つげは? 、なんて言ってたみたいだけどぉ~。これはこれで良いんじゃないかしらねぇ」


 クッキーに限らず、手作りのお菓子というのは思った以上にたくさん出来てしまうものだ。とりあえず、自分が食べる分と家族にあげる分、それからせっかくだから顧問の平塚先生の分(焼き上がるや否やさっさと職員室に戻ってしまわれた)などなどに分けた。それからもちろん、柘植君の分も。本当は柘植君の分も他のと同じように茶色の紙袋に入れようとしたのだが、それをトンちゃんが許すわけもなく、


「アンタねぇ、ちょっと気合入れなさいよ」


 とか言って、赤いチェックの紙袋を出してくれた。それを金色のハートのシールで留める。


「問題はアレね。いつ渡すか、っていう」

「柘植君、部活中だもんね。まぁ、もうすぐ終わるだろうし」


 一応、学校で決まっている活動時間は、大会前など特別な理由がない限りは六時まで、ということになっている。文化部である私達家庭科部や、柘植君の所属する映研の場合は大会なんてものがないので基本的には六時には終わる。文化部の場合は文化祭前が一番忙しいのである。


「アンタ随分のんきに構えてるけど、わかってんの?」

「わかってるって……何が?」


 自分の分のクッキーをさくりと齧る。うん、これは本当に美味しい。私がひとりで作ったやつとは雲泥の差だ。


「それ渡して告白すんのよ、アンタ」

「――ひぇっ!? そ、そうだったっけ?」

「そうよ。昼休み、そんな話になったでしょうよ」

「なっ……たけど。でも、な、なんて言ったら良いのか、とか」

「そんなの『好き』って言ったら良いじゃないの」

「そんな簡単に言うけど」

「簡単な話よ。たった二文字伝えるだけなんだから。それとも何? 原稿用紙十枚分くらいのラブレターでも書いて音読したいの?」

「まさか!」


 原稿用紙十枚なんて作文でも書いたことないよ! 


「だいたいね、しゃべりすぎなのよ小説や映画は。よくよく考えてごらんなさい? まぁ多少長めにしゃべるのまでは良いとしても、よ? まったく噛まずにすらすら言えるとか、アンタどんだけリハーサルしてきてんのよ、って感じじゃない」

「まぁ、確かに。でもなんか、ちゃんと伝えないと、っていうか」

「こういうのはね、シンプルな方が伝わんのよ。それでも二文字じゃ足んないって思うんなら、『あなたが好きです』で良いじゃない。良かったわね、増えたわよ」

「うう……が、頑張ってみる」

「その意気よ。そんじゃあたし、偵察がてらちょっとお手洗い行ってくるわ。ゆっくりお茶でも飲みながら待ってなさい」

「わかった」


 頑張ってみる、とは言ったものの。


 トンちゃんは簡単に言うけど、簡単なことじゃないんだよ。

 告白なんていままでしたことないし。


 だけど、トンちゃんの言う通りなのかもしれないとも思う。

 小説や漫画、それから映画みたいに自分の思いをさらさらと話せる自信なんてない。あの中の人達というのは、作者とか脚本家といった『神様』がいて、ちゃんと台詞を用意してくれているから淀みなく伝えられるのだ。もちろん、口ごもったりすることはあるけれど、それでもいつから好きだったとか、どういうところが好きだとか、そういうのがちゃんと出て来るのである。私がそれの真似をしようとしたって、絶対に出来ないだろう。いつから好きになったのか、なんて厳密にはわからないし、好きなところも上手く説明出来ない。


 だったら、あなたが好きです、の言葉だけで十分なのかもしれない。


 そんなことを考えながらクッキーを齧り、お茶を飲む。


『大変よ』


 という簡潔なメッセージが届いたのは、それから間もなくのことだった。机の上に置いておいたスマホがぶるりと振動したのである。


 一体何が大変なんだろう、と思い、返信か、あるいは電話しようかと手に取ると、また再びぶるりと震える。


『映研、今日はもう終わったみたい。帰るところよ。急いで!』


「えぇっ?! そんな!」


 時計を見れば、まだ時刻は五時半だ。思ってたより早い。

 別に今日がダメでも明日があるんだけど、きっとクッキーは今日が一番美味しいはずだ。そう思って、慌てて立ち上がった。再び震えたスマホには、


『後片付けはあたしがやるから。気張りなさい、木綿ちゃん』


 と表示されている。

 ありがとう、と急いで返す。よく見たら『ありがと』になっていたけど、訂正する前に送信してしまっていた。


 急いで飛び出したは良いものの、どこへ向かえば良いんだろう。映研の部室で良いのかな。帰るところ、ということは、もう出てしまっているかもしれない。だったら、玄関? 映研の部室ならここを右、だけれども、玄関ならこの階段を降りなくてはならない。そんな分かれ道で、あうあうと迷う。


 とりあえず、まずは映研の部室に行ってみよう。

 もしかしたらまだ部員の人達とおしゃべりしてたりするのかも!


 そう思って、校舎の端にある映研の部室へと走った。

 廊下の電気はついていたけれど、人気がないからか、いつもより暗い気がする。やっとの思いでたどり着いた部室も、灯りはついているものの、誰の話し声も聞こえてこなかった。ということは、やっぱりもう誰もいないのかもしれない。やっぱり玄関に行くべきだったかもと肩を落としていると、ドアのすりガラスに人影が映った。わぁ、誰かいた! と驚く間もなくそれは開かれた。中から出て来たのは、確か同じ学年だったような気がする男子である。


「――わぁ、びっくりした。ええと――誰? 映研ウチに何か用?」

「よ、用、というか……あの、柘植君は……」

「へ? ああ、柘植? 柘植に用があんの? ちょっと待ってな。奥にいるから呼ぶな」


 人懐っこい笑みを浮かべて、何だか後輩にでも接するように優しくそう言われると、あれ、もしかして先輩だったかな? なんて気もしてくる。いや、でも、二年の廊下で見たような気もするし……。


「柘植ぇ~、柘ぅ~植ぇ~。おい、何かお客さんだぞ~? あ、ちゃんと奥の電気も消してこいな。こないだ俺うっかり消し忘れて、橘先輩にめっちゃ怒られてさぁ」

「そりゃ怒られるに決まってるだろ、こんだけ節電節電言われてるのに。……って、お客さん? 誰?」


 そんなやりとりをドアの外でぼんやりと聞く。この感じからしてやっぱりさっきの彼は二年生なのだろう。


「女子だぞ。ほら」


 その言葉と共に、二人が顔を出す。柘植君の肩を抱いた彼が、にぃ、と笑って、


「お前も隅に置けんなぁ」


 と軽口を叩くと、柘植君は「そんなんじゃない」と彼の脇腹を肘で突いた。


「どうしたの、蓼沼たでぬまさん」


 やっぱりちょっと怒ったような声の柘植君が、私を見下ろす。肩に「柘植、ひでぇ」と痛がる友人をぶら下げたまま。


竹谷たけや、そろそろ重い。離れて」

「つれねぇなぁ。まぁ良いけど。施錠は任せた。俺は帰る。そんじゃあね、えっと、タデヌマさん? 頑張って」

「え、あ、はい。が、頑張ります?」


 どうやら彼が『竹谷君』だったらしい。ひらひらと手を振る竹谷君に手を振り返す。そして再び正面を向くと、目の前の柘植君は声色の通りに怒っているような顔で、口をへの字に曲げていた。


 私、何かしちゃったんだろうか。

 もしかしてものすごく疲れてるとか?

 こうやって訪ねてくるのが迷惑だったとか?

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