第4話 放っておけない!

「待てよっ!」


 その声は奴らの足を止めた。


「アァ……? んだてめえは?」


 俺の叫びに反応し、振り返った大男が突き刺すような鋭い視線をこちらに向ける。普段の俺ならビビって腰を抜かすような凶悪な顔面だが、今は不思議と恐怖を感じない。ボクサーがアドレナリンが出てる時は痛みを感じないっていうアレか? うん、きっとそうに違いない。


「おっ……お兄さん……なんで……」

「……? 知り合いか?」

「あっ、いや……」


 もう一人のオールバックの男が彼女に質問するが、彼女は答えず黙りこんでしまう。おそらくここで知り合いと言ってしまえば俺まで巻き込んでしまうのではないかと心配したのだと思う。


「知り合いだからなんだってんだぁ? サツにでもチクろうってか? やれるもんならやってみろよ!」


 大男が怒号を響かせながらこちらに歩み寄ってくる。そして、俺の目前にまでやってきた彼は鼻先が触れんばかりの距離に顔を近づけ俺を威嚇する。


「聞いてんのか? てめぇ? 通報するならやってみろって——」

「お前らは金さえ手に入ればいいんだろ?」

「アァ?」

「その子の親が借りたっていう金が戻ってくれば、それでいいんだろって聞いてんだよ」

「……てめぇ何ほざいてんだ? アァ⁉︎」


 男が青筋をこめかみに立てながら、俺の胸ぐらを乱暴に掴み片手で俺の体を浮かす。


「や……やめて! その人は——」

「やめろヤス! カタギに手を出すんじゃねぇ!」

「……へっ、へい! すいやせん若」


 男の一喝に従い、俺から大人しく手を離した彼はわずかにその身を震わしていた。よほどの力を持っているのだろうと彼の様子から俺は悟った。


「お前も大人しくしてろ。なぁ、あんちゃん。この子からそう聞いたのか? 大方間違っちゃいないがそれがアンタとなんの関係があるんだい?」


 大男の凶行を止めようとして飛び出そうとした彼女を制止し、彼女の動きを簡単に封じたもう一人の男は、冷酷な瞳を俺に向けながら質問を投げかけた。


「その子の……いや、その子の親が借りた金ってのはいくらなんだ?」

「……八百万。プラス延滞料が加わって九百ちょっとだ」


 俺はその言葉を聞いて少し安堵した。もし、俺の持っている金が足りなかったらどうしようかと不安になっていたからだ。だが、九百ちょっとならOKだ。なぜならこの中には——


「ここに一千万入ってる。これをやるからその子を自由にしてほしい」

「ハァ……? てめぇホラ吹いてんじゃ——」

「確かめろヤス」

「若っ⁉︎ でもこんな奴の……」

「確かめろつってんだよ。同じことを言わせるな」

「……へいっ!」


 大男は俺からアタッシュケースを乱暴に剥ぎ取ると、二つのロックを外し開封した。その瞬間、驚愕で目を見開き言葉を失った。


「どうだヤス?」

「……へっ、へい! 確かにありやす。あっ、いや一千万あるかは分からねぇですがポン札(百万円の一束)が大量に」

「そうか。数えろ。帯封おびふうも一応外して確認しろ」

「へい」


 命令されるや否やすぐにケースの中身を数え始める大男。俺はそれを黙って見ていたが、オールバックの男はずっと俺をガン見していた。やがて痺れを切らしたのか彼女を引き連れ俺たちの近くまで歩み寄ってきた。


「数え終わったか?」

「へい。確かにポン札が十束、合計一千万ありやす。帯には銀行の印があるので偽札ではないっす」

「……そうか」


 若と呼ばれし男は少し黙り込んだ後、俺の方へゆっくりと顔を向け再び質問を始めた。


「兄ちゃん。アンタこの子のなんだ?」

「……別になんでもねぇよ。ほんの三十分前にその子に逆ナンされた赤の他人さ」

「その赤の他人が見ず知らずのガキのために大金をドブに捨てようってのか?」

「捨てるわけじゃない。その金でこの子が自由になるんだから。そうだよな?」


 俺は絶対に通じないであろう人生で初めての凄みをきかせた顔を男に見せた。もしこの二人が金を受け取ってもこの子を解放しない本物のクズだったらという考えが頭の片隅にあったからだ。


「ああ。その通りだ。俺たちは正真正銘のアウトローだが交わされた契約は死んでも守る。金の出どころがどこだろうと関係ねぇ。だがな、兄ちゃんはそれでいいのかい?」

「あぁ」


 俺は短くそう返事をすると、今起こっている状況を飲み込めず只々目を見開き、呆然とする彼女を見遣る。


「……そうかい。んじゃこれ以上は何も言わねぇよ。元本の八百万に利息の百十万、合計九百十万確かに受け取った」


 男は静かに立ち上がると、胸元から一枚の紙を取り出し真ん中から一気に引き裂いた。


「良かったな。これでお前は自由の身だ。その兄ちゃんに感謝するんだな」


 男はケースから取り出した札束を大男に渡すと彼女の肩にポンと手を置き、颯爽とその場から立ち去っていく。


「行くぞヤス」

「わっ、若待ってくだせぇ!」


 未だ動転の色を隠せない大男は俺たちを二、三度見た後、慌てた様子でもう一人の男の背中を追っていった。


「……よし。あいつら行ったな? ぶはぁぁ!!」


 俺は奴らが完全に見えなくなったのを確認すると、全身の力が抜けたように膝から一気に崩れ落ち、両手を地面に着けるというなんとも無様な体勢をとる。


「なっ……何してん……の?」


 彼女は俺の方を向くことなく、体を震わせながら小さな細い声で俺に問いかけた。


「いっ、いやしょうがねぇだろ。モノホンのヤクザと対面したんだぞ? 腰も抜けるっていうもん——」

「——そうじゃなくて!!」


 俺の声は、振り向きざまに放たれた彼女の叫びによってかき消された。夕日を背に振り向いた彼女の顔はどこか悲しげでどうしようもなく儚げな印象を抱かせた。


「どうして……? どうして私なんかのためにあんな大金を……」


 今にも泣きそうな表情をした彼女が絞りながら発した『私なんか』という言葉がひどく俺の頭に残った。そんな言葉はまだ成人もしてない女の子が言っていい言葉じゃない。一体彼女は今までどれだけの絶望を味わってきたのだろう。想像する事しか出来ない俺は歯がゆい気持ちを押し殺すため一度大きく息を吐き、彼女の問いに何気ない顔で答えた。


「なんでって……放っとけねぇだろ? 今まさに悪い奴らに連れ去られようとしてる女子高生を目の当たりにしちゃあ」

「でも……あんな大金——」

「良いんだよ! どうせあれは宝くじで当てたあぶく銭だ。アホみたいに散財して失くすよりずっと良い」

「でも……」

「俺が良いって言うんだから良いんだよ。それより……」

「……?」


 未だ引き下がらない様子の彼女を尻目に立ち上がった俺は、ケースに残った金をかき集め掴み、彼女の両手に握らせた。


「これやるよ」


 渡された紙幣の束を見て彼女は驚愕にその顔を染める。


「なっ……何言ってんの! こんなのもらえない!」

「良いから! これで好きなもんを買え! ブランド品でもキャラクターグッズでもなんでも良い。とにかく自分の好きなもんを買え。そんでうまいもんをたらふく食べろ! もういいやってなるくらいたくさん。そして思いっきり寝ろ! 気の済むまで寝ろ。そしたらきっと……」

「……きっと?」

「きっと、生きてて良かったって思えるよ」


 その言葉を聞いた瞬間、彼女の大きな瞳から涙がこぼれ落ちた。その雫は今までの悲しみを含んでいるかのように大きく透明で止めどなく地面に落ちていった。


「おっ……おい、どうした? 急になんで泣くんだよ? もしかしてさっきどっか殴られたとかか?」

「ちっ……違う……違うの……私にそんな言葉をかけてくれる人なんて今までいなくて……それで……」

「そっ……そうか……」


 静かに声を押し殺し号泣する女子高生と、ばつが悪そうに頭を掻くしかない俺は数分間の無音の時間を夕日の光が途切れるまで過ごした……。


 その後、痺れを切らしたのはやっぱり俺の方で、その場に漂うフワフワとした空気感に耐えきれず思わず声を発した。


「じゃ、じゃあ俺はもう行くわ」


 別に悪いことは何一つしていないはずなのに、アタッシュケースを片付ける俺の動きは妙にぎこちない。くそ〜大人なのに情けない。


「あっ、あの……」

「……?」


 立ち去ろうとした俺の背中に、もらった札束を大切そうに握った彼女が未だ赤みの残った瞳のまま問いかけた。


「なっ……名前、お兄さん名前は?」

「名前?  乃木。乃木杏太郎」

「のぎ……きょうたろう……」

「……?」


 名前を述べただけだというのに彼女はまるで大切な何かを手に入れたような幼子のようにその顔を紅潮させ、はにかんでいた。なんでだ?


「じゃーな。達者で暮らせよ」

「うん。本当にありがとう。ううん、ありがとうじゃ足りない。それ以上の言葉が欲しいくらい」

生憎あいにく、現代日本じゃそれ以上の言葉はねぇよ。それに『ありがとう』で十分だ」


 俺はクスリと笑った彼女の顔を見て一安心しきびすを返すと、片手を振りながらその場を後にした。


「……絶対、この恩は返して見せるからね。杏太郎」


 彼女が最後に呟いたこの言葉を俺が聞き取ることはなかった……。

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