第28話 顔を出した私の本性
先輩は本当に優しい。私が作ったあんな出来損ないのお弁当をまさか残さず食べてくれるなんて。ううん、それだけじゃない。今までだって彼の優しさになんども触れてきた。あの水族館に行った時だって……。
私はもっとこの人のそばに居たい。先輩と後輩という立場ではなくもっと深い関係になりたい。だから聞くんだ。あの日、彼女と何をしていたのかを。
「あの……先輩に聞きたいことがあるんです」
「ん? 聞きたいこと? なんだ?」
私が用意したお弁当箱の蓋を閉めながら、乃木先輩がこちらに視線を向ける。
「えっと……その……先週……先週のにち……ようび……」
「先週? 先週のなんだって?」
聞くんだ私! たとえ先輩とハルちゃんの関係が私の想像してるものだとしても聞かなきゃ始まらない。私の心のモヤは晴れない!
その時、私はアキちゃんに送られた言葉を鮮明に思い出し自分を奮い立たせながら、喉に引っかかっていたものを力強く吐き出した。
「先週の日曜日、ハルちゃんと何をしてたんですか?」
「え……? 先週の日曜って……御影お前まさか——」
先輩は驚愕の表情を浮かべながら言葉を詰まらした。でも、驚き具合で云えば私の方が強かったのかもしれない。何故なら、乃木先輩のこんなに驚いた顔を私はこれまで一度も見たことはなかったからだ。それはつまり、私の言葉の内容に驚愕してしまう思い当たる何かを先輩は隠していることになる。私の予想は当たっているの?
「先週の日曜。先輩、三丁目の児童養護施設にいましたよね? その日偶然私もその近くにいたんです。警察とか人混みがすごくて、なんだろうって興味本位で見て見たらそこに先輩がいました。ハルちゃんと抱き合うように寄り添って。先輩。あの時、彼女と何をしてたんですか? 先輩とハルちゃんはどういう関係なんですか!?」
聞いた。聞いてしまった。もう後戻りはできない。これで先輩の口から『ハルは俺の彼女だ』と出てしまったら恐らく私の目の前は真っ暗になるだろう。ショックでこの後の仕事に支障が出るかもしれない。私はギュッと目をつむり、先輩の答えを待った。
「そうか……あの時、御影いたのか。そして寄りにも寄ってあの場面を俺は見られたのか……。そうか……そう……か……」
段々と小さくなる先輩の声に気付き、私はまぶたを開く。そこには虚ろな顔をし、ブツブツと念仏のように何かを呟く先輩の姿があった。
「せっ……先輩? どうかしたんですか? 様子がおかしいですが……?」
先輩は目を見開き、何かを決心したかのようにその場で素早く立ち上がり私の両肩を強く掴んだ。
「キャッ——! 先輩……何を……」
「御影! 頼む! このことは二人だけの秘密にしてくれ!」
「へ……?」
そう言うと先輩は私のお腹あたりまで深く頭を下げた。
えっ? あれ? 何これどういうこと? なんで乃木先輩が頭を下げてるの? 二人だけの秘密? 秘密って何?
混乱する私は訳がわからなくなり、とりあえず先輩の話を聞くことにした。
「おっ、落ち着いてください。乃木先輩。何がどういうことなのかさっぱりわかりません」
「お……おう。そうだな。すまん。つい取り乱した。ええと、そうだなどこから話せばいいか……」
顔を上げ、冷静さを取り戻した乃木先輩はいつもの声のトーンであの日の出来事を詳しく話してくれた。
ハルちゃんが児童養護施設に戻されそうになったこと。
そこの職員さんが児童虐待をしていたこと。
放って置けなかった先輩がハルちゃんを助けるために行動したこと。
そして、ハルちゃんを“養子”に迎え入れたこと。
先輩の口から出てくる突拍子もない単語の数々に只々驚くしかない私は、先輩の説明が終わるまで空いた口が塞がらないでいた。
「……という訳なんだ。御影。理解できたか?」
「はっ……はい、なんとか……」
口ではそう言っているが、正直私は話の半分すら受け止めきれていない。まるでドラマの中での出来事が現実に引っ張り出されたようなエピソード。一度で受け入れられるほど私の脳は柔軟に出来てはいなかった。だが、先輩の最後の言葉。ハルちゃんを“養子”にしたというその言葉だけが私の脳内に鮮明に刻まれた。
「養子……ハルちゃんは先輩の養子……」
「あぁ。そうなんだ。アイツの気持ちはまだ確認できちゃいないができれば成人するまで面倒を見てやりたいと思ってる。俺にとってもうハルは他人という認識じゃないしな」
「そう……なんですね……」
「そこで改めて頼む! 俺がハルを養子にしたことは誰にも話さないで欲しい! 周りの人たちを騒がせたくないんだ。頼む。御影」
「先輩……」
再び先輩は私の前で頭を下げる。先輩の言っていることはごもっともだ。このことがバレてしまえば会社は大騒ぎになり、先輩は社内中の噂の的にされるだろう。そんなこと私だって望んじゃいない。だから私はそっと先輩の肩に手を添え、声をかけた。
「顔を上げてください。乃木先輩。話す訳ないじゃないですか。私は先輩を困らすようなことは絶対にしません」
「御影……」
「約束ですっ! このことは二人だけの秘密」
私は右手の小指を先輩の前に出し、その意味を先輩に投げかけた。
「恩に着る。御影。お前が俺の後輩で本当に良かったよ」
先輩は優しく微笑みながら左の小指を立て、差し出された私の小指にゆっくりと絡ませた。
「指切り〜げんまん〜嘘ついたら〜針千本飲〜ます。指切った」
小学生ぶりにやった指切りに照れ臭い気持ちを抱いた私だったが、それは乃木先輩も同じようだった。
「なんか……以外に恥ずかしいな。コレ」
「そうですね」
クスリと同時に笑った私たちに、昼食を終えたアキちゃんと有村先輩が声をかけた。
「お〜い。お二人さん。そろそろ戻ろうぜ。あんまり遅いと部長の雷が落ちっから」
「そうだな。行くか。御影」
「はい。先輩」
プラスチックの椅子を引き、先を歩く乃木先輩の背中を見ながら私はあの言葉を何度も繰り返していた。
「ハルちゃんは先輩の養子。ハルちゃんは先輩の養子……」
三人の後を遅れ気味に歩く私は、振り向きざまに掛けられた先輩の言葉に驚愕した……。
「どうした御影? なんか嬉しいことでもあったのか?」
「えっ? どうしてですか?」
「だってお前今……笑ってるぞ?」
「え……?」
そう。私は笑っていた。それも無意識に。いや、この場には鏡がないので私が自分の表情を確認することは出来ないのだが、心の中に住まう私と現実の私がリンクしたと説明されれば納得できる。なにせ、今の私はまるでクリスマスプレゼントを貰った子供のようにひどく喜んでいたのだから。
「すっ、すみません! 私ちょっとお手洗いに……!」
三人の中を勢いよく走り抜けた私はまっすぐ社員トイレに駆け込んだ。去り際のアキちゃんの『御影? どうしたの?』というセリフにも答える余裕はなかった。
トイレに入った私はいの一番に蛇口を捻る。真っ白な洗面台に流れて行く水の音を聞きながら私は、鏡に映る自分の顔を見つめた。
「そっか。そうなんだ……ハルちゃんは先輩の養子になったんだ……。じゃあ、もうこれから二人の仲が発展することはないよね? 恋人になるなんてありえないよね? だって養子なんだもん」
ゴボゴボと音を立てる排水口を見ながら私は、少しずつ顔を出し始めた自分の本性に気付き今まで自分が思い描いていた理想の女性像が崩れていくのを悟った。ハルちゃんが養子になったことをこんなにも喜ぶなんて私はなんて……なんて……
「——嫌な女」
無人の女性用トイレに私のその声は静かにそして力強く響き渡った……。
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