◇蓼沼3◇ どうにもならない時は助けに来てね

「ほ……、本当にやるの、トンちゃん?」


 トンちゃんから借りた無線イヤホンにそっと触れる。本当にこれって声拾ってくれてるのかな? 普段ハンズフリー通話なんかしないから、ちょっとよくわからない。もっと大きな声でしゃべった方が良いんだろうか。でもあんまり大きな声を出すのもまずいんじゃないかな、とも思う。


『やるのよ。腹くくりなさい!』

「う、うん」


 どうやらちゃんと聞こえていたみたい。それは良いんだけど。


 コの字型の校舎の端にある映研の部室。そこへと続く廊下の曲がり角で、私は(出来ればあんまり持ちたくないけど)ホラー映画のDVDと、それからカムフラージュ用の手芸本やら型紙やらを持って息をひそめている。


「本当にこんなことでうまくいくのかな」

『大丈夫よ』

「ぶつかった後はどうしたら良いの?」

『その後はまぁどうにかなるわよ』

「うっそ、そこからはアドリブなの?!」

『大丈夫、どうにもならない時はあたしが助けに行くわ』

「き、期待してるよトンちゃん」

『任せて! ――あ、来たわよ。良い? 練習通りいくのよ?』

「わかった。ええと、『いち、にいの、さん』の『さん』で行くんだよね?」

『そうよ。『さん』で行くのよ! あとあんまり激しくぶつかったら駄目よ? 出来る限りソフトにいくの。肩からじゃなくて、なるべく二の腕ね。肩って結構痛いから』

「そんなこといま言われても! 第一、二の腕からなんてどうやって――」

『行くわよ! いち、にいの……』

「わわわ」

『さんっ』

「さぁんっ!」


 もうここまで来たらやるっきゃないのである。

 私は「えいや!」と心の中で叫び、ぎゅっと目をつぶって角から飛び出した。なるべく肩ではなく、二の腕を出すようにして。


 と。


「お?」


 という声が聞こえた。柘植つげ君の声だ。

 しかし、私の身体は彼に触れることはなかった。

 

 あれ? と思って目を開けるとやはり彼はいない。視界の隅にちらりと見えたのは、恐らく彼のものであろう学ランの裾である。そして、眼前に迫りくるのは……あ――……これ、廊下ですね。廊下の床ですね。このままいくと、私、顔面から床に激突しますね。って何でこんなに私冷静なんだろう。何かね、すごくゆっくりに見えるっていうかね? ああ成る程、これよく聞くやつだ、って。


 そしたら。


「蓼沼さん、危ないよ」


 と、二の腕を掴まれた。

 誰に、って、たぶん、いや、絶対にこれは柘植君。

 そこでやっと右足を前に出すことを思い出し、お次は左足、そして再び右足――、というのを繰り返して、私は体勢を立て直した。


「あ、ありがとう……」

 

 ホッとして気が抜けたのか、手にしっかり持っていたはずのDVDと大量の本、それから型紙がするりと落ちてしまった。それは真下に落ちたのだが、それなりに重さのある書籍は運よく足に直撃しなかった。ただ、型紙は数枚私の靴に当たり、その衝撃で少し離れたところへと滑っていってしまったけれど。


「あ、あわわわわ」

「うわ、大丈夫?」

 

 柘植君は、パッと手を放し、その場にしゃがみ込んで私の落としたものを拾い始めた。


「ご、ごめっ。ありがとう、わ、私もいま拾うから!」


 がさがさとかき集めるようにして拾おうとする私とは対照的に、柘植君はきちんと角をそろえながら丁寧に集めている。


「蓼沼さんって家庭科部なんだっけ」

「えっ、ど、どうしてそれを……?」

「いや、だってこれ全部手芸の本でしょ。それに型紙とか」

「あ、ああそっか。そうだよね」


 ああびっくりした、柘植君がエスパーなのかと思ったよ。


「すごいね。俺だったらこんな本見ても作れる気がしない」

「そ? そう? ゆっくりやれば案外出来ちゃったりするんだよ? って言っても、私はへったくそなんだけどね。あはは」


 す、すごい。私いま普通に柘植君と会話してる!

 成る程、これがトンちゃんが言ってたやつなんだ! いまの私、絶対柘植君の視界に入ってる!! 作戦成功だよ、トンちゃん!


 結構遠くまで滑っていってしまっていた最後の型紙を拾い上げた時、ふと思い出す。あれ、DVDどこだろ、と。


「蓼沼さん、もしかして、ホラー映画見るの?」


 あっ!

 ああああ――――!!!

 拾われた!

 柘植君に拾われた!

 どうしよう、これ。

 正直に言った方が良いのかな? 実は怖いので苦手です、って? でもそれじゃ会話終わっちゃうじゃん。かといって嘘つく? 実はめっちゃ好きなんだよね、って? 駄目だよそんなの。私絶対そこから話膨らませられないもん! それ以前に嘘は良くない!


「え、ええええっと、それはね。あの、トンちゃんが……」

「トンちゃん? ああ、富田林とんだばやしか。仲良いよね、いつも」

「そう、仲が良いの、私達! それでね、トンちゃんが、お勧めだよって貸してくれたんだけど、私、その、こういうホラーって全然見たことなくて、それで、ちょっと気にはなるんだけど、こ、怖いなぁ――……って思ってね、ええと」


 ど、どうだ!

 決して嘘は言ってない、はず。

 気にはなるよ、うん。気にはなってる。そのパッケージの女の子、どうして顔半分だけそんなピエロメイクしてるんだろうとか、主にそういう点だけど、気にはなってる! 嘘じゃない!


「成る程」

「つ、柘植君は? これ見たことある?」

「いや。クイーンのはホラーっていっても、ちょっとSFが入ってるから、どうかなって思って」

「SFが入ってるって何?」

「なんていうか……その元凶が地球外生命体だった、みたいなオチが多いんだよね」

「そうなの?!」

「俺、原作があるやつは先にそっち読むんだ。クイーンは全部読んだわけじゃないけど、ほとんどそんな感じ。それかもしくは、全員死んだり、生死不明になって、何も解決しないままふわっと終わるとか」

「そうなんだ」


 ホラーにも色々あるのね。

 私、ワッ! って脅かして、血がドバーって出るのしか知らなかったよ。


「もし蓼沼さんがそういうの好きなら見れば良いと思うけど」

「そういうのは……あんまり好きじゃないかも」

「じゃあ、どういうのが好き?」

「え?」


 柘植君の口から『好き』なんて単語が出てくるとちょっとドキドキしてしまう。単純に映画の好みを聞かれてるんだってわかっていても。


「えっと……」

「怖いやつ、気にはなってるんだよね?」

「そ、そう! 気にはなってる。なってる、うん」

「ホラーにも色々種類があるからさ。血がたくさん出るやつもあれば、そんなに出ないやつもあるし」

「出ないやつもあるの?」

「あるよ。全く出ないわけじゃないけど」


 なぁんだ、あるんだ! 血があんまり出ないやつ! ということはもしかして、ワッ! って驚かしたりしないやつもあるんじゃない?


「じゃ、じゃあ例えば、ひたすら驚かしてくるやつじゃないのもある?」

「ひたすら驚かすの意味がちょっとわからないけど。でも、そうだなぁ。あんまり派手に驚かせてこないのはあるよ。じわじわ来る感じ、っていうか」

「それ! それなら見てみたいかも!」


 成る程、こうやって会話を増やしていけば良いんだねトンちゃん! 案外出来てるよ、私!

 

「じゃあ、タイトル教えるよ。ええと――」


 そう言って、視線を落とし、顎の辺りをさすり始めた。考える時の癖なのかもしれない。

 柘植君、私のために一生懸命考えてくれてるんだ。そう思うと何だか感激しすぎてちょっと涙が出てきそう。出て来そうっていうか、ちょっと出て来ちゃった。どうしよう。


 とりあえず柘植君にバレる前にこっそり拭かないと……。


 と、ポケットからハンカチを取り出そうとしていた時、廊下の端からものすごい勢いでこちらに向かってくるトンちゃんの姿が見えた。


木綿もめんちゃ――――――んっ!」

「と、トンちゃん?」


 ちなみにトンちゃんは、コの字型の校舎の反対側にいて、カーテンの陰から私達の様子をうかがっていたのである。親戚のおばさんから借りてきたのだというオペラグラス持参で。だから、ぶつかるタイミングもばっちりだったというわけだ。ただ、まさか、柘植君がまさかあんな華麗にかわしてくるとは思わなかったけど。

 

 さっきどうにもならない時は助けに来てくれるという話だったので、その言葉通り助けに来てくれたのだろう。


 いや、トンちゃん、私いまそこまでピンチじゃなかったよ?!


 あ、でもポケットに入れてたはずのハンカチがない。

 そういう意味では、うん、ピンチではあるかな。

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