第34話 甘酸っぱいイチゴ味

 ───これは君の弱さのひとつさ。


 気管の大部分が塞がり、まともな呼吸すら出来ずに藻掻きながらも、その言葉だけはしっかりと耳にこびりついて離れない。


 眼前にはカドリに抱きかかえられ、泥だらけでぐったりと横たわるルーツ。カドリはそんな彼女の姿を見せつけるように続ける。


「僕は龍小屋がまだ孤児院に到達するまでに一度そこに訪れ、彼女をここまで攫ってみたんだ。仮に僕がその気になれば簡単に今ここで、彼女の息の根を止めきることが出来るだろう」


「……なにが…い……たいッ!!」


「実質的に君は今ここで彼女を失っているということだよ。自分自身の力不足が原因でね。もし昨日、君がずっと彼女の傍にいてやれば…僕は彼女を攫うことが出来なかっただろう」


「……ッ!!」

 ーー龍小屋が来る前に一度……じゃあ俺が寝てるときに……カドリはルーツをッ!!


 徐々に絞まってゆく気管がイブキを黙らせたわけではなかった。


『もし昨日あのまま惰眠に耽ず、孤児院の周囲を見張っておくなどの行動を起こしていれば少なくともここにルーツを関わらせることはなかった』……。見せつけられた“事実”への後悔が、イブキの反撃を許さなかった。


 ーー俺が……寝たから……? 甘えていたってこと……かよ…


 イブキの反応を察したカドリは優しく微笑む。


「そう。君が真夜中、僕の襲撃に気が付けなかったのは君に体力がなかったから、そもそも寝ることを選んだのは“疲れている”という自分の気持ちを優先したから。君がルーツを想う気持ちは確かにほんとうさ、それでも君はいざとなった時……自分を選んでしまう。自分を最初に考えてしまう弱さを持っているんだよ。感情と本能がまるで別の方向を向いているんだ。だから君は失う。そして地獄に落ちたように辛い気持ちになるだろう。それをまずわかってほしかった……だから僕はこうして彼女を奪ってみせた」


「お、おれ……の……せい……俺は……救え…ない?」


「そう、君に大切な人を守ることはできない」


 矢のように飛んできては心のど真ん中に突き刺さる、本当は自分自身が一番よくわかっていた結論。


 打ちひしがれ、膝から崩れ落ちるイブキを“救おうとする”男は、


「でも……大丈夫。この先で待つ地獄に行き着くよりも先に……僕が手を引いてあげる。救ってみせよう」


「す……救い……?」


 コクリと頷くカドリはそっとルーツを寝かせて指を鳴らし、小さなピンク色の飴玉を発現させる。


「そう、救いさ。それにこれは“ただの救い”じゃない。君とルーツ2人分の救いと……僕自身の……覚悟」


「か……覚悟? お前の……?」


 両手を広げ、カドリは叫ぶ。とても嬉しそうに、とても哀しそうに。友の救済を複雑な心境で見守りながら……


「イブキ…君は僕にとって大きな存在なんだ。一番の友達で……出来れば今も“生きて欲しい”と思っている。でも僕はッ!! 覚悟を決めて君を手をかけなきゃいけないッ! その理由がこれさ!!」


 目尻からとめどなく流れ落ちる涙を拭い、濡れた指先を向けるカドリ。


「……ぁ?」


 わけがわからないまま返事にすらならない“音”を発する。それを返答とみなしたカドリは、舞い上がったように続ける。


「僕はね……まだ完璧じゃないんだ。涙を流して、君を手にかけることを惜しんでいる。実をいうと…ジェミニ君の時も僕は泣いてしまった。それが救いだと分かっているのに…救いの手を差し伸べ、にこにこしてあげないといけない立場の僕が! 心のどこかでまだ殺害それを恐れて、悲しんでいるんだ。救ってあげないといけない立場の僕がそれを怖がっているなんて……いけないことなんだ。 だからねイブキ……一皮むける必要があるんだ。メテンとして…救済者としてッ!!」


「………ンンッ!!」

 ーーな、なんだ……あいつが両手を広げてから……もっと……苦し…く……


 気が付けば呼吸が完全にできなくなっていた。まるでデキモノが喉の奥で膨らみ、そのまま気管を閉じてしまったような……。気が付くころには既に窒息寸前。身体に力が入らなくなって這いつくばり、喉を掻きむしって悶える。


 バクバクと高鳴る心臓。緊張状態で窒息に陥る苦痛は壮絶なものだった。


「……あ……ドリッ……な……」


 ありえない量の涙と唾を地面に垂らしながら、のどに詰まった“なにか”を肺で押し上げようと何度も腹に力を込める。効果なし。思い切って喉の奥を指で押し込み、無理に吐き出そうとするもやはり効果なし。


「君は僕にとって最も親しい友人だッ!! 心からそう思っているッ!! 君には生きていてもらいたい友人だからッ!! でもッ! それでも君の辿る未来が地獄ならば……僕は君に…みんなと同じように飴玉をやらなければならないッ!! ここで君とちゃんとお別れをして…ぼくは今一度生まれ変わるッ!! イブキッ!! これで君は救われる……大切な想い人と共にッ!!」


 未練を振り切るように泣き叫ぶカドリ。生成した飴玉を傍らで倒れるルーツの口に近付ける。


「ルーツ……君もだ。君だけがこの場で生き残ってしまえば、イブキの死は自分のせいだと取り乱してしまうだろう……。だからせめて……あの世でイブキと手を繋いで欲しい……」


「あっ……やめッ……お……おっ!!!」


 最早手を伸ばす気力すらなかった。大切に想っているルーツが、自分と同じような苦痛を味わされようとしている。立ち上がることは愚か、声を張り上げて『やめろ』と叫ぶことすらできない自分を呪いながら、悟る。


 ーー遅かった……なにもかも…。どこから“手遅れ”なのかはわからないけど……なにかもっと…龍小屋あいつらの指示に従ってもっとまじめに…動いていれば……なんか出来たんじゃないんだろうか? それなのに俺は…クルドに逆ギレしたり…ラディを殴ったり……あいつらはただ……“殺人犯”を追っかけてただけなのに…馬鹿な俺の暴走で全部台無しになって……


 徐々にスーッと力が抜けてゆく。血まみれの顔面で空を虚ろに見上げ、運命に抱かれるように身体が浮遊していくような感覚と共に、一つの答えが浮上してくる。


 ーー俺……死んだ方がマシかもしれねぇや


 意識が死へと向かっていく様子は思った以上に安らかなものだった。冷静に働く思考はまるで自分のものではないような気がして不気味に感じたが、肉体的にも精神的にもただただ苦しいだけだった“現実”から逃れるように、縋るように、


 ーーそもそも俺がここに来て生きようとか思ったことがおかしかったんだ。あの時シューゲツの盾になり、あいつを生かしてやって潔くしときゃよかったんだ。願いを持たない俺なんかが…あろうことか龍小屋とかいう暫くは安全安泰の居場所みっけて……柄にもなく修行とか…任務とかやってよ……挙句……恋とか……馬鹿みてぇだ…俺なんかが恋って……


 ぼーっと半目を開ける。まるで平穏とは程遠い極限状態の中、見上げる青空はあくまでもいつも通り、なんの変哲もないただの昼空。


 少なくともイブキを除いた人らにとってこの時間はいつも通り、大人は労働の中で眠気との戦いに明け暮れ、子供はおやつを求めて母親に飴玉をせがむような平穏の溢れかえる時間帯。


 ーーシューゲツ……


 青空はまさにシューゲツだった。争いを好まず、平和を愛する者すべてに爽やかで、包容力があって、そして何よりもどこかスカしたような笑顔を振りまくように、生死の境を彷徨うイブキの上で青々と広がっていた。


 ーーそうか……俺を呼んでいるんだ。もういいだろう、一緒にあの世を旅しようって……それとも恨んでるのかな…なんで死んだのがお前じゃなかったんだとかな…きっとそうだ……俺なんかを旅に誘うわけねぇか…


 ―――そんなわけないだろう。


 空にはひとつの雲が浮かんでいる。ふよふよとどこを目指しているのか、自分でも目的地が分からず、且つそれを良しとし純粋に楽しむように、雲はまっ白い少女の形を模して何処かへ飛んでゆく。


 ーーあの雲…ルーツみたいだ……あの娘もあんな感じでいつも無邪気に……どっか行っちゃって……


 イブキは手を伸ばし、ルーツに似た雲に向けて手を翳そうとする。


 ―――君、この娘のことが好きなんだろう?


 意識が朦朧とし殆ど全ての音が聞き取れなくなってゆく中、はっきりと聞き覚えのある声だけが、魂の奥底から響いてくる。


 ーーえ……?


 ―――生きるんだイブキ。彼女の為に、君の為に。歩んできたこの一か月、間違いなく君は充実していたよ。楽しかったはずだよ。


 ーーたの……しい…


 もう一度一か月を振り返る。クルドやラディと言い争ったりご飯をたべたり、レイと柄にもなく必死で修行として力をつけていったり、ルーツに振り返ってもらうためにとにかく動いたり……。転生前、自分が拒絶し続けていたなにかを一気に埋め合わせるような日常の数々。


 イブキは気が付く、先ほどまで卑屈に感じていた日々を自ら楽しんで過ごしていたことに。そして感じた思いを青紫色に変色していた唇を動かして、呟く。


「生き……てぇなぁ」


 ―――じゃあ、力を貸そう。少しだけね。


 “彼”がそう語りかけてくれたその時だった。


「……んぅッ!!」


 身体の内から何かがこみあげてくる。なにか大量の液体が内側からじゃぶじゃぶと湧き出し、今にも勢いよく喉を押し開かんとしている。


 吐き気は感じなかったが、喉の付近が少しだけくすぐったい。イブキは地面に両手をつき、眼を見開く。両手を突いて吐き出そうと力を込めてれば、あれだけびくともしなかった喉の異物がぐりぐりと無理やり気管を押し広げて進んでゆく。


 ーーみ、水だ……どっからか……勢いよく水がッ!!


 理解するころには、既に異物は喉を突破していた。そのまま猛烈な勢いで水の奔流……とまではいかないものの、バケツ一杯分程度の水が、地面に叩きつけられるように飛び出してきた。


「……ッハァ!! ハァ……ハッ……なん……ハァ…だ?」


 久しぶりの酸素を存分に味わったあと、下を見てゾッとなる。


 吐き出した水たまりの中央付近には、ピンク色をした拳一個分ほどの大きな飴玉が転がっていた。勿論、こんな大きな飴を丸呑みした覚えはないし、バケツがいっぱいになる量の水だって飲んだ記憶はない。


 ただひとつだけ、イブキは果たさなければならないことがあった。それは飴や水などの解明などよりもずっと重要で、できれば今すぐに実行しなければならないこと……


 ーーそ、そうだ……ルーツッ!!


 ぐったり横たわるルーツの前に立ちはだかるカドリを睨み、イブキは立ち上がる。黒々と輝く龍皮を影の中に潜ませ、腰を低く構える。


「イブキ……君は…いけない人だ」


 飛びかかるイブキ。潜ませた右手を巨龍の爪を模した形で顕現させ、カドリの身体を覆う。


「どけッ!! カドリッ!!!」


 右手を翳し、そこから傘状の飴を展開する。強度は充分だったが効果は防ぐだけに留まらなかった。爪を防いだ後に飴の強度を崩し、溶解させることによって強い粘り気を持つ水飴に変化。爪に絡みつき、呑み込まんとイブキの身体に這いずるように迫ってくる。


 これ以上前に進んでしまえば、まず間違いなく腕が飴に食い込み、下手をすればあの時の黒角人間らのように飴で身体を固められてしまう。


 抜け出すには影と化した自身の右手を犠牲にしてても、距離を置くしかない。


「……それくらい…くれてやるよッ!!」


 イブキは踏み込み、手首から先の影を千切ってから飛び退く。対空する彼の上からふわりとまっ白いワンピースをひらめかせたルーツの身体をで抱きとめ、着地の勢いを利用して更にカドリから距離をとる。


 ーーよしッ!! うまくいったぞッ!!


 喜びを隠しきれずに小さくガッツポーズするイブキに対して、カドリはすこぶる不快げに呟く。


「……どういうわけかな?」


 飴の盾にべっとりと絡みついた木の枝を見つめ呟く。手に取ってみても何の違和感もない、ただの木の枝。それをふたつにへし折ってからギロりと目を見開き、


「君は大切に想う子が死んでも生きていたいと思うのかな? 折角君が未練を残さないように、君と同じタイミングで逝かせてあげられるように彼女を呼んでおいたのに」


 イブキは膝をつき、そっとルーツの頬に触れて、まだ生気が宿っていることを確認してから…


「少なくとも…今のお前のやり方は救いなんかにはならねぇよッ!! 俺は…どれだけ辛くてもみっともなくっても……仲間を見殺しにして…す、好きな人を命の危険に晒してしまっても……生きたいって思ったんだ…この生活を護って……必死にッ!!」


「……救済…は……僕の…使命だ……そのはず……そのはずなんだ……」


 カドリは思っている以上に動揺しているようだった。その隙にイブキは大きく飛び退いて距離を取り、今一度彼女の状態を確認する。


 まだ暖かい少女の身体。頬には涙の乾いた跡が残っており、目を閉じていながらもその表情は酷く悲しんでいるように見えた。


 相当衰弱しているようで死人のように動かない。華奢な身体にはまったく力が入っておらず、大きな人形のようだった。それでもまだ息はあるようだった。


 ーーやっぱり……俺と同じ…でかい飴を中に仕組まれているのか…?


『ごめん』と一言入れた後、彼女の口を開いて喉の奥を確認する。視認は難しかったものの、そこにはイブキのものよりは少々小さいが、呼吸を止めるには充分に大きいサイズの飴。


 とにかく取り出さねば、彼女は手遅れになる。先ほどは偶然、自分でもわからない謎の力が働いて助かったが本来、どのようにして取り出すのが正解なのかは、イブキ自身でもわかっていない。


 ーーどうする……手を中に突っ込んだところで……あんなでかいの…取れるわけ……


「僕が救うッ!!!」


 水飴を纏い飛びかかってきたカドリを躱し、イブキはハッとなる。


 ーーそうか……あの飴がカドリによって作られたものだとしたら…飴にも魔力が巡っているはずだッ!! 正直魔力とか全然しらねぇけど……もし魔力それで出来ているものならば…俺の影の魔力と繋げればッ!!


 ルーツを抱え、なるべくカドリから距離をとってから彼女の口を開く。喉の奥につっかえるように挟まったピンク色の飴玉。イブキは一度生唾を呑んでから覚悟を決める。


 ーールーツ……ごめんッ!! でも今の俺には…これしか思いつかねぇ!!


 ぎゅっと目を閉じてから彼女の口内に舌を入れる。舌を象った微量の影は、しっかりとルーツの喉を塞ぐ飴を捉え、少しづつ持ち上げてゆく。


 左手をルーツの腰に回し、あえて残しておいた右手はいずれ追いつくであろうカドリから逃れるため、ロープのように遠くの瓦礫を掴ませていた。


 接着を確認するや否や、勢いをつけて一気に飴を引きずり出す。それと同時に襲い掛かってきたカドリを躱し、地面を蹴り上げて掴んでおいた瓦礫の上に着地する。


 軽くせき込むも、眼は閉じたままのルーツを今度は両手でしっかり抱えたまま、彼女を苦しめていた忌々しい飴玉を吐き捨てる。


 ほんのり甘酸っぱいイチゴの味がした飴玉は、目を見開きこちらへ向かってくるカドリに踏みつけられて粉々に砕け散った。

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