第19話 酒と覚悟と若頭

 おかしい。何でこんなことになっている? 俺は傷心した自分を気遣ってくれた有村と行きつけの居酒屋で酒を酌み交わしていたはずなのに、気が付けばその同僚は真っ赤な顔をして机に突っ伏し寝息を立てており、俺はと云えばハルを連れ去ろうとしたあのヤクザの若頭(?)とその子分に囲まれ針のむしろのような状況に陥っていた。あー! 帰りたい!


「どうした? あんちゃん。そんな借りてきた猫みたいなツラして。あっ、そうか。こいつらだな? せっかくの酒の席に周りを囲むは野郎連中の大所帯。女の一人でも欲しいってか?」

「……いや、そうじゃない……」

「……?」


 俺は意を決し、思いの丈を吐き出そうと拳を握りながら言葉をひねり出す。


「あんたらはハルを売ろうとしたヤクザ達だ。あの時のことは今も鮮明に覚えてる。そんな奴らと楽しく酒なんか飲めるはずがないだろ……」

「…………」


 若頭の男は俺の言葉を黙って聞いていた。てっきり『何だとぉ!?』などと怒号を響かせながら胸ぐらを掴まれるんじゃないかと思っていたが、彼の表情はいたって冷静でゆっくり焼酎に満たされたグラスを傾ける。


 痺れを切らしたのは子分の大男とその取り巻きで、彼らは一斉に立ち上がると他の客の注目など気にしないと言わんばかりに先ほど俺が想像した言葉を野太い声で再生した。


「何だとぉ!? テメェもういっぺん言ってみろぉ!! 若がせっかく誘ってくれたってのにテメェは——」

「静かにしやがれヤス! ここをどこだと思ってやがる! 他の客がテメェらには見えねぇのか!」

「わっ、若……しかし——」

「しかしもクソもねぇ。ここは酒を楽しむ場だ。喧嘩してぇなら他所に行け」

「す……すいやせん……」


 若頭の一喝に大男を含めた子分達はシュンとなり、すごすごと納得のいっていない顔を俺に向けながら椅子を直し着座した。


「騒がせて悪かったな兄ちゃん。アンタの言う通り俺たちはヤクザで、やってることはお天道様に胸を晴れることじゃない。だが、ヤクザもんが酒を飲んじゃいけないなんて決まりはねぇだろ?」

「そりゃあそうだけど……」

「それに勘違いするなよ? 兄ちゃん。俺たちがやってるのは金の貸し借りだ。強奪じゃねぇ。借りたもんは返す。これは世の中の常識だろう?」

「…………」

「まっ! 俺が言いてぇのは兄ちゃんは兄ちゃんの、俺らには俺らの生き方ってもんがあるってことだ。んでもってそれらは酒の前じゃ関係ねぇ。そこに立場や境遇を持ち込むってのは野暮ってもんだぜ。今、ここには旨い酒とつまみがある。なら楽しまなきゃ損だぜ? な? 兄ちゃん」


 俺はゆっくりと焼酎の瓶をこちらに向け、俺のグラスに注ごうとする彼のしゃくをぎこちない動作で受けた。彼の言葉の全てを受け入れたわけではないが、彼の言い分が間違っていると断罪できるほど自分が高尚な人間ではないことに気付かされたからだ。無言で灼を受け取った俺を見て、彼はおよそ極道には似つかわしくない柔和な笑顔を浮かべると再びグラスに口をつけた……。


「……で? あの後どうなったんだい?」

「あの後……?」


 彼から突然質問が飛んできたのは、俺が三杯目の焼酎を飲み干したあたりだった。


「あの嬢ちゃんとのことだよ。どこで何をしてるかくらい聞いてんだろ?」

「……聞いてるも何も……」

「……?」

「あの後アイツ——ハルとは一緒に住むことになったんだよ」

「いっ、一緒に……住む……?」


 彼は俺の言葉にとても驚愕した様子でギギギと音が聞こえるかのように首をゆっくり俺の方に向けた。そりゃ未成年と一つ屋根の下に住んでるサラリーマンがいたらこんな顔になるか。世間一般にはおかしいことだもんな。次の発言の内容を考えていた俺だったが突如、わなわなと震え始めた彼に思わずギョッとする。


「お……おい。大丈夫か? 飲みすぎたのか?」

「んだよ……れ……」

「へ?」

「なんだよその面白エピソードは!! なんでもっと早く言わないんだよっ! おい! じっくりその話を聞かせてくれ! いや、待て! そもそもどうしてそんな状況になったのかをはじめに教えてくれ!」

「お……おう……えっと、始まりは——」


 俺はハルとの馴れ初めを一から話しながら、なんとなくこの人に抱いていた恐怖心や憎悪感が少しずつ薄れていっているのを悟った。そして、彼にハルのことを話すたび彼女と過ごした日々や彼女の笑顔が頭の中に去来し、傷ついていた心が少し修復されていく感じがした。


「……なるほど。そんで今に至ると……」


 『ふぅむ』と唸った彼はグラスに残った焼酎を一気に飲み干し、トンっと机に音を鳴らしながら叩きつけた。


「最高だった! 最高の酒のさかなだった。いや〜、最初に会ったあの時から兄ちゃんのことは気になってはいたが、まさかここまで面白いやつだったとは」

「お気に召してもらえてよかったよ」

「んじゃ今日も兄ちゃんの帰りを家で一人待ってるんじゃないのか?」

「いや……それは……」

「……?」


 俺は今抱えている問題を正直に話すことにした。ハルが俺の元を去ったこと。去った理由。俺が彼女に会いに行けないでいること。俺の迷い。今、心の中に溜まっているモノ全てを彼に吐き出した。せきを切ったダムから水が流れ出るように俺の口は止まらなかった。彼はそんな取るに足らない俺の話を口を挟むことなく最後まで真剣に聞いてくれていた。


「……話はこれで終わりかい?」

「あ……あぁ」

「そうかい」

「…………」


 その場に流れる沈黙という二文字。いや、正確に言えば隣でドンチャン騒ぎをする彼の子分達や他の客の話し声も飛び交っているのだが、今の俺にはその雑多な音は届かないでいた。


「それで? 兄ちゃんはどうしたいんだ?」

「どうしたいって……それは……」


 言葉を濁す俺を見て、ふぅと息をついた彼はぼそりと何かを呟いた。


「……覚悟」

「え……?」

「兄ちゃんには“覚悟”が足らねぇんじゃないのかい?」

「覚悟?」

「男にはよ、ここぞって時にはケツの穴締めて覚悟を決めなくちゃ行けねぇ時があんだよ。兄ちゃんは今まさにそんな状況さ。でもアンタはから逃げてる」

「俺は逃げてなんか——」

「いいや。逃げてる。なぁ。兄ちゃん。アンタの中ではもう答えは出てるはずだぜ。いい加減目を背けるのをやめろ。その事実から目を背けてたらいつまでたっても兄ちゃんの顔は晴れないぜ?」

「何を言って……」

「なぁ、兄ちゃん今、携帯持ってるかい?」

「……? 持ってるけど……」


 と、俺は男に促されズボンの尻ポケットからスマホを取り出し、画面を起動させる。待ち受けに設定したハルと行ったプラネタリウムの星空が映し出され、再び落ち込もうとする俺だったがヒョイっと彼にスマホを奪われそれどころではなくなった。


「あっ、おい! 何する——」


 彼は俺の手をひらりひらりと巧みに避けながら、ロックの解除された俺のスマホにポポポッと何かを入力する。なんかこの映像前にも見たな。


「ほら、これ。俺の携帯番号。何か困ったことがあったらいつでも連絡してきな。大抵のことには乗ってやれるはずだぜ? でも最後に決断するのは兄ちゃん。アンタだ」


 彼は右手に持った俺のスマホを差し出し、猛獣のような鋭い眼光を俺に向ける。


「さっきから何を言ってるんだ? 答えとか決断とか、アンタの言ってることが分かんねぇよ。覚悟って一体何のことだよ?」

「じきにわかるさ。それにその『アンタ』ってのは今日でやめにしてくれ。俺の名は志木。神成組しんじょうぐみ若頭、志木龍之介だ。よろしくな」


 彼——志木龍之介を顔を見て俺は、これから紡がれる彼との絆は長くそして深いものになるのだろうと何となく思ってしまった。

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