第31話 作戦決行

 イブキは走る。『やっちまった』とばかりに顔面を青くし、とりあえず門をめがけて走る。


 思い返せば昨日思いついた後、『とりあえず仮眠を取るか』と横になったことが敗因だった。目を覚ました時には既に朝日というには暑すぎる日差しに視界を遮られる時間帯。11時を指す、立てかけられた古びた時計としばらくにらめっこした後考える暇もなく小屋を飛び出したが、そのおかげもあって本当に何の準備も済ませていない。


 後の祭りというように、今更悔やんでも仕方のないことではある。ただそれをわかったうえでも、昨日の自分を憎まずにはいられなかった。


 ーーああ畜生!! なんで俺っていつも失敗ばっかすんだよ!! あそこは普通無理矢理にでもベッド飛び出してなんか……いや! 正直クソみたいに疲れてたししょーがねーよあれは! 絶対寝るねッ!! 寝るけどもッ!? 本気で思ってるならどーのとかそういうこと言われるとなんも言い返せねぇよくっそッ! 畜生間に合え! 間に合えッ!


 カドリは神出鬼没であり、一体いつやってくるか分からない。だからこそ、龍小屋の面々はどこかでカドリを待ち伏せているだろうし、イブキが寝坊している間に全てが終わっているかもしれない。


 孤児院の周りを見張っておき、龍小屋よりも早くカドリを捉えて保護する作戦は、自分の引き起こした大寝坊のおかげで早くも佳境を迎えていた。


 ーーひとまずどうする? やっぱりルーツのとこか? あの娘の様子でだいたい察っせるか!? まだ来ていないなら龍小屋は見つけられるだろうし……見つけて逆尾行するか?? ……先生だけは来てませんように……!


「………したの?」


 頭と身体をフルに使っている状態だった故、消え入りそうな少女の声に気が付くのには少し時間がかかった。


「お兄ちゃん……どうした……なの?」


 ユーミは狼モードに変わって気付かないイブキを回り込んで呼びかけた。


「ゆ、ユーミッ!」


「お兄ちゃん……来てなくて、心配だったから呼んでこようかなって思ってたところ……なの」


「お、おう……ごめん…」

 ーー手を煩わせてごめんなさいユーミ先輩ッ!! 寝坊っす! 寝坊なんですッ!!


 のしかかってくる罪悪感。ただそれ以上にこの緊迫感の中、イブキが信頼しているユーミの声を聴くことができ、少しだけほっこりと心を休ませることが出来たのは救いに感じた。


 ただ、いつまでもゆっくり話している時間などあるはずもないイブキ。


「そ、そうだユーミッ! カドリって覚えてるか? あの目が細い奴ッ! 」


「ん? 来てないなの……あの飴玉くれた人でしょ?」


 ホッと一息付いた後、ユーミの肩を掴んで、


「わかった。俺はカドリを迎えに行くってルーツに伝えといてくれるか?」


「……うん? ………わかった……なの」


 ユーミは終始不思議そうな顔をしていたが、そんなに構ってやれるわけでもない。イブキは再び門へと駆け出す。


 ーー下手に龍小屋の奴らみっけて張り込むとかやったら……逆に察知されて台無しかもしれねぇ…! だったら普通に…見つけなくていいッ! あえて同じようにカドリを待ち伏せる。そしたらあいつらも出てくる。絶対戦うとは言い切れないから少しだけ様子見て……戦闘になったタイミングであいつらの影を踏んで逃がすッ! 一応今なら10mちょいは影を伸ばせるしな……正直くそこええけど……


 イブキは気配を殺し、ダリガードを監視していた時の隠れ場所、街路樹の穴場へと身を隠す。


 ーーここなら……とりあえず正門はカバー出来る。お客さんはだいたいこっから来るしな……つーか他に入口あるとか聞いたことないし……うん。大丈夫。大丈夫……かな…


 ―――本当に正門であっているのか


 ―――気配はちゃんと修行した通り殺せているか


 ―――レイとかレイとかレイとかレイみたいな格上が来てもしっかり対処できるのか?


 不安要素は挙げだしたらキリが無かった。しかし、これ以上の作戦をイブキの頭で捻り出すことはできなかった。一瞬だけユーミに手伝って貰おうかなとか考えてもみたが、それは流石にカッコ悪すぎるというプライドが勝り、断念した。


 毎分毎秒、精神を研ぎ澄まして異変を探し当てる行為は、純粋な戦闘行為とは別の疲労感が襲ってくる。途中で何度も途切れそうになるものの紙一重で集中力を保ちながらなんとか目を凝らし、用心深く見張っていた先に……


 ーーきたッ!! カドリッ!!


 何も知らない様子のカドリは手提げ袋を片手に、大通りまでの道をのほほんと歩いてきてくる。


 実際はまだ一般人にはまだまだ認知出来ないほどの距離にはなるのだが、ここは龍の力を持ったメテンとしてのフィジカルが光る。よく目を凝らしてみれば、結構な距離までを覗くことが出来る。


 張っておいたポイントが見事的中してホッと胸を撫で下ろす反面、『ここからが本番』という緊張感も同時に襲い掛かってくる。


 狭い空間で息を殺し、必要以上に高鳴る心音。干上がってゆく喉を抑え、イブキは悶える。


 ーーやべぇ……喉めっちゃ乾いた……息すんのもつれぇ……倒れる……まじで倒れるぞおおおこれは……


 一滴の唾すらも作れない、砂漠に等しい状態にまで渇きつくした喉。気がつけば視線はカドリではなく孤児院の門の先にあるホースに釘付け。


 門の外装を整える為に置かれた花々に水を与えるためにあるそれは、少し身を乗り出して影を伸ばせば、届きそうな気がしてならなかった。


 ーーいやッ! このタイミングで龍皮化はやべぇだろ……だからといってこの場を出るのも……。ああ畜生!! めっちゃ水飲みたいまじで喉乾いたちくしょおおおおお!!


 イブキは少し身を乗り出し、静かに龍皮化させる。彼は最高に自分に甘かったのである。我慢ができないと言うよりは、『喉が乾いたらまともに戦えない』という名目で自分の脳を騙し、少しづつ少しづつホースへと潜ませた右手を近づけて行った。


 ーー届け……ああダメか……もうちょい乗り出した方がいいか? もうちょい……もうちょっと……もっとか? もうちょっと出しとくか……届け……届けぇ!!!


 体は既に、街路樹から半身露出していた。つまりほぼ隠れたことにすらなっていないどころか、ちらほら道行く人々にその奇怪な姿を見られ、悪目立ちすらしている。


 それでも後に引けないイブキはホースを掴み、そこからチョロチョロ溢れ出てくる水を得ようと影を引っ張る。


 ーーカドリもまだ気がついてねぇ……近くを通るやつは見てるっぽいが、意外となんとかなるもんだな……多分龍小屋のやつもカドリに釘付けで俺の事とか見えてないんだろ……よし……行けるぞ……いけぇ!!


 そのままホースを一気に引き寄せ、すぐに水を取ろうと口を近づける。それと同時に彼の背中に、なにか筒状のものが当たるような鈍い痛みが走る。


「ふぎゃばぁ!!??」


 反射的に『攻撃をされてしまった』と勘違いしたイブキは、身をくねらせて痛みがした方角を振り返る。


 そこには水筒が落ちていた。銀色の鉄で出来た何の変哲もないただの水筒。


 わけも分からずそれに飛びつき、蓋を開ける。結構な量で入っていた水をカブガブと胃に直撃させるように取り入れる。


「……た、助かった……誰だか知んねぇが……まじで干からびるかと…思ったっス……」


「そうだな。おまえがどうしようもない馬鹿で助かった」


「えっ………」


 聞き覚えのある、少し掠れたイケメンボイス。見上げる視線の先には、サラッサラの茶髪を揺らし、ジーパンのようなズボンのポケットに手を突っ込んだ長身のイケメンが、バカにしたようにこちらを見下ろしている。


「ら……ラディ……ラディ!!!」


 目を見開き、眼前のイケメンの名を叫ぶ。ラディはふんっと鼻を鳴らした後、その鋭い瞳でキッとイブキを睨む。


「おまえ……わざわざ昨日オオサキさんが言ってただろ。この件には関わるなと。あの白いヤツに聞いたのかは知らないが、よくもまあそんなとこでアホみたいに待ちぼうけでいるもんだ」


 ギリッと歯を食いしばり、睨み返す。


「友達を……考え無しに疑われて……黙ってられるやつなんているのかよ…」


「逆に考えてないで疑ってると思っていたのか? おまえ」


 はぁとため息をつくラディ。その呆れたような態度が、気に食わなくて仕方がなかった。


「クルドといい……お前ら……バカにしやがって……!」


「友達を救いたいのか? 馬鹿にされるのが嫌なのか?」


「そんなの……どっちも嫌に決まってんだろうが!」


 遠吠えするように叫ぶイブキ。気だるそうに髪をいじるラディは続ける。


「大体おまえ……意見が一辺倒に偏りすぎてんだよ。疑われてるメテンに対して『友達だから違います』とか頭が悪すぎる……人の命が関わってんだ、くだらねぇ友情ごっこに浸ってたいなら“リタイアメテン”達と一緒にどっかに潜んで暮らしてったらどうだ? おまえはとびきり弱虫だからな」


 ーーこいつッ!!!


 スラスラと煽り文句を披露させるラディに上手く乗せられるように拳を握りしめ、プルプルと震わせるイブキ。火に油を注ぐ勢いで、


「だからクルドも、オオサキサンも遠回して言ったんだよ。『おまえは関わるな』ってな。変に首突っ込んだせいで邪魔しかしてねぇじゃねぇか」


「邪魔……じゃねぇ……」


「いや邪魔だろどう考えても。俺が今ここに来たのもすべて、おまえが変に暴れるせいで台無しになる可能性だってあるんだ。悪いがこれ以上邪魔するってんなら……」


「っせぇ!! っせえんだよ!!!」


 イブキは飛び込む。既に影が踏まれており、身動きの取れないラディ。そのまま龍皮化した右手を憎らしい整った頬にめり込ませる。


「……グッ!! この……クソ野郎が!!!」


 足を踏ん張って持ちこたえたラディは、反射的にイブキの頬を同じようにぶん殴る。


「いっ……つ……!!」


 思ってもみなかった反撃に、イブキは体ごと大きく投げ飛ばされ尻もちをつく。


 再びイブキが見上げ、ラディが見下ろす構図。一つだけ違うことは、先程よりずっとお互い冷静とは言えない状況であることだろう。


「おまえ……本気でぶっ殺されたいみてぇだな?? お???」


「るせぇよ……怖くねぇんだよ…そんなこと言われてもよ!!」


 ガタガタと震える足でなんとか立ち上がり、傍らにあった街路樹の茂みを毟り、ラディに投げつける。


「うざってぇッ!!」


 彼は龍皮化させ、イブキめがけてそれを振りかざす。


「……なにッ?」


 眉をひそめるラディ。確実に腹を射止めたはずの拳は、まるでキャッチャーミッドに収まる硬球のようにすっぽりとイブキの右手に捉えられていた。


「……俺だって…強くなってんだよッ!! つかえねぇとかいってんじゃねぇ!!」


 まだ龍皮化のできない左手でラディの頬を再び抉る。唇を切り、血のにじんだ彼の横顔に心の奥底がキュッと締め付けられるのがわかった。すぐに押し殺し、もう一度振りあげようとする。


「っとのことも……しら…ねぇで……!!」


 ラディは空いた左手でイブキの胸倉をつかみ、力いっぱい持ち上げた後地面に叩きつける。


「おいギャラリー共!! 今からメテン同士ど派手にやりやうからよ!! 巻き込まれたくないなら近づくな!!」


 イブキを押し倒した後、その細身な喉からは考えられないほどの声量ででラディは野次馬共に叫び伝える。


 退きはじめる人々、すぐにキッと鋭い目つきでイブキに視線を戻し、暴れる彼を押さえつける。


「……ッカ!!」


 一方のイブキ。背中の衝撃に押され、体内の空気が吐き出される。背丈、手足の長さ両方においてラディより遅れをとる彼は、必死の抵抗も虚しく完全にマウントポジションを許してしまう。


 ラディは拳を握り、イブキの顔面目掛けて思いっきり振り下ろさんとしている。


 直撃を恐れ、イブキは反射的に目をつむる。無防備に晒した頬の筋肉を精いっぱい強張らせ、少しでも衝撃に耐えんとするも、中々攻撃に移らないラディを不思議に思い恐る恐る目を開ける。


 拳を振り上げたまま固まるラディは、至極ばつの悪そうな表情で言い放っていた。


「おい……今からおまえをボコボコにぶん殴ってやるのによ、はじめから泣かれたらやりがいがねぇじゃねえか」


「……ぃてなんか……ねぇ!!!」


 言葉とは裏腹に頬を伝う涙。自分でもわけがわからないそれを、叫ぶことで振り切ろうとする。


 ーークソ……なんでいつも泣くんだよ俺は……。


 少なくとも自分が恐怖しているとは思えなかった。恐怖からくる涙ではないのならば、いったい何が辛くてムカつく奴の目の前で泣いてしまっているのだろう。


 ただし、イブキの涙は一旦お互いの感情を鎮めることに一役買っていた。


「……クソ野郎。てめえから仕掛けておいてなんだそれは」


「……せぇな。いらないとか知るなとか邪魔とか……ムカつくこと言うからだろ……」


 そう吐き出した途端何故か恥ずかしくなり、ラディから目をそらす。


『はぁ』という大きなため息が聞こえてきたかと思えば、完全に落ち着きを取り戻したような元の少し掠れた……


「……あのなぁ。それはおまえの理解力の無さが致命的すぎるだけで……」


 突如、ラディの身体が消えるように吹っ飛ぶ。先ほどまでイブキの身体を押さえつけ、ぺらぺらとけだるそうに話し始めていた彼の身体は、手前にある綺麗に狩り揃えられていた植木の束に腰から突っ込んでいるようにして倒れていた。


「……えあ!? ラディ!?」


 その代わり、イブキの横に立つのは細身で糸目の不思議なオーラを放つ青年。


「僕の大切な友達に……なにをした」


 腹を抑え、口を拭ってこちらを睨みつけるラディに向け、青年は静かに呟く。


「……カドリ!」


 先ほどまで遠くで見張っていたはずのカドリが、自分が救おうとしていたはずのカドリが、あろうことか自分を助け、火中に飛び込んできたのだ。


「……そっちから…来るとはな……こっちも下手に追跡する手間が省けたというわけだな」


 ラディは起きあがり、土ぼこりを払ってから残りの左手と両足を龍皮化させ、構えをとる。先


 ほどまでイブキに向けていた“怒り”とは違った“殺意”を込めた彼のオーラは、直接向けられていないイブキもビリビリと体中の神経が逆立つ程に強力なものだった。


「さぁイブキ。決める時が来たみたいだね」


 優しく語りかけるカドリ。未だに尻もちを付けたままのイブキは止めることもせずにただ、にらみ合う両者を戦慄の視線で見つめるのみだった。

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