第22話 帰り道に本屋に寄る

 

「…………」


 自宅に一番近い本屋。

 シャッターの閉まった『蓮見書店』の前で俺は立ちすくんでいた。

 そして、張り紙を見る。


 "のっぴきならない事情により、本日休業いたします"


 ふむ、まぁこんな事もあるか……

 仕方がない、今日は本屋に立ち寄らずに帰ろう。

 というか『のっぴきならない』なんて言葉、今日び聞かねぇな。


 そう思って振り返ると、顔を髪の毛で覆った少女が真後ろにいた。


「おわぁっ!?」


 俺は思わず声を上げて飛び退く。

 あ、悪霊退散っ! とーまんせーまんっ!


 しかし、その少女が幽霊などでは無いことを確認するとため息を吐いた。


「なんだ蓮見か……驚かせないでくれ」

「ご、ごめん。クセになってるんだ、音殺して歩くの」

「どこぞの殺し屋一家かな?」


 髪の間から綺麗な瞳を見せながら彼女は俺に謝った。

 蓮見 恋夏(はすみ れんか)、この蓮見書店の娘で俺のクラスメイトである。

 俺と同じ陰キャ属性の使い手だ。

 女の子と話すのは苦手だが、彼女は別だ。

 イケてない者同士、そして本(主に漫画)好き同士でリラックスして話す事が出来る。

 主にオタクトークを。


 バドミントンの時もこいつが休んでさえいなければ俺は蓮見とペアを組んで、あんな悲惨な事件は起こらずに済んだのに……まぁ、陰で一緒に馬鹿にされていたのは変わらないだろうが。


「で? 今日は何で休みなんだ?」

「じ、実は……お父さんの体調が悪くて……」

「えっ!? あの親父さんがっ!? 一体何が!?」


 俺の問いかけに蓮見は表情を暗くした。


 ――そして、軽く唇を噛みしめると震える声で呟く


「二日酔いなの……」

「――ただの酔っぱらいかよ!」


 蓮見の思わせぶりな態度から、ものすごくどうでも良い理由に俺はツッコミを入れた。

 陰キャってこういう分かりにくいボケが好きだから凄く親近感が湧く。


 俺の反応に満足そうな表情を見せると、蓮見は口を開いた。


「ねぇ今朝、須田君は朝宮さんに声をかけに行ってたよね?」


 珍しい、蓮見から漫画の内容以外の会話が振られるなんて。

 今朝の出来事がよほど印象的だったのだろうか。


「あぁ、見てたのか。ごめんな、キモくて」

「ううん、私も朝宮さんが誰にも気が付かれずに一人でポツンとしちゃってたから声をかけてあげたかったの。でも、私コミュ障だから動けなくて……だから、須田くんが声をかけてあげてるのを見てホッとしたんだ」


 蓮見は今朝のシオン熱に浮かされずにちゃんと周りが見えていたらしい。

 さすがはボッチだ。

 というか、彼女はシオンになんか興味ないのだろう。

 自惚れるな、俺よ。


「まぁ俺はアイドルとお話をさせていただきたいっていう下心が動機だけどな」

「そっか、私は下心が足りなかったんだね。結構持ってるつもりだったんだけど……須田くんには負けるなぁ」

「ものすごく嬉しくない勝利を収めてしまった……」


 俺の落ち込んだ様子を見て、蓮見は笑顔を見せた。

 彼女も俺と同じようにいつも髪で顔を隠してしまっているが、この笑顔なんてみたら誰でも恋に落ちてしまいそうだ。

 蓮見自身は毎日、本ばかり読んでいて恋愛になんて興味がないようだが。


「改めて思ったんだけど、須田君って凄く気を使える人だよね。私、須田くんのそういう所がす、す、――素晴らしいと思うんだ!」


 蓮見は視線を斜め上へと逸らすと、何やら焦ったように頬を赤く染めた。


「蓮見、お前――」

「どう? 『好き』って言いそうになって誤魔化してる感じ出てた?」

「やってる事がマジで陰キャのじゃれつき方だよな。俺はす、――素晴らしいと思うが」

「ガーン!」


 俺の指摘を受けて蓮見はあからさまにショックを受けたような表情を見せた。

 残念ながらそんなベタベタな手段には引っかからない。

 内心めっちゃときめいたけど。


「そ、そんな……でも須田君が好きって言うなら良いか」

「おい、好きとは言ってないぞ。というか、蓮見がその長い前髪を切れば俺なんかじゃなくてもっとマシな人たちに好いてもらえると思うんですけど」

「あはは、そんなの私の表面しか見てない人たちだよ。本当の私を知ったらどうせ嫌われる」


 蓮見は悟りを開いたような表情でため息を吐く。


 彼女が友達も作らず、顔も隠して世間との関わりをしようとしない理由は"これ"だ。

 ノリが完全に陰キャオタク特有のモノなのだ。

 ベタベタな漫画の表現なども日常生活に持ち込んでしまう。


 きっと顔が良いので陽キャが集まって来てしまい、その状態で何度も空気を冷やしてきたのだろう。

 琳加とは逆のパターンだ。

 仮面を被らずに素顔の自分で接するから人を引かせてしまう。

 俺と同じように心にいくらかの傷を負っている事は間違いない。


 ――例えば、アレは俺が高校に入学した直後。

 俺も蓮見と同じように分かりにくいジョークで周囲を笑わせようとした時だ。

 周囲は静まり返り、いたたまれない空気が流れる。

 そして、性格の良い陽キャの金本さんがポツリと呟いた。


「あ、あはは……須田君って……何か不思議な人……だね」


 もの凄く気を遣われたあの周囲の愛想笑いは不意に深夜に思い出しては俺を呼吸困難に陥らせてくる。

 なんなら今も思い出してちょっと吐きそうだ。

 だから、蓮見も俺と同じ穴のムジナというわけだ。


 そんな目の前の可愛いムジナは突然俺の目を見つめてきた。


「――でも、須田くんは本当に特別な存在だよ。ラノベや漫画オタクな私の素顔を知っても引かないし」

「まぁ、さすがの蓮見でも俺のキモさ超えるのは難しいだろうな」

「あはは、またそんな事言う。でも、そんな須田くんのおかげで私は救われてるんだ。学校生活はつまらないけど、こうして書店に通ってくれるのは嬉しいの――いつもありがとう」


 そう言って、蓮見が急に俺をおだてると頭を下げてお礼をしてきた。

 あまりの事に調子が狂ってしまう。


 ――こんな蓮見との出会いは俺がこのお店で本を探していた時だ。


 ◇◇◇


 俺は同級生である蓮見のお店だとは知らずに漫画コーナーを見ていた。

 俺の存在感が無さすぎたせいだろう。

 見られている事に気が付かず、丁度目の前で中学生の男の子が漫画を棚から引き抜いて自分のカバンに入れる瞬間を目撃してしまった。

 俺はとっさに漫画を入れようとするその手を掴む。


「――恐ろしく速い窃盗、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね」


 突然の出来事に心の中で慌てすぎた俺は思わず漫画のフレーズを口走ってしまった。


「は、離せよ! ぶっ殺すぞ!」


 抵抗をみせた中学生に俺はさらに心の中でパニックになった。

 しかし、何とか笑顔を崩さずに彼を注意する言葉を探す。

 人に殺すとか言っちゃ駄目よ、それを言って良いのは殺される覚悟がある人だけだって誰かも言ってたし。

 俺は年上の高校生として目を合わせてちゃんと注意するために髪をかき上げると、眼鏡も外して向き合った。


「――あまり強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ?」

「ひぃ!?」


 また漫画の言葉に頼った俺だったが、謎の凄味すごみがあったようだ。

 その中学生はすぐに泣きそうな表情で謝ってきた。

 初犯だったのかもしれない。

 店長――つまり蓮見の親父さんが店の裏で叱りつけてその子は反省して帰って行った。

 親父さんは何だか酒臭かったような気もするが……。


 そんな一連の俺の行動を本棚の影から見ていた蓮見が学校でお礼を言いに来て仲良くなったのだ。

 終始、漫画のセリフを使っていた事でオタクである事もバレてしまった。

 いや、あんな急な状況だと自分の言葉なんて出てこないから……。


 ちなみに蓮見がお礼を言うために机に入った手紙で校舎裏に呼び出された俺は放課後まで気持ち悪い妄想をしていた事は語るまでもない。


 ◇◇◇


 突然の俺へのお礼を終え、頭を上げると蓮見が突然眉をひそめた。


「ところで須田君。今日入荷した本を運ばなくちゃいけないんだけど、重そうで――」

「――そうか、頑張って二日酔いのおじさんを起こすんだな」


 嫌な予感を感じた俺はそう言って踵を返す。

 しかし、蓮見は満面の笑みで俺の肩を掴んだ。


「知らなかったのか? 大魔王からは逃げられない。それに、須田君って凄く気を使える人だもんね? ドルオタだもんね?」

「急に俺をおだて始めたのはコレが目的か……。あぁ、分かったよ! どうせ本屋で時間を潰すつもりだったしな。あと、ドルオタは関係ないぞ」


 メラゾーマ級のメラを背後から撃たれてしまわないように俺は蓮見の提案を了承した。

 もともと手伝うつもりだったが、やり方が卑劣だ。


「ありがとう! お店は特別に開けてあげるよ、旦那の好きなえっちな本もありますぜ」


 肘で俺をつつきながら、「げへへ……」とゲスな笑い声を上げる蓮見。

 くそ、教室では根暗な癖に俺相手だと調子に乗りやがって。

 やられっぱなしも癪なので俺はやり返してやった。


「残念だったな! お前の店にそんな物は無いことは確認済みだ!」


 俺は腕を組んで得意げになった。

 きっと自分の虚言を見破られて狼狽えているだろう。

 そう思って蓮見を確認すると彼女の顔がみるみる赤くなっていった。


「か、確認してたんだ……」

「――あっ」


 とんでもない速度で墓穴を掘ってしまった事に気がつく。

 確かに、さりげなーく探してしまった事が……あります。

 最初は同級生のお店だなんて知らなかったから……。


「ひ、必要なら入荷するから! 私に言ってね!」

「手伝うので絶対に黙っててください」


 俺は深々と頭を下げた。

 まさか蓮見相手にすら黒歴史を作ることになるとは……。


「だ、大丈夫だよ! 私、須田くん以外に言いふらすような友達いないし! 須田くんと一緒で!」

「悲しい信頼感だな……」


 そうして俺は蓮見の手伝いを始める。

 ちなみに、入荷した本を入れた箱はとても軽かった。

 俺が手伝う必要ないのでは?


「――蓮見は学校の奴らとはちがってシオンにはあまり興味がないのか?」


 軽い箱を運びながら、俺は蓮見に気になっていた事を聞いた。

「実は大嫌いなんだ~」とか言われたら今運んでいるこの箱を自分の足に落とす自信がある。


「いや、そんな事ないよ? 私の大好きな漫画、『新月の刃』のアニメOPを歌ってくれた時なんか感動しちゃったし」

「――っあ! あぁ! アレな! アレは最高だった!」


 俺はダラダラと冷や汗を流す。

 やぶ蛇だった。

 それはシオンとして少しだけ問題のある案件だったのだ。


 ◇◇◇


 ある日、俺は蓮見に『新月の刃』という漫画を勧められた。

 少し人を選ぶ内容ではあるものの、主人公が妹を想う兄の気持ちなどにとても共感し俺はファンになった。


 作者さんに応援のファンレターを送る際、アーティストとして『シオン』の名前の方が喜ぶだろうと事務所経由で出版社へ。

 後日、とんでもなく狼狽した様子の作者、堀内先生御本人から事務所に感謝の電話が来た。


 だがしかし、話を聞くとどうやら人気はあまり無いようで、後一ヶ月ほどで"打ち切り"が決まってしまっているらしい。

 堀内先生は話を続けた。


「シ、シオンさんなんて大スターに楽しんでいただけたなんて……本当に、最後に最高の思い出が出来て良かったです! 娘達もシオンさんの大ファンでして――」


 堀内先生は涙ながらに俺にそう言った。

 俺は少し戸惑いつつ、執筆への労いや感謝の言葉を伝える。

 そして、気になる事を聞いた。


「――打ち切りは残念ですね……次回作の構想はもうされているんですか?」

「それが……」


 俺の質問に堀内先生は声色を暗くする。

 そして、家庭の事情までを俺に話してくれた。


「実は娘は小学生と高校生の2人いまして……これ以上自分の夢を追いかけ続けるのも難しいんです。娘も女房も健気に応援してくれるのですが、娘の将来の事も考えると漫画家を辞めて家族を支える為に定職に就こうと考えておりまして……」


 堀内先生の話を聞きながら、俺は部屋の本棚から『新月の刃』を引き抜き、ページを再びめくっていった。

 何度読んでも素晴らしい。

 キャラクターが、物語が、1ページ1ページとても丁寧に描かれている。


「……そうですか、それは本当に……残念ですね」

「いえいえ、こんな話をお聞かせしてしまい申し訳ございません。自分の夢は叶え切ることはできませんでしたが、娘の夢は叶えてやりたいので第2の人生で家族の為に私は頑張ります!」


 堀内先生は明るく振る舞うようにして電話口で笑っていた。


 同じように夢を追いかけてきた事がある俺には分かる。

 いや、俺みたいな若造じゃ分かり切れないほどに堀内先生は夢に向かって頑張っていたはずだ。

 じゃないと、こんなに面白い漫画は描けない……。


 同じく物を作る人間クリエイターとして、俺の中に熱い何かがこみ上げてきた――


「堀内先生……打ち切りになる話はまだご家族には話していませんか?」

「は、はい……実はなかなか言い出せず――」


 そして俺は、無責任にこんな事を口走ってしまった。


「先生、まだ諦めないでください! 主人公はピンチになってから大逆転するものです。夢を叶えた格好良い父親の姿をご家族に見せてやりましょう!」


 そう言って電話を切った、翌日。


 俺はつい――

 シオンの公式twittarアカウントで『新月の刃』をオススメしてしまったのだ。

 内容は送ったファンレターと同じ、『ここが面白い』『ここが好き』など本当に他愛のない内容だ。

 焼け石に水かもしれない。

 だけど、少しだけでも知ってくれる人が増えればと思った。


 ――その結果、ネットニュースになった。

 全国の書店から『新月の刃』の単行本が消え、連載している週間誌の人気一位を獲得してしまった。

 当然、打ち切りの話は無くなり、今度はアニメ化が決まった。

 責任を取る意味でも、俺が依頼を受けてアニメのOPを歌うと人気はさらに加速。


 今や国民的漫画の一つになろうとしている……。


 ◇◇◇


 『新月の刃』が大人気になった事については、俺は堀内先生の実力だと確信している。

 だが、一部では『シオンの知名度で成り上がった漫画』だなんて揶揄もされてしまっている。

 そういう――作品が正当に評価されない理由を生み出してしまったのは俺のせいだ。


 そんな事情を知らない蓮見は俺の目の前で得意げに笑ってみせた。


「あの作品、打ち切りの噂もあったんだけど凄く人気になっちゃったよね。私が送ったファンレターのおかげだね! SNSでもいっぱい宣伝したし! 私の大好きな作品が無くならなくて本当に良かったよ!」

「あ……あぁ、きっとそうだな! そうに決まってる! うん!」


 俺は何度も頷いた。


 この件について、堀内先生は俺に何度も何度も感謝してくださっているが、『余計な手出しをしてしまったのでは』という気持ちも拭いきれていない。


 きっと俺なんかが手を貸さなくてもこうして目の前にもいる、応援してくれる素敵な読者さん達が支えて人気になっていた事だろう。


 そう考えながら、俺は箱を全て運び終えると蓮見が何かを発見した。


「およ? 郵便受けにも何か入ってる……何だろう?」


 蓮見はそう言って小包を取り出した。

 俺はその小包に書かれた送り主を見て中身が分かった。


 この前お会いした際に、完全に私情でお願いしてしまった事だ。

 「先生、俺の近くに貴方の熱心なファンがいます」……と。


(堀内先生……お忙しいのに、俺の我儘を聞いてくださり有難うございます)


 蓮見が送り主の名前を確認して、驚愕の声を上げた後。

 興奮しながら開いた箱の中には――


 堀内先生から蓮見のファンレターと応援に対する感謝の手紙と。

 蓮見書店と蓮見本人へのイラストサインが入っていた。

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