◇蓼沼14◇ 柘植君の魅力がバレたらどうしよう

「つ、柘植君っ!」


 授業中の小学生か、ってくらいに元気に挙手しつつ、私は彼の席へと特攻した。もしかしたら相馬ちゃんと手島さんにとられてしまうかもしれない、などと考えたらいてもたってもいられなくなってしまったのである。


 だったらまず向かうべきは二人の方なんじゃないかとも一瞬考えたのだが、身体が動いてしまったのだから、もうどうしようもない。


「どうしたの、蓼沼さん」


 読んでいた本にしおりを挟んでぱたりと閉じ、柘植君はちょっと怪訝そうな顔で私を見た。そりゃあこんなに鼻息荒く向かってくれば、そんな顔にもなるはずだ。


「えっ、えっと、えーっと、その、あのね」

「うん、何?」

「ちょ、えっと、その」

「落ち着いて。大丈夫?」

「だ、大丈夫。あのね、そう、その本!」

「本? これ?」

「そう! その本、あの、何読んでるのかなって思って」

「何読んでるのかなって思って、そんなに慌てて来たの?」

「そ、そうなの! もうすっごい、いますぐ知りたくなっちゃって」

「そっか。そういうこともあるよね」

「あ、あるよね? あるのかな? うん、ある! あるみたい! えへへ」


 どうにか苦しい言い訳だったけれど、柘植君的には『そういうこともある』話らしい。本好きの人にはあるあるなのかな?


「どうぞ」


 そう言って、差し出された本は『Is This~?』である。あれ、このタイトルどこかで。


「こないだ蓼沼さんが持ってたDVDの原作本だよ」

「へ? あ、ああ!」

「そういや原作も読んだことないなって思ったら気になっちゃって。まだ読み始めだけどね」

「そうなんだ」


 しおりが落ちないように注意して、ぱらぱらとめくってみる。そうか、活字だったら怖くないかも、なんて思いながら。


「座ったら? いま橋場いないし」


 と隣の席を指差される。そうだね、と言って着席すると、柘植君は頬杖をついてじっとこちらを見つめてきた。


「気になるなら、貸そうか?」

「えっ?! う、ううん、大丈夫! だってほら、柘植君まだ読み終わってないでしょ?」

「すぐ読み終わるよ」

「良いの、大丈夫。本当に気になったら、私も買うから」

「買うの、蓼沼さん?」

「気になったらね。それにほら、同じ本読んだら、感想を言い合いっこしたり出来るかなぁって」

「感想の言い合いっこ……」

「そう! 映画とかもさ、見終わった後に感想言い合いっこするでしょ」

「そうだね」

「私、柘植君と色んなお話したいから」

「えっ、そう……なんだ」

「うん。あっ、でもね、読みたくなったら、だけどね? ちゃんと最後まで読めないとお話出来ないし」


 さらっと読んだ感じでは全然怖くなさそうではある。

 ただ、ちょっと気になるのが、これが外国人作家の小説、ということだ。もちろん日本語に訳されてはいるけれども、なんていうんだろう、独特の表現というか、そういうのがちょっと読みづらかったりする。これは翻訳家さんの癖なんだろうか。


 むむむ、と文章をなぞっていると、柘植君の指がすい、と伸びてきて、本の上部をとんとんと叩いた。


「ホラーだし、無理しなくて良いんじゃないかな。それに、割と文章に癖があるから、合わない人は合わないと思う」

「……やっぱり?」

「何かすごく難しそうな顔してたから。ここ」


 と、今度はその指を自身の眉間に移動させ、きゅ、としわを寄せる。


「こんなんになってる」

「わわ、ほんと? またトンちゃんに言われちゃう。伸びろ伸びろー」


 本を置き、ぐいぐいと眉間を左右に引っ張って伸ばすと、それを不思議そうに見ていた柘植君が、「どうして蓼沼さんはさ」と言った。


「私? 私が何?」


 ここまで伸ばせば大丈夫でしょ、と最後に眉間をひと摩りする。すると柘植君は、一瞬、ハッとしたような顔をしたかと思うと、それをぷい、と背けて「いや」と首を振った。


「何でもない。えっと、そろそろ昼休み終わるよ」

「え? うそ、ほんとだ。ああ、お弁当箱トンちゃんの席から持ってこないと」

「次の授業移動あるから、急いだ方が良いかも」

「あれ、そうだっけ。ああそうだ、次は――化学じゃん! まずい、私今日当番なんだった! と、トンちゃあん!」


 慌てて立ち上がり、椅子を戻す。トンちゃんの席の方へ駆け出そうと一歩踏み出すその前に、「柘植君、また後でね」と言うと、柘植君はやっぱり不思議そうな顔をして首を傾げていた。


「うん。また、後で」



 ぱたぱたとトンちゃんのもとへ戻ると、既に私のランチトートはそこになかった。


「そんなのとっくに木綿もめんちゃんの席に運んでおいたわよ。ほら、教科書とノートも用意したから。行きましょ」

「あ、ありがとうトンちゃあん」


 トンちゃんって本当に頼りになる。

 ……じゃなくて、私ちょっと頼り過ぎなんじゃなかろうか。


「当番だったでしょ、ほら、急がないと」

「うん。あの、トンちゃん」

「何よ。ちょっと早足よ、早足」

「うん、早足ね。そうじゃなくて、えっと、あの、いつもありがとうね」

「何がよ」


 トンちゃんは足が長いから、早足になると、私はちょっと駆け足くらいのペースになってしまう。当番なのは私なんだから、トンちゃんより前に出るくらいの気持ちじゃないといけない。そうは思うものの、やはりトンちゃんの方が一歩も二歩も先にいる。


「私、トンちゃんに頼ってばっかりだから。何だか申し訳なくて。ごめんねトンちゃん」

「良いのよ。あたし、世話焼くの好きなのよね」

「で、でも、もう高校生なのにっ」


 ああ、駄目だ、さすがにちょっと疲れてきた。食べたばっかりだからかな。


「まぁそうね、もうちょっとしっかりしてほしい気持ちもあるっちゃーあるけど。でも、何でも完璧に出来ちゃう木綿ちゃんっていうのもちょっとつまんないしー」

「つっ、つまんない?!」

「そぉよ? 手のかかる子ほど可愛いっていうじゃない?」

、って! 子ども扱いってこと!?」

「うーん、まぁ、そういうことかしら」


 そ、そんなぁ!

 私はトンちゃんと対等だと思っていたけど、トンちゃんの方では私のこと子どもだと思ってたの?!

 

 ぐわぁん、と頭を殴られたような衝撃にショックを受けていると、既に数歩先にいたトンちゃんがぴたりと足を止め、くるりとこちらを向いた。


「例えば、いまもね?」

「へぇっ? い、いま?」

「なぁーんでかわからないけど、バテてるでしょ」

「やっ、こ、これは……! 別にバテてるとかでは……」


 食べてすぐに走ったから、っていうか……。アイタタタ、何だか横っ腹も痛くなってきちゃった。


「食べてすぐ走ったからお腹イターイ、なんて言い出すんじゃなくって?」

「うぐっ……、そ、それは……。でも大丈夫! 全然大丈夫だから!」

「無理しちゃダメよ。あたしがもっと早く気付けば良かったのよねぇ。ちょっと責任感じちゃうわぁ」

「トンちゃんが責任感じるところじゃないよ、それ!」


 トンちゃんは「ヨヨヨ」なんて言いながら涙を拭う振りまでしている。何という演技派だろうか。


「というわけだから」


 そう言って背中を向け、その場に腰を落として膝をついた。後ろに回した手をパタパタと振って、「はい」と一言。いや、それってもしかして。


「おんぶ?」

「そうよ?」

「だ、ダメだよダメダメ! 私結構重いし!」

「なぁーに言ってんのよ、確実にあたしより軽いわよ!」

「いや、トンちゃんよりはそりゃあ軽いけど」


 だってトンちゃんは私より背が高いんだから。かといって、じゃお願いします、とはならないからね?!


「は、恥ずかしいからダメ! やだ!!」

「そぉ~んなこと言ってぇ。ほら、間に合わなくなるわよぉ、お当番さん?」

「う、ううう……。大丈夫だってばぁ。私、十六だよ? ちょっとくらいお腹が痛くたって平気だもん」

「なぁんだ、つまんないわねぇ」


 と、心底がっかりしたような顔をして立ち上がり、床についていた膝をぱっぱと払った。そして、ふむ、と一瞬だけ悩むような素振りをした後で――、


「あ」


 と廊下の奥を指差した。

 

 

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