◇蓼沼17◇ アンタのことが好きだっつってんの
「ほぉら、ここでだったらどれだけ泣いても良いわよ?」
しんと静まり返った家庭科室で、私達の指定席のようになっている一番奥の席に座り、トンちゃんは言った。
せっかくここに来たんですもの、なんて言いながらやかんを火にかけ、ほぼ私物化している棚からティーバッグと湯のみを二つ出している。いつもはポットを使うけど、量も量だし、いまはやかんの方が速い。
肉団子を飲み込んだ私は、もう当然しゃべることが出来るわけだけれども、何をどう話せば良いのかわからない。
あのね、柘植君はトンちゃんのことが好きみたいだよ、なのか。
トンちゃんは柘植君のこと、どう思う? なのか。
それとも、柘植君のことはもう諦めようと思う、なのか。
たぶん結局はそれら全部を言うことになるんだけど、それをどの順番で言うべきなんだろう、なんてことを考えている。
「木綿ちゃんがこんなになるってことはきっと
優しい声でそう言って、ティーバッグの入った湯のみを目の前に置いた。そして、熱いわよ、なんて言いながら、やかんのお湯を注ぐ。とぽとぽとお湯が注がれ、ふわりと香ばしい湯気が上がる。今日のお茶は緑茶だ。
「あの、あのね、トンちゃん」
「何よ。ゆっくりで良いから、話してみなさいな」
「あの、トンちゃんは……その、柘植君ってどう思う?」
緊張のせいかすっかり冷えてしまった指先をぴとりと湯のみに当てる。同じく冷えていたはずの湯のみはもうすっかりあっつくなっていて、とてもじゃないけど持てそうにない。
「柘植ぇ? まぁ、良いんじゃない?」
「い、良い、って具体的には?」
「具体的に? えぇと、まぁ……小綺麗な顔してるし? 勉強もそこそこ出来るわよねぇ。かといってガリ勉って感じでもないし、案外スポーツも出来るし。あとあの子映画見たり本読んだりしてるからか、結構色んなこと知ってるのよ。何てったかしら、こないだは中南米のとうもろこし農家さんがクイズ番組で大金を当ててコンサートホールを作ったっていうノンフィクションの話を――って、それがどうしたのよ」
ずずいと顔を近づけられ、思わず肩を竦める。お茶でも飲んで落ち着こうと思ったけど、まだ湯飲みは熱い。ということはお茶も熱い。まだ飲めそうにもない。
「柘植が何かしたの? 何かされたの?」
「な、何もしてないよ。されてないよ」
「なら良いけど……。でも、無関係ではないわよね」
「ええと……ない、とは言い切れないかもしれないけど」
「ってことは、木綿ちゃんが気付いてないだけで、既に何かされてるってことなのよ! ちっくしょう、あの狐野郎! 人畜無害そうな顔して、あたしの木綿ちゃん泣かせてんじゃないわよぉ!」
「待って、トンちゃん違うの!」
勢いよく立ち上がったトンちゃんの制服のシャツを引っ張る。本当は身体にしがみつくくらいのことをした方が良いんだろうけど、大きな机を挟んで向かい合っていたため、届かなかったのだ。
「お放し、木綿ちゃん。あたし、柘植だったら木綿ちゃんを安心して任せられるかと思って――」
「良いの、トンちゃん! そんな私のために我慢しなくて良いんだよ!」
そう叫ぶと、トンちゃんは、シャツの裾にぶら下がっている私を見下ろして「はぁ?」と何だか気の抜けたような声を出した。
「何よ、我慢って」
「私のために、ってそんなのしなくて良いの」
「良いの、ってあたしは木綿ちゃんの恋愛軍師なのよ?」
「えっと、そうだけど、でも、良いの! もう良いの!」
「どうしてよ。もう柘植のこと好きじゃなくなっちゃったの?」
トンちゃんのシャツを放してうつむく。
「す……好きだけど」
「あの狐顔だけじゃなくて、中身も好きなんでしょう?」
「うん」
「またクッキー作って渡すんでしょう? 約束してたじゃない」
「うん、した」
「朝はあんなにご機嫌だったじゃないのよ」
「だったけど」
「何があったのよ、この短時間に」
「それは……」
椅子にすとんと座り、もじもじとスカートの裾をいじる。するとトンちゃんは机を回って私の隣に座り、そんなことしたらしわになるわよ、と私の手を取った。
「あのね、柘植君はトンちゃんのことが好きなんだと思うの」
「……はぁ?」
ちらりと湯のみを見る。もう少しは冷めているはずだ。いまなら飲めるかな、なんて思いつつ。
「朝、トンちゃんが声をかけた時ね、柘植君耳まで真っ赤になってたでしょ?」
「まぁ、なってた……わね。でもあれはね、木綿ちゃん」
「それでね、えっと、誰とは言えないんだけど、今日、別の子もね、真っ赤になってるところを見てね。その子は、好きな人に手を握られて、それで真っ赤になってたから、好きな人の前では真っ赤になるもんなんだ、って気付いてね。だから、ええと」
ああ、どうして私はこう、説明がぐだぐだなんだろう。ちゃんと伝わっただろうか。
するとトンちゃんは、私の手を持ったまま、はぁぁぁぁぁぁ、と深い深いため息をついた。トンちゃん呆れてるのかな。やっぱり伝わってないんだ、これ。何かもっとこう端的に言い表せる言葉ってあったのかな。ちゃんと国語の勉強すれば良かった。おっかしいなぁ、一応得意教科だと思ってたんだけど。もしかしてこれにぴったりな四字熟語とかあったりするのかな?
「……アンタねぇ」
「何?」
「だっから、アンタはヌマ子だっつってんのよ!」
「ひええ! トンちゃんそんな怒らなくてもぉ!」
お黙り! と言って、トンちゃんは私の手を両手でぎゅっと握り、ぐぐぐ、と顔を近づけて来る。わぁ、トンちゃんってば睫毛も長ーい、とかそんなことを考えている場合ではない。
「いい加減気付きなさいよ」
「ふぇ? な、何に」
「本当は本人からしゃべらせたかったけど、これじゃあ埒が明かないから仕方がないわね……」
トンちゃんの手に力がこもる。痛くはないけど、圧迫感がすごい。私の力ではとても振りほどけそうにない。
「良い、よく聞きなさい、ヌマ子」
「は、はいぃ?」
「あのねぇ……、柘植はねぇ……っ」
「な、何?」
うんと低い声を出し、トンちゃんは顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。ああ、トンちゃんってばこめかみに血管まで浮き上がらせてる。大丈夫? 切れちゃったりしないかな? ああきっと、これが漫画だったなら、トンちゃんの長い髪がふよふよと宙に浮いたりする感じだろう。
「柘植はアンタのことが好きなのよ」
「――え? トンちゃんごめん、いま何て言ったの?」
いつもとは違うトンちゃんの形相に釘付けになっていた私は、その、地を這うような低音ボイスを聞き取ることが出来ずに首を傾げた。だっていつものトンちゃんの声より確実に1オクターブは低かったんだもん。声も小さかったし。
するとトンちゃんは、「――っかぁぁぁぁぁぁ!」と奇声を上げて勢いよく立ち上がった。もちろん、私の手を掴んだまま、だ。
ものすごい力で引っ張られ、ひゃああ、と情けない声を上げてトンちゃんの身体に倒れこむような姿勢になりながら、私も立ち上がる。
「だから! アンタのことが好きだっつってんのよぉっ!!」
バランスを崩した私をその広い胸で受け止つつ、トンちゃんはいつものその声で叫んだ。柘植君からも「よく通るから、どこにいてもすぐわかる」とお墨付きのその声で。うん、さすがにこの声だったらちゃんと聞き取れる。はい、ちゃんと聞き取れました。
……いや、聞き取れましたけれども?
「――え?」
「え、じゃないわよ。ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたけど、え? どういうこと……?」
「だから、いま言ったじゃない。木綿ちゃんのことが、好きなのよ。あーもう、何でこんなことあたしが言わなくちゃいけないのよぉ!」
ふん、と鼻から息を吐き、ほら、ちゃんと立ちなさい、と手を放す。いや、トンちゃんが手を握ってたからこうなったというか……とはさすがに言える雰囲気ではない。
「それで? もっかい確認するけど、アンタの気持ちはどうなの?」
「えっ……と。わ、私も……好きですっ!」
「そんな声張り上げなくて良いわよ。でもまぁ、これでカップル成立ってわけね」
でも、と言って、トンちゃんは再び腰を下ろした。私もそれに続く。
「ここで成立したって仕方がないのよねぇ」
そうなのだ。
何が何やらわからないし、正直信じられない話ではあるけど、柘植君が本当に私のことを好きだとしても、だ。当人のいないところで思いが通じ合ったって仕方がないのである。
「まぁ、鉄は早いうちに打て、っていうし、もう今日辺り告白しちゃえば?」
「そ、そんな簡単に!」
「クッキー焼いてさぁ、渡す時にぱっぱと言っちゃえば良いのよ。好ーきでぇーす、って」
「ねぇ、何かトンちゃん面倒くさくなってない?」
「めぇーんどくさいわけじゃないけどぉ~、勝ちが決まってる戦ってつまんないのよねぇ~? やっぱりぃ、不利な戦況をひっくり返してこそ? みたいなぁ?」
椅子を傾けてぐらつかせながら、気の抜けた声でそんなことを言う。待って、本当に勝ちが決まってるの? やっぱり何かいまいち信じられないんだけど。
「とりあえず、教室戻りましょ。あたしは別にサボっても良いけど、木綿ちゃんまで道連れにしたらそれこそ柘植にどやされちゃうわ」
「そうだね、戻ろっか」
すっかり冷めたお茶を飲み干して、湯飲みをサッと洗い、片付ける。そして、持って来たは良いけれど、結局開けることもなかったランチトートを持った。これは次の休み時間にでも食べることにしよう。
先にドアへと向かったトンちゃんが、ガラガラと引き戸を開けて「あらぁ?」と言う。一体どうしたんだろう、と駆け寄ると、ドアの向こうにいたのは柘植君である。
『木綿ちゃんのことが、好きなのよ』
トンちゃんの言葉を思い出すと、かぁっと顔が熱くなる。トンちゃんは私に嘘なんかつかないから、たぶん本当なんだろう。だけど、それは果たして柘植君から聞いたことなんだろうか。それとも、トンちゃんがただそう思っただけなんだろうか。いずれにしても、それは本人に聞いてみないとわからない。
「
「戻ってこないから、ちょっと気になっただけ」
家庭科室のドアの前で、トンちゃんと柘植君が向かい合っている。
トンちゃんをまっすぐ見上げて「戻ってこないから、ちょっと気になっただけ」なんて言っているのを見れば、やっぱり柘植君は私じゃなくてトンちゃんのことが好きなんじゃないのかな、なんて思ってしまう。トンちゃんの言葉を信じないわけじゃないけど。
「蓼沼さん顔が赤いけど」
何だかちょっと怒っているような声だった。私の顔色に言及する割に、こちらを見ようとはしない。
「熱でもあるんじゃない?」
ぶっきらぼうにそう言って、俺はもう行くよ、と歩き出す。その肩をトンちゃんが掴んだ。
「何」
「柘植、アンタいつからここにいたの? もしかして――」
「俺は何も聞いてない」
トンちゃんの言葉を遮り、肩に乗せられた手を乱暴に振り払う。そして柘植君は、やっぱりこっちを見ることもなく歩いて行ってしまった。背筋をぴんと伸ばして、すたすたと。
その様子が何だかいつもと違うような気がしたけど、確かに、あともう少しで昼休みは終わってしまうのだ。私達も急がなくちゃ。
「ねぇトンちゃん、私達も急がないと」
そう言ってトンちゃんの手を引っ張る。
すると、トンちゃんは、眉間にしわを寄せて、ううん、と唸り「まぁ、これはこれで」と呟いた。
これはこれで、何?
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