第13話 油断大敵
ハルとのデート(?)を終え、俺たちは帰宅の途につくために駅前の広場を二人並んで歩いていた。
「あ〜、今日はほんと楽しかった。ありがとね杏太郎」
「おう。なんだかんだ言って俺も楽しかった。まさかプラネタリウムがあんなに綺麗なモノだったとは知らなかった」
「でしょ? 他にも3Dとかを使った最新のモノもあるんだよ。またこうして杏太郎と観れたら良いなぁ」
天を仰ぎながら頬を紅潮させるハルの横顔を見ながら、俺は照れ臭そうにわざとぶっきら棒にハルに呟いた。
「まっ、時間ができたらそのうちな?」
ハルは俺のその言葉を聞き、パァーッと顔を明るくさせると『うんっ!』と元気よく返事をした。
〈幸せ〉とはこういうことを言うのだろうか。自分を大切に思ってくれる人が横にいて、その人と何気ない時間を過ごせる。きっとそういうのを多く積み重ねることこそが本当の幸福なのだろうと俺は思う。
そして今この瞬間の俺もきっと……と、この時の俺は人生で一番心が緩みきっていた。だからこそ、このすぐあとに起きるハプニングを呼び寄せてしまったのだ。
その事件は後ろから届いた清流のような澄み切った声から始まった。
「先輩……? 乃木先輩ですよね? 奇遇です!」
その声に気付き、彼女の姿を視界に入れた瞬間、俺は自分の油断と不運を激しく呪った。
「みっ……御影? どうしてこんなところに……」
「今日は会社が休みだから駅前でショッピングしてたんです」
「そ、そうか。一人でか?」
「はい。そうです。アキちゃんは用事が——」
言いかけたところで言葉を詰まらす御影。そりゃそうだ。今、俺の隣にはハルというそれはそれは成人には見えない女の子が寄り添っているのだから。
「あの……乃木先輩……その子は……?」
「あー、とりあえず落ち着け御影。瞳孔開いてんぞ? ここじゃ何かと目立つ。あそこのハンバーガ屋にでも入らないか?」
「はっ……は……い……」
心ここに在らずといった様子の御影は俺の後をまるで幽霊のようについてくる。俺は、『ねぇ杏太郎? この人だれ? ねぇってば!』と言うハルの質問の猛攻に耐えながらエムの文字が綺麗な某ハンバーガ屋に逃げるように入店した。
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「つまり、この子は親に売られ危うくヤクザの人たちに捕まるところだったと」
「そうだ」
「そして、たまたまその子と出会った乃木先輩は偶然当たった一千万でこの子を助けたと」
「そう」
「その後、この子のことが心配になった先輩はちょくちょく様子を見るために不定期に会って、近況とかを聞いているのだと」
「……そ、そうだ……」
最後のは嘘である。まさか一緒に住んでいるだなんて馬鹿正直に言えない。ハルともさっきアイコンタクトで示し合わせた。なぜかその時ハルが妙に不機嫌だったのが気になったが今はそんなことを気にしてる余裕はない。ここまでの説明に抜かりはないはずと高を括った俺であったが……
「しっ、信じられません……話に出てきた国家権力にも抗えるヤクザというのも
まぁそうなるか。俺もこんな話を聞かされて「はい、そうですか」なんてすぐには受け入れられないもんな。俺がこの後、どうやって御影を納得させるか思案しているとハルのこの状況には似つかわしくないワントーン高めの声がその場に響いた。
「なんで? 杏太郎の言ってることはほとんど真実だよ? ねぇ? 杏太郎?」
「お……おう」
「杏太郎があの時いなかったら今頃私はどうなっていたか。杏太郎は私の命の恩人だよ!」
「こっ、こら急に抱きつくな!」
「えぇ〜いいじゃん。このくらい〜」
キャッキャッとはしゃぐハルを満面の笑みで見つめる御影。だが、その表情からは冷気とも言える得体のしれないオーラが放たれており、俺の心臓をキュッと縮ませる。
「ハルちゃーん。そんなにくっついたら先輩の食事の邪魔じゃないかなー?」
御影の普段とは違った感情の失せた声がハルに届くが、彼女は意にも介さず俺から少しも離れない。
「そうかな? 杏太郎はそんなこと思ってないと思うけど? なんだったら私が「あーん」してあげよっか? 杏太郎?」
ピクピクッと頬を痙攣させる御影。
「あとさっきから思ったんだけど。杏太郎先輩はハルちゃんから見て年上だよね? だったら呼び捨てじゃなくて「さん」とかをつけた方が良いんじゃないかなー?」
「えー? 杏太郎は杏太郎だよ。今更呼び方を変えるなんて変だよ。ねー杏太郎?」
わー。ギリッと奥歯を噛みしめる音がするー。きっと御影だろうなー。などと少年に戻った気持ちで実況する俺であったがもう限界だ! やめて二人とも! 君たちが何か言葉を発するたびに俺の心臓がキューってなってるの! わかる? これ以上されたら俺は心停止するよ? ここで泡吹いて倒れるよ? だから二人で睨み合うのやめて? 俺だけにしか見えない火花を散らすのやめて? お願いだから〜! ポテトとナゲットあげるから〜! などと心の中で情けのない声を上げ続ける俺の願いが届いたのか、御影はハルとのメンチの切り合いを中断し『はぁー』と大きく溜息を
「……わかりました。信じます。先輩は嘘をつく人じゃないですし。第一、虚偽の理由を作る意味もないですしね」
「そ、そうか信じてくれるか御影。ありがとう」
御影の『嘘をつく人じゃない』という言葉に若干の後ろめたさを感じながらも俺はホッと胸をなでおろす。
「それで……お願いなんだがこのことは俺と御影の二人だけの秘密にしてほしい。会社の奴らにバレたら色々面倒なことになるのは明白だからな」
「……わかりました」
「本当かっ!? さすがは御影。物分かりがいい!」
俺は御影の言葉を鵜呑みにし再度胸をなでおろすのだが、俯いた彼女が何を考えていたかまで配慮すべきだったと後悔することになるとはこの時思いもしなかった……。
すっかり日も落ち、人もまばらになった夜の駅前。電車で帰宅するという御影をホームまで送ろうと歩いていた俺たち一行。そんな時だった。不意に御影が俺の服の袖を引き、歩みを止めたのは。当然、それに気付いていないハルは先に先に行ってしまい距離が離れていく。
「……? どうした御影? なんかあったか?」
「……条件」
「ん? なんだって?」
小さくボソリと呟かれた彼女の言葉を俺は聞き取ることが出来ず聞き返してしまう。
「先輩。さっきの話を口外しない代わりに一つ条件を出しても良いですか?」
「条件……? なんだ?」
言葉では冷静さを保っていたが、この時の俺は正直驚愕していた。あの御影が交換条件を出してきたということにも勿論だが、何より彼女のその真剣な表情に一番驚かされた。そして大きく息を吐き、意を決した彼女の口から出た言葉はなんとも予想外のものだった。
「来週のお休みの日。私ともお出かけしてくれませんか? 勿論、ハルちゃんには内緒で」
ハルには内緒? どうして? 初めのうちはその部分に引っかかっていた俺であったが、休日の日に出かけるだけならと二つ返事でOKをした。
「あぁ、わかった」
「ほっ、本当ですか!?」
「おう。そんなことならお安い御用だ。今度の休みだな? 了解」
「あっ……ありがとうございます」
「なんで御影が礼を言うんだよ。“条件”なんだろ?」
「あっ、はい。そうでしたっ……」
「……?」
下を向き、真っ白な肌を紅く染めた御影は小さく『よしっ』と呟いたのだが、その直後にかけられたハルの大声に飲まれ、俺がそのつぶやきを聞くことはなかった。
「二人とも〜? 何してんの〜? 置いてくよ〜?」
「お〜。今行く」
俺は、街灯に照らされた道で手を振るハルの元へ急いで駆け寄っていくのであった……。
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