第二章 ハルVSフユノ。 〜春・冬戦争勃発です!〜

第24話 私があの日見たものは……

 平日の勤務を終え、自宅のアパートに帰宅した私は部屋の電気をつけながらふぅっと息を漏らした。今日も忙しかったな。先輩の話だとこの時期うちの会社は繁忙期に入るらしく猫の手も借りたいほど忙しくなるらしい。その忙しさに打ちのめされクタクタになった私は早く今日の疲れを癒そうと、浴室の湯沸かし器を起動させた。


「今日は柚子風呂にしようかなぁ? あっ! ヒノキのやつもいいな♫」


 私の一日の楽しみはお風呂で、中でも入浴剤を選んでいる時が一番楽しい。だから私の心は今ウキウキ気分で仕方がない。——なんて。そんなの嘘だ。今の私の脳内には目の前の入浴剤のことよりもがこびりついて離れない。


「乃木先輩……あの時ハルちゃんと確かに抱き合ってた。どうして? 二人はそういう関係なの? でも以前会った時はハルちゃんは乃木先輩のことを命を助けてもらった恩人って言ってた。あれは嘘だったの? それになんであんなところにいたの? あそこって確か児童養護施設だよね。警察の人もいたし、野次馬もすごかった。一体あそこで何があったの……?」


 ぐるぐると回る思考に答えが出ないまま、良からぬ考えだけが次々と出てくる。二人が仲良く歩く姿を想像したところで給湯器の湯張り完了メロディーがその場に流れ、私を現実に引き戻した。


「あ〜! もう! やめやめ! ここでウジウジ考えてても仕方がない。早くお風呂入っちゃお」


 目の前で乱暴に腕を振り、ネガティヴシンキングを払った私は一度スーツを脱ぐために部屋に戻り、下着にストッキング姿という異性に(特に乃木先輩に)見せられないようなはしたない姿で廊下を歩きながら、ヘアバンドを頭につける。


 浴室から届く酸味の効いたゆずの香りに気づいた私は、口を尖らせ一人呟いた。


「やっぱりヒノキにしとけばよかった……」


 今日の一日の疲れを流し切るのに私は二時間のバスタイムを必要とした……。



****

****


「あれ? アキちゃんからメッセージきてる」


 お風呂上がり。黒のタンクトップに白のショートパンツというこれまた絶対に人に見せられない格好をした私はなかなか体から出ていかない熱に悪戦苦闘しながら、机の上の携帯を手に取る。


〈ごめんね。お風呂入ってて返事遅れちゃった!〉


 アキちゃんからの返信は数分と待たずすぐにきた。


〈だと思った。気にしないで。この間一緒に行ったアンテナショップの入浴剤使った?〉

〈うん。今日使ったよ。でも私的にはあの香りちょっとキツイかな。なんか口元が酸っぱくなっちゃう感じ〉

〈そっか。私が買ったバラの香りはねぇ……〉


「……? なんで二通に分ける必要が——」


 途中で分断されたメッセージのすぐ後にすかさずアキちゃんから鼻の穴を大きく広げた気持ちの良さそうな顔のクマスタンプが送られてきた。


「ブフッ——! 何これ〜! アキちゃんこんなスタンプ持ってたんだぁ」


 その後画面に表示された『たちまち森のセレブ!』というアキちゃんのメッセージに膝から崩れ落ち二度目の笑い声をあげる私。


〈ちょっとでも元気でた? フユノ?〉


「アキちゃん……」


 アキちゃんとは高校からの付き合いで三年間同じクラスということもあり、その親交度は他の友達より頭一個抜けている。だからこそお互いの感情の機微には敏感であり、元気のなかった私にいち早く気付きこうしてねぎらいのメッセージを送ってくれたのだろう。


 目尻についた笑い涙を指で拭い、親友からの温かい気遣いに私はすぐに返信を返した。


〈ありがとう。アキちゃん。おかげで元気マックスだよ!〉

〈それは良かった。ねぇフユノ? 私たち同い年だし、偉そうなことは言えないけどなんか嫌なこととか困ったことがあったらいつでも言ってね? 相談くらいは乗ることができるから〉


「うぅ〜……。優しすぎるよぉアキちゃん」


 私は思わずスマホを抱きしめながら、今自分の中にあるモヤモヤをアキちゃんに話すかどうか悩んでいた。でも、誰かに話すことで何か解決策が見つかるかもしれない。そう思った私は乃木先輩との約束を犯さない程度にやんわりとあの状況と私の心境をアキちゃんに吐露した。


〈……なるほど。フユノの好きな人にはパートナーを匂わす第三者がいて、はっきり恋人関係かはわからないけどフユノはその二人が抱き合うところを見たと〉

〈うん〉

〈そしてその人を諦めきれないフユノは今どうしたらいいかわからないと〉

〈う、うん!〉

〈あのさ、フユノ?〉

〈うん?〉

〈これって悩む必要あるの?〉

〈へ?〉

〈だってこんなの本人に聞けばすぐにわかることじゃん〉

〈イヤイヤ! 私にそんな度胸はないよ! それにそれができてたら今こうしてウジウジ悩んでたりしないよぉ〉

〈じゃあその人のこと諦める?〉


 『諦める』。画面に映ったこの文字を見て私は素早く立ち上がり、大声をあげた。


「いやだっ! 絶対に諦めたくない! 私は乃木先輩のことが大好き。男の人をこんなに好きになったのは初めてなの。だから……だから絶対に——!」


 私ははやる気持ちをそのまま文面に乗せながら、高速でフリック入力する。


〈そうだよ。フユノ。その意気。誰かに振り向いて欲しいならその人が振り向くのを待つんじゃなく振り向かせなきゃ。そこに男も女も関係ない。欲しいものは自分から取りに行く。それが現代を生きる女の処世術だよ〉

〈うん。そうだね。待ってるだけじゃ何も始まらないよね〉

〈そうそう。もし望まない結果になったとしても私がそばにいるから。何時間でも何日でもフユノの愚痴を最後まで聞いてあげるから〉

〈うぅ……私アキちゃんと友達になれて良かったよぉぉ〉

〈こらっ! そういうセリフはその恋愛が成就した時に聞かせなさい!〉 

〈ごめんなさい〜〜!!〉

〈じゃ明日も仕事だしこの辺でお開きにしますか〉

〈うん。そうだね。アキちゃん今日はありがとね?〉

〈いいよ。別に。フユノは笑ってる時が一番可愛いんだから。その顔が早く見たいだけ。明日、応援してるね。じゃおやすみ〜〉

〈おやすみ〜。また明日会社で〜〉


 アキちゃんとのやりとりを終え、私は未だ火照った顔を冷まそうと部屋の窓を開け外の空気を肌で感じた。


「そうだよね。行動しなきゃ始まらないよね。うん。ありがとうアキちゃん。明日、乃木先輩に聞いてみよう。あの時、どうしてハルちゃんと抱き合っていたのか。彼女は先輩のなんなのか」


 夜風になびく自分の黒髪を見ながら私は、二人のあのシーンを再び思い起こし、眉間にシワを寄せた。


「でも、本当に『恋人です』って言われたらどうしよぉ〜。もう絶対立ち直れない! 私、立ち直れないぃぃ〜〜。いやいやまだそうと決まったわけじゃ……うー、でもぉ……」


 雲ひとつない真っ黒な夜空の下で苦悩する私をまん丸のお月様が煌々と見下ろしていた……。

 

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