◎閑話・富田林◎ あたしの目から見たあの2人

「トンちゃんの髪って、とってもきれいだね」


 あの子は、昔からそう言うのだ。

 あたしの長い髪をまるで上等な反物でもあるかのようにそうっと持ち上げて、あの丸っこい瞳をきらきらと輝かせて。


 あたしと木綿もめんちゃんとの付き合いはもう十二年になる。

 いずれ通う小学校の学区を見据えて引っ越した新しい家の近くに住んでいたのが、木綿ちゃんだった。同じ年で家も近く、通う幼稚園も一緒となりゃあ、そりゃ仲も良くなる。それが例え男女であろうとも。


 その時からあたしはかなり身体の大きい子だった。そして木綿ちゃんはかなり小さかった。一緒に遊んでいると兄妹のように見られたものである。


 身体は確かに大きかったけれど、昔は結構小心者で怖がりだったし、その時から気持ちは可愛いものが大好きのほんのり乙女だった。だけど、木綿ちゃんはとても小さくて可愛かったから、男の自分が守らないとって、そう思っていたのだ。いまでは暗いところも、怖い話も全然平気になったけど、それはたぶん木綿ちゃんがいてくれたからだと思う。


 いまはもう落ち着いたけど、小さい頃の木綿ちゃんは結構きつめのくせ毛だった。ふわんふわんくるんくるんとうねっていて、まるで絵本に出て来るお姫様みたいで可愛かったものだ。あっ、いまももちろん可愛いけど。それが羨ましくて髪を伸ばし始めたのだが、残念なことに、自分の髪はしっかりとした直毛だったのである。男のくせに髪を伸ばすなんて、と周囲の大人が眉を顰める中、木綿ちゃんだけはあたしの髪を褒めてくれたのだ。


「トンちゃんの髪、きらきらしてる。おひめさまの髪だね」


 ちがうよ。

 おひめさまの髪はゆうちゃんの方だよ。


 まだ木綿ちゃんの『ゆう』が『もめん』とも読める(というか『木綿』が『ゆう』と読めるんだけど)のを知らなかった頃は『ゆうちゃん』と呼んでいたのだが、とにかくそう返すと、木綿ちゃんはちがうちがうと首を振って、手に持っていた絵本をあたしに見せるのだ。得意気に、ふんす、と鼻息荒く。


 かぐや姫だった。


「トンちゃんの髪は、かぐやひめだもん! おひめさまだよ!」


 そうか、まっすぐな髪のおひめさまもいるんだ、なんて思って。それならゆうちゃんは人魚ひめだね、なんて言って、二人して笑ったものである。


 

 しかしさすがに小学校入学の際にはばっさり切るつもりではあった。両親もそのつもりだったみたいだし。惜しくなかったといえば嘘になる。何せ木綿ちゃんがきれいきれいと褒めてくれる自慢の髪だ。


 その時にヘアドネーションというものを知った。家族と一緒にテレビを見ていた時に流れてきたコマーシャルか何かだったと思う。

 ヘアドネーションというのは、病気や不慮の事故などで頭髪を失った子どものために、寄付された髪の毛でウィッグ作り、提供するという活動である。


「これ、やりたい」


 その言葉はほとんど無意識的に出た。

 言ってしまってから、慌てて口を塞いだ。だってあともう数ヶ月もすればこの髪は切ることになっていたからだ。

 一緒にいた両親の、あのぽかんとした顔はいまでも覚えている。後に『鳩が豆鉄砲を食ったよう』という言葉を知った時は、ああ、あの時の顔をそういうんだな、と思ったものだ。


 てっきり反対されるとばかり思っていたが、きっと長い髪に見慣れていたからだろう、両親は特に反対もしなかった。ただ、どうしても周囲の目があるぞ、というのは何度も言われた。女ならまだしも、男がやるのは目立つぞ、と。それでもやるというのなら、途中で投げ出すな、とも。


 あれから髪を切ったのは一度だけ。既定の長さを超えた頃に一度切ったのである。そうして短くなった後、再び伸ばし始めて現在に至る。また伸ばすと思えば、切るのはそこまで惜しくない。


 美容師さんは「男の子なのに人のために髪を伸ばすなんて、すごいわね」なんて声をかけてくれるけど、それは違う。あたしの方がのだ。感謝するのはこっちの方だ。


 あたしがヘアドネーションのために(というか口実として)髪を伸ばしていることは、狭い町だからまぁだいたい知れ渡っている。それでも、道行く人はあたしのこの長い髪を好奇の目で見る。年配の方なんかはあからさまに嫌な顔をしたりもする。せめてあたしがもっとなよっとしていればぎりぎり女のふりを出来たのかもしれないけれど、ところがどっこい、どうしてあたしったらこんなに発育が良いのかしら、やぁねぇ。ずっと木綿ちゃんと一緒に可愛い可愛いってきゃあきゃあ言ってたら、乙女を隠す必要もないんじゃないかって思って、こんな感じになっちゃったけど。


 だからって別に同性が好きってわけじゃない。

 木綿ちゃんのことも大好きだし。良き親友としても、もちろん、異性としても。


 たぶん普通なら、男女の友情というものは儚いはずなのだ。どちらかが、あるいは両方が好意を持ってその関係は破綻するのである。そこまでの感情に至らずとも、お互いが『異性』なのだと気付き始めるとぎくしゃくするものだ。けれどあたし達はそうならなかった。


 あたしがこんな感じだからかもしれないし、木綿ちゃんがあの調子だからかもしれない。


 小さい頃からずっと一緒にいた可愛い親友。あたしがいまのあたしになるきっかけをくれた子。そんな愛しいお姫様が恋をしたのだ。長く一緒にいたけれど、こんなにはっきりと異性に対して『好き』という感情を出してきたのは初めてである。その対象が自分でないことにてっきりショックを受けるかもしれないと思ったが、案外そんなことはなかった。まぁ、あたしじゃないのか、とはちょっとだけ思ったけど。


 それより、その相手が柘植であったことに対して、「さすがあたしの親友は見る目があるわね」なんて思ったりして。


 というか、木綿ちゃん以外の女子の見る目がないのだ。


 普段、何組の誰それが恰好良いなんてきゃあきゃあと小うるさい女子達の重視するポイントはこうだ。

 

 まず、顔。まぁそれはわかる。だったら柘植だって十分にその条件を満たしていると思うけど? ちょっとムカつくくらい小綺麗な顔してるじゃない。

 それから、勉強が出来るっていうのもポイントが高いわね。でも、柘植だって成績は良いのよ? 常に学年で十位以内に入ってるし。

 あとはそうね、運動が出来ると良いわよね。だーかーら、柘植だって運動は意外と出来るのよ、あの子。といっても、ものすごく出来るわけじゃないけど。陸上競技も平均より上だし、球技も出来る。ただまぁあの体格だから柔道とかは向いてないかもだけど。


 だけれども、それらを満たしていても、女の子達は柘植に魅力を感じないのだという。


 いつも一人でいるから。

 話しかければ乗っては来るけれど、自分からは来ないから。

 にこにこと愛想よく近づいて、気の利くことを言ってくれないから。

 自分達を良い気分にさせてくれないから。

 流行に疎いから。

 目立たないから。

 何を考えているかわからないから。


 あとたぶん、映研に所属しているのも大きいだろう。女子に言わせると、あそこの部は暗い暗いオタク野郎の巣窟なんだそうだ。そうかしら? とあたしなんかは思うわけだけど。映画が好きって結構博識で面白いやつが多いのよねぇ。ていうか、暗いのは部室でしょうに。


 それと、あの小綺麗な顔立ちも、一部の女子からはすこぶる評判が悪い。


 女みたいで気持ち悪い。

 何か澄ましててムカつく。

 人を見下してるみたい。

 男のくせに顔が小さいのが腹立つ。


 ここまで来るとちょっと可哀相になるわね。

 男のくせに顔が小さいって、それアンタの顔がデカいだけじゃなくて?


 しかしまぁ、だけれども、それらのお陰で木綿ちゃんを一本釣りしたんだから、大したものよ。

 とはいえ、その木綿ちゃんも最初は柘植の顔しか見てなかったみたいだけど。


 しかし普通これだけのスペックがあれば、よほど人格に問題でもなければモテて然るべきなんだけど、柘植はモテない。モテない、というか、壊滅的に目立たない。意識的にか、それとも無意識的にか、その他大勢に埋没してしまうのである。ある意味才能かもしれないわね。

 かくいうあたしも、この柘植とかいう小綺麗な顔をした優等生は、これだけの特徴を有していながらもあくまでも『他クラスのモブ(まぁ顔は良いけど)』程度にしか認識していなかったのだ。


 ――あの時までは。



「安藤先生、富田林のそれはヘアドネーションのために伸ばしてるんです」


 ちょっと何よ。

 何で他クラスのアンタが割り込んでくるのよ。


「それは、頭髪を失った子ども達のもとに届けられる大事な髪です。手を放してやってください」


 ちょっともう、そこまで説明しなくても良いじゃないのよ。何かむずがゆくなるじゃない。別にあたしとしてはそれを理由に伸ばしてるだけなんだから、そんな御大層なもんじゃないわよ。


 それまでは本当に、ちょっと可愛い顔をしているだけのモブだった。

 あたしみたいな人間は、まぁ話題の中心には置かれやすいけれども、どちらかというとイロモノ枠で軽く腫物扱いだったりする。だから、普段は周りに人がたくさんいるけれども、例えばこういう時には誰も助けに来ない。遠巻きに見守られるか、あるいは、厄介ごとはごめんだと逃げられるか、なのだ。


 まぁ、別に自力で何とか出来るから良いけど。


 柘植が割り込んできたのは、そう思って反撃してやろうと思ったその時のことだった。


 馬鹿ねぇ、黙って通り過ぎりゃ良かったのに。

 アンタまで目ぇつけられたらどうすんのよ。

 そう思ったから、あの安藤とかいう馬鹿教師が余計なことを言ったのに乗っかってやったのだ。ここまですりゃあきっとこいつの怒りは全部あたしにいくだろう。


 慣れない男言葉まで使って凄んでみたのが良かったのか悪かったのか、安藤は向かっては来なかった。なぁんだ、つまらない。


 その時からだ。


 柘植貴文、という『顔が小綺麗な優等生モブ』を一目置くようになったのは。


 別にアンタなんかタイプってわけじゃないけど。

 あたしの可愛い親友を任せても良いって思うくらいには、アンタのことは気に入ってるんだから。

 

「しかし――」


『俺は俺で何とかする』


 それってつまり、あたしの力を借りずに木綿ちゃんと良い仲になりたいってことよね? あーら、おっとこまえですこと。でも、アンタなんかがあのスーパー鈍感娘を落とせるかしら。


 何もするなと言われると、ついつい何かしたくなるのが人間ってものよ。そうでしょう?

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