◇蓼沼16◇ 赤面するってそういうことだよね?
「よくやったわ、
柘植君が走り去ってしまった後で、トンちゃんが私の頭を撫でて来る。
「何が?」
そう返すと、トンちゃんは、うふふ、と笑って「良いのよ、こっちの話」と言った。何かよくわからないが、私は何か良い働きをしたらしい。
「ま、それはさておき。そろそろスピードアップしないと遅れちゃうわ。急ぐわよ、木綿ちゃん」
「え? あ、ほんとだ。おっかしいなぁ、今日も早く出たつもりなのに! 急ごう、トンちゃん!」
といっても私が急いだところで、トンちゃんの早歩きについていくのが精一杯なんだけど。
何とか間に合い教室に入ってみれば、柘植君は既に着席していて、いつものように本を読んでいた。あの『Is This~?』という映画の原作本である。ちらりと見たところ、もう既に半分以上読んでしまっているようだった。
柘植君は本を読んでいる時でも特に表情が変わったりはしない。私はよくお姉ちゃんから「それどんだけ面白い本なの? すんごいニヤついてるけど」なんて指摘をされてしまうくらい顔に出ちゃうタイプなんだけど。
もしかしてその本あんまり面白くないとか? いや、他の本を読んでいる時も柘植君はこの顔だった。それに、ここまで読んでいるんだから、面白くないわけはない。面白くなかったらきっと読むのをやめているだろうし。
ああ、気になるなぁ。
帰りに買って帰ろうかな? ホラーだけど、小説だったら、ワッ、って脅かしてくることもないし、血がドバーって出たとしても、それが見えるわけでもないし、きっと大丈夫だよね。
よし、そうと決まれば今日の帰りトンちゃんに本屋さん付き合ってもらおう。せっかくだし駅前のハマナス書房にしよう。
そんなことを考えながら柘植君と、それから隣の席の橋場君におはようと言って席に着く。
「なぁ柘植、何かそっちの方からすげぇ甘い匂いしない?」
そんな声が聞こえてドキッとする。鞄から教科書やらノートやらを取り出しつつ、ちらりと様子をうかがってみると、橋場君が柘植君の方に身を乗り出して、何やら鼻をすんすんと鳴らしていた。
絶対私のクッキーだ。と思う。
えっ、そんなに甘い匂いしたかな、あれ? もしかして橋場君めちゃくちゃ鼻が良い?
「気のせいじゃない?」
「いーや、気のせいじゃない! 絶対」
「何、橋場ってそんなに鼻良いの?」
「うん、何か昔から良いんだよな。それで、何隠し持ってんだよ」
「何も隠してないって」
「絶対柘植だと思うんだけどなぁ」
橋場君はなおも追及をやめない。どうしたんだろう。よっぽどお腹空いてるのかな。
ああ、こういう時トンちゃんだったら飴を常に持ってるんだけど。ていうか、柘植君、クッキーもう全部食べちゃったのかな?
そわそわとそのやりとりを見ていると、柘植君が私の視線に気が付いた。俺の気のせいかぁ、なんて言いながら、橋場君が机に突っ伏したタイミングで、人差し指を口元に当てる。言わないで、というサインだと思う。言わないで、って何を? と首を傾げていると、トントン、と自分の鞄を指差した。ああ、クッキー、その中に入ってるんだ。わかったよ、と指でOKのサインを送る。そうだよね、柘植君は硬いクッキーが好きみたいだけど、橋場君はそうとは限らないしね、食べさせるわけにはいかないもんね。さすがは柘植君、優しい。
ならば私は黙ろうじゃないか。
橋場君には悪いけど、ううん、これは橋場君を守るためでもあるんだから。
その後の二人のやりとりで、どうやら橋場君は寝坊したために朝食を食べられなかったらしく、本当によほどの空腹であるらしいことがわかった。かといってお昼のお弁当に手を付けるわけにはいかず――という状況らしい。そこへ、たまたま通りがかった委員長の工藤ちゃんが「私、飴ならあるよ」とポケットから飴を二つ取り出した。
「ありがとう委員長!」
橋場君が少し大げさすぎるくらいのリアクションで、飴を持った手ごと包むようにしてお礼を言うと、工藤ちゃんはもう茹でダコのように真っ赤になった。漫画だったら湯気が出ているだろう。
「あばばばばば。ばば、ばば。ど、どういたしました」
ちょっと何かおかしなことになってるけど、工藤ちゃん大丈夫だろうか。ああ、でもちゃんと歩いて自分の席に戻った。うん、思ったより大丈夫そう。
助かったぁ、と言いながら飴を食べる橋場君に「良かったね」と声をかけると、口をモゴモゴさせながら「本当に助かったよ。委員長マジ良いやつ~」と目をうるうるさせている。そして、未だに赤い顔をしている工藤ちゃんに向かって両手を合わせ、なむなむと拝み始めた。そんなにお腹空いてたんだね。だとしたら飴二つでお昼まで持つんだろうか。私もトンちゃんから飴を分けてもらおうかな。
――そういえば、とふと思い出す。
それは、工藤ちゃんが橋場君を好きらしい、という噂だ。
女子の世界というのは、この手の噂が広まりやすい。本人が友達に相談して、その子が広めちゃったパターンもあるけど、周囲に牽制するために自分からあえて吹聴する場合もあったりする。工藤ちゃんの場合は、もうバレバレだよね、って誰かが言ってたのだ。だから、本人が言っていたわけじゃない。工藤ちゃんは自分のことをあまりしゃべるタイプではなくて、どちらかといえば聞き役に徹するタイプだから、誰にも言ってないんじゃないかな、と思う。
なので、所詮は噂だしなとあまり気にしていなかったんだけど、うん、こんなところを見ちゃったら、確かにそう思わざるを得ないかも。
だってあんなに顔が真っ赤なんだもん。
真っ赤。
真っ赤に。
あれ、そういえばさっき、柘植君も顔赤かったよね。そう、トンちゃんに名前を呼ばれた時だ。顔だけをちらっとこっちに向けただけだったけど、耳まで真っ赤になってた。
えっ。
ということは、もしかして柘植君ってトンちゃんのこと好きなんじゃ……?
そうだ、絶対そうだ。
だって柘植君、私と話してる時でもよくトンちゃんの名前出すし、いつだったか、トンちゃんの声はすぐわかるとか言ってたし。そうだよね、好きな人の声ってすぐわかるもん。
確かにトンちゃんは男の子だけど、いまは同性だからどうとかって時代でもない。クラスの友達でも男の子同士の恋愛ものが好きな子ってたくさんいるし、確かどこかの県では同性同士の結婚が認められたとかそんなニュースもあったはずだし。それにトンちゃんの魅力は、男の子とか女の子とかそういう枠に収まるものではないのだ。
そっかぁ。
そうだったんだぁ。
トンちゃんは髪もきれいだし、お肌にも気を使ってるし、勉強も出来るし、運動も出来るし、料理やお裁縫も上手だし、優しいし、気も利くもんなぁ。そりゃあ好きにもなっちゃうよね。
ああ、まさかこんな身近にライバルがいたなんて。しかもどう見ても勝ち目なんかないじゃない。
トンちゃんはどう思ってるんだろう。
私が柘植君を好きだって言ったから、協力するわね、なんて言ってくれてはいるけれど、そうやって相談に乗ったりしているうちにその人を好きになってしまうことも案外あるらしい。もし、そうなったとしてもトンちゃんは私に気を遣って絶対に言わないだろう。ああ、どうしよう。どうしたら良いんだろう、これから。
「ちょっと木綿ちゃん? 全然食べてないじゃないの。どうしたの?」
お昼休み、いつものようにトンちゃんと向かい合ってお弁当を広げていたけれど、私の手は止まったままだ。
絶対にお腹は空いているはずだし、口に入れればちゃんと噛んで飲み込むわけだから、食べられないわけでもないんだけど、どうにも進まないのである。
「ちょっともうやぁっだ、どうしちゃったの? どっか痛いの?」
ほら、食べさせてあげるわ、あーんして? なんて私のお箸を持って、小さく切った肉団子を口に運んでくれる。うう、トンちゃん。なんて優しいの。これは柘植君が好きになるのも納得だよ。ああもう、完敗すぎる。涙が……。
「もすぅ……ううう」
「えっ!? ちょ、どうしたの木綿ちゃん!? な、泣かないの! 泣かないのよ?! よぉーしよしよしよしよし。ちょっと男子コラァ! 見せもんじゃないわよ! あっちへお行き! しっしっ」
よしよしと言いながら、大きな手でゆっくりと頭を撫でられると、涙が溢れて来てどうにも止まらない。
「困ったわねぇ。ここじゃ目立つし……」
「もす……もすぅぅぅ」
「木綿ちゃん、あそこ行きましょ」
「もすぅ?」
「あたし達の愛の園、家庭科室よ!」
きっぱりとそう言って、トンちゃんは立ち上がった。私の口にさっきの残りの肉団子を詰め込んでから、てきぱきとお弁当を包み直してランチトートにしまい、私の手を取る。
ダメだよトンちゃん、愛の園とか、こうやって手を繋ぐだとか、柘植君が見たらきっと焼きもち焼いちゃうよ。そう言いたいけれど、あいにく私の口の中にはさっきのよりもうちょっと大きい肉団子が入っている。もごもごと噛みながら柘植君を見ると、眉を寄せて心配そうな顔をしている。ああ、ごめんね、そういうんじゃないんだよ。あとでちゃんと話すからね。トンちゃんとは、全然そういうんじゃないからね。
目は口ほどにものを言う、なんていうけれど、私のこのメッセージは伝わっただろうか。
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