第20話 置き手紙

 深夜。信号も点滅を繰り返し、人の気配が一切絶たれた静寂の中を俺は一人トボトボと歩いていた。志木さんとの酒の酌み交わしはあの後閉店ギリギリまで続き、俺は慌てて彼らに挨拶を済ませ爆睡中の有村を何とか目覚めさせるとすぐにタクシーを呼び、彼を家まで送り届けた。その後、なぜか歩きたい気分に駆られた俺はタクシーを降り現在、夜のとばりの中を徘徊しているというわけだ。


「なんか昼間とはまた違った感じがするな。当たり前か。今、深夜一時過ぎだもんな……」


 俺のその独り言は真っ黒なアスファルトの道に消えていく。少し歩いたところで俺はその日ハルがポツンと一人立っていたあの街灯のそばを通りかかる。


「ここで何時間も……いつ通るかもわからない俺をアイツは待ってたんだよなぁ……」


 眩く足元を照らす白熱灯の光を見ながら、その中に佇むハルの幻影を見た気がした俺はこれ以上この場にいられなくなり、歯がゆい気持ちを押し殺しながら早歩きで立ち去る。


「“覚悟”……覚悟って何のことだよ……なぁ志木さん、俺は一体どうすりゃいいんだよ……答えなんて何にも出ちゃいないんだよ……」


 コツコツと地面を鳴らす靴の音が段々早くなり、俺は気がつくと走り出していた。


「ハルを取り戻したいっ……だけどそれが本当にアイツのためになるのか……? 俺と居てアイツは本当に幸せになれるのか? わからない……俺が何をすべきなのかも、何をしたいのかも……」


 吐息と共に口から出るその情けのない言葉たちはとどまる事を知らず、俺は家に着くまでその脚とそのつぶやきを止めることはなかった。


「ただいま……って、もう言う必要もないか……」


 息を切らしながらドアの鍵を開け、ついポロっといつもの挨拶をこぼした俺は自分で自分の言葉をあざけりながら靴を脱ぎ、真っ暗な廊下を進みながら居間の電気を点ける。


 パッと白い光がその場を照らし、机の上に置かれた紙の存在を俺に知らせる。それはあの日、ハルが置いていった手紙だ。真っ白な紙にびっしりと文字が書き込まれたハルの最後の手紙。俺はもう一度その手紙に目を通すことにした。


〈杏太郎へ。


 なんか、手紙を書くのって照れるね。言葉を交わすのは平気なのに何で手紙になると変に緊張しちゃうんだろう? 不思議だね?——


「何だそりゃ。疑問で始まるってこんな手紙の書き出しあるかよ」


 俺は読みながらハルの手紙にツッコミを入れる。


 ええと、まず! 杏太郎に言いたいことがあります。昨日も洗濯物全部裏返しでした。猛省するように! あれ直すの意外に面倒なんだからね?——


「すいません……つい忘れちゃうんです」


 でも、すぐに謝罪する杏太郎に免じて許してあげちゃう。優しいハルちゃんに感謝だよ?——


「はいはい。ありがとう」


 あと、杏太郎は食事に無頓着すぎます。三食毎度きっちりしろとは言いません。お付き合いとか忙しさとかあるしね。でもお野菜とできればお魚、あと発酵食品なんかも食べてバランスのいい食事を心がけてほしいのです。人間、体が資本だからね。——


「いや、オカンかっ! でもハルの料理には毎回感謝してる。ありがとう」


 どうせ今日のお昼もまたファーストフードかコンビニで済ませる気だったでしょ? そうくると思って冷蔵庫に今日の朝ごはんと夕ご飯を入れといた有能なハルちゃんなのです。レンジで温めてちゃんと全部食べるべし!——


「うまかったよ。全部」


 あと、お風呂掃除とか掃除機もこまめにかけること。毎日の積み重ねが大事なんだからね?——


「できるだけやってみます。できるだけ……」


 突然こんな事を手紙にしたのには理由があります。実は、私、この家から出ていく事を決めました。——


「…………」

 

 いきなりでびっくりだよね? この手紙を杏太郎が読む頃には私、そこには居ないんだもん。自分から〈恩返し〉に来た! って言ってたのに何だそりゃって話だよね。でも出て行きます。ごめんなさい。理由はそうだなぁ、ズバリ! 何となくです。何となくこの生活に飽きちゃったんだよね。最初は新婚さんみたいな生活にドキドキしてたけどもうそれも飽きちゃった。だから出て行きます。——


「……嘘が下手だよ……お前……」


 こんな最低な私だから杏太郎に何を思われても平気なのです。だから今自分が思ってる事を全部書いとくね? 


 杏太郎。こんな私を助けてくれてありがとう。

     こんな私を部屋に入れてくれてありがとう。

     こんな私の料理を美味しいって言ってくれてありがとう。

     こんな私とデートをしてくれてありがとう。

     こんな私にいろんなプレゼントをくれてありがとう。


 そして、こんな私と出会ってくれてありがとう。


 以上です。杏太郎、ごめんね。そして本当にありがとう。

 小鳥遊ハル。——


「ハル……これで終わりとかそんなのねぇだろ……」


 俺はハルの置き手紙に顔を押し当て、目頭から涙を流す。そしてそのまま床に崩れ落ちてしまった。


「ハルっ……俺はお前に会いたい。会ってお前を抱きしめてやりたい。だけど、それが本当に正しいのか分からない。もし、間違っていたら俺はお前の人生をめちゃくちゃに……なぁハル、俺はどうすりゃ——」


 その時だった。手紙に落ちた俺の涙が文字を滲ませ、そのまま何かの溝を浮き彫りにしたのは。それはハルが。感情の乗った筆圧は強く文字を刻み、消した後でもそこに残っていたのだ。


 俺は急いで手紙を蛍光灯に晒し、そこに映し出される内容を確かめた。目を細め凝視しなければ分からない見にくいものだったが、俺にとってそれは何よりのアイツからのメッセージに違いなかった。


 行きたくない。杏太郎ともっと一緒にいたい。大好きな杏太郎の隣で一生寄り添っていたい——


 それがハルの本当の思い。それこそが一番俺に伝えたかった事。その事実に気づいた俺は居ても立っても居られなくなり、急いでスマホでを検索した。それは途方も無い事で世間一般の常識から逸脱していることを自覚していた。だが、今の俺にそんな雑念は一切存在しなかった。


「はっ、半年……半年もかかるだって!? ダメだ! それじゃ間に合わない。クソッ! やっぱダメか……もうアイツを助ける手段はないのか……」


 そう諦めかけた俺の目にスマホの画面が映り込む。その瞬間、俺はある人の元に電話をかけていた。


【……もしもし】

「——っ! もしもし! 俺だ! 乃木杏太郎だ。こんな深夜いや、ですまない志木さん。折り入って話があるんだ」

【…………】

「志木さん……?」


 電話口の向こうの志木さんは俺の声を聞くなり黙ってしまったが、すぐさまあのドスの効いた声でクスリと笑った。


【その声。どうやら覚悟が決まったみたいだな?】

「あぁ。決まったよ。そして志木さんの言ってた意味がようやく分かった気がする」

【そうかい。んじゃその話ってのを聞こうか】

「あぁ、けどその前に質問があるんだが、志木さんの組みは警察に多大な力を持ってるって本当か?」

【まぁ。そうだな】

「その力は“国”に対しても有効だったりするか?」

【そうだな。ある程度は……】

「だったら相談なんだが——」


 俺は今考えているハルを取り戻す方法を志木さんに話した。もしかしたら彼に否定されるかもしれない。止められるかもしれない。だけど、俺はもう迷わない。たとえ誰に何を言われても止まる気は無い。もう覚悟を決めたのだから。


【正気かい? 兄ちゃん? それはもう後戻りは出来ないいばらの道への片道切符だぜ?】

「その通りさ。普通の大人ならまず選ばない選択だろうな。だけど、俺はどうしてもハルを取り戻したい。そのためならどんな試練や苦難も乗り越えてみせるさ」

【よく言った。それでこそ男だ。ただし、これだけの案件だ。一つ条件がある】

「条件? 金か? それなら一生かかっても必ず返す。だから——」

【バーカ。チゲェよ。金より良いもんがあるだろ?】

「……?」

【また俺と一緒に酒を飲もうや。そんでその時にあの嬢ちゃんとのエピソードを聞かせてくれ。あれは良い酒のさかなになる!】


 俺は強張った肩の力を抜き、笑いながらその質問に答えた。


「そんなのでよけりゃ、朝まで話してやるよ」

【よし! 決まりだ。忘れんなよ? 二日待て。オジキに頭を下げてみる】

「悪いな。こんな俺のワガママに付き合わせて……」

【気にするな。俺がいつでもかけてこいって言ったんだ。それより、しっかり気張れよ? ここが兄ちゃんの正念場だぜ?】

「あぁ。分かってる。失敗はしないさ」


 俺はそう言って志木さんとの通話を終えると、再びハルの手紙に目を遣った。


「待ってろハル。絶対お前を取り戻してみせる」


 俺のその呟きは、月夜つきよの暗闇に静かに消えていくのだった……。


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