第27話 阿鼻叫喚

 御影たちとのハードワークをこなした次の日。いつものようにタイムカードを切り、デスクへと向かう俺は昨夜のハルとの珍事件を思い起こしながら、もう少し大人な対応はできなかったものかと己を責めていた。


「アイツ、ほんと何考えてあんなことしたんだろ。今日の朝はいつもとなんら変わりない様子だったけど、意識してんのはひょっとして俺だけか? だったらもう少し毅然とした態度を取るべきなのか……」


 唸るような声をあげながら席に着いた俺を、モルヒネでも打ったかのようなハイテンションと嘘みたいな笑顔を浮かべた有村が待ってましたと言わんばかりに出迎える。


「ヨォ〜!! オザマ〜スッ! 俺の愛しき同僚の乃木くーん!! 今日もイカした髪型してるネェ!」

「うわ。多忙のあまりついに同僚の精神が壊れてしまった。これ労災降りんのかな?」

「オイオイオ〜イ! 誰が壊れただって? 正常。俺は至って正常だから!」

「いや正常な大人は朝からそんなキチガイみたいなセリフ吐かないから。なんか悪いもんでも食ったのかお前?」

「バカヤロウ。なんでお前の方こそそんな冷静なんだよ! 今日はアッキーたちが腕によりをかけて弁当を作ってきてくれる記念すべき日だろうが!」

「あぁ。そういやそんなこと言ってたな。すっかり忘れてた」

「たくっ! お前なぁ、この会社のツートップと言われる超可愛いあの二人からの愛情弁当なんだぞ? もっと喜んだらどうなんだ!」

「愛情なんて1ミクロンも入ってませんよ?」


 大げさにはしゃぐ有村の後ろから鳳凰院が不機嫌そうな顔つきで現れた。そして彼女の後ろに隠れるようにこそっと身をひそめる御影の姿も。


「アッキー! 待ってたよ! おはよう。そして、いつものランチバッグとは色違いのその中に入ってるのってもしかして……?」

「はい。約束通り作ってきました。お昼に渡しますのでよろしかったら召し上がってください」


 左手にもった黒のランチバッグを前に出す鳳凰院。そして忍者のように素早く立ち位置を入れ替えた彼女は、御影を俺の前にぐいっと押し出した。


「フユノも作ってきたんですよね? 乃木先輩のために!」

「ふぇぇ……!? ひ、ひゃい! 作ってきてしまいました!」


 突然、先頭に送り出された御影はパニック寸前になりながら俺の眼前に青のランチョンマットに包まれた弁当を突き出した。


「おっ、おう。ありがとな御影。昼になったらありがたくいただくとするわ」 

「お……お口に合うかわかりませんが……」

「……? 大丈夫だろ。御影器用そうだし。料理もそれとなくこなしそうだ」

「いっ、いえ……先輩。できればハードルはめいいっぱい下げた状態でお願いしたいです。ほんと幼稚園児が……飛べる……高さで……」


 御影の周りの空気がドヨンと重くなったかと思えば、焦点の合ってない瞳で急に明後日の方向を見だす彼女。俺は御影のその態度の理由をこのすぐ後に知ることになるのだった……。


「ほんといつ来ても誰もいないなこの屋上」


 昼休み。午前の業務をなんとか終えた俺たちは大幅にズレた休憩時間のせいでランチタイムとは呼べない遅めの時間にいつものように屋上の簡易テーブルのそばに集まっていた。


「では、私と有村先輩はあちらでいただくので、お二人はここを使ってください」

「おいおい、アッキー? なんで二人と離れる必要が? 一緒に食おうぜ! その方がきっと弁当もうまいはず」

「文句の多い子はキライです。捨てちゃおうかな? このお弁当?」

「やめてっ! それだけはっ!!」

「ホ〜ラ。あなたが食べたいお弁当はこっちですよ〜。付いてきてくださいね〜」

「キャウーン!! ハウハウ!」


 まるでアホな犬をしつけるみたいに天高く弁当を掲げた鳳凰院は、有村をゆっくり誘導しこの場から離れていく。去り際に彼女が御影にウインクらしきものをしていたのは俺の見間違いだろうか? 


「じゃ……じゃあ私たちも早く食べてしまいましょうか」

「おう。そうだな」


 ランチョンマットの結び目をほどき、黒色の弁当箱が姿を現す。そして、蓋を開けようとする御影だったがそこで彼女の動きはピタリと止まった。


「御影? どうかしたか?」

「あの……乃木先輩。引かないって約束してくれますか?」

「なんだ? そんなに自信がないのか? 大丈夫だって。さっきも言ったけど御影は自分が思ってるより相当器用なんだから。きっとこの弁当だって——」

「あっ……! 待っ……」


 俺は出し渋る御影の代わりにその弁当箱の蓋を開いた。


「こっ……これ……は……」


 人間はイメージしたものと実際のものとに大きなギャップがあるとリアクションができなくなることを俺は今日学んだ。俺の脳内では謙遜しつつも作ったのは御影だから弁当らしい弁当がそこにあると思っていた。しかし、その箱の中には明らかに焼きすぎな卵焼きを筆頭に8本のうち7本の足が黒焦げになったタコさんウインナー、惨殺されたかのようなブロッコリーにおそらく星型であった人参。一瞬海苔で巻いたのかと思った黒いアスパラのベーコン巻き等が鎮座していた。


「ごめんなさい〜〜!! やっぱり引きましたよね!? 引きましたよね!?

私、料理だけはダメなんですぅぅ!! なんどやっても廃棄物寸前のものが出来ちゃうんですぅぅ!! 生まれて来てごめんなさい! こんな女でごめんなさい〜〜!!」


 滝のような涙を流しながら、子供のように泣き叫ぶ御影。その涙は空中に虹を作っていた。


「おっ落ち着け御影! 大丈夫だ。料理は味だ。見た目じゃない。きっとこのオカズも食べてみたら美味いに決まって——」


 急いで卵焼きをパクついた俺の口から『ガリッ』っと小石を噛み砕いたような音が鳴り響いた。


「うわぁあぁん!! 卵のカラだ! ごめんなさい〜!! 先輩! そんなゴミ今すぐ吐き出してください!」


 ふと、バタバタと慌てふためく御影の手に俺の視線は集中した。そこには夥しい数の絆創膏と切り傷がつけられていた。この弁当を作るのに彼女はどれほど苦労したのだろう。きっと朝早く起きて苦手な料理を一生懸命頑張ったに違いない。そう確信した俺はこの弁当を残すという選択肢にバツを付け、天を仰ぎながら一心不乱にその中身を掻き込んだ。


「せっ……先輩!! そんなことしたら……」


 途中、何度も喉に詰まらせそうになりながらもお茶の一滴も飲まず、俺はその弁当を空にした。それが作ってくれた御影へのせめてもの礼だと思ったからだ。


「うっ、うまかったよ御影。ありがと」

「……センパイ……」


 嬉しさと困惑を織り交ぜた複雑な顔をした御影は意を決したようにゆっくりと口を開いた。


「先輩は本当にお優しいですね。そんな先輩だから私は——」

「……? 御影?」

「あの……先輩に聞きたいことがあるんです」


 御影がこの後発した言葉に俺は驚愕を隠せないでいた……。

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