第10.5話 御影フユノのモノローグ
今日一日の業務を終え、私は今憧れの先輩との食事会のため夜の繁華街を練り歩いている。前方に有村先輩とアキちゃん、そしてその後ろから私と乃木先輩が付いて行っている形だ。うぅー……。ただ並列して歩いているだけなのに変に意識しちゃうよぉぉ。あっ! 今ちょっと腕が当たっちゃった! 気付いてないよね? 乃木先輩。
「ん? どうかしたか? 御影?」
「はふぇ……? なっ、なんでもないですっ!」
私はキョトンとする先輩から視線を外し、小さなブロックの並んだ地面を凝視する。
あの乃木先輩と食事が出来るなんて超嬉しいはずなのに、いざこうやって近くに寄り添うと緊張で頭が茹でタコになりそう。ドクッドクッと脈打つ心臓と熱を帯びていく頬、小刻みに切れる呼吸を先輩に聞かれまいと必死になっている私に、前を歩くアキちゃんが振り向きざまに親指を立てる。そして、瞬時にその指を横にすると、グイグイっとGOサインらしきものをジェスチャーし始めた。
むっ……無理だよっ! アキちゃん! 私まだシラフだよ? いや、お酒が入っていてもヘタレの私には無理だろうけど……。
お気付きの方もいるかもしれないが、私、御影フユノは乃木杏太郎先輩のことが好きなのです。《恋愛》というものに疎遠だった私が、その泥沼にハマってしまったのはこれまた至極単純な理由で彼にピンチを救ってもらったのがキッカケなのです。
あれはまだ、私があの会社に入社したての頃。大学を卒業し初就職した現場で出会ったのが乃木先輩。正直、第一印象は怖そうとしか思えず絶対に彼に怒られないようにしないとと私は勝手に空回りをしていました。というのも私は人に嫌われるいや、人に失望されるのが酷く怖かったからです。三姉妹の末っ子としてこの世に生を受けた私はなんでも出来る姉達といつも比べられ、そのたびに周囲の方々に落胆されるという幼少期を過ごしたためか【ミス】というものにトラウマに近い感情を抱いていました……。
「おっ! ここ! この焼肉屋安いのにどの肉もめっちゃ美味いんだよ!」
「へぇー。有村先輩にしては良いチョイスですね。建物の感じからいって創業年数をかなり経ていますね。それに外に炭置き場があります。このお店は炭火焼きでお肉を提供するのでしょう。以上の二点からでも良店であると言えます。さらに——」
「……アッキー、ひょっとして焼肉奉行だったりする?」
「いえ。特に。あとアッキーと呼ぶのをやめて下さい。殴りますよ?」
「先輩に対してこの言い方! 良い! 良いよっアッキーィィ!!」
「何叫んでんだお前。迷惑だからとっとと入店するぞ。ほら、御影も」
「あっ……はい!」
私が入社して二週間ほど経ったある日のことです。その日は重要なプロジェクトの資料作りが佳境を迎えていて会社中の人たちが皆、ピリピリしていたのを覚えています。そんな中、先輩の言葉を聞き間違えた私はなんと重要な書類の内容を無茶苦茶なものに変えてしまったのです。当然、会社中はパニック状態。誰がやったのかを突き止める犯人探しまで始まってしまって私は顔面蒼白。この場から消えてしまいたいと何度思ったか。そんな時、私の様子を見た乃木先輩は何かに気付いた様子でスッと立ち上がり、上司の部長のところに行き『私のミスです。申し訳ございません』と深々と頭を下げたのです。当然、乃木先輩は大目玉。顔を真っ赤にした部長の罵詈雑言を一身に受け止めていました。
「焼き過ぎです。有村先輩。こんないいお肉に対し火の入れ方がなってないですよ!」
「やっぱ奉行じゃん。奉行!」
「何ボーッとしてるんですか! 乃木先輩。目の前のお肉が泣いてますよ!」
「あっ、はいすいません。え? 泣いてる?」
「すみません。アキちゃん焼肉になると人が変わっちゃうみたいで……」
その日の夕方。一人屋上で落ち込む私に近寄ってくる人影が一人。そう乃木先輩です。私は居ても立っても居られなくなり、彼に精一杯の謝罪をしました。すると、先輩は言いました。
『気にするな。部下の仕事は役割を覚えることとミスをすることだ。そして、上司の仕事は部下のミスの尻拭いと全力のフォロー。大事なのはミスをしないことじゃない。同じミスを繰り返さないことだ。そうすればきっと御影も仕事についていけるようになるよ』
私はこの言葉を聞いた瞬間、心の中にあったもやみたいなものが一気に消失したような感覚になりました。そして、その
『御影、俺はお前に期待している。頑張れ』
先輩は私を元気付けるために言ったのかもしれない。その言葉に深い意味はなかったのかもしれない。だけど、誰にも期待されず一人、暗闇に落ちていく私にとってその言葉は泣くほど嬉しかった。私の心に光が差し込んだ気がしたのです。
そこからは皆さんご存知の通り。先輩の一挙手一投足に慌てふためく恋愛中毒の私の出来上がりです。告白はしないのか? ですか? 今は出来るはずもありません。何故なら本来私は先輩の隣に立てる女ではないのですから。ですが……いつか、そういつかきっと私が先輩の隣に堂々と立てたならその時はきっと……。
私はこの恋だけは【ミス】したくないのです。
「美味しいですね。乃木先輩」
「おう。そうだな」
白煙と炎が舞う七輪を囲みながら、私たちの食事会は笑顔と談笑に包まれていた……。
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