◆柘植1◆ ハマナス書房にて親友の小暮と会う
「よう、
週三で通っている駅前の書店に入ると、えんじ色のエプロンをつけた親友の
「珍しいじゃん、火曜に来るなんて」
「別に曜日は関係ないから」
なんて言ったものの、実は何となくここに来る曜日というのは決まっていて、だいたい月曜と水曜、それから土日のどちらかである。だから小暮の言う「珍しい」というのは正解だったりする。
「つうか、昨日も来たじゃん。何かあったんだろ」
「何もないよ」
「話してみろよぉ」
「うるさいな。仕事しろよ、店員さん」
そう返すと、小暮は「ちぇっ」と舌を鳴らして踵を返した。
小暮が本のぎっしり詰まった段ボールを台車に乗せて運んでいると、ウチの制服を着た女子生徒が数人で、何やらきゃあきゃあ言いながらあいつを取り囲む。といっても、大抵の場合、小暮に用があるのはそのうちの一人だ。その他の子達はいわゆる、『応援』というようなポジションである。
「あ、あの、小暮さん。もし良かったら、これ……」
手紙だろうか、それとも手作りのお菓子とかそういうやつだろうか。
詳細はわからないが、まぁその辺りだろう。
俺は、こういう現場を月に一回は必ず見ているのである。あいつはめちゃくちゃ女子にモテるのだ。中学の頃、陸上で結構有名だったというのと、それから、もちろん、見た目が良いというのもあるだろう。名前は忘れたけど、何とかっていう流行りのアイドルに似てるのだ。確かこないだ、学校一のイケメン王子みたいな役でドラマに出ていたはず……まぁ名前は思い出せないけど。
成績やら親の事情やらで高校は別になってしまったから、こいつが現在校内でどれだけモテているのかは知らないが、学校の外でもこうなのだ、きっと学内でもモテていることだろう。そして、小暮は毎回のようにそれを断り続けている。ちなみに陸上はやめてしまった。膝を怪我をしたのがその理由ではあるのだが、「もう走るのとかだるかったし、
ああ、今回も断ってるみたいだ。相手の女の子が泣いてる。可哀相だけど、あいつにその気がないのなら仕方がない。
さて、そんなことより。
今日ここに来たのは、もちろん本を買うためである。探すのは、外国人作家のコーナーだ。
「ええと、Qのコーナーは……」
Qのシールが貼られたプラスチックの仕切りに触れ、そこから指を滑らせていく。さすがに大御所作家となれば、作家単独のコーナーがあるのだが、稀にこの単発作品のコーナーに紛れていたりもするし、思いがけない出会いをすることもあるので、俺は、よほど急いでいる時以外は、目当ての作家をすぐに探したりはしないのである。
けれど、それについては空振りに終わった。ずらりと並んだタイトルを見ても、これといって惹き付けられる作品がなかったからだ。ただそれはいまの俺に、というだけなので、次に来た時にはまた違って見えるかもしれないけど。
じゃあ、目当ての作家に移ろう、と、今度は作家別のコーナーへと移動する。そして、『
そう、今日は、蓼沼さんが持っていたDVD、『Is This~?』の原作を探しに来たのである。
大枠は知ってる。
だけど映画を見たこともなければ、原作を読んだこともない。あまりにも有名なせいで、その『大枠を知って』しまったがために満足してしまったのかもしれない。蓼沼さんはあまり好きではないジャンルみたいだけど、パッケージを見てしまうと何だか気になってしまうものである。
「――お、クイーンか」
「何だよ。店番は良いのか?」
「姉ちゃん帰ってきたからな。交代交代。オレの仕事は終わり~。なぁ、貴文ウチで飯食ってけよ」
「良いよ、おばさんに悪いし」
「良いじゃん。母さんも貴文に会いたがってたしさ」
「
「ハァ? あの姉ちゃんが気ィ遣うわけないじゃん。な? 決まり決まり」
「いや、俺明日のプレゼンの準備あるから」
「何だよ、また映研かよぉ。付き合い悪くなっちゃってまぁ」
「うるさいな」
「そんで? 明日のプレゼンでクイーン推すのか? めっずらし。貴文、クイーンはオチがSFっぽいから苦手って言ってたじゃんか」
「だから、明日のプレゼンは違うやつだよ。
と、『Is This~?』を棚から抜く。
「げぇ、しかも『Is This~?』じゃん。これあれだぞ? 沼だぞ?」
「沼? 何が」
沼、という言葉にどきりとする。
こいつは蓼沼さんのことなんて知らないはずだが。
「これ、続編めっちゃあるからな。タイトルじゃわかんないけど、えっと、これがその次で、んで、これが来て――、そんで、これで完結。『Is This~?』買ったお客さんって、だいたい何だかんだ全巻買ってくんだよな」
「そういう意味の『沼』か。てことは面白いんだな」
「ハマるやつにはハマるみたいだな。そんで、映画も見て、原作との違いに憤るまでがセット。若い人はそういうのをSNSにぶつけるんだろうけどさ、おっちゃんとかおばちゃんはさ、ウチのアンケート箱にそういうのぶち込んでいくから。見るか?」
「いや、良い」
俺はよほどでなければ原作と映画が違っても気にしない。全く同じならそれはそれで嬉しいし、多少違ったとしても、それはそれで別の味わいがあると思うからだ。とはいえ、主人公の性別が違うであるとか、死なないはずの人物が死ぬとか(逆もまた然り)、そこまでがらりと変えられてしまうと、そこまでするからには――、などと身構えてしまうが。
しかし、そこまで引きずり込んでくるとなると、俄然興味も湧いてくるものだ。もし蓼沼さんがこういったホラーに耐性がないのだとしても、もしかしたら、小説なら平気だったりするかもしれない。そんなことまで考えて、俺はこの本の購入を決めた。
「おお、挑みますか、
「何その口調」
「いや、何となく。勇気あるなと思って」
「勇気……なのかな」
「勇気なんじゃね? 自ら沼に飛び込むわけだから」
「成る程、確かに」
沼、飛び込む、というワードで思い浮かぶのは、今日の放課後、廊下の角から飛び出してきた蓼沼さんだ。どうして彼女はあんなところにいたんだろう。あの先には映研の部室とトイレくらいしかないし、それに階段だってない。つまり、映研の部室か、あるいはトイレに用でもなければ、人は通らないのだ。家庭科部に所属している彼女が映研の部室に用があるとは考えにくいし、ということは、トイレだろうか。でも、あんな端のトイレをわざわざ使うかな?
ていうか――、
あんな大荷物持ってトイレ行くか、普通?
とすると、映研の誰かに用があった……とか?
ウチのクラスで映研に所属しているのは俺だけだ。
ということは、他クラスの友人でもいるのだろう。
でも、ウチの学年は男子しかいなかったような。
まぁ、蓼沼さんは男の友達も多いんだろう。
とりあえず、お会計をしてさっさと帰ろう。プレゼンの準備もしないといけないし。
そう思って財布を取りだす。レジ担当は小暮のお姉さんである藤子さんだ。近くの県立大に通う二年生である。
「あれ、貴文君じゃない。昨日も来てなかった?」
「来てました。買いそびれ、というか」
「あるよねぇ。私もね、よくやっちゃう。目的のと違うの買っちゃったりしてね」
「ありますよね」
「でも、珍しくない? 貴文君がクイーン読むとか。外国人作家あんまり読まないでしょ」
「そんなことないですよ」
「そうかなぁ~? ここ最近ずっと日本人作家だったし。さては……?」
藤子さんが、目を細めてにやりと笑う。小説にカバーをかけ、書店名入りのビニール袋に入れて「もしかして女の子絡み?」と声を落とした。
「女の子って……まさか」
「えぇ~、違うのかぁ。私の勘結構当たるんだけどなぁ。てーっきり気になる女の子から勧められたとかそんな感じかと思ったのに」
まぁ、勧められたわけではない。
たまたま蓼沼さんが持っていたというだけで、彼女が落としたそれを拾っただけで、それで、勝手に興味を持っただけだ。
「ただ単に、ちょっと気になっただけです。こないだ親戚のおじさんから図書カードもらったんで、それで」
平静を装って、図書カードを渡す。おじさんからもらった、というのは本当だ。母のお兄さんは、俺が本が好きだというのを知っていて、定期的に図書カードを送ってくれるのである。おじさんはどうやら自分の子どもにも現金ではなく図書カードを小遣い代わりに与えているらしい。現金だと無駄遣いが多いとか何とかで。これで少しは本を読むかと思っていたら、母親に金券ショップで換金させていたのだとか。本というのは、読まないやつは、何をしたって読まないものだ。
「なぁんだ、そっかぁ。はい、ありがとうございました。またのお越しを」
図書カードを受け取り、カウンターの上の本に手をのばす。
「でも、ま、いずれにしてもさ」
「――はい? いずれにしても?」
そこで藤子さんは、その本をとんとんと指で突いた。
「私、貴文君みたいな子って、案外見てる子は見てると思うんだけどなぁ」
「……はぁ?」
「例えばさ、この小説、ウチのカバー外して読んでみなよ」
「何ですか、それ」
「ま、騙されたと思ってやってみて」
「まぁ……、はぁ……」
たかだか書店のカバーを外すことに、一体何の意味があるのだろう。本が汚れる? いや、元々本にはカバーがついているわけだから、その点は問題ないだろう。ただ、自分が何を読んでいるのかが周囲の人にもわかる、というだけではないだろうか。
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