第12話 初デート!

 肌寒かった初春が終わり、日に日に心地の良い気温に覆われていく日本列島。中でも今日は月初めの第一日曜日。陽気な天気に誘われて外へと繰り出す家族連れやカップルも多いことだろう。


 そんな俺もまた、ハルとの約束のために今こうして久しぶりの私服に袖を通しながら洗面所の鏡の前で一生懸命、外見チェックをする彼女の姿を微笑ましく観察していた。


「おーい、ハル。もういいか? そんなに必死に整えても大して変わらんぞ〜?」

「ん〜、もうちょっと! あとこの前髪が……」

「やれやれ……。女の子ってのはみんなこうなのか?」

「当ったり前じゃん! との初めてのデートなんだから気合い入りまくりなんだから!」


 そうかい。それは男冥利に尽きるってもんだ。ところでハルさん? あなたメイクに夢中で今、普通に俺のこと『好き』って言っちまってたぞ? そんなハッキリ面と向かって言われたら流石に照れるんですがね?


 もうじきアラサーになろうとしているいい大人が、女子高生の不意の告白に顔を赤面させちまうとは。うん。情けない。


「……どうかした? 杏太郎?」

「なんでもありませーん。俺のことは気にしなくていいからさっさと完成させちまえ」

「はーいっ! でも、杏太郎。本当に今日は私の行きたいところに連れてってくれるの?」

「おう。約束だからな。今日一日はお前のわがままにとことん付き合ってやる」

「やったー!」


 甘い声でハミングを口ずさむハルは、きっと脳内で今日のシミュレーションを組み立てているに違いない。なぜなら彼女の顔は今まで見たことないほど喜びと期待に彩られていたからだ。はてさて、俺は今日どんなわがままに振り回されるのやら。まぁ、日頃の家事全般のねぎらいと感謝だと思えば安いものなのだが。

 頼むからお財布事情には優しくしてな? 俺は薄給で社畜の三流リーマンなんだから。



【次は“尾張おわり一ノ宮”〜“尾張おわり一ノ宮”〜】


 特徴的な鼻声の車内アナウンスをBGMに俺とハルは横並びでピタリとくっつきながらゴトゴトと電車に揺られていた。


「それで? ハルの行きたいところってどこなんだ?」

「えへへ。それはついてのお楽しみ」

「……?」


 ハルの表情は至って楽しそうだ。目的地の検討がさっぱりつかない俺はどうやらこのままハルの先導に付き合うしかないようだ。


【次は“一ノ宮”〜“一ノ宮”〜】


「あっ! 次で降りるよ。杏太郎」

「えっ? 次? おっ、おい引っ張んなって……」


 久しぶりの電車旅に酔いしれる間も無くハルに呼びかけられた俺は、彼女に強引に腕を捕まれ、自動ドアの前まで連行される。しかし、まだ停止していない電車のドアが開くはずもなく、痺れを切らしたハルのソワソワとした足踏みをする様子がヒーローショーを待ちきれない子供の図と重なり、思わず吹き出しそうになった。


「ハルの行きたかった所ってここか?」

「うん。そうだよ」


 駅から歩いて約二十分。山間やまあいの中にポツンと佇む建築物が一つ。ここは【一ノ宮プラネタリウム館】。県内屈指のフルパノラマの星空を再現した観光名所の一つ。


「ハル、お前星好きなのか?」

「うん。天体とか夜空のお星様を見るの大好き。でも、何より……」

「何より?」

「来てみたかったんだ。男の人との初めてのデートで」

「はっ、初めて!? お前今まで付き合った奴とかいないのか?」

「そんなのいないよ。そもそも誰かをその……(好き)になるなんて思いもしなかったし……」


 だからハル。それ無駄な抵抗なんだって! 思いっきり聞こえてるから。その部分だけ小声にしてもこの距離だったら聞こえちゃうから。モジモジと胸の前で手を弄ぶハルとばつの悪そうにそっぽを向く俺。先に切り出したのはハルの方だった。


「じゃ、いっ、行こっか?」

「お、おう。そうだな」


 ギクシャクとした空気を漂わせながら俺たちは受付で入館料を納め、館内へと足を踏み入れた。

 

「おー、なんか映画館みてぇ」


 分厚い茶色のドアを開いたその先には円形の真っ白な壁とワインレッドの毛羽立った座席が放射状に設置されており、俺たちは幸運にも真ん中の特等席に案内された。


「ひょっとして杏太郎プラネタリウム見るの初めて?」

「おう。この歳にもなって恥ずかしいけどな」

「別に恥ずかしがることじゃないでしょ。でもそっか……初めてか」

「どうかしたか? ハル?」

「ううん、なんでも。ただ、杏太郎のもらちゃったなぁって」

「おまっ……言い方! その言い方だとまるで俺の——」

「しー!しー! 杏太郎。プラネタリウム始まっちゃうって!」


 ハルが口元に指を当てた瞬間、周りの明かりがフッと消滅し瞬く間に暗闇の中に吸い込まれていく。


 俺が初めてのプラネタリウムに心を躍らせていると、ふと右手に心地の良い温もりを伴った柔らかな感触が舞い降りた。かろうじてオレンジ色の非常ライトが点灯していたからそれがハルの左手だと瞬時に理解できた。


「ハルっ! お前何やって——」

「ごめん。杏太郎。でもどうしても私、杏太郎と手を繋ぎながらプラネタリウム見たかったの」

「んなこと言われても……」

「今日一日私のわがまま聞いてくれるって言った。杏太郎、朝そう言った」

「いや言ったけど……」

「お願い杏太郎……だめ?」


 俺の右手がキュッと強く握られる。いじらしく瞳を潤ませるハルの顔を見てしまった俺は今ここでこの手を振りほどくことなんて出来ないと観念し、ため息交じりに彼女のお願いを聞くことにした。


「はぁー……。今日だけだからな?」

「ありがとう……杏太郎。杏太郎はほんと優しいっ!」

「ハイハイ。それよりほら、天井見てみろ。めちゃくちゃ綺麗だぞ!」

「うわぁぁ……」


 夜空を投影したドーム状の壁面に、まるでダイヤの粒子を吹きつけたかのように煌々と輝きを放つ星々たち。皆、大きさが異なっており中には赤褐色や群青色の恒星まで姿を見せている。俺とハルはこの幻想的な空間でお互いの体温を感じながら同時に心を震わせていた。


「来てよかった。ありがとなハル」

「お礼をいうのはこっち。今日は付き合ってくれてありがとう杏太郎。私今、すんごく楽しい!」


 俺たちは他の人たちに気付かれることなく同時に互いの目を合わせると、まるで計ったかのように同じタイミングで満開の笑顔の花を咲かせるのだった。

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