第22話 決戦
その日、小鳥遊ハルはいつもより緊張した面持ちで早朝の食堂に足を踏み入れた。何故なら、この後起こす自分の行動が昨晩に彼と話した作戦の肝を握っているからだ。彼女は皆に気づかれないように短く息を吐くとトレーに乗せられた朝食に手をつけることなくその口を開いた。
「ねぇ。もうやめにしない? ビクビクと“コイツ”に怯えるこの生活」
食堂内に響き渡った彼女の声に職員と子供達、そして聖賢吾が動きを止める。
「みんなも気付いてるんでしょ? “コイツ”の本性に。私たち子供はとっくに気付いてる。そして、職員のみんなも薄々感づいてるはず。でなきゃ楽しいはずの朝食がこんなにピリピリしてるはずないもの」
彼女の指摘は的を得ていた。先ほどまでの皆の様子は明らかに変だった。朝食の準備をしながらチラチラと真ん中でふん反り返る彼の顔を伺い、まるで番犬を怒らせないように横を通りすぎるような恐怖と不安を
「たっ、小鳥遊さん。何を言っているの? 変なことを言ってないで早く朝食を——」
「小鳥遊ハル」
「ひっ……!」
ハルを
「……なに?」
「僕の部屋に来るんだ。話がある……」
「…………」
その場を後にする彼の後をついていくハル。その途中、長テーブルに腰を下ろすあの小学生の女の子が不安そうに彼女の顔を見るが、ハルは彼に気づかれないように優しくその子に微笑みかけ、口パクでこう伝えた。“大・丈・夫”と。
「話って何? 私、まだご飯食べてなっ——!」
ハルは部屋に入るなり、その顔を彼に思いきり引っ叩かれた。
「お前はぁ……まだ自分の立場が分かって内容だなァァ!」
「……立場……? ぁ……ぐっ!」
振り返ったハルに殴る、蹴るなどの暴行を加えながら彼は半狂乱になって叫ぶ。
「お前らはっ! 親にっ! 捨てられたっ! 生きる価値のっ! ないっ! バカなっ! ガキどもなんだよっ! それを引き取って、育ててやったのは誰だっ! 僕だっ! その僕に何逆らってるんだよっ!!」
肩を上下に動かし、激しく息を乱す彼は絨毯の敷かれた床にうずくまるハルを見下ろしながら言葉を続けた。
「いいか? もう二度とあんなふざけたことは言わないことだ。次は容赦しない」
そう言い残し、園長室から出ていく聖賢吾。だが、彼は知らない。自分が去る直前にハルがこぼしたセリフを。
「……成功したよ。杏太郎。待ってて……今行くから……」
ボロボロになった彼女は必死に身体中の痛みをこらえながら立ち上がった。全てはあの日常を取り戻すために——。
怒り肩を震わせながら、ポケットから取り出した頭痛薬を例のごとく水を使わず噛み砕く聖賢吾に慌てた様子の女性職員が後ろから声をかけた。
「え、園長! 大変ですっ!」
「何だ? 騒々しい!」
「それが……その……警察、警察の方がいらしてます。“小鳥遊”さんという方から通報があったと……」
「——っ!!」
彼はピキリと青筋を立てながら、獣のようなスピードで走り出し園長室に舞い戻る。
「このクソガキがぁぁ!! 一体、どういうつもりで——」
扉を乱暴に開け放った彼の目に小鳥遊ハルの姿は映らなかった。そう。彼女はもうそこにはいなかったのだ。
「ハァ……ハァ……杏太郎。杏太郎……」
施設を背にしながら懸命に走るハルは鉄格子の向こうに待つ最愛の人——乃木杏太郎の姿をその目にした。その瞬間、彼女は体の痛みも忘れ、めいいっぱいの声を彼に届けた。
「杏太郎! 私やったよ! できたよ! 今、そっちに——」
喜びに打ち震える彼女だったが、杏太郎は彼女の後ろから迫る凶手に気付き彼女に叫び返す。
「ハルッ! 後ろっ!!」
「え……? キャッ——!!」
僅か。あとほんの数歩のところで彼女は頭を乱暴に掴まれ、その脚を止めれてしまう。
「やってくれたなぁぁ!! このガキがぁぁ! ハハッ、そうか。乃木杏太郎。お前の入れ知恵か。言ったはずだよなぁぁ!? 今度コイツに近づいたらどうなるか。丁度いい! お前のことを警察に突き出してやる。お前は今ここで逮捕される!」
「いや……」
「——っ!?」
「逮捕されるのはお前だよ。聖賢吾」
冷静に彼を見つめる杏太郎。その瞳に嘘はなく彼の言葉がハッタリではないことを物語っていた。
「何を言って——」
その瞬間、彼の後方から凛々しい声が轟いた。
「その子を離しなさい! 聖賢吾。あなたには児童虐待の容疑がかけられています」
彼が振り向くと、そこには制服に身を包んだ警察官が自分を取り囲むように集合していた。
「あっ……ははっ、やだなぁ。何をおっしゃっているんですか? 警察のみなさん。僕が児童虐待? そんなことしてませんよ。証拠もないのに憶測だけで言うのは——」
「証拠なら“ココ”にある」
彼の言葉を奪い、小鳥遊ハルがスカートのポケットからスマホを取り出し何かの映像をその場に流し始めた。それは先ほどの暴行の現場。彼が狂ったように彼女に乱暴を加えている映像と音がその場に響き渡った。
「お前っ……わざと……あの時、わざと僕を怒らせたのか!? この映像を取るためにっ……」
「そう。単細胞なアンタならこうするって杏太郎のアイデアでね!」
「このメスガキがぁあぁ!!」
「——取り押さえろっ!」
その掛け声とともに警察官が一斉に彼に飛びかかり、彼の腕を後ろにひねりながら拘束。小鳥遊ハルは無事保護された。
「ヤメろっ! 離せっ! コイツ、コイツはいいんですか!? この乃木杏太郎という男は未成年の彼女を自宅に招き、一緒に住もうとしてるんですよ!? それは刑法242条。未成年略取及び、誘拐に当たるゥゥ!! よって彼はブタ箱行き——」
「何を言ってるんだ? 彼らが一緒に住むのは当たり前だろう? 何故なら彼らは親子なんだから」
「……は?」
素っ頓狂な顔をする彼に、乃木杏太郎は一枚の紙を懐から取り出し彼に突きつけた。
「そっ……それは……“養子縁組届出書”!? おっ、お前……正気か? なんの関係もない、血の繋がりすら一切ない赤の他人のガキを引き取ったというのかぁぁ!?」
「あぁ。これで誰にも文句は言わせない。俺はハルとずっと一緒にいる。二人であの家に帰るんだ」
「……杏太郎……」
彼の言葉を聞き、小鳥遊ハルは嬉しさのあまり涙を流した。口で手を覆い耳を赤く染めながら、その涙はとめどなく流れ落ちた。
「いや、待て! 養子縁組は成立するまでに最低半年はかかるはずだ! こんな短期間で受理されるはずがないっ! お前……何をした!?」
「別に。ただ俺は“ある男”の力を借りただけさ」
「ある男? 何を……何を言ってる!? お前は何を言ってるんだぁぁ!?」
「おとなしくしろ! 児童虐待の現行犯で聖賢吾。お前を逮捕する。詳しい話は署で聞かせてもらう」
パニック寸前に叫び散らす彼を無理やり立たせ、警察官たちは彼を連行していく。
「待って、待ってください! これは何かの間違いだ。僕はハメられたんだっ! 僕はエリートなんだ! こんな……こんなこと、こんなことあるわけがな——」
最後まで抵抗する彼の言葉を遮るようにパトカーのドアが閉まり、真っ赤なサイレンを光らしながらその車は走り出した。
それはこの施設から”悪魔”が去っていく最後の瞬間であった……。
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