第6話 お願い
真っ白なブレザーシャツにチェックの入ったプリーツスカート、左肩には紺色の学生鞄を抱えた女子高生が今、俺の目の前で深く頭を下げている。しかも、俺の聞き違いじゃなければ『一緒に住まわせて』とさっきこの子は言った。
住まわせて? どこに? 俺の家に? なんで? しかも一緒に? 瞬時に浮かんだ数々の疑問に脳内の処理が追いつかない俺は、未だ頭を上げようとしない彼女を凝視したままその場でフリーズしてしまう。
「……あの……?」
「ハッ——!」
俺の思考停止を解除したのは、反応がないことを悟った彼女の上目遣いでの小声だった。
「いっ……いやいや! いきなり現れて何言ってんだお前! 大体、何で俺の家知ってんだよ!?」
「探偵使って調べたの」
「……はい?」
「あの日、杏太郎からもらったお金で大急ぎで人探しの出来る人を探したら探偵事務所に行き着いたの。生き別れの兄だって伝えたらすぐに探し始めてくれて、あっという間に住んでるところを突き止めてくれたの」
「プライベート保護法とかいう法律がこの国にはあるはずだけどね!? ていうかお前なぁ! そんなことにあの金使ったのか!」
「会いたかったから!! どうしても杏太郎に会いたかったから!」
「うぐっ……!」
透き通った肌にくっきりとした目鼻立ちを持つ誰が見ても美少女と言うであろう彼女が、その大きな瞳を潤ませ真っ直ぐに俺を見つめている。その可憐な表情に俺は思わず言葉を詰まらせる。
「私決めたの。杏太郎に助けてもらったこの恩を必ず返すって。私、杏太郎のためなら何だってする。だからお願い杏太郎。私をあなたのそばに居させて下さい!」
そう言うと彼女は再び頭を下げた。だが、先ほどまでとは違い彼女の体がわずかに震えているのを俺は悟った。彼女なりに勇気を振り絞った行動なのだろうとすぐに察知したが、それゆえに『はい。そうですか』なんて軽い言葉で了承することなぞ出来ないと俺は奥歯を噛み締めた。
「何言ってんだよ。お前はもう自由なんだぞ? 何したって許されんだ。好きなことをやって、好きな友達と遊んで、好きなヤツでも作ってそれで——」
「これが私の一番やりたいことなの。好きな人だって……今は、その……目の……前に……」
段々と小さくなる言葉尻に呼応するかのように彼女の顔が赤くなっていく。その先の言葉を容易に想像してしまった俺は、焦りを含んだ大声でその発言を遮断する。
「家は!? お前を心配する誰かがそんなこと許すはずがない!」
「杏太郎も知ってるでしょ? 私にもう家族はいない。帰る場所だってもう存在しないの」
「嘘つけ! この間施設がどうのこうの言ってたじゃねぇか。そこに戻りゃあいいだろ」
「あんな所……二度と戻りたくない……」
『施設』という単語が出た途端、彼女の様子が一変する。顔を下げ、両手で自分の体をまるで守るかのように覆い、苦悶の表情を浮かべる。そのあまりの変わりように俺は思わず彼女に対して手を伸ばすが、俺のその手は彼女によって絡め取られそのまま豊かな胸部へと案内された。指先に触れる心地の良い温もりとあまりの柔らかさに全身の感覚が敏感になる。
「おいっ……!」
「お願い。杏太郎。私、こう見えて家事得意だよ? 料理もそれなりに出来るよ? 杏太郎だったら私を好きにしていいから。だから——」
「いい加減にしろ!」
「——っ!」
俺は大声とともに彼女の手を乱暴に振りほどく。
「俺はこんなことをして欲しいがためにお前を助けたわけじゃない。お前にはもっと当たり前の生活があるだろう?」
「当たり前って……?」
「いや、だからその……高校生として真面目に学校に行くだとか友達と楽しく過ごすとかそんなだよ」
「そんなのいらない。私は杏太郎のそばにいれればそれでいい!」
こちらを刺すような真剣な目つき。冗談や気まぐれで言っていないのが痛い程伝わってくる。そんな彼女を目の当たりにした俺は、卑怯にもそれ以上の問答をするということを投げ捨て、その足を自宅へと進ませた。
「とにかく。一緒に住むなんざ到底無理だ。アホな事言ってないでとっとと帰れ」
「どうしてっ……!? 私本気だよ? 冗談や話題作りのためにこんなことしない。本当に杏太郎と一緒に居たいからここまで来たんだよ?」
必死に懇願する彼女を尻目に俺はスタスタとマンションの入り口に入って行く。途中何度も彼女に腕を引かれたが、目も合わせることなくそれを無視した。やがて、階段を上り終わり自室の部屋の前まで来た俺は未だ諦めていない様子の彼女を一瞥するとドアを開け言い放った。
「帰れ。お前のいるべき場所はここじゃない」
「きょうた——」
彼女が言い終わる前に俺は玄関の扉を閉めた。これでいい。あいつはまだ未成年だ。これからが一番大事な時期なんだ。そんな敏感な年頃のアイツと俺みたいなヤツが一緒に住むだって? 冗談はよせ。それこそアイツの人生の汚点になりかねない。少し乱暴な態度を取ってしまったが時間が経てばアイツも冷静になって自分のしてることのアホさ加減に気づくだろ。そう自分を納得させ、靴を脱ごうとした俺の耳にドア越しから彼女の声が届く。
「私、諦めないから。杏太郎が開けてくれるまでずっとここにいるんだから!」
覗き穴から彼女がその場にしゃがみこむのを視認した俺は大きな溜め息を漏らした。やれやれ。何時になったらアイツは帰る気になるだろうか。俺は、左腕の腕時計を見て再び大きな溜め息を口から放出した……。
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あれから何時間経っただろうか。着替えや風呂、夕飯の準備をするたび俺は群青色の玄関のドアをチラ見していた。もう帰っただろうか? いや、まだいるかも……等、覗き穴を見れば一発で判明するというのに俺はその穴を覗けずにいた。いや、心の奥底では彼女の姿が無くなっていることを望んでいる。だがもし、未だ夕方しゃがみこんだ姿のままで彼女がそこにいたとしたら俺はなんと言えば良い? そんなジレンマが俺の行動を鈍らせる。
「もう深夜零時過ぎだ。さすがにいない。いや絶対いない。初春とはいえまだこの時間帯は寒さが体にこたえる。そんな状態で開くかも分からないドアの前に待ってるやつなんて——」
俺はそっと数センチのガラスの向こう側を覗き、驚愕した。そこには夕方と全く同じ体勢でガチガチと顎を鳴らし、小さな体を震わせている彼女がいたからだ。俺はたまらずドアの鍵を回し、力一杯開け放った。
「お前……何してんだよっ……」
俺の姿を見るなり彼女は優しく微笑み、開口一番こう言い放った。
「お前じゃないよ? 私は
短く鼻をすすり、えへへと満面の笑みを浮かべた彼女を俺は見過ごすことは出来なかった……。
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