第5話 再会
「ハァ〜……やっちまった……」
彼女と別れ、夜の街をトボトボと歩く俺が最初に発した言葉はこれだった。確かに偶然手に入れた金で一人の女の子の人生を救えたのは立派で誇らしく、男冥利に尽きるそれこそヒーローと言っても過言ではない行動だったと俺も思う。思うのだが……
「いざ失ってみると結構ダメージがデカイなぁ。一千万、一千万か……。俺の給料何ヶ月分だ? ひー、ふー、みー、よー……やめよ。これ以上は傷口に塩だ」
俺はすっかり軽くなったアタッシュケースをちらりと見て再び大きな溜息をついた。
「さよなら俺のグッチ、BMW、アルマーニ……もう永遠に会うこともないだろう」
これでもかと背中を丸め、雁首を垂れる俺の顔が駅前に建てられたファーストフード店のガラスに映り込む。その奥、つまり店内にはキャッキャッと騒ぐ女子高生の団体がそれは楽しそうにハンバーガーやポテトをつまんでいた。彼女達の姿を見た俺はふと、あの中で楽しく微笑む先ほどの女子高生の顔が浮かんだ。
「あーあ、やめやめ! あの金はこう使う運命だった。そうだ。そうに違いない。もともと俺には手に余る大金だしな。よし! そうと決まったらなんか腹減ったな。俺も晩飯買いに行くか」
シャキッと姿勢を正し、前を向いた俺は夕ご飯が待っているサラリーマンの癒しの場コンビニへと歩き始めた。先ほどまで心の中に立ち込めていた淀んだ空気が無くなり清々しい気分になっているのはコンビニの弁当が楽しみだからに違いない。そう違いない……。
そして、翌日。いつものように出社した俺を待っていたのは明らかにおかしなニヤケ面をした同僚の有村であった。
「おはよう乃木く〜ん。昨日はお楽しみだったようで?」
「なんだそりゃ? ていうかそのニヤケ面やめろ。気色悪い」
「ひどいなぁ〜乃木大明神様は! 昼休みに聞かせてちょうだいな。大金を手にしたその気持ちを!」
「あ……あぁ。そう……だな……」
ヤベェ。忘れてた。こいつには宝くじのこと言ってたんだった。どうすっかな〜。まさか馬鹿正直に女子高生の借金肩代わりしたなんて言えないし。というか信じてもらえなさそうだし。う〜ん困ったぞ。
午前の業務そっちのけで何かうまい言い訳を考えていた俺だったが、無情にも時は過ぎ去りあっという間にお昼のランチタイムへと突入してしまった……。
「それで?」
「それでって何が?」
「焦らすねぇ〜。コノコノ! 昨日換金しに行ったんだろ?」
「あぁ。行った」
「一千万手にしたんだろ?」
「あぁ手にはした」
「くはぁ〜良いなぁ。で? 金持ちになった気分はどうよ? 一番はじめに何に使ったんだよ? 靴? カバン? もしかして腕時計行っちゃった?」
「あーそれなんだけどよ有村」
「……?」
昼休み、会社の屋上。喫煙スペースになっているここは簡易なベンチとテーブルが置かれ社員達の昼食場も兼ねているのだが、外気に晒されながらいつ飛んでくるかも分からない副流煙の中で食事を摂る者は少なく、利用者は限られているため今は俺と有村の貸切みたいになっていた。
そんな閑散とした屋上に着くなり俺は真っ直ぐにテーブルまで歩いて行き、有村の方に振り向くことなくボソリと呟いた。
「寄付した」
「……ん? 今なんて?」
「だから、一千万を全額寄付した」
「…………」
鉄柵に囲まれた屋上がシンっと静まり返る。そりゃそうだ。今は俺と有村しかいないのだから両者が言葉を発しなければ音も消える。俺は、目をパチクリさせながら口を大きく開けている有村を無表情で見つめる。
「いっ……イヤイヤ!! それなんの冗談だよ。どこの世界に一千万を全額寄付する奴がいるんだよ!」
大袈裟に手と首を振り、半笑いで俺の言葉を否定する有村に間髪入れず返答する。
「ここにいる。今、お前の目の前に」
「いやどこにだよ! 百歩いや、一万歩譲ってお前の言葉が本当だったとして、どこに一千万も寄付するとこがあったんだよ」
「あ〜〜、駅前。駅前で箱を持って健気に募金を求めてる少年少女に」
「嘘つけ!! そんな大金持ってこられたら引くわ! ドン引きだわ! ていうか入らんわ。そんなに!」
「いや。うん。入ってた。ミチミチ〜って音を立てながら」
「どんだけ箱に入れたいんだよ! バーゲンセールのオバちゃんか!」
ワーワーとまくしてる有村は、やがて俺との言葉のキャッチボールに疲れたのか『ハァー』と一息つくと、今までの騒ぎ声が嘘だったかのように急に静かになりワントーン低めの声で俺に問いかけた。
「お前、マジで一千万全額使ったのか?」
「……あぁ」
「何に? 言っとくがさっきの募金なんてしょうもない嘘はやめろよ?」
「…………」
俺は、タバコに火を付けながら真剣な目つきをこちらに向ける有村に、もうこれ以上嘘を塗り固めても仕方がないと観念し、昨日の出来事をありのまま話すことにした。
「実は——」
俺の語りは有村が持っていた火のついたばかりのタバコをフィルター近くまで灰に変えてしまうくらい長いものになってしまった。『女子高生』、『借金』、『本物のヤクザ』などのワードが飛び出すたび有村の顔に汗が浮き出し、話が終わる頃には完全に吸い殻と化した右手のゴミを力なく灰皿へと投げ入れその場で硬直してしまった。
「おっ……おい、有村? 大丈夫か?」
有村はゆっくりとズボンのポケットから赤い箱を取り出し、新しいタバコを一本引き抜くと先端に火を灯しながらフゥーっと白い息を吐き出した。
「お前さ……」
「……?」
次の瞬間、有村の放った大声は俺の鼓膜をダイレクトに揺さぶり、キーンという甲高い音を耳にもたらした。
「どんだけお人好しなんだよぉぉぉぉおおぉぉお!!!」
たまらず耳を両手で覆う俺だったが、そんなことお構い無しに有村は俺の両肩を強く掴み、前後に激しく揺らし始めた。
「会って間もない女子高生の借金を肩代わりぃぃ〜〜!? あまつさえ残りの金まで全部やっちまっただぁ〜〜!? お前は聖人か? イエス・キリストの生まれ変わりか何かぁぁ!!」
「落ち着けよ! 有村! やっちまったもんはしょうがねぇだろ。放っとけなかったんだよ!」
「だとしても一千万だぞ? 一千万! 俺らの給料何ヶ月分だと思ってんだよ! アァ!?」
「四十●ヶ月分だよぉぉ! 言わせるなチクショウがぁぁ!!」
男二人の誰も得しない虚しい叫びが会社の屋上に響き渡り、なぜか両者の目には涙が溢れ、昼間の澄み切った青空にその声は吸い込まれていったのだった……。
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やがて落ち着きを取り戻した有村と俺は、コンビニで買ってきたパンと菓子とホットスナックを大急ぎで流し込み、食後の休憩をしていた。
「お前、後悔はないのか?」
椅子に深く腰掛けながらコーヒーの缶を傾ける有村が俺に聞いてきた。
「ない。といえば嘘になる。正直、惜しいと思う自分が今でもいる。でも……」
「でも?」
「俺がやらなけりゃあの子は今頃——って考えると、俺の取った選択は間違いじゃなかったと心底思える。その気持ちに嘘はない」
「そうかい」
有村が再び缶に口を近づけようとしたその時、ふと何かを思い出したかのように俺の方を向き目を見開く。
「ん? いや、ちょっと待て。全額やっちまったということは高級焼肉のあの話は……」
「当然なかったことになるな」
「うっ嘘だろぉぉぉ〜〜!? 俺、めちゃくちゃ楽しみにしてたんですけど?」
「ウルセェなぁ。そう言うと思って代わりのモノをさっき買っておいたよ。ほら!」
「……ナニコレ?」
「うんめぇ棒の焼肉味。今はこれで我慢しろ〜」
そう言い残し、俺はそそくさとその場を後にした。『菓子じゃねぇかぁあ!』と言う有村の叫びを背中に浴びながら……。
「ハァ〜、今日も疲れたな。これで後四日も会社に行かなきゃならねぇとか本当やってられねぇよな」
帰り道。疲労感というこの世で最もいらないモノを体全体にまとわせながら一人、帰路に着く俺は自宅があるマンションへの暗い道をトボトボと歩いていた。所々にある街灯が足元を照らしその光につられた小さな虫や蛾が自由に飛びまっている。一つ、二つ、三つと流れていく光のスポットライトだったが、四つ目に差し掛かったところで俺の足はピタリと止まった。何故ならその光の中にある人物が立っていたからだ。その人物とはもう会うことも関わりを持つこともないと思っていたから、俺は驚愕と困惑で硬直していた。
そんなことも知らずに彼女は俺を見るや否や、一目散に駆け寄ってきて第一声をあげた。
「良かった。やっと会えた。住所間違えたのかと思っちゃった」
「おまっ……なんで……」
彼女は、栗色の髪をさらりと下に落としながら深く頭を下げこう言った。
「お願い! 今日から一緒に住まわせて!」
「……は?」
俺の素っ頓狂なその声は彼女と初めて会ったあの時を激しくフラッシュバックさせるのであった……。
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