第30話 そして彼女の心は黒に染まる(前編)

『ただいまの時刻は午前六時三十分。朝ヨン始まります!」


 私はカーテンの締め切った薄暗い部屋の中心で、見たくも無い朝の情報番組が流れるテレビをポーッと見つめながらブランケットにくるまっていた。


「あっ、アキちゃんからメッセージ来てる……」


 アキちゃんからの〈何かあった?〉という心配を含んだメッセージに、私は今の自分の心境を隠すように偽った文章で返事を返した。


「何……でもないよ……ただ緊張が解けて……疲れが出ただけ……っと」


 フリック入力で文字を打ちながら、アキちゃんの『何でも相談してね』という前のメッセージが私の視界に入り、私は後ろめたい気持ちでいっぱいになる。


「ごめんねアキちゃん。私、自分が思っていたよりずっと嫌な女の子だったみたい。今もこうして心配してくれてるアキちゃんに嘘のメッセージを送ってるんだから」


『続いては気象情報です。勢力を拡大したまま日本列島に近づく台風15号ですが、勢いそのままに本日夜遅く、本島に接近する模様です。夜遅くの外出はお控えください……』


 番組内の天気予報を聞きながら、私はおもむろに立ち上がりカーテンの隙間から外の様子を伺う。


「……台風か。そういえば深夜から雨の音だいぶ強くなってたな」


 窓ガラスを打つ雨粒と突風に揺れる電線を見ながら、この光景が今の自分の心境に類似していると思った私はしばらくその場から動けずにいた。


「先輩に昨日のことなんて説明しよう……。あぁ、今日会社行きたくないなぁ」


 憂鬱に浸る私の耳に、今自分が思い悩んでいる内容をズバリ言い当てられたようなMCの言葉が不意に届き、私は思わずテレビの方に振り返った。


『二十代・三十代の男性に聞いた、こんな女の子はイヤだ。第一位は〈性格の悪い女〉でした! 実際の声を聞いて見ましょう!』

『性格の悪い子はイヤっすねー。ほら、いるじゃないですか。他人がひどい目にあっているのをほくそ笑むヤツとか……』

『いくら顔とかスタイルが良くてもねー。他人を蹴落としても自分だけが幸せならそれでいいとか最低ですよね……』

『恋愛絡むと性格変わる子っていますよね。ああいうタイプって周りの人たちに疎まれて結局孤独になっちゃうんですよね。なんか可哀想——』


 そこで私は素早くリモコンを手に取りテレビの電源を落とした。真っ黒なテレビの画面に苦痛に歪む自分の顔が映り込む。


「わかってるよ……。そんなことは。本人が一番わかってるんだよ……」


 しんと静まり返った部屋に私の情けのない声がポツリと放たれた……。



 分厚い雨雲から膨大な量の雨が降りしきる。雨粒と風で視界が覆われ行き交う人々は歩くのすら一苦労だ。そしてそれは私も同じで、全く意味をなさない傘を片手に学校だったら休校なんだろうなという叶いもしない幻想を抱きながら私は会社に出社していた。


「ふぅ……。やっと会社だ」


 オフィスの入り口に設置されたタイムカードの機械に自分のカードを差し込んだタイミングで私は後ろから声をかけられた。


「おっす。御影。おはようさん」

「のっ、乃木先輩! お……おはようございます!」

「今日天気ヤバイな。台風が近づいてるだけあるわ。あー学生に戻りてぇ〜。これ学校だったら間違いなく休校だっつーの」

「……フフッ」


 自分と全く同じ感想を述べた先輩に思わず微笑む私。


「……? どうかしたか? 御影?」

「あっ、いえ。なんでもありません」


 タイムカードを切る先輩を見つめながら、私は心の中に溜まったおりのようなものが浄化されていくような感覚に陥った。


 あぁ。やっぱりいいなぁ乃木先輩。先輩と話していると心が軽くなる。ウキウキする。この人と一緒になれたらどれだけ幸せだろう。一緒に暮らせたらどんな生活になるだろう。先輩を目の前にしただけでそんな妄想が止まらない。私は本当にこの人のことが好きなんだ。


 頭の中でお花畑を広げる私に乃木先輩の言葉が届き、現実に引き戻させてくれた。


「お〜い、御影? 大丈夫か? 後ろ、詰まってんだが?」

「ハッ……!」


 私の後ろには社員の人たちのおびただしい行列が出来ており、その原因が自分であることをすぐに悟った私は深いお辞儀を何度も繰り返し、脱兎の如くその場から退散した。


「はぁ……はぁ……何やってんの私!」

「……フユノ」

「あひゃい!!」


 突如かけられたその声に飛び跳ねながら振り返った私の目にアキちゃんの姿が映った。


「ど、どうしたの。フユノ? 大丈夫?」

「あぁ。ごめん大丈夫大丈夫。おはようアキちゃん」

「うん……おはようフユノ」


 アキちゃんと私のデスクは隣同士なので、並んで向かうことにした。その途中、アキちゃんが不意に私に話しかけてきた。


「フユノ。昨日どうだった?」

「きっ、昨日?」

「うん。あの後フユノ様子おかしかったから。メッセージでは大丈夫って言ってたけど、フユノ強がるところあるし」

「アキちゃん……」


 言えない。言えないよアキちゃん。自分を慕う親友が他人の不幸を喜ぶ最低な女だって知られたくないもの。


「本当に大丈夫だよ。アキちゃん。メッセージでも話した通りちょっと緊張が解けて力が抜けただけ」

「そう……なんだ」

「うん。心配してくれてありがとう」

「ううん。何かあったらまた相談してね。いつでも聞くから」

「うん」


 私とアキちゃんはそのまま離れ、互いのデスクに向かって行った……。

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