◆柘植7◆ だから、余計なことをするなって!
「俺が何を考えてるって?」
いい加減立ち止まったままというわけにもいかず、俺は仕方なく
「
「……別に」
考えていないわけじゃない。
と、都合の悪いことは心の中で言う。嘘は良くない。心の中で言ったんだから、これは嘘じゃない。
「ああんっ、あの小動物的可愛さの蓼沼さんが、俺の顔を好きだと言ってるなんて、感ッ激! 今夜はもう寝られそうにないわぁっ! ……こうでしょ?」
両肩を抱いて身をくねらせ、ちょっとは俺に似せようと思ったのか、いつもよりやや低めの声ではあったものの、口調は完全に富田林である。だから余計に不気味だ。
「何言ってるんだお前」
「やだ、何でそんな冷静に返すのよ。もう、つまらない男ね」
「お前が愉快すぎるだけだろ」
一応言葉は選んだ。本当は、『奇怪』とかその辺りの言葉にしようと思ったんだけど。
「まぁ良いわ。とにかくあたしにはお見通しだから」
「勝手に言ってろ」
付き合いきれん、とペースを速めたが、何度も言うようにこいつの方が背も高けりゃ足も長いのだ。ホホホ、と笑いながら悠々とついて来る。
「何よ、せっかく協力してやろうと思ったのに」
「――はぁ?」
「アンタと木綿ちゃんがうまくいくように、この恋のキューピッド・トンちゃんがひと肌脱いだろうってことよ」
と言って、ワイシャツのボタンをひとつ外してみせた。
「ちょっと待て。実際に脱ぐ気じゃないだろうな」
「まぁっさか! 冗談よ、じょーだん。なぁんであたしが野郎に肌を見せなきゃなんないのよ」
その言葉にちょっとだけホッとする。
いや、別にこいつが男を好きだろうがなんだろうが正直どうでも良いわけだが、俺がその対象になるのは困る。
「ということは、やっぱり富田林の恋愛対象は女子なんだな?」
念を押すようにそう尋ねると、「さぁ? どうかしらね?」とやっぱり人を食ったような態度である。
やっぱり付き合いきれん。
何が恋のキューピッドだ。
そんなごついキューピッドがいてたまるか。
「とりあえず、木綿ちゃんはあたしのタイプじゃないからご安心なさいな」
「ああそう。ていうか、いい加減俺に構うなよ」
「良いじゃない、同じクラスのよしみでしょうよぉん」
ねぇねぇ、と肩を突きながら甘えた声を出す。怖気が立って仕方がない。
「俺は俺で何とかする」
そう突き放す。
これですんなり諦めてくれれば御の字なのだが。
「あらそう。それじゃせいせい頑張りなさいな。でも、気が変わったらいつでも泣きついていらっしゃい」
「誰が泣きつくか」
「あら? 男の涙って案外女のより価値があったりするものよ? 特にアンタみたいなのは人前でホイホイ泣くこともないんだろうし。ああ、見てみたいわねぇ、その小綺麗な狐顔を歪ませて必死に涙をこらえるのとか、ゾクゾクしちゃう」
「お前が言うと何か冗談に聞こえないからやめろよ」
いよいよ鬱陶しくなってきて、俺は駆けだした。早足なんて生ぬるいことしていないでとっととこうすれば良かったのである。といっても、先述の通り、富田林が本気で走れば俺なんかよりも速いので、追いかけられたら終わりだけど。
そう思い、ちらりと後方を確認したが、富田林は口笛でも吹き出さんばかりにのんきな表情でゆっくり歩いていた。俺の視線に気づくと片目をつむって手を振って来たが、そんなのは無視である。何なんだあいつは。
やっと撒いたな、と胸を撫で下ろしてからふと気づく。
『俺は俺で何とかする』
――あれ。
これって俺が蓼沼さんのことが気になってるって認めてるようなもんじゃないのか、と。
いや、これは売り言葉に買い言葉というか、だって富田林に任せたら一体どんなことになるか……っていやいや任せるって何だ。別に俺は蓼沼さんとどうにかなろうというつもりは。
……ないわけじゃないけど。
ああもう何なんだ。朝から何でこんなこと考えなきゃならないんだ。
そんなことを考えながら走る。富田林が追ってこないのはわかっているのに、歩く気になれなかったのである。身体の内側が何だか熱い。胸なのか腹なのか、石炭をガンガンに詰められて、それがごうごうと燃えているようだった。
いまの時代に『石炭』なんてものが浮かんだのは、最近見た映画の影響だ。『
顔を真っ黒にした機関助士が、大きなスコップで石炭を掬い、ごうごうと燃える火室の中にそれを撒く。そうして炎はより強くなり、もうもうと蒸気を上げてたくましく汽車は走るのだ。炎が強くなるのに比例して、
心臓がばくばくと強く脈打ち、こめかみから汗が流れていく。次の角を曲がれば学校まではあともう少しだ。一応少しだけ減速させて曲がると――、
「――みゃああ?!」
「――わぁっ!」
蓼沼さんがいた。
胸の辺りでスマートフォンを両手に持ち、限界まで目と口を大きく開けて。
危うくぶつかりそうになったのをすんでのところでかわす。
「ごめん、蓼沼さん。ぶつからなくて良かった」
「わ、私の方こそごめんね」
かなり驚いたのだろう、蓼沼さんは数秒ほど表情が固まってしまったらしく、ぐにぐにと頬をもみほぐし、ああ、だの、うう、だのと口を開けたりすぼめたりしている。
「何でこんなところにいたの?」
そう問い掛けると、顔のマッサージが終わったのか、いつものちょっとふわっとした笑みを浮かべ、「トンちゃんがね」と話し始めた。
……また
蓼沼さんの口からあいつの名前が飛び出す度、心がちょっともやっとしてしまう。いつから俺はそんな狭量な人間になってしまったのだ。
「富田林が?」
だけど、彼女にとっては大事な親友なのだ。誰だって親友のことを悪く言われたら良い気持ちはしない。
「うん、何かね、ここで待ってなさいって。さっき連絡が来たの」
「ここで? 富田林を待てって?」
「ううん、それがね、トンちゃんを待てってことじゃないみたいでね。五分くらい待ったら行って良いから、って。これ、どういうことだと思う? あと二分なんだけど」
「どういうことって……」
後方を確認するが、そこに富田林の姿は見えない。どう考えてもあと二分でこの場に到着することは出来ないだろう。ということは、だ。
もしかして、ここで俺と蓼沼さんを引き合わせようと……?
「どういうことかはわからないけど、とりあえず、二分経ったら行って良いんじゃないかな。そういう指示みたいだし。遅刻しちゃうといけないし」
「そうだよね。ううう、でもどうしたんだろう、トンちゃん。お腹痛くなっちゃったのかなぁ」
律儀にスマホのタイマーアプリまで起動させ、あと二十秒などと言いながら画面をじっと見つめている。その声が何だか弱弱しくて、本当に富田林のことを心配しているのだろうということがこちらにも伝わってくる。腹痛なわけはない。あいつはさっきまで俺といたし、そんな様子はなかった。さっきまで一緒にいたけど俺だけ先に来た、なんて話をしたら、どうしてそのまま一緒に登校しなかったの? と突っ込まれそうだから黙っておこう。
ピピピ、とアラーム音が鳴り、蓼沼さんはちらちらと後方を気にしながら歩き始めた。富田林が来ると思っているのだろう。
「そんなに気になる?」
「え? うん、まぁ。でもトンちゃんは、私が心配すると怒るんだ。『アンタなんかに心配されるほどか弱くないわよ!』なぁんて」
まぁ確かに、富田林は見た目的にはどう考えても心配されるほどか弱くはない。
「でもね、トンちゃん、昔からお腹はちょっと弱くてね。ほら、あの乳酸飲料あるでしょ、ああいうのをたくさん飲むとすーぐお腹痛いーってなっちゃうの」
「そうなんだ」
「私はね、もう何リットルでも飲めちゃうんだけど」
「すごいね。リットル単位なんて」
「でもあれ、実は、リットル単位で飲むのはダメなんだって。柘植君も気を付けた方が良いよ。お腹ピーピーになっちゃうかもだから」
乳酸飲料に限らず、どんなものもリットル単位で飲むものではないだろうから、絶対に飲まない自信しかないけれど、真剣な眼差しでものすごい秘密でも打ち明けるかのようにこそっと言われれば、「わかった、気をつける」としか返せない。
もしかしてその時の富田林も、リットル単位で飲んだからそうなっただけなのではなかろうか。
しかし、富田林も雑な作戦を。適当な理由をつけて俺と蓼沼さんを一緒に登校させたかったんだろうが、これでは彼女が可哀想だ。だって蓼沼さんはそんな話をしながらも、さりげなく後方を確認しているのである。よほど心配なのだろう。蓼沼さんの優しさには感動するものの、それが富田林に向けられているのだと思うと、正直悔しい。
後ろをちらちら気にしながら歩いていた蓼沼さんが、「あ」と言って立ち止まった。
そして、手に持っている鞄をじっと見つめ、何やら泣きそうな顔になる。丸っこい目がしょぼしょぼと細くなり、眉もしょんぼりと八の字だ。
「どうしたの、蓼沼さん」
「もしかして、これのせいかも……」
「これ? どれ?」
そう尋ねると、蓼沼さんは、鞄の中から紙袋を取り出した。
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