第23話 彼と彼女と彼女の繋がり

 サイレンを響かせ、赤色灯を照らしたパトカーが走り去るのを俺は黙って見つめていた。これで俺とハルとの絆を断ち切るものはもうここにはいない。安堵の気持ちと緊張の緩和により、口から大きく息を吐き出した俺を真っ赤な目をしたハルが見上げる。


「杏太郎……さっき持ってた紙……養子縁組って……」


 そう。本当に緊張しなければいけないのはここからだ。実はハルと電話で話したあの日、俺はこの養子縁組について彼女に詳しく話してはいなかった。『俺に考えがある』とだけ伝えていたのでハルは今さっきそのことについて知ったことになる。


「あー、そのことなんだがハル。お前“養子”って言葉は知ってるか?」

「うん……なんとなく」

「そうか、なら話が早い……」

「……うん」


 この先の言葉はかなり重要だ。それのいかんによっては彼女に拒否される可能性も無きにしもあらずだからだ。だって冷静に考えてみろ? いくら自分の命の恩人だからって今日から君の保護者になります。なんて急に言われて簡単に受け入れられるわけがない。普通は困惑するはずなんだ。でも、俺はどうしてもハルを助けたかった。そして俺が思いついた方法はこれしかなかった。なら俺の言葉でハルを説得するしかない。たとえどんな返事が帰ってこようとも……。


「あー……その……おっ、俺の……俺の……いや違う。俺と……俺——」

「…………」


 しどろもどろになる俺をハルはじっと見つめていた。やがて、脳内キャパが大渋滞を起こし白煙を吹く寸前になって俺の口からその言葉は勝手に出てきた。


「だーっ! もう! まどろっこしい! ハル!」

「ハ、ハイッ!」

「俺の……俺の家族になってくれ! 俺のとなりで辛いことも嬉しいことも楽しいことも一緒に分かち合ってくれ! 以上!」

「……フフッ」

「……? ハル?」


 ハルは俺の言葉を聞くなり、口元を緩ませ腹を抱えながら大爆笑を始めた。


「なにそれっ。あんなに言葉を選んでそうだったのに最終的には『以上』で終わるって! 杏太郎って実は天然!? アハハハハッ! アイタタッ……お腹痛ッ!」

「なっ……!」


 コッ、コイツ!! 人が一生懸命考えた挙句にやっと捻出した言葉に高笑いをブチ込んできやがった! 人の気も知らないでぇえ! ゆでダコのように顔を真っ赤に染めながらハルに詰め寄ろうとしたその瞬間、俺の脚はそこで止まりそれ以上進めなくなってしまった。何故なら無邪気に笑うハルの瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ始めたからだ。


「ハル……お前……」

「ねぇ、杏太郎私どうしよう……? 嬉しいの。今すごく嬉しいの。嬉しくて嬉しくて涙が止まらないし、胸がどんどん熱くなっていくの。「ありがとう」とか「感謝」とかいう言葉じゃ収まりきらない感情が爆発しそうなんだ」

「じゃあ……ハル。お前の返事を聞いてもいいのか?」

「うん……」


 ハルはスカートの端に両手を添え、丁寧なお辞儀とともに俺の望んだ答えを口にした。


「小鳥遊ハル。今日からあなたの家族にならせていただきます。こんな私ですが、よろしくお願いします」


 彼女はお辞儀の大勢のまま顔だけを正面に戻し、にへらっとあの屈託のない笑顔を俺に向けた。


「ハル……。こちらこそよろしく頼む」

「杏太郎ぉ〜!!」


 地面を強く蹴り、こちらに駆け出したハルは俺に抱きつく気マンマンだった。両手で彼女を抑え、その行動を拒否することもできたが今日だけはしょうがないと堪忍した俺はその抱擁ほうようを大人しく受けようと思った。のだが、ハルの手が届くその直前で俺の携帯がピリリッと音を鳴らし、無情にも彼女の抱きつきは流されてしまった。


「悪いっ! ハル。ちょっと!」


 自分そっちのけでスマホを取り出し電話に出た俺を見て、ハルはハムスターのように頬を膨らませ怒りを露わにした。


「ぶぅぅぅぅぅ!!」


 俺がハルに片手で謝罪のジェスチャーをしながらスマホに耳をつけると、その奥からの声が聞こえた。


『よう。兄ちゃん。作戦は成功かい?』

「志木さんっ! あぁ。成功だ。何もかもうまく行った。それもこれも全部志木さんあなたのおかげだ。なんてお礼を言ったらいいか——」

『止せ止せ。カタギに礼を言われるようになったら極道の名折れだ。示しがつかねぇ。これは俺個人がアンタに力を貸してやりたいと思ったからやったまでのこと。気にするこたぁねぇ』

「でも、本当に俺は……いや、俺とハルは志木さんのおかげで……」

『ハァー。律儀な奴だな兄ちゃんは。そういう奴は嫌いじゃねぇけどなぁ……』

「ねぇ、杏太郎誰と話してるのー?」

「ハッ、ハル! コラ邪魔すんなっ!」

『ん……? なんだ今嬢ちゃんと一緒なのか?』

「あぁ。そうなんだ。代わろうか?」

『バッキャロ。何言ってんだ兄ちゃん。テメェをさらおうとした男の声なんざ二度と聞きたくねぇだろ。間違っても変な気は起こすなよ?』

「お、おう。それもそうだ。悪い気が回らなかった」

『んじゃ、お邪魔虫はこの辺で退散するか。まぁ、兄ちゃん今日はゆっくりその子と過ごしな? そのかけがえのない時間はアンタが必死に掴み取ったもんだからな』

「本当にありがとう志木さん!」

『いいってことよ。あっ! 約束は忘れんなよ?』

「わかってる。今度絶対飲みに行こう! それまでに話せるようなエピソードをいくつか作っておくよ」

『約束だかんな? じゃぁな』


 通話が切れたスマホを俺はゆっくり下ろしながら、改めて彼に精一杯の礼を述べた。


「ありがとう。志木さん」

「ジーーー」

「……? なんだよハル? そんなほっそい目をして」

「別にぃ? ただ、杏太郎めちゃくちゃ清々しい顔してるなぁって。私の抱擁を拒否したくせにぃ。拒否したくせにぃ」

「なんで二回言うんだよ。しょうがねぇだろ? あんなタイミングでかかってくるとは思わなかったんだから」

「じゃぁ、ハルちゃんはやり直しを希望します」

「はぁ……。ハイハイ。ほら、ドンと来い!」

「杏太郎ぉ〜!!」


 栗色の髪を跳ねさせながら無邪気な笑顔いっぱいに飛び込んできたハルを俺は強く抱きしめた。


「杏太郎——大好き!」

「バッ……! お前なんてタイミングで言いやがるっ!」

「えへへ〜。事実だもーん」


 騒ぎを聞きつけた野次馬がこの養護施設の周りに集まっているのを彼女は一切気にしないといった様子で俺の胸部に顔を沈めるのだった……。


そして、俺はそこで気づくべきだった。野次馬の中に俺の見知った人物がひっそりと佇んでいたことを。


「……やっぱり乃木先輩はハルちゃんのことが好きなんですか?……その子とデートはしましたか? その子と手は繋ぎましたか? その子と——」


 御影フユノは遠くの方で抱き合う二人を見ながらゆっくりとに右手を持っていく。


「その子と“キス”はしましたか?」 


 彼女は“クチビル”にそっと触れると、野次馬の波にその姿を消すのだった……。

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