第32話 イブキの選択

「き、きめる……時?」


 服に着いた土を払いながら立ち上がるイブキは、よくわかっていないようなトーンで聞き返す。


「それは君の“これから”でわかることさ……少し、集中させてくれ」


 カドリの両腕は龍皮化していた。透き通った薄いピンク色をした蝋の塊のような両手を握り、静かに構える。


「なんだよその龍皮。ガチャガチャのシークレット枠みたいにちゃっちぃ見た目だな。大事に使った方がいいんじゃないのか?」


「驚いた。てっきりその整った顔を第一に心配するかなと思っていたんだけど……キミこそ、スターだったのだから身体は大切に。シンガープリンスラディスラス君」


 ラディの目付きが鋭くなる。冷静を取り戻したはずの彼は、何故かカドリの煽り文句ひとつで地雷が作動したかのようにプルプルと、煮えたぎらせて行くように身体を震わせているようだった。


 カドリの言葉の中にラディのコンプレックスが隠されているように感じたが、立場的にも状況的にも彼らの丁度真ん中に位置するイブキにはそんなことを考えている暇など無かった。


 まさに“一触即発”を一身に受け、生唾を呑んで表情をひしゃげる。


 ーーどうすりゃいいんだよ……これ…


「どうする? ごめんなさいって謝ってくれるならやめてやってもいいぜ?」


 ーー予定通り……カドリに付けばいいのか? でも………


「不格好な剣先を向けられてそんなこと言われてもね。僕は待っているんだ。はやく来てくれないかな」


 ーーだ、だめだ……手が震えて……何のために……俺はッ!!


「……想像以上にムカつく奴だな。後悔……すんなよッ!!」


 捨て言葉と同時に腰を落とし、カドリの喉めがけて飛びかからんとしたラディ。ただそれは結局姿勢のみに留まってしまう。


「クソがッ!!」


 ラディの両足に纏わりついた水飴の沼。ねっとりべったりと、奥歯に張り付くチューイングキャンディのようなそれは、徐々に下半身から呑み込むようにラディの自由を蝕んでゆく。


「もう一度砕いてみよう…君のステキな顔面をッ」


 カドリの右手は、水飴でできた巨大なグローブとなってラディに迫る。足場も固定された状況でこれを躱すのは、至極厄介なものだった。


「……!! ラディッ!!」


 まるで彼を心配するかのように、自分は叫んでいた。


 ーー俺は……どうしたいんだ??


 無理な姿勢で双剣を水飴グローブにぶっ刺し、なんとか直撃を免れるラディ。そのまま押し切らんとするカドリに負けじと足腰を踏ん張らせ、何とか持ちこたえていた。


「……ッ!!」


 目を細めるカドリ。身体の自由を奪っておきながらも、力量ではラディに一歩劣ることを思い知らされ、珍しく不快感を走らせた。


「経験の差が出るなッ!!」


 どっぷり水飴に浸かった双剣はちょっとやそっとじゃ離れることはない。ラディはそれを逆に利用すべく双剣をグッと引き寄せ、カドリの身体を引き込む。


「……アッ!!」


 体勢が崩れ、フリーになったカドリの顔面めがけて思い切った頭突きをかます。


 鼻血を散らしながら悶えるカドリ。優勢に立ったところで握る双剣に力を込める。


「仕上げだッ!!!」


 グローブごとカドリの身体を持ち上げ、背負い投げるように地面に叩き付ける。それだけでなく、予め張り込んでおいたのか下に敷かれた土が、カドリの周りを取り囲むようにして盛り上がっていく。


大地を借りて現れし者グランド・マスター、奴を拘束しろ!」


「……ッ」


 カドリは水飴を張り込み、大口を空ける大地に抵抗を試みる。


 巨龍の口を象った大地の檻は、牙の1本1本に水飴が絡み付き、中々拘束しきるには至らない。


「……無駄だッ! そんなことをするくらいなら反省に時間を使えッ!!」


「い……イブキ………!」


 友に呼び止められ、イブキはハッとなる。常に達観した立ち位置でイブキやルーツを先導していくカドリが、苦痛を顔で表しイブキに助けを訴えている。


「か、カドリッ!!」


「……えら……ぶんだ」


「……えっ??」


「君……はッ! どう……したいッ!!」


「お、俺がッ!?」

 ーーそんなこと言われたって……どうすりゃいいんだよ…


 取っ組み合いラディとカドリ。どちらかに加担すれば、どちらかが敵に回る。


 カドリは友達だと思っていた。自分を命の危機から救ってくれたし、ルーツとの仲を取り持ってくれたりもしてくれる大切な友人。彼がなにか掟を破っていたとしても『悪いことはしていないであろう』という確信が持てたのも、カドリを友として認めているからこそだった。


 かといって、なんだかんだ今まで飯を食わしてくれたり世話をやいてもらったラディをふたりで手を合わせてボッコボコにするなんて出来るはずがない。確かにはじめこそはそのつもりで息巻いていたが、実際に一発彼の頬に拳をぶつけて、気付いた。


 ───“人”を殴るのは、想像以上に心が痛む。


「……めろ…」


 取っ組み合い続けるラディとカドリ。地力の差が見えつつ得るのか、徐々にラディの大地を借りて現れし者グランド・マスターの口はカドリを飲み込むように閉じつつあった。


「やめろ……!!」


「……ブキッ!!」


 カドリはこちらへ手を伸ばしているようだった。恐らくもう自力ではどうにもならないところまできているのだろう。


 ーーでも…俺が……グダグダやってる間に……カドリは…!


 イブキも同じように震える黒い右手を差し出す。どちらかに加担するとかそういった損得の話ではなく、もっと純粋で簡単な理由。


「向こうへいけイブキッ!! 出しゃばるなッ!!」


 叫ぶラディ。いつもの嫌味ではなく、語気の強まった必死の訴え。不器用なりに表した、ラディスラスのやさしさ。それを、その想いを……


「ごめん無理だッ!! 頼むやめてくれラディッ!!」


 影を伸ばし、覆いかぶさるように塗りつぶした。


 “嫌”だった。友達と身内がお互いに泥まみれになりながら争っている様を見るのも、棒立ちのまま動かない自分も。


 それが仮にラディの邪魔になろうとも、友達が目の前で拘束されてゆく様をこれ以上黙って見ているなど、できるはずがなかった。


「イブキッ!!」


 影に巻かれ、自由が効かなくなるラディ。その影響で盛り上がっていた大地徐々に鎮火をはじめ、反対にカドリは身体の自由を取り戻してゆく。


「イブキッ!! おい離せイブキッ!!!」


「ごめん……無理だッ!! 見てられないんだよ! 戦ってばっかで話し合おうとしないお前らはッ!! 見てられないッ!!!」


 気が付けば、血を吐くように叫び散らかしていた。ボロボロと滝のように溢れてくる涙。取り乱しながらも右手に込める力だけは緩めず、ふたりを引き剥がさんと奮闘する。


「イブキッ!!!」


 影を掴み、引き剥がさんと力を集中させるラディ。比例するように大地の檻は強度を失い、ポロポロと崩れていった。


 完全に自由を取り戻したカドリ。スラりと立ち上がり、泣きじゃくるイブキに向け優しく微笑み、


「……ありがとう。大切な友達」


 ラディの腹を蹴飛ばした。


「ぐぁッ!!??」


 想定していなかった反撃は、ラディ本人から漏れた悲鳴によってその威力を証明した。


 腰を中心点として身体がくの字に曲がる。満足に受け身の取れなかったラディは、血反吐を吐き散らかしながら地べたを転がり、再び土まみれとなった顔面で不気味に笑うカドリを睨みつけ、


「クソ野郎……」


 戦犯となってしまったイブキは、カドリに詰め寄る。


「な、なにしてんだよッ!! お、お前が反撃しちゃ意味ねぇだろ! おいッ!!!」


 澄ました顔のまま、カドリは答える。


「びっくりしたんだよ。びっくりしたからはやく離れてもらおうと思ってね……」


「な、何言ってんだよッ!! あ、あんなに……強く蹴ることねえって」


「イブキ」


 カドリは真剣な顔付きで向き直り、


「選んでくれてありがとう」


「選んでくれて……? ちょっとお前ほんとにどうした!?」


「イブキ……大切な話があるんだ」


「……ああッ!? 俺の話を聞けよッ!」


 カドリは手を伸ばす。薄ピンク色のクリスタルのような透明感のある龍皮を、困惑と驚愕でごっちゃになっているイブキの表情をしっかりと見つめながら、肩に手を乗せる。


「僕と君とルーツで、ここを……」


「ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!」


 カドリの提案は、イブキに伝わりきることは無かった。


 それ以上に大きな、最早絶叫にも近い聞き慣れた“気合いの発声”に掻き消され、それどころでは無くなったからだ。


 背中に伝わる暑苦しい感覚。鼻をくすぐる信頼、安心、少しの恐怖と下心を混在させた嗅ぎなれた甘い香り。


 ───“奴”が来た。


「せ、せんせぃッ!!??」


「……ッ!!??」


 唐突にやってきた少女に反応する頃にはもう遅かった。イブキに詰寄るカドリのガラ空きの脇腹は突然飛び込んできたレイの、鞘に収まったままの剣に捉えられ、勢いよく身体が反対方向へと弾かれる。


「ンンッ……ッ!?」


 足腰を踏ん張り、土俵に留まるカドリ。握りしめたままの腕は“反撃”を企んでいるようにも見えた……が、


「甘いッ!!」


 握る拳に乾いた打撲音。お見通しというように鞘の先っちょで拳を弾き、紅に染まった左手でカドリの顔面を殴打。体制を崩した後自身の膝を支点、持ち手を作用点、そしてカドリの脇腹に引っ掛けておいた剣先を力点として思いっきり掬い上げる。


「……ッ!!」


「か、カドリ……」


 声にならないうめき声をあげながら滅多打ちにされる友人を、消え入るような声で呼びかける。


 当然そんな言葉など耳に入らないレイはカドリに追撃を与えるべく更に前に飛び込む。


 飛び込む寸前、彼女はこちらを流し見た。自信と勇敢さをたたえた何よりレイらしいその表情。きっと彼女はこう言っているだろう。


 ―――よく見ていて! イブキ君っ!!


「いったい……君は……!」


「はぁっ!!!!!!!」


 レイは素早く鞘から剣を抜き、カドリの纏う拳の飴細工を切断する。陽炎を纏った鮮やかな太刀筋は、極限状態の中でもうっとり魅入ってしまうほどには美しかった。


「ず、随分……と……乱暴な人が来たかと思えば……君は……」


「はいっ! “炎桜”! レイですっ!!!」


 ーー自分で名乗るのか……


 呆れを含んだ視線で改めて彼女の背中を見やる。揺らめく陽炎の中で剣を構えるその堂々たる姿に注目したのはほんの一瞬。


 彼女の纏う、奇抜極まる異様な衣装が気になり、


「せ、先生……なんすかそのわけわかんない恰好は……」


「猛炎・大爆発鎧セットですっ!!!」


「も、猛炎大爆発鎧セットォ!!??」


 全身を包む真っ赤な鎧は、何やら安っぽい感じの輝きを放っている。ゲーム広告のサムネイルにされていそうな胸部やら太腿やらが大きく露出したコスプレ衣装みたいなそれを、寧ろ見せつけるようにくるりとターンしている。


「ちょっ! 先生ガチで恥ずいっす……背中とか足とか丸見えじゃないっすか……」


「千年間燃え続けている聖なる炎が封印されているんですよ? どのへんが恥ずかしいんですか?」


 これ以上は何も言わないでおこうと口を噤む。明らかにインチキ感漂う猛炎大爆発鎧セットを、あんなに楽しそうに着こなしているのだから……。


「そんなことよりも……そこの人っ! よくもよくもよくもわたしの弟子や仲間を!! 金輪際許しませんっ!」


「金輪際……?」


 少しズレたような言い回しに困惑するイブキを気にせず、レイは白刃の先をカドリに向ける。


「……ッ!!」


 珍しくカドリは動揺しているようだった。唇からツーッと流れる鮮血を拭い、目を細める。


「……どうやら…君は結構おじゃまかもしれないね」


「それはおまえだ」


 声のする方角を振り向くカドリ。血反吐と共に憎まれ口を吐き捨てるラディは、双剣を握る手に力を込めてカドリを逃がすまいと戦闘の構えをとる。


「……困ったね」


 ぼやくカドリ。眼前には“炎桜”、背後には“土王子”。ふたりともバルボレスでは名の通ったメテンである。事実、ラディには力比べで敗北し、レイの突然の猛攻には一切対応出来なかった。


 だからカドリは“準備”を済ませておいたのだ。格上のふたりを一瞬で沈めることが出来るほどの“呪文”発動の準備を。


「“発動”させた方が…よさそうだ」


「ッ!?」


「あっ……」


 ーーなんだ……? 先生たち。いきなり戦う気なくしたみたいな……


 一番近い位置にいたレイに特に違和感を感じ取るイブキ。あれだけ闘志に満ちていたはずの彼女は、悔しげに剣先を震わせているばかりで追撃に動かずにいる。


「……どこまでだ? どこまで撒いた?」


 既に龍皮化を解除したラディは、苦虫を嚙み潰したような顔でカドリに問いかける。


「さぁ……なんのことかわからないかな」


 ラディの方角を向いて答えるカドリの表情は、イブキの立ち位置からだとどうしても見え辛い。ただしその声色はどこかからかっているような愉しんでいるような……妙な不気味さを孕んでいるように思えてならなかった。


「とぼけんなよ。おまえが使ってきた龍魔力でこっちはもう核心ついてんだ」


「それならば……君が僕にしたことはどうなるのかな? そこで構えているお嬢さんは、イマイチわかっていないのかな? 刃をこちらに向けているようだけど……」


 レイのいる方角へ振り返り、イブキにとってはいつも通りに優しく語りかけてくるカドリ。何も変わっていないはずの彼のセリフに、


「……わかりました」


 レイはあっさりと剣を手放し、俯いた。


 カランカランと真剣が地面で踊る音だけが一同の空間を包み込む。取り残されたイブキはオロオロと三人を見渡す。


「か、カドリ……」


 カドリと目が合う。いつもと変わらない、彼の細い糸のような瞳。にこりと微笑みながら、彼は音を立てずにこちらへゆっくりと歩き始める。


「……ところで」


 イブキの正面に立ったところで一度歩を止め、


「君たちは何をしに来たのかな?」


 その一言が、どうしようもないほどに不気味でならなかった。友達であるはずの彼の一言に、何も強い言葉を含んでいないただの疑問に、イブキの肌はゾクりと逆立っていた。


「……!」


「………」


 黙りこくるレイとラディ。完全に場はカドリが支配しているようだった。ジッとこちらを見つめてくる彼に、


「……お前、どうしたんだ?」


「どうもしていないよ。さて、孤児院に入ろうか。ルーツも僕たちを待っている」


 そっと手を差し出すカドリ。シューゲツを彷彿とさせる、白くて中性的な手……。


「……おう」


 やはり彼を疑うことはできなかった。シューゲツの面影を感じるからというわけではなく、あの岩山での一件から何度も助けられ、相談に乗ってくれたカドリ。神出鬼没ながら、彼は裏方から手を伸ばし、自分を支えてくれる。同じメテンながら争わずに語り合える、イブキの数少ない友人。レイやラディとはまた別の想いを、彼には抱いていた。


 だから……


「……イブキ。どうしたのかな?」


 カドリは不思議そうに問いかける。イブキの足に踏みつけられた自分の影を見つめて……


「おっ俺は…お前を信じてる。だから、ここから離れて話し合う。どうして先生たちとそこまで険悪なのかもな」


「イブキ君っ!! そいつから離れてっ!!」


 黄色い声でレイが叫ぶ。本当に“命が狙われている”とでもいうように叫んでいる。それでもイブキはカドリの影を離さなかった。レイの忠告を受け入れてなお踏みつける足に力を込め、


「俺とお前は……友達…だ」


 “友達”その単語を受け取ったカドリは、本当にうれしそうに表情をやわらげ……


「ありがとう。イブキ」


 カドリの手を掴み、走り出す。ひとまずレイとラディから離れるべく、少し遠い場所へ。何事でもない、ただ友達を信じるために、イブキは決意する。


 ーーこれでカドリがクロなら……俺が…倒すッ!!

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