◇蓼沼13◇ トンちゃんの誤算と血の流れる王道
「トンちゃん、いい加減機嫌直してよぉ」
「あら? 嫌だわぁ
楽しい楽しい昼食の時間になっても、トンちゃんの声にはまだ何だかトゲがある。教室のうんと隅っこにあるトンちゃんの席と、その隣を向かい合わせ、私達は各々のお弁当を食べていた。
「そんなこと言っても、何だか怖いよ」
「うふふ、良いのよ、気にしないで?」
「気になるよ、もう」
「ほーらほら、あたしの玉子焼きあげるわ。食べるでしょ? 食べるわよね? お食べなさいな、ホホホ」
「もすぅ」
まだ食べるなんて言っていないのに、玉子焼きを口に突っ込まれる。うわぁ、トンちゃん家の玉子焼き、あまーい。
「しかし、ちょっと今回は誤算だったわぁ……」
「もす?」
「せっかくの男女混合バレーだったのに、もったいないことしたわねぇ」
「もす。どういうこと?」
「あらら、もう飲みこんじゃったのね。やっぱり柔らかいものだとダメねぇ。明日からスルメとか持ってこようかしら」
そんなことを言いながら、トンちゃんは机の脇にかけていた鞄の中に手を入れた。よいしょ、と引っ張り出したのは一冊の漫画である。
「あー、『ラブベタ』だぁ。トンちゃん、これ好きなの?」
「好きも何も、あたしのバイブルよ」
空になったお弁当箱を端に寄せて作ったスペースにそれが置かれる。これは『月刊アネモネ』で連載している『
「それで、どうしていきなり出したの? 貸してくれるの? でもだったら出来れば一巻から――」
「馬鹿、違うわよ」
そう言って、ぱらりとページをめくる。きちんとお手入れされた長い指で示されたのは、体育の授業の一コマだ。
「よく見なさい。ね、ここでも体育やってんの。何の偶然か、男女合同のバレーボールよ」
「わぁほんとだ。すっごい偶然。えっ、もしかして森先生、これを見て……?」
「馬鹿ね、そんなわけないでしょ。いや、ないとは言い切れないのかしら? まぁ、それはさておき。とにかくね、男女合同の体育はオイシイのよ!」
「おいしい……どの辺が?」
いま食べ物の想像したでしょ? とジト目で睨まれ、まさか! と即座に否定する。さすがの私でもそんなベタな間違いしないからね?
「あのね、この場合、好きな人が敵チームでも味方チームでもオイシイわけよ」
「そうなの?」
「そうよ。例えば、敵チームなら、彼の打ったボールが顔面に当たって保健室に運ばれてね?」
「ううん?」
「味方チームの場合でも、なんやかんやで彼の打ったボールが顔面に当たって保健室コースなわけ」
「ちょっ、ちょっと待ってよ! どっちにしたって顔面強打で保健室なんじゃん!」
しかもだとすると、この場合、強打するのって私ってことでしょ? 柘植君の打ったボールで!
「当たり前よ。それに責任を感じて彼がお姫様抱っこしてくれる、っていうのが王道なんだから」
「そんな痛い王道嫌だよ!」
「わかってないわねぇ、木綿ちゃん」
「なっ、何が」
ちちち、と顔の前で指を左右に振られると、ついそれを目で追ってしまう。メトロノームみたいだなぁ、などと思っていると、トンちゃんは、はぁ、と深いため息をついて手を机の上に置いた。
「保健室で二人きりよ?」
「二人きりって……先生がいるじゃない」
「馬鹿ね、なんやかんやあって席を外してくれるようになってんのよ」
「そんな都合よく席外してくれるかなぁ。それにほら、顔面強打ってことは、鼻血とか出てるかもしれないし、恥ずかしいよ」
「そんなのすぐ止まるわよ」
「ていうか、当たり所が悪かったら鼻折れちゃうかもじゃない? 保健室どころじゃないよ、流血だよ、病院だよ、救急車だよ!」
「まっさかぁ! ……でも、木綿ちゃんならあり得るかもしれないわね」
「そうでしょ! 私ならあり得る話! ……ってそれも失礼だからね?」
とにかく、トンちゃん的には、この男女混合授業もかなり重要なイベントだったらしい。
「だからとにかく柘植を集中的に狙おうと思ったのよねぇ」
「柘植君を? 私じゃなくて?」
「そうよ? 木綿ちゃんを狙ってもしものことがあったらどうすんのよ!」
いや、新田君は確実に私を狙ってたと思うけど?
「だったら柘植君だってダメに決まってるでしょ! ていうか、さっきの話だと、トンちゃんがどうこうするってよりは、柘植君が私にボールをぶつけるって流れになるんだよね?」
「そうよ? だから直接の原因は柘植ってわけね。ホーホホホ」
「ホホホじゃないよ! もう、そんなのは絶対ダメ! もう、良かったぁ、何事もなくて!」
「ちぇー、つまんないわねぇ」
口を尖らせ、ぷい、とそっぽを向く。
あらら、拗ねちゃったかな。だけど、いくら恋愛軍師様と言っても、それはいただけないよ。そんな弱みにつけこむみたいなのは絶対良くない。
トンちゃんは『ラブベタ』をぱらぱらとめくりながら、それじゃあ次はどうしようかしら、と呟いた。
えっ、もしかしていままでのも全部これを参考にしてたりする?!
どうやらその読みは当たっていたようで、これはやったし、これもまずまず、などと言いながら顎をさすっている。
「トンちゃん、あのね」
「なぁによ」
「その、王道のパターンではなかったみたいだけどね」
「うん」
「柘植君とはいままでよりもずっと仲良くなれてると思うんだ」
「そうなの?」
「うん。それとね、さっきの体育の時だって、すっごく恰好良くてね?」
「まぁ……そうね、ちょっとは活躍してたかもしれないわね。柘植のくせに、まったく」
「トンちゃんも恰好良かったって思った?」
「別にあたしは全然」
「そう? 相馬ちゃんも手島さんも恰好良かった、って言ってたよ?」
「ええ? アンタそれは大丈夫なの?」
「ふぇ? 何が?」
すっかり忘れていた空のお弁当箱をクロスに包み、ランチトートの中に入れてから顔を上げると、やけに神妙な顔つきのトンちゃんと目が合った。
「アンタ、わかってる?」
「な、何を? ていうか、トンちゃん眉間にしわがすごいよ?」
「良いのよ、いまはしわなんかどうでも」
えっ?! 良いんだ!? いつもはあんなに気にしてるのに!
「アンタねぇ、相馬ちゃんと手島ちゃんが柘植に惚れたらどうすんのよ!」
「えっ?! まさか!」
「まさかなんてことはないわよ! ほら!」
と、窓の方を指差す。どうやら二人も既に昼食を食べ終えていたようで、窓にもたれてお菓子をつまみながら何やら談笑している。
「ほら、の意味がわかんないんだけど」
「視線の先をごらんなさいな」
そう言われて、二人の視線の先を辿ると――、
そこは柘植君の席だ。
柘植君は、自分の席で黙々と読書をしている。あっ、今日は本にカバーしてない! チェックしなくちゃ。何ていう本読んでるんだろう。って、いや、そうじゃなくて。
「いや、トンちゃん、考え過ぎだよ。そりゃあ確かに柘植君は黙ってるとクールで恰好良いし、さっきの体育でもめちゃくちゃ活躍して――ううん?」
あれ?
それって、もしかして、巷でいう『ギャップ萌え』とかそういうやつだったりする?
もしかして、相馬ちゃんと手島さん、柘植君のギャップにやられちゃったりしてる!?
「……やっと気づいたのね?」
こくこくこく、と無言で何度も頷くと、トンちゃんは「ほんとにアンタはヌマ子よねぇ」と海よりも深いため息をついた。
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