◆柘植9◆ やっぱり彼女が好きなんじゃないか

 立ち聞きなんてするもんじゃない。

 小説でも映画でも、そういうシーンというのはだいたいの場合、それを聞いてしまった相手にとって『好ましい展開』にはならない。


 そしてそのご多分に漏れず、というやつが、まさにいまから数分前、自分の身に降りかかっていたのである。


 登校時、蓼沼さんは元気だった。富田林とんだばやしと合流するまではちょっと情緒不安定気味ではあったけれど。その後の彼女の笑顔が富田林のおかげなのかと思うと正直複雑ではあるが。


 けれど、教室に入ってしばらくすると、蓼沼さんは急に元気がなくなってしまったのだ。授業中も心ここにあらずといった様子でぼんやりしていたり、うつむいていた。先生に当てられなかったのが奇跡だと思う。


 昼休みになって、ご飯を食べれば回復するかと思ったのだが、そんなこともなく、というか、ほとんど食べてもいなかった。


 これは絶対に何かある。

 そう思うのも当然だろう。

 

 もちろん、授業なんて皆が皆ものすごく集中しているというわけではない。こっそり漫画を読んでいるやつもいるし、別の授業の宿題を大急ぎで片付けているやつもいる。堂々といびきをかいているやつもいれば、秘密の手紙を書いているやつ(これは女子だが)もいる。それに比べたら多少のぼんやりなんて可愛いものかもしれない。


 蓼沼さんの場合、今日ほど酷くはないにしろ、授業中にぼんやりしていることはよくあったので、まぁたまたま今日の内容が彼女の興味を引くものではなかったのだろう、なんて思っていたのだが。


 だけど、それを昼休みにまで引っ張るのはおかしい。

 どんな時でも蓼沼さんは昼休みはウキウキにこにこしながら弁当を食べるのだ。その向かいに座るのが富田林アイツなのが腹立たしいけれど、でも、彼女にしてみれば親友とのランチタイムである。そりゃあ楽しいものだろう。


 なのに。


 あまりチラチラ見るのも、と思いながらもついつい気になってしまい盗み見していると、彼女はとうとうしょぼしょぼと泣き出してしまったのだ。さすがに何人かはそれに気付き、それがだんだん伝わって、何となく教室内がざわつき始める。


 蓼沼さんはクラスの中心というわけでもないし、取り立てて目立つタイプでもない。だけど、いるだけでふわっと雰囲気が明るくなるというか、周りの空気が緩くなるというか、例えるなら陽だまりのような存在だと思う。まぶしいくらいに光っているわけでもないし、触れると火傷するほどに熱いわけでもないが、そばにあるとぬくぬくと温かい、といったような。


 そんな彼女がしおしおと泣いているのだ。クラスの誰もが心配する。けれどその一番近くに富田林がいるからだろう、大半のやつらは――それは俺も含めてだけど――ちらちらと視線を送るのみだ。ただ、中には『ちらちら』では済まないやつもいたらしく、富田林が鬼の形相でそちらの方を睨みつけていた。さすがは番犬である。


 そして彼は、蓼沼さんの手を取って教室を出て行ってしまったのだ。

 ご丁寧に、家庭科室に行く、と行先まで告げて。


 蓼沼さんの身に一体何が起こったのかはわからないが、富田林に任せておけば大丈夫だろう。



 ……とは思うものの。


 ちょっと遅すぎるのではなかろうか。

 そう思ったのは、昼休みが残り十分を切った時だった。富田林が何かと理由をつけて授業をサボるのはよくあることだが、蓼沼さんはよほどのことがない限り休んだりはしない。ということは、その『よほどのこと』が起こっているのかもしれない。


 ちょっと様子を見に行こうか。


 そう思って、教室を出た。

 騒がしい廊下を通って、階段を上り、一番奥にある家庭科室へと向かう。戸がほんの少し開いていて、そこから声が漏れ聞こえてくる。といっても小声で話しているためか、何を話しているのかまでは聞こえない。覗き見は良くない。そうわかっていても、つい気になってしまうのが人間というものだ。

 

 いいや、それでも駄目だ。

 もしかしたら(富田林は男だけど)女子としか話せないような、秘密の話かもしれないじゃないか。だとしたら、それを盗み聞きするなんて男のすることじゃない。そう思い、ちょっとでも興味を持ってしまったことを恥じた。もしかしたらこのまま授業をサボることになるかもしれないが、三年間の高校生活の中で一回くらいはそういう経験があっても良いのかもしれない。そう思い直し、教室に戻ろうかとUターンしかけたところだった。


「だから! アンタのことが好きだっつってんのよぉっ!!」


 そんな富田林の声が聞こえた。

 さっきまでは何を話しているかもわからないようなボソボソ声だったのに、そこだけは声を張り上げていたのだ。慌てて周囲を見渡すが、昼休みに家庭科室に用がある生徒などおらず、廊下には俺しかいない。とりあえずそのことに安堵する。


 いや、でも、そうじゃなくて。


 やっぱり富田林、蓼沼さんのことが好きなんじゃないか。


 さんざんタイプじゃないとか何とか言っといて。あの野郎。

 しかし、そうなると気になるのは蓼沼さんの返事だ。富田林の話では、彼女は『俺の顔』が好きらしいけど、そんなのはアイドルが好きとか俳優が好きとかそういうのと変わらない。一緒にいたい相手が必ずしも好みの顔であるとは限らないのだ。


 それでも何となく期待してしまう。

 俺に向けられる彼女の表情であるとか、ここ数日のやりとりであるとか、そういうのを思い出して。


 だけど、数秒の後に聞こえてきたのは、


「私も……好きですっ!」


 という言葉だった。


 

 ああ。

 ああこれが鈍器で頭を殴られたような、というやつか。

 小説でよく見る表現だけどいまひとつ意味がわからなかったんだよなぁ。本当に頭の中がぐわぁんと揺れるんだなぁ。痛みはないのに。いや、痛いところはある。胸が痛い。

 除夜の鐘みたいな、ごわぁぁん、という音が頭の中で鳴りっぱなしで、胸はずきずきと痛む。自分がいままでどんなリズムで呼吸をしていたのかがわからなくなり、全力ダッシュした後のような息苦しさを覚えた。

 

 恐らく時間にして二、三分といったところだろう、胸に手を当てて、すぅはぁ、と深呼吸をし心を落ち着ける。呼吸は整ったが、胸のじくじくとした痛みは治まらない。


 と。

 

 引き戸がガラリと開いた。

 出て来たのは富田林だ。


柘植つげ、こんなところで何してんのよ」


 不思議そうに首を傾げて、俺を見下ろす。その後ろに見える蓼沼さんの顔が赤い。そうか、やっぱり彼女が好きなのは富田林だったのか。背中がすぅ、と寒くなるような感覚を覚え、頭が冷える。

 

「戻ってこないから、ちょっと気になっただけ」


 自分でも驚くほど、冷静だったと思う。さっきまであんなに心が乱れていたのに。

 蓼沼さんの顔の赤さを指摘したのは、ちょっとした意地悪心だ。この富田林のことだ。俺に聞こえるような声で家庭科室に行くと言ったのも、そうすれば俺がこうして来ると踏んでいたのかもしれない。そして、頃合いを見計らって告白したのかもしれない。そう考えると、戸が少しだけ開いていたのもわざとだったんじゃないだろうか。もちろんすべて俺の想像ではあるが、現に、俺はここに来たし、抜群のタイミングでカップル成立の瞬間に立ち会ってしまったのだから。


「柘植、アンタいつからここにいたの? もしかして――」


 何が『いつからここにいたの』だ。知ってるくせに。白々しい。


「俺は何も聞いてない」


 お前の思い通りになるもんか。

 俺は何も聞いてないからな。

 お前が蓼沼さんに告白したことも、彼女がそれに応えたことも。

 俺は何も聞いていないんだから。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る