◆柘植6◆ 月曜日、登校中にエンカウントする

 月曜日。


 朝、学校に行く途中で、前を歩いている蓼沼さんを見つけた。ここ最近、蓼沼さんは登校時間がちょっと早くなったのだ。それにさりげなく追いついて一緒に登校するのが実は密かな楽しみだったりする。


 とはいえ、困るのは話題だ。

 せっかく追いついても無言というのは何か気まずいし。話すことがないのならわざわざ一緒に登校しなくても良いんじゃないかとも思うわけだけど、俺がそうしたいんだから仕方がない。


 今日は何を話そう。

 さすがに毎日毎日朝ご飯の話というのもどうだろう。それじゃあやっぱり映画の話? いや、あんまり映画の話ばかりしたら映画オタクだと思われて気持ち悪がられてしまうかもしれないし。


 そんなことを考えながら、少しゆっくり歩く。普段の俺のペースで歩いてしまったらあっという間に追いついてしまうからだ。


 すると、前を歩いていた蓼沼さんがそわそわし出した。そしてそのそわそわした状態で周りをきょろきょろし始めたのである。誰かを探しているんだろうか。


 俺だったら良いのに。


 そんなことを思う。

 小暮こぐれと彼女の話をしたからだろう、ふわっとしていた『ちょっと気になる』だけの気持ちが、いままでよりもはっきりとした輪郭を持ってその存在感を増してきているように思えた。


 けれども、そこによぎるのは富田林とんだばやしだ。こんな時でも自分の都合の良いように考えられないのか、俺は。


 ていうか、本当に彼女は何なんだろう。

 小暮の言うように、『小悪魔』というやつなんだろうか。


『私、柘植君がそばにいてくれて嬉しいし』

『柘植君の手、あったかくて気持ち良かったよ』


 保健室でのあの言葉を思い出すと頬がだらしなく緩みそうになるけど、でも、蓼沼さんはたぶん、富田林に対してもこれくらいのことは言うだろう。ということは、こんな後生大事に噛みしめる様なものではないのかもしれない。


「アンタ、歩くのっそ」


 そんな言葉と共に左肩を小突かれる。


「朝から随分な挨拶だな」


 おはようの代わりにそんな言葉を返す。それに満足げな笑みを浮かべて見下ろしてくるのは富田林だ。一本に結わい、肩の上に垂らしたストレートヘアが陽の光を受けてつやつやと輝いている。


「とっとと木綿もめんちゃんに追いつきなさいよね」

「何でだよ」

「何でだよ、ってわからないの?」

「何が」


 ぴたりと立ちどまり、肩をぐい、と掴まれる。止まれということだろうと理解はしたものの、なぜ止まらなければならないのかがわからない。


「見てわかんないの?」

「だから何が」

「あーカッワイソー、木綿ちゃん」

「何が」

「ご覧なさいな、さっきからきょろきょろきょろきょろ忙しない」

「お前のこと探してるんじゃないのか」


 どんどん開いていく彼女との距離をちょっと惜しく思いつつ、そう言う。というか、このままここでのんびり立ち話なんかしていたら富田林コイツもろとも遅刻である。それは御免だ。


「あたしのこと探すわけないでしょ」

「何でだよ。いつもべったりだろ」

「んまァっ、心ッ外だわぁ! あたしがいつ木綿ちゃんとべたべたしてたっていうのよ!」

「いや、割といつも」

「そうだったかしら……? でもほら、学校には割と別々に行くし?」


 そう言うと、富田林は顎に人差し指を当て目をつぶった。無自覚だったのだろうか。いや、誰がどう見たって毎日べたべたしていると思うが。


「お前、蓼沼さんのことどう思ってんの」

「はぁ? 何よ急に」

「いつも一緒にいるから。何か」

「あら、何? 親友が一緒にいたらいけないのかしら?」

「別に。そういうわけじゃないけど。でも、お前男じゃん」

「何よ、アンタ男女の間に友情はないとか思ってるタイプなわけ?」

「そんなことはない。他校だけど俺の親友も女だし」

「んまァっ!? アンタ、女の友達がいるの?! アンタこそそれどうなのよ! あたし許さないわよ、二股は!」

「何言ってんだよ。そもそも『二股』っておかしいだろ。俺は親友に対してそんな感情持ち合わせてないし、当然付き合ってもいないんだから」

「それなら良いけど……でも、どうかしらね。柘植の方がそうでも、その親友ちゃんの方ではそう思ってないかもしれないじゃない?」

「向こうも俺に何の気もないって。まったく好みじゃないって何度も言われてる」


 そう。その件に関しては確認済みなのだ。俺は小暮のことを一応女子だとは認識しているものの、だからといって恋愛感情を抱いたこともないし、向こうも同様なのである。


「そんな何度も言われるのもどうかと思うけど、でもそんなことがあり得るのかしら。『ラブベタ』にも同じパターンがあったけど、少なくとも相手の女子の方は……」


 しかし富田林の方では納得出来ないのか、眉間にしわを寄せたまま、何やらぶつぶつと呟いている。おい、眉間のしわはダメなんじゃなかったのか。


「ていうかさ、そうなるとやっぱりお前と蓼沼さんの間にも友情が存在しなくなると思うんだけど」


 ずばりそう指摘すると、富田林はきょとんとした顔をしてから、プッと吹き出した。ないない、なんて顔の前で手をパタパタと振って。


「よく見なさいよ、あたしよ?」

「あたしよ? の意味がわかんないんだけど」

「いや、だから、あたしよ? あたし。こんなオネエのあたしよ? 木綿ちゃんの方から願い下げに決まってるじゃない」

「そんなのわからないだろ。現に蓼沼さんはお前のこと一番頼りにしてるみたいだし」

「保護者みたいなもんでしょ」

「保護者?」

「そぉよ。第一、あたしだって木綿ちゃんのこと、可愛いとは思うけど、好みのタイプってわけじゃないもの」


 しれっとそう答える富田林は、無理をしているだとか嘘をついているだとか、そういう風には見えなかった。それが演技なのだとしたら、大したもんだと評価せざるを得ないが、この場合は男優なのだろうか、それとも女優枠なのか。


「それよりは……そうね、アンタみたいな澄ました狐顔の方がタイプかもしれないわねぇ……?」

「……は?」


 す、と伸びた指が、俺の顎をなぞる。身体中の汗腺から汗が一気に噴き出したような感覚を覚え、俺は数歩後ずさった。けれど富田林はその距離を、ずい、と詰めてくるのである。不敵な笑みを浮かべたまま。ぺろり、と舌なめずりまでして。


 一歩、また一歩と俺が後退するのと同時に間合いを詰めてくる。富田林の方がデカいから、その一歩だってこちらより大きい。だから本気で逃げようと思ったら、背を向けて走らなければならないのだが、こいつに背を向けるのも何か危険な気がする。第一、こいつは足も恐ろしく速いのである。俺も遅い方ではないけど、こいつには勝てない。


 どうする。


 獲物をロックオンした獣のような目が迫る。いや、迫っているのは目だけではない。顎に伸びていた指が、つう、と頬をなぞって――、


 ぎゅっ、と強めに摘ままれた。


っ!?」

「なーんてね」

「何するんだよ!」

「ホーホホホ、アンタも焦ったりするのねぇ。朝から良い顔見させてもらったわぁ」

「何だよそれ」

「木綿ちゃんはいつものお澄まししたアンタも良いだなんて言うけど、もっと色んな顔見せても良いと思うわよ」

「ちょ、はぁ?」

「何よ、そんなびっくりした顔しちゃって。んまーぁ、それもレアですこと。ちょっと撮って良い?」


 そう言うや否や制服の胸ポケットからスマートフォンを取り出して、俺にカメラを向ける。それを掴んで無理やり向きを変えさせると、富田林は案外あっさりと引いた。冗談だったのだろう。


「良いわけないだろ、止めろ。じゃなくて。蓼沼さんが、何」

「何って?」

「さっき何か言ってたろ。俺の顔がどうだとか」

「ああ、あれね。木綿ちゃんたら、アンタのその顔が好きなんですってよ。こーんな澄ました狐顔、どこが良いのかしら~ってあたしは言ったんだけどぉ?」

「澄ました狐顔で悪かったな」


 成る程、そういうことだったのか。

 

 そうか、蓼沼さんは俺の顔が好きなのか。

 俺の、顔、が。


 まぁ一部分だけでも好いてもらえている、というのは嬉しい、かもしれないけど。

 

 でも、俺はこの顔をあまり好きじゃないから、出来れば、内面の方を好きになってもらいたいところなのだが。それは贅沢だろうか。まぁ、好きになってもらえるような内面でもないんだけど。


 いや、とりあえず、たった一箇所でも好かれている部分があるのだ。だったら、これからもっと好きになってもらえば良い。何かこう……例えば、こちらからアプローチするなどして……。


 ただ問題は、そのというものが皆目わからないという点である。

 小暮に相談するか?

 いや、あいつは駄目だ。

 揶揄ってくるとかそういうのではなしに、これ系の話ではてんで頼りにならない。

 それじゃあ藤子とうこさん?

 確かに藤子さんなら的確なアドバイスをくれそうではある。

 だけど、お忙しいのに、たかだか妹の友人というだけで、こんな話に付き合わせるのも申し訳ない。


 まぁ、幸いなことに映画だったらきっと人より多くは見ているのだ。それを要所要所参考にするなどして……。


 と、考えていると。


 すっかりその存在を忘れていた富田林の顔が、再び、ぬぅ、と近づいてきた。


「柘植、あたし、アンタがいま何を考えてるか、わかっちゃったんだけどぉ?」


 この平和主義者の俺が、ついその顔面に一発入れたくなるくらいにムカつく表情で。




 

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