第19話 地獄への道は善意で舗装されている

 

「よし、全部のグループが終わったなぁ~! 次の試合始めるぞ~!」


 剛田が謎のビブラートを効かせて大声を上げる。

 ちゃんとしたボイストレーニングをすれば大成しそうだ。

 オペラ歌手か演歌歌手あたりが――


「須田君、剛田先生を見る目が完全にアーティストになってる」

「あぁ、良い声量してるなーって思って」

「良いね、ウチのメンバーに加えよう。サブボーカルとか担当させるのはどう?」

「明らかにサブじゃないだろ。俺の声、聞こえなくなっちゃうよ……」

「そうなったら、シオンは引退して私のマネージャーにする。安心して、私が今以上に有名なドラマーになって須田君には何一つ不自由させないから」

「俺が歌を届けられない時点で不自由なんですがそれは」


 2人だけだからこそ出来る会話をしつつ次のコートへ。

 対戦相手の皆川みながわ江南えなみペアがすでに待っていた。


「あはは、鬼太郎ペアだ、ウケるw」

「よ、よろしくお願いします……」


 聞き覚えのある声に俺は内心戸惑う。

 ついさっきトイレで椎名の事を馬鹿にしていたのはこいつらか。


「椎名さんも災難だね~、鬼太郎なんて妖怪とペアにされちゃって!w」

「いやいや、2人お似合いなんじゃな~い?w」


 女生徒達は初手からこちらの精神を揺さぶってきた。

 さすが、『精神攻撃は基本』という言葉もあるくらいだ。

 だが、俺の鋼の精神は全然、ぜ~んぜん、ちっとも効かなかった。

 ただ今夜は上手く寝つける自信がない。


 一方で意外にも椎名には効果てきめんだったようだ。

 顔を真っ赤にして怒りのあまりぶつぶつと何かを呟きながら身体を震わせている。

 俺なんかと『お似合い』なんて言われたんだから気持ちは分かる――分かっちゃうのかよ。


「お、お似合い……もはや夫婦……早く結婚しろ、子供は何人……」


 いや、そこまでは言ってないだろ。

 なにこの子、被害妄想が凄い。

 そのうち俺が椎名の近くに居るだけでセクハラ扱いされてしまうんじゃないだろうか。


「じゃあ、だりぃしさっさと始めちゃお」


 そう言って、皆川たちはすぐに試合を開始させた。

 先程の試合と変わらず、俺がシャトルを全部打ち返す。

 そして、その様子を椎名は俺のすぐ側で見つめる。

 確かに、棒立ちでは無くなったけど、何かめっちゃ近づいてくる。

 そしてさすがに体力が限界になってきた。


 俺は息も絶え絶えに椎名に話しかける。


「はぁ、はぁ、椎名……さん。あまり……近くにいられると……危ないよ」

「シオンの汗、荒い息、辛そうな表情、堪らない……」

「……ドSかよ」


 どうやらサディスティックな理由から俺にべったりとくっついているらしい。

 もしかして、ドラムが好きなのもそのせいで……?

 棒で叩いたり、足でガンガン出来るから……?


「ちっ、あのチビ、鬼太郎から離れねぇな……」


 コートの向こうではそんな呟きが聞こえた。

 俺と椎名が近くにいて、何か不都合でもあるのだろうか?


「分かった、確かに私もこれ以上近くにいると手が出ちゃいそうで危ない。お互い、少し距離を置こう。悲しいけど……」

「何か言い方が意味深だが、俺のラケットが当たらないようにしてくれ」


 そうして、椎名は俺と少し離れて試合は続行された。

 『手が出そう』って、シャトルにってことだよね……?

 俺にさらなる苦難を与えたいわけじゃないよね?

 意図が分からないまま椎名は変わらず俺を凝視している。


「鬼太郎の奴、椎名さんにめちゃくちゃ睨まれててウケるw」


 外野からそんな声も聞こえた。

 えっ、嘘、やっぱりこれ睨んでるの?


 ――そして、疲労困憊の俺が、緩い球を打ち返してしまった時だった。


 皆川が、悪意に満ちた表情で笑った気がした。

 ラケットを振りかぶり、スマッシュを打つ構えをみせる。

 そんな時、俺は"さっきの呟き"を思い出した。


(――まさかっ!?)


 俺は全身にムチを打って、全力で椎名の前に飛び出した。

 思い過ごしだったらそれで良い、馬鹿な男が目の前で盛大に転ぶだけだ。

 だが、万が一、万が一椎名が狙われていたら……

 俺の身体で椎名の小さな身体くらいは庇いきれるだろう。


 ――バシュン!


 鋭く風を切る音と共に剛速球のシャトルは飛び込んだ俺と椎名の方向へ。

 こんなの、椎名は打ち返すどころか避ける事も出来るはずがない。

 シャトルは、椎名を庇った俺の顔面に飛んできた。


 ――ドタァン! カシャーンッ!


 俺の身体が床に落ちる音と、遠くで何かが落ちる音が聞こえる。


「シ――須田君……! 眼鏡が!」


 椎名の言葉で分かった。

 そうか、シャトルに眼鏡が弾き飛ばされたのか。


「怪我はっ!? それに、か、顔……須田君の顔を隠さなくちゃ……」


 珍しく椎名の慌てる声が聞こえる。

 大丈夫だ、これくらいで怪我なんかしない。

 しかし、確かに不味いな。

 顔を見られる前にかけ直さないと……注目を集めちゃってるみたいだし、何とか顔を隠して眼鏡を――



 ――ムニッ



 顔を上げようとしたら、急に視界が真っ暗になった。

 そして、とても柔らかい感触。

 ほんの僅かな湿り気と、女の子特有の良い香りが……


「須田君、安心して。顔は私が隠してるから」

「お前、もしかして……」


 僅かな隙間から見上げると、俺の顔は椎名の胸に収まっている事が分かった。

 周囲なんか見なくても想像できる、俺達は今、めちゃくちゃ目立っている。


「お、おい! 周り、みんな見てるだろ!? どうにか誤魔化せ!」


 俺は小声で椎名に指示をした。


「え、えっと……い、痛いの~、痛いの~、飛んでいけ~!」


 椎名は周囲に向かって大声を出すと、俺の頭をさすった。

 体育館内の静まりを椎名の腕の中で感じる。


 何これ……地獄?


 この凍てつく空間に一石を投じてくれる男子生徒の声が聞こえてきた。


「……し、椎名さん。これ、鬼太郎の眼鏡拾ってきたよ!」

「あ、ありがとう」

「あ、後、僕もさっき頭を打っちゃって」

「そう……気をつけて?」

「あっ、うん。そうだね……あはは」


 椎名は俺の眼鏡を回収すると、俺に装着する為に俺の顔を胸から離そうとした。


「椎名、先に謝っておくぞ」

「……?」


 椎名の体操着には俺の鼻血がべったりと付着していた。

 いや、あんな事されたら健全な男子高校生はみんなこうですよ。

 もう一生口を聞いてもらえなさそう……。

 ごめんなさい……スケベで……産まれてきてごめんなさい。


「凄い血っ!? 先生! 須田君を保健室に連れていきます!」

「なんだ? 鼻血か、貧血には気をつけろよ~」

「ごめんね~? わざとじゃないんだよ~?」


 声の出しすぎで若干疲れ気味の剛田の許可を得た。

 剛田の課題は喉のスタミナか……

 後、なんか性格悪そうな女の声も聞こえた気がした。


「くそっ、鬼太郎の奴! 羨まし過ぎるだろっ!」

「マジで椎名さん……可愛い過ぎだろ……」

「『痛いの痛いの飛んでけ~』って……一生に一度で良いから俺もされたいっ!」

「椎名ママの胸元でオギャりたい……!」


 意味不明な戯言を抜かす男子生徒達をよそに、椎名と保健室へと向かった。


 ~~~~~~~~~~


 保健室の扉を開くと、どうやら誰も居ないようだった。


「保健室の先生はいないの!? このままじゃシオンが死んじゃう! きゅ、救急車を!」

「大丈夫だ、椎名! ただの鼻血だから!」

「ほ、本当に!? 死なない!?」

「死にたくなる事は多々あるが、別に死なないから大丈夫だ!」


 完全に取り乱した椎名を、俺は落ち着かせる。

 何とか、俺の下心はバレずに済みそうだ。

 心配してくれてただけに罪悪感が凄いが……。


「そろそろ授業も終わっている頃だろ。治療は1人で出来るから、お前も戻って良いぞ。体操服は弁償する、悪かったな……」

「嫌っ! 私もここにいる!」

「良いけど、血だらけの体操着は着替えてね……? ちょっとしたホラーだから。替えは多分保健室のどっかにあるはず……」

「分かった、シオンはほら、ベッドに横になってて。保健室の先生が来るまで一緒に待ってよう?」

「椎名はもう戻って良いってば」

「嫌っ! シオンは私を庇ってくれたんだもんっ! 完治するまで帰らない!」

「な、何かキャラ違くない?」


 頑なに帰ろうとしない椎名は俺をベッドに寝かせると、自分はその横で椅子にちょこんと座った。

 改めて見ると、こいつ本当に人形みたいに綺麗だな。


 しばらくすると、何やら外からドタドタと誰かが走って向かってくる音がしてきた。

 急患だろうか、荒々しく扉が開かれる。


「リツキっ! 怪我をして運ばれたって聞いたぞ! 大丈夫かっ!?」


 入って来たのは激しく息を切らした琳加りんかだった。

 まぁ、確かにあれだけ色々あれば噂にもなっているかもしれない。

 琳加は目に涙を浮かべて俺のもとに駆け寄ってきた。


「大丈夫だ琳加、というか大げさだろ」

「良かった……、何か血がいっぱい出てたとか聞いたから」

「ちょ、ちょっと血が余っててな。自発的に排出したんだ」

「何そのリストカットみたいな行為!?」


 俺は苦しい言い訳で下心による鼻血の件を隠す。

 安心しきった琳加は俺を抱きしめた。

 出ちゃうから! また血が出ちゃうからっ!


 俺と琳加のやり取りを椎名は死んだような瞳で見ていた。


 主に琳加の"胸元"を……


「す、凄く大きい……。それに『リツキ』って名前呼び……、しかも琳加さんって根暗な私とは違って、学校中で有名で美人な……」


 ぼそぼそと何かを呟いたかと思うと、椎名は突然ポロポロと涙を流し始めた。


「ご、ごめんね……、私みたいなコミュ障の小さい胸を顔に押し付けちゃって! 迷惑だったよね……! だって須田君にはこんなに立派な胸が――」

「うわぁー! ちょっ、ちょっと待った! 何か知らんが、誤解されるっ! ごめんなさい、ごめんなさい!」


 俺は慌てて椎名に謝り倒した。


 泣いてる理由は良くわからない。

 でも何かもう、謝るしかないと思った。


「……リツキ? こんなに可愛い子を泣かせて、どういう事? 胸がどうのこうのって聞こえたけど? 本当は血がいっぱい出るほどの怪我なんかしてなくて、この子を保健室に連れ込むのが目的だったんじゃない? そしてこのベッドで――」


 背後から聞こえる琳加の不自然な程に優しい声の問いかけに身体を震わせる。

 完全に俺が何かをして椎名を泣かせた事になっているようだ。


 俺が怒られそうになっているのを感じたのか、椎名はフォローを試みてくれた。

 彼女なら語ってくれるだろう。

 『本当に血がいっぱい出た』事、『なんで椎名がここに居るか』って事を。


「ち、違う! 私、(介抱なんてするの)初めてだったから……(慌てて胸に顔を押し付けたら)血がいっぱい出ちゃって……。私、(シオンを一人で残して戻るのは)嫌だったから……」


「…………」


 椎名が最悪のタイミングで『言葉足らず』を発動させた。


 これ、ヤバい誤解をされてないですか……?


 俺はもう怖くて、琳加の方へと振り向く事が出来なかった……

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