◆柘植4◆ 蓼沼さんの親友の、富田林千秋とは
「まぁでもさ、気になるなら告っちゃえば?」
やっぱり面倒臭そうに、テーブルの上のスナック菓子を開けながら
「気になるってだけで告白は早計過ぎないか」
ほらよ、と差し出されたスナックをつまみ、そう返す。
「良いじゃん。別に結婚するわけでもなし。貴文はさ、彼女でも作ってちょっと浮かれてるくらいが良いと思う」
「何だそれ」
「なんつーかさ、貴文ってたまにロボットか何かなんじゃないかなって思う時あるんだよな。喜怒哀楽に乏しいっつーの? 自覚ないだろ」
「自覚……ないわけじゃないけど」
「自覚してたのかよ。意外だわ。まぁとにかくさ、お前このまま高校生らしい青春とかそんなのもなしに老いてくとかもったいなさすぎじゃね? さてはお前、外見は十六だけど、中身四十とかだろ」
「中身だって十六に決まってるだろ」
「落ち着きすぎなんだよ、十六にしては。もっとはしゃげよ。その恋に一喜一憂してみろって」
一喜一憂と言われても。
そもそもこれは恋なんだろうか。
「まぁ仮にこれを『恋』と仮定しても、だ」
そう言うと、小暮は「お?」と居住まいを正した。
「その道のりはかなり険しい」
「何だよそれ」
そう、かなり険しいのだ。
何せ蓼沼さんの近くにはいつもあの
「なんていうか……番犬みたいな親友がいるんだ」
「番犬? 何だそりゃ」
「番犬……いや、犬なんて言ったら殺されるな、あいつに。用心棒? ボディーガード? とにかく、常に一緒にいて、その子のことをすごく可愛がっているというか、甘やかしているというか、守っているというか……」
「マジかよ。いや、それはさすがに言い過ぎだろ?」
「ところが全然言い過ぎじゃないんだ」
教室でも廊下でも、あのちょっとキンとした特徴的な声はよく聞こえてくるのだ。それで、ああ、今日も蓼沼さんが怒られてるなぁとか、甘やかされてるなぁ、なんていうのがわかる。彼女が一人でいる時というのは、富田林が『お肌のお手入れ』とかいうやつでトイレに行っている時くらいなものだ。こないだ、放課後に一人でいたのだって結構珍しいことだったのである。
「まぁでも女子ってそんなもんじゃんか」
同じ『女子』である小暮が言う。
けれどもこいつの場合、『女子』というカテゴリに分類しても良いのだろうかと正直迷うところではある。いや、性別はしっかり『女子』のはずなんだけど。
「ウチのクラスの女子もそんなやつばっかりだぜ? ていうか、オレに告白して来るやつだって絶対一人でなんか来ねぇしな。女子って何でか群れるの好きだよなぁ」
それは何度も見ている。
果たして彼女らが本当にこいつを恋愛対象として見ているのかは疑問だが。いくらボーイッシュだっていっても、こいつはれっきとした女子なんだぞ。制服限定ではあるが、ちゃんとスカートも履いたりするし。まぁ、そのスカートの下にはだいたいジャージを履いてるんだけど。
しかし、小暮は勘違いしている。
「あのな、小暮。違うんだ」
「何が」
「そいつな、そういうんじゃないんだ」
「そういうんじゃないって、どういうことだよ」
「富田林は――ああ、そいつ、富田林っていうんだけど」
「おう、だからそいつがどうしたんだ」
「あのな、そいつはな――」
* * *
「おい、お前」
あれは去年だったか、確か秋口だったと思う。冬服への移行期間ということで、半袖を着てるやつと長袖を着てるやつが半々くらいだった時期のことだ。
放課後、映研の部室へと歩いていると、廊下の奥の方で、富田林が三年の教師に呼び止められているのが目に入った。安藤という名の小柄な教師だ。
その時富田林とは別のクラスだったけど、こいつは何かと目立つから名前と顔と……まぁ基本情報くらいは知っていたのだ。とにかく『富田林千秋』というのは色んな意味で有名人だった。
「なぁんでしょうかぁ」
人を食ったような、というのか、教師を相手にしているとは思えないような態度だった。身長も富田林の方が拳二つ分ほどは大きかったので、ちょっと見下ろすような感じだったし。それが気に食わなかったのだろう、安藤先生は、富田林の長い髪を、ぐい、と引っ張って「この髪は何だ」と言ったのである。年度替わりのタイミングで転勤していったが、いまの時代には正直そぐわない、ちょっとしたことですぐに手が出るタイプの教師だった。はっきり言うと、生徒達からは恐れられ――というか、嫌われていた。俺も正直嫌いだった。
これはとんでもない現場に遭遇してしまった、と思った。
下手に目を合わせればとばっちりを食うかもしれないが、ここでUターンするのも何だかあからさますぎる。気づかないふりはさすがに厳しいとしても、なるべく気配を消して通り過ぎてしまおう。そう思って、歩くペースを少し速めて。
「べぇっつに校則違反じゃないと思いますけどぉ?」
乱暴に髪を掴まれた状態だったが、それでも富田林の態度は変わらなかった。やっぱりその教師を見下すような目をして、小馬鹿にしているような口調で、へらへらと笑いながらそう返したのである。
「染めてるわけでもないですしぃ、ストパーかけてるわけでもないんですけどぉ? 地毛ですよぉ、地・毛」
安藤先生をそこまで煽れば絶対殴られる。
そう思ったのは、既に何人かが同じ目に合っていたからだ。
生意気なやつは男だろうが女だろうが俺は殴る、なんて平然と言うようなとんでもないやつだった。そしてそれはハッタリでも何でもなかったらしく、何年か前に女子でも平手を食らった子がいるという噂もあったのだが、なぜか大きな問題にならなかったらしい。校長が金を積んで黙らせたとか、その生徒の親御さんが知り合いだとか、推薦入試をチラつかせたとか、色んな噂が飛び交ったが、とにかく彼は謹慎とか減俸とかそんなペナルティを受けることもなく、学校に残り続けた。翌春に転勤したのだって、何か問題を起こしたからとかではなく、母親の介護がどうだとか、そんな理由だったはずだ。
もし、富田林が間違ったことをしているのなら、自業自得なんだから大人しく殴られれば良い。まぁ、教師に対する態度ではないのは間違いないが、あいつが髪を伸ばしている理由はちゃんとあったはずだ。それくらいのことは、同じ学年のやつは全員知っている。
「安藤先生、富田林の
だから、俺が割って入った。
たぶん、富田林は態度を改めたりしないだろうと思われたし、そうなると、最悪、その髪もばっさり切られてしまうかもしれない。その髪を待っている子がいるというのに。
「ヘアドネーション、だぁ?」
その言葉を知らないとは思えないが、何やら気の抜けた声を発し、安藤先生は俺を睨んだ。どんなに睨まれても、こちらは一分の隙もないくらいに校則はきちんと守っている。教師に意見をしてはならない、という校則があるのなら話は別だが、もちろんそんなものがあるはずもなく。
「校長先生からの許可もいただいているはずです。だよな、富田林」
「もっちろん」
「ですので、それは、頭髪を失った子ども達のもとに届けられる大事な髪です。手を放してやってください」
そう言うと、彼は、ふん、と鼻を鳴らして乱暴に手を放した。よほど強く引っ張られたのか、結び目が少したるんでしまっている。
「何だか知らんが、チャラつきやがって。だいたい男のくせに何がヘアドネーションだ。そんなものは女がやれば――」
たぶん、その言葉が富田林の気に障ったのだろう。
富田林はさっきまでの軟派な笑みを止め、安藤先生の胸倉を掴んだ。富田林千秋という男は、普段はくねくねとオネエのような言動をしているのだが、身長は百八十もあるし、汗をかくのが嫌だとかいう割にかなり筋肉質な身体つきをしている。それを指摘されると、こういう体質なのよねぇ、とごまかしているが、あれは絶対に鍛えていると思う。
それに対して安藤先生は小柄でやせ型である。既につま先立ちになっていて、こんなことをしてただで済むと思うな、と食って掛かっているが、どう見たって富田林の優勢だった。
「女が出来ることを男がやって何が悪いんだよ。俺の髪をどう使おうが俺の勝手だろうが」
いままでに聞いたこともないくらいの低い声でそう言うと、富田林は突き飛ばすように手を放した。その衝撃で尻もちをついた安藤先生の顔はほんの少し青ざめていて、反論する気力も失せたのか、そのまま急いで立ち上がるとそそくさとその場を去っていった。
そうなると、気まずいのはこちらである。
礼を言われるなんて期待はしていなかったが、いまの富田林ならば、ついでにと殴り掛かってきそうでもあったからである。
完全に余計なことをしたかもしれない。
こちらを睨みつける富田林と目が合った俺は、そう思った。
いやマジで殴られるとか、あるかもしれないな。
ごくり、と唾を飲む。
と。
「……悪かったわね、巻き込んで」
「え」
「内緒よ、あたしがあんなことしたの」
「あんなことって」
「アイツの胸倉掴んだりとか、『俺』とか言ったことよ」
「まぁ、俺は別に言いふらしたりしないけど」
「なら良いわ。助かった。ありがとね」
いつものオネエ口調に戻った富田林は、「あーもー、結い直さないとぉ~」と、いつものあの声で言いながら、一年の教室の方へ歩いて行ってしまった。
その日から俺の中で『富田林千秋』は、『何かよくわからないデカいオネエ』から、『実は男らしい一面のある、オネエのふりをした男』という認識になったのだった。
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