第33話 カドリの救済論

「大丈夫ですか? ラディさん…」


 レイは携帯していた傷薬をラディの頬に近づける。塗られた瞬間ヒリヒリとする痛みが強まり、ラディはわかりやすく顔をしかめて、


「おい……悪化してないか? なに入ってんだ?」


「軟膏にビタミンⅭたっぷりの果汁を配合した特性傷薬ですっ!!」


「……おまえ、絶対クソまずいオリジナル料理とか作ってんだろ」


「ど、どうしてそう嫌味ったらしいんですかっ!? 家でも同じなんですかっ!?」


「うるせぇ」


 レンガで出来た孤児院の外壁に背中を預けるラディは、しっしと横で膨れるレイを払いのける。悪化した頬の傷を布で擦り、ため息をつく。


 レイはおずおずと傷薬をしまいながら、


「それにしてもラディさんが顔を殴られちゃうなんて……。ごめんなさい……来るのちょっと遅れちゃって…」


「……こいつはおまえがシゴいた修行とやらの成果だ。よかったな」


「どういうことですか? わたしどっかでラディさんのこと殴りましたっけ……」


「他人をぶん殴った記憶なんてそうそう忘れないし違うんじゃないのか?」


 プイっとそっぽを向いて頬を触るラディと、未だにうーんうーんと記憶をたどり続けるレイ。そんな二人に、


「あっ……あの……」


 ひとりのお団子をふたつ頭に乗っけた紺色の少女が、弱々しい声で呼びかけてきた。


「あっ! 君はっ!!」


「……?」


 ぱぁっと表情を明るませ、少女に駆け寄るレイ。面識のないラディは視線だけを向けながら前髪をいじり、対応を彼女に託すように静観を決めた。


「ユーミちゃん……ですよねっ!? 元気にしてましたか?」


「……うん。それより……聞いてほしい……なの」


 紺色のお団子頭をレイに預けながらも、ユーミは聞いてほしいといわんばかりに上目遣いで彼女を見つめる。感情が表に出にくいユーミだが、この時ばかりは焦りを隠しきれていない様子だった。


「うううユーミちゃん~っ!! 覚えててくれてうれしいですっ!! こんなにかわいくてかわくて猛烈大爆発急にかわいくてもうもうもうっ!!!」


 もっとも、レイはそんな彼女の様子を察することはできなかったようだが、奥で見ていたラディには彼女の胸に食い込んだユーミが、ずっと手をばたつかせて何かを訴えようとしていることを見逃さなかった。


「……小さいやつにとことん嫌われてそうだな。おまえは」


「な、なんでわかるんですかっ!!??」


 グハッ!? と大きく手を動かして必要以上に大きなリアクションを取るレイ。圧迫から解放されたユーミは、むすっとラディをみて、


「……ユーミ、オオカミなの」


「え? ……あっああ、そうか」


 開放してやったのに不機嫌なユーミの様子にきょとんとなるラディ。顔を曇らせて前髪をいじる。


「ぷぷぷっ! 今完全にラディさん嫌われましたねっ! あーあー」


「うるせぇ」


 嫌味を返されるのに苛立ち、そっぽを向いて前髪を触り続けるラディと、そんな彼の様子にしてやったり顔のレイ。緊迫状態にあるユーミは、いつまでも両者にペースを掴まれ本題を切り出せなくなるのを危惧し、少しだけ声を張って、


「あっ……あのぉ!」


「ん??」


「……?」


 ふたりの注意を引くユーミ。年上のおおきなふたりに見つめられ、若干たじろぐ。それでも、


 ーーユーミはオオカミ……ユーミはオオカミっ!!


「る、ルーツおねぇちゃんが…いない! 助けてなのっ!!」



 *************



「なぁ……カドリ。どこまで行くつもりなんだ? 結構歩いたぞ……」


 カドリを連れ出したまではいいが、バルボレス王国に転生してひと月程度のイブキには2人でゆっくりと話し合う事ができ、なおかつあまり人が寄り付かない場所を見つけ出すのはかなり難儀なものであった。


 唯一知っている“人が寄り付かない場所”、東側のスラム街を少し考えたが、もしあのシウバとかいう魔獣みたいなやつが乱入してきたらと考えると恐ろしくなったので、結局イブキよりこの地に詳しいカドリが変わって先導することになった。


『良い場所がある』と連れられ、結構な距離を歩いた。進むにつれ、確かに人の気配が無くなっていくのがわかる。


 居なくなるのに比例するように少しずつ、2人が進む先を瓦礫のような石屑が取り囲み、へし折れて腐った木々などが“かつて道だった”ものを“道無き道”へと変えて、阻むように倒れている。


 “スラム街”ではなかった。まだあそこは“街”としての機能を残していたというか、人がいて建物があって、どんな方法であれど経済が回っていた。


 今連れられたこの場所はただの“瓦礫の山”。至るところに瓦礫が連なり、その隙間を埋めるよう雑草が生え散らかっている。


「……歩かせてしまったね」


 1番大きな瓦礫の前でカドリは立ち止まる。


「君にここを見てもらいたくてね」


「瓦礫しかねぇけど……」


 一辺をぐるりと見渡すも、やはり瓦礫に倒れて腐敗した木やチリチリと隙間から生える雑草以上の情報がないその空間。なんとなく気味が悪くなり、


「別に俺は人がいなかったらどこでもいいけど……ここはちょっとやりすぎっつーか……なんも無さすぎるっつーか……」


 カドリは答えない。ニコニコと微笑む表情はまるで、困惑するイブキの様子を楽しむようにも感じられた。


「おい……なんだよその顔」


 腹が立ってくるイブキ。これでも自分はかつての仲間を裏切るように動いたりと、精一杯カドリの側に付いて尽くしたつもりだった。彼を連れ出して向き合おうとしたのも、まだ自分は彼を友達だと信じているからこそのこと。当のカドリにのほほんとされてしまっては、自分自身の努力が無駄になるようで不快に思えた。


「……冗談とかは後にしてくれ。俺は知りたいだけなんだ……なんでお前が龍小屋の奴らに追っかけられんのかとか……あと…『発動』ってなんだよ! あの二人が一瞬で黙り込むくらい…なんかやばいもんをッ!!」


「……ここは僕が転生して最初に訪れた村だった」


まるで答えになっていない返しに更に苛立ち、声が荒んでゆく。


「はぁ!? 村って…瓦礫だらけじゃねぇか! わけわかんねぇこと言ってんじゃ……ッ!?」


 カドリは泣いていた。視線はイブキに向かず、その背後にある瓦礫の山々に訴えかけるように泣いていた。


 表情は変わらず朗らかさをたたえたまま雫が頬を伝う。それも一筋だけではなく、ポロポロととめどなく流れている。


「お、おまえ……なんで泣いてんだよ……!」


 そう言いつつ、足は彼から遠ざかるように動いていた。一歩、二歩と慄くように下がってゆく膝をグーで叩き、押さえ付ける。


 ーークソッ! なんで逃げようとしてんだよ俺ッ!!


 カドリは答えない。代わりに語られる、イブキも知らなかった彼の出生。


「僕はバルボレスの東側で転生したんだ。メテンである僕ははじめは誰からも相手にされなくてね、しばらくはフラフラとしていたんだ。東側は黒龍による被害が一番大きいから…みんなメテンのことがとても嫌いなんだ」


 イブキは膝を抑えたまま傾聴する。きっと東側を救いたいだとか、人として間違えていないことを考えているはずだと信じて……


「そこで拾ってくれたのがこの村。名前も分からなかったけどみんなとてもステキだった。既に他の“リタイアした”メテンも何人か受け入れていたようで、流れ着いた僕も簡単に迎えてくれた」


「そ、そんな話…きいてねぇぞ。お前あの時……初めて会った時は…もっとこう……冒険譚というか…転生してからずっとお前は…世界中を見て回っていたって!」


「旅の途中でもらったひとつの思い出と、決意のお話さ」


 カドリは奥に進む。瓦礫が続く道の中でも、カドリの眼にはなにか他の“風景”がみえているのかはわからない。ただ彼はそんな破壊された景色の中でもどこか、明確な目的を目指して進んでいるようだった。


「……君を本当の友人だと思えたからこそ、僕はこのお話を届けることが出来る」


 とある地点で再び歩を止め、カドリは続ける。


「“ここはかつて村だった”もし信じてくれているのなら、きっともうわかっているかもしれないけれど……」


「……黒龍」


 カドリは頷く。彼の語る“村”と呼ばれていたものを破壊し、命、財産、文化等の“ヒトの痕跡”を根こそぎ奪っていったその脅威。彼の握る拳は、燃え滾るように震えているようにも見えた。


「黒龍はこのバルボレス王国の国民だけでなく、我々メテンでさえも全て支配下に取り込もうとしたのかな? 強力な黒角兵、既に黒龍に忠誠を誓ったメテン達……つまり、奴らの幹部までもを引き連れてこの村を完璧に滅ぼし、匿われていたメテン達を攫ってしまったんだ」


「じゃ、じゃあお前もやっぱり黒龍を倒すってやっぱ思ってて……! そ、それならよ! お前も……!」


「死にゆく村人やメテン達をみて僕は頭がおかしくなりそうだった」


 提案よりも先に、カドリの声色の強まった一言がイブキの耳を駆け抜ける。


「あっ……え……」


 固まるイブキを差し置くように、カドリは再び歩を進める。


「メテンは僕を除いてみんなこの村からいなくなってしまった。村はこの通り、文字通りの壊滅……でもね、僅かながら村人は生き残っていたんだ。殆どが寝たきりだったり、心に深い傷を負ってしまったものだったり……」


「そ、そうなのか……じゃあ、そいつらはいまどこに……?」


「……終わらせることにした。見ていられなかったからね」


「お、おわらせる……?」


 妙な言い草に思えた。壊滅的打撃を受けながらも生き延びた少数の村人を“終わらせた”というカドリ。


 確かにカドリの口から放たれたその言葉を理解しきれず、同じ言葉を返して問いとする。


「……“ステキ”だったんだ。現状という生き地獄から解放され、安らかに眠りゆく彼らむらびとの姿は」


「……え?」


「焼け爛れ、とても悲しい姿をしていた子供が僕に介錯をお願いしてきてね……“生きろ”とは言ってみたんだけど、あまりにも殺してくれと叫ぶものだから……飴玉をやってみたんだ。そしたらね、とてもステキな表情になって……ありがとうって。……そしてそれにつられてくるように……辛そうな村人たちが僕に寄ってきて……“救済者”と呼んでくるんだ。私を救ってくださいと、楽にしてくださいと」


「じゃ、じゃあお前は……言われるがままに……村の人達を全員殺してッ!!」


「違うよ、救ったんだ。その方法が“死”だっただけ。その時分かった。僕がメテンとして転生した理由……僕がこの飴の力を使ってやらなくちゃいけないことがね」


「やらなきゃ……いけないこと……お前の……救いは……ひ、人を……殺すこと……? でも…殺すことは救いで……えっと…」


 混乱するイブキ。信じていた目の前の友人は、今確かに人を“殺害した”と宣言した。しかし、本人にとっての殺害それの意図はあくまでも“救済”である。


 カドリの“殺害”の認識は明らかにイブキとはズレている。


カドリにとって、自らが行った“殺し”行為は、いわば介錯。

焼け爛れる痛みなどで“生き地獄”を味わっている村人をあの世へ“送った”という一種の救済。


 もう少し簡単にまとめるならば、承諾殺人を行ったといったところだろう。


 理解したところで、イブキが完全にその行動を同意する事は全くできない。とはいえ、そんな動機が背景にある中、カドリを悪と断定するのも少し違う気がした。


 だからこそ、次に問いかける言葉の返答にかかっていた。イブキは恐る恐る、腫れ物に触れるように、ただただ祈るように。カドリをまだ友と想っても大丈夫なように。


「じゃ、じゃあ……お前じゃねぇよな……? ジェミニ……殺したのは……。わざわざ殺すことも無いもんな? 別に前から死にかけてた訳じゃないんだし……クソガキだっけど……元気だったもんな? あ、あと……お前は…承諾がないから……しないんだよな?? 自分から選んで殺すとか……そんな事しないよな??」


「イブキ、“殺す”っていうのはやめて欲しいかな」


「……え??」


 カドリは目を細め、


「僕がやっているのは救済だよ。イブキ」


「そうじゃなくてッ!!!」


 血を吐くような怒号でカドリを遮る。荒い呼吸の後、カサついた声でもう一度、


「ジェミニを……ジェミニの…息の根を止めたのはお前かッ!? 違うのかッ!? どっちだ!!!!」


「僕だよ」


 笑みをたたえて即答するカドリ。その笑みに悪意はなく、ただ狼狽するイブキを安堵させるように、“間違えたことではない”と理解させるように……。


「ジェミニ君は、既に黒龍の手によって殺害されたダリガードをずっと探していたんだ。何度叱られても懲りずに脱走して……。実はとても悪者で…しかも既にこの世にいないダリガードを……分かるかな? 何も知らずに尊敬し、寄り添い、愛していたジェミニ君が……彼の正体を……父が死んでしまっていることを知ったら…どうなるかな」


「ど、どうって……お前何言ってんだ? じゃ、じゃああれか! 仮にお前がジェミニをおっ送ったとして! それは実は既にあいつが黒角化したダリガードに殺されかけて……お前がたまたま通りかかってッ!! 介錯したってことだろッ!? そうだろ!? 少なくともお前は……自分から……誰かを殺めることはしないはずだ!!」


「……見ていられないんだよ。誰かが苦しんでいる姿をみるのも、いづれ苦しんでしまうだろう人を見逃すのも。だから僕が救う事にした。それが僕が与えられた飴の力で、僕の役目だからね。確かに頼まれて施した訳では無い。でもさ、願いを一々聞いてからの行動じゃあ……少し遅いかなって思うんだ」


「お、お前……」


 思わず歩が後ろに下がる。色々回りくどく、持論を混ぜた難しい言い回しではあった。それでも一番重要で、知らなければならない情報はイブキにとって最悪の形を持って伝わっていた。


 カドリは自らの意思でジェミニを殺害した。どのような意図があれ、人間として行ってはならない絶対的な悪の所業を彼は実行した。


「な、なんで……ころ……した?」


「僕が……救済者だからだよ。辛い思いを抱いたまま死ぬなんていけないんだ。安らかに、ステキな表情のまま眠ることこそ、彼にとっての救いだと僕が思ったからだよ」


「おかしいだろそんなのッ!!!!」


 足を釘を打つように固定して踏ん張り、本能的な後退を封じる。その上で、到底理解の及ばない動機で子供を殺害したかつての友を睨み、叫び散らかす。


「こ、殺すことが救済ッ!? おま、お前ほんとにおかしいんじゃねぇのか!? なんでそんな平気そうなんだよ!! 勝手に哀れんで人を殺してッ!! 平気そうに……おれ…俺と……ルーツに話しかけてッ!!! 狂ってる……お前は……おま……おっ……あっ……ハッ……ッ!?」


 声が出ない。もっと言えば呼吸すらもままならなくなっていることにイブキは気が付き、喉を抑えて蹲る。


 ーーなんだッ!? 声が出なくなって……息も段々……めちゃくちゃ叫んだから……!? いや違うッ! 喉に…確実に何かが喉を蓋するようにッ!!!


「か……かど………!」


 あろうことかカドリの方を見上げ、助けを乞わんとする自分がいた。殺人者に慈悲を求めること自体おかしなことかもしれないが、どこかでまだ彼を諦めきれていなかったのかもしれない。まだ彼をどこかで信じていたかったのかもしれない。


「イブキ……ようやく……僕は覚悟を決められる」


 カドリは微笑んだまま目を見開き、とめどなく溢れてくる涙を敢えて見せびらかすようにそのまま放置し、


「いいかい。君はこれからの人生……色々なものを失う。純粋に……君自身の実力不足でね。一緒にいてわかったよ。君はどうしようもないほど脆く、弱い」


「な、なん……だって……」


カドリは更に涙をたたえ、背後にある瓦礫に手を伸ばす。


「これは……弱さの証拠のひとつさ」


 中で埋もれかけていたなにか白いものが引っ張られてゆく。その衝撃で派手に瓦礫が崩れ、舞い上がる土ぼこりですぐに視界が奪われ、カドリごとその正体が隠れる。


 一瞬。ほんの一瞬だけ目に飛び込んだその正体を、イブキは完全に把握していた。


それは華奢に伸びた、か細くて美しいヒトの腕。それはイブキが最も想い、惚れ込んだ少女の腕。今一番会いたくて会いたくなかったルーツの腕……。


「る……る…つ……ッ!!」


 気管に残った僅かな隙間から体内の空気を無理矢理吐き出すような“音”で、彼女の名を叫んだ。


泥に塗れ、くたびれた枕のように力なく崩れるルーツの身体を抱き締め、カドリは呟いた。


「……辛いだろう? イブキ、救ってあげよう」

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