後半戦

◆柘植3◆ 日曜日、小暮の部屋でつい口が滑る

「……辛い」


 親友である小暮あおいの部屋である。

 日曜日、久しぶりにゲームしようぜ、と誘われて久しぶりに家にお邪魔したわけだが、俺はもともとそんなにテレビゲームというのをしない質で、昔からどちらかといえば小暮コイツがやっているのを見ているだけだったりする。見てるだけでつまらなくないか、とよく聞かれるのだが、だったらそっちこそ何で誘うんだ。


 案の定、俺との対戦に飽きたらしい小暮は、ひと昔前に流行ったRPGを「最近またハマってさ」とか言いながら、のろのろとやり始めた。こういうのんびりした時間は案外悪くない。それでちょっと気が抜けたのだろう。ぽろりと、ほんのため息みたいな感じで「辛い」という言葉が口からこぼれたというわけである。


「どうしたんだよ、貴文」


 これといった重みもなしに、小暮はそう返してきた。

 だから、本当にちょっとした世間話のつもりだった。

 別々の学校に通っているから、ちょっとした近況報告も兼ねて、というか。いまなら、「あーはいはい。あっそ」とうざったそうに返してくるだろう、なんて軽く考えて。


「最近、気になる子がいてさ」


 と、そんなことをつい口走ってしまう。


「……うっそ、マジかよ」

「まぁ」


 ローテーブルに肘をついてペットボトルの蓋を捻る。予想以上に食いついてきたことに少々動揺しつつ、お茶を一口飲んだ。


「貴文からそんなことを聞くとはな」

「言うつもりはなかったんだけど、何か口が滑った。でも、こんな話、お前にしか出来ないし」

「だよな、貴文ってオレ以外に友達いねぇもんな」

「友達はいる。がお前以外にいないだけだ」

「嬉しいこと言ってくれるじゃんか。それで? 何が辛いんだよ。気になり過ぎて胸が苦しい~って?」

「苦しくはないけど。何ていうか翻弄されてるんだ、たぶん」

「何だそりゃ」

「俺が気になるように仕向けてきているとしか思えないっていうか」

「すげぇ、小悪魔じゃん、その子。貴文、そういうのタイプだったのかよ」

「そういうの、の意味がわかんないけど」

「だからさぁ、なんつーの、あの、ほら、ギャルっつーかさ。セクシー系のメイクとかしてー、谷間見せつけて来る感じ、っつーの?」

「そんな高校生いるわけないだろ」

「いねぇの? 貴文ンとこ。ウチにはいるけど」

「いないよ。ウチ進学校だぞ?」

「かぁーんけいねぇって。そんじゃあれだ、見た目は超清楚な感じなんだけど、実はめちゃくちゃ腹黒でぜーんぶ計算だったりするやつだ。そうなんだな? な?」

「なんでお前そんな楽しそうなんだよ」

「だぁって、まさか貴文をこんな感じでおちょくれるなんてさぁ。ぐふふ」


 そう言うと、小暮はコントローラーを置いてくるりと向きを変えた。陸上を辞めてすっかり白くなった肌に、明るめの茶髪。いつの間にピアスなんてあけたんだろう、小さな輪っかが両耳に一つずつ。どうやらそっちの学校の校則はかなり緩いらしい。

 丸っこい目をきゅっと細め、口角を目一杯上げて、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべている。


「いや、ほんとに、そういうんじゃないんだ。普通の子だよ。ちょっとふわっとしてる感じっていうか」

「成る程、天然ちゃん、ってやつか?」

「ああ、そうかも」

「それで? 可愛い?」

「まぁ……可愛い」

「うひょお! 可愛い! いただきました! 良いねぇ良いねぇ。おい、貴文、ちょっとお前顔赤くなってるぞ? うひひ」

「畜生、やっぱり言わなきゃ良かった。これ以上もう何も言わない」


 確かに親友は小暮コイツしかいないけど、だからと言って絶対に打ち明けなくちゃならないものでもないはずだ。それなのに、どうしてこんな話をしてしまったのだろう。


 昔から、どちらかといえばこの手の話は受ける側だったのだ。

 小暮は昔から結構惚れっぽくて、それでいてあっという間にすぐ冷めるのである。

 モテるはモテるけれども、自分の好きな子からは全くモテない、と嘆き続けてきたのだ。俺はそれを慰めるのが役目だった。

 

「ああっ、ごめんって。ごーめーん! もう揶揄わないって」

「どうだか」

「いや、でもほんと、オレはちょっと嬉しいわけよ。でも、寂しさも半分」

「何だそれ」

「貴文って、こういう話、ぜんっぜんなかったじゃん。だからさ? 親友のオレとしては心配だったわけだ」


 涙を拭う振りまでし、殊更『親友』を強調しつつ、やけに芝居がかった口調で言いながら、ずいずいと距離を詰めて来る。


「もしかして、貴文って、オレのことが好きなんじゃないかとか」

「はぁ?」

「いや、結構マジな話。オレ達、小さい頃からずーっと親友じゃん? これもしかして、そういう親友の垣根を越えたアレがあるんじゃないのかな? とかってさぁ……」

「何言ってんだよ」

「なぁ、どうしてオレじゃないんだ?」

「どうして、って言われてもなぁ」

「何で貴文はオレの気持ちに気付いてくれないわけ?」

「いや、だからさ」


 さっきまでとは打って変わって真剣な表情に、思わず一歩後退する。けれど、それをまた詰めるように、小暮は四つん這いの姿勢でじりじりと迫ってきた。獲物を追い詰める肉食の獣の様である。


「オレ、貴文にだったら……」


 その顔が迫ってきたところで、さすがにもう付き合ってられん、と、小暮の鼻をぎゅっとつまんだ。


「ふぎゃっ?! 何すんだ! ってぇな!」

「何をする、はこっちのセリフだ。何なんだよさっきから」

「えぇ~、ちょっといま良い感じだったのに~」

「良い感じなわけないだろ」

「そうか? 結構勇気出したんだけどなぁ」


 ふーむ、と言いながら体勢を立て直し、小暮は鼻をさすっている。


「あのな、小暮。俺はお前とは結構長い付き合いだし」

「おう」

「いままでお前の恋愛相談にも幾度となく乗って来たよな?」

「そうだな。その節はお世話になりまして」

「だから、俺はお前の好みのタイプとか結構熟知してるわけだ」

「マジか」

「マジだよ。だから、いまのが丸ごと嘘だって、もうわかってるから」

「うっそ、マジで?」

「マジで」


 いやぁ、自信あったんだけどなぁ、と小暮は鼻の頭を赤くして笑った。そんなに赤くなるほど強くつまんだ覚えはないんだけど。


「ていうかさ、ドア全開なの忘れてないか? 藤子とうこさんガン見してるぞ?」


 ドアの方を指差すと、そこには小暮のお姉さんである藤子さんが、口元を両手で隠した状態でにこにこと笑っていた。


「げぇっ?! 姉ちゃんどこから見てたんだよ!」

「え? ここからだけど」

「そういうことじゃなくて! いまのやりとりをどの辺から見てたんだ、って」

「えぇ? あおちゃんが貴文君にぐいぐい迫ってたとこからよ?」

「一番恥ずかしいところじゃんか! おい貴文、いつから気付いてた!?」

「ずーっと、気配はなんとなく。ああ、いるな、って」

「言えよ!」


 今度は顔全体を真っ赤にして、小暮は叫んだ。まぁまぁ、なんて言いながら、藤子さんが部屋に入ってくる。


「お姉ちゃんはね? むしろそうなってくれたらなぁ~って思ってたのよ? 昔っから。でもほら、あなた達、全然そんな感じじゃないし。あおちゃんがもっと違ったのかもしれないけど」

「うっさい!」

「ほらぁ、もうそういうところよ? いつまでも自分のこと『オレ』なんて男の子みたいに……。まぁ、『オレっ』っていうのも属性的には――」

「実の妹に『属性』とか言うな!」

「落ち着けよ、小暮」

「落ち着いてられっか、畜生! とりあえず姉ちゃんはあっち行けよぉ」

「わかったってば。ごめんごめん~」


 ほほほ、という藤子さんの甲高い笑い声が遠ざかると、小暮はぶすくれた表情のままテーブルに頬杖をついて、ぷい、と顔をそむけた。


「あんな、貴文」

「何だよ」

「マジで嘘だからな。本気にすんなよ」

「何が」

「さっきのやつ」

「わかってるって。小暮の好みはもうほんとわかってるから」

「マジか」

「マジだよ。お前、ムキムキの体育会系が好きじゃん」

「まぁね。だから貴文みたいなひょろいのはマジで好みじゃない。親友としては好きだけど」

「奇遇だな。俺も小暮みたいな女子は好みじゃない。親友としては好きだけど」

「だよな」

「そうだよ」


 そこでやっと小暮はこっちを向いて、にぃ、と笑った。こいつの笑い顔は昔っから変わらない。


「もう何の話だったかごちゃごちゃだな」

「別に良いよ、話戻さなくて」

「いや、ダメだ。だってほら、思い出したぞ、そうだ、貴文の恋の話じゃんか」

「恋の話って……。気になってるだけだって」

「気になるってのはさ、もう恋なんだって。それは」

「恋……なのかぁ?」

「良いじゃん。恋ってことにしちゃえよ、もうめんどくせえから」

「面倒くさいんじゃないか、お前」


 そう言うと、小暮は、だはは、と笑った。笑い方も小学生の頃からまったく変わらない。こいつが女らしくなることなんてこの先一生ないんじゃないかと心配になる。


 部屋着は中学の指定ジャージ、私服はパーカーにジーンズ、もしくはジャージ。小暮の話では藤子さんからいつも「スカートとまでは言わないけど、さすがにもう少しないの?」と言われているらしい。そして、藤子さんはよく俺に愚痴るのだ。


「あおちゃんって、素材は良いと思うんだけど、男の子から全然モテないのよね」


 と。


 女子からはめちゃくちゃモテるのに、男子からはさっぱりモテない。


 いや、無理もないんじゃないかと俺は思うわけだが。


 

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