第11話 願いの横暴
「がぁッ……グゥ!!!」
ラディの胸ぐらを掴みかかるも逆に両腕共々掴み返され、脚を取られて派手に転ばされたイブキ。すぐに身体を起こし、見下ろしてくるラディを睨みつける。
--この野郎…! 涼しい顔で見下ろしやがって……。殴ってやる…畜生殴ってやる!!
イブキは立ち上がると同時に拳を振り上げる……がいとも簡単にいなされその直後、彼のみぞおちに鈍い衝撃が走る。
「カッハ……」
体内の空気が逆流し満足な呼吸ができない。額には脂汗が滲み、両手を地面につき肩から必死に酸素を取り入れる。
「……ッハ…ッハ……ッハ…」
「おいおい…おまえは人を殴る時に目を瞑るのか? まともに喧嘩もしたこともないようだが…そんな状態で生き残れると思ってんのか?」
「るっせぇ……るせぇってんだよ!!!!」
怒号と共に、イブキの周囲に黒いオーラが濃霧のように湧き上がっていく。濃霧は全て右腕に集中し、龍の皮膚を形成する。
「やはりその禍々しい龍皮…。黒龍に近いな」
イブキの右腕の変化を見たラディは、眉をひそめて構えを取る。バカ正直に突っ込んでくるイブキをひらりと躱してから、彼に右腕を翳して忠告した。
「おまえ。龍皮化した腕で攻撃したという事は、俺と命のやり取りを行う覚悟が出来たと言うことだな?」
「……ハァ……ハァ……あぁ!?」
「これから俺といつ如何なる時でも殺し合える覚悟があるのかって聞いてやってんだぜ? 正直、おまえのような軟弱者を相手してる暇が無いものでな。潔く“ごめんなさい、メテンとして生きるのは怖いので腕を切ってください”ってお願いすれば無かったことにしてやるが」
「うっせぇ…うっせぇんだよ……」
--馬鹿にしやがって………畜生!!
肩で息をしながら睨みつけてくるイブキを更に焚き付けるように問いかける。
「ところでおまえ、さっきはクルドのやつに遮られたせいで詳しく聞けなかったが、転生した時の記憶すらないままこちら側に来たんだろ? つまり明確な願いもないままここにいるってわけだ」
「……いきなり……なにいいやがる…」
「いいことを教えてやる。もうひとつこの世界で生き残るに重要なことがある」
「……んだよ…」
「わかんだろ。人を殺めても前につき進めるくらい強い願いを持ってるかどーかだ。願いへの思いが強ければ強いほど本来出せない馬鹿力を発揮出来る。背負うものがあれば、どんなに強く、残虐な奴だろうと負けることはない。簡単な話だろ?」
「そんな……いきなり……願いとか…俺はッ!!」
「マジかよおまえ……願いがでてこないってことは勝ち残る意思もよええ…。何もかも弱いとカモにしかなんねぇぞ? わかってんのか?」
ラディの言う通りイブキには明確な“願い”や“目的”が存在しなかった。それもそのはず、彼は前振りもなくいきなり転生し一週間もたっていない。いきなり死の覚悟を背負ってでも叶えたい願いがあるのかと聞かれて、即答で答えられるものは無かった。
--そんな理不尽……あってたまるかよ……。
ならば人と争い、或いは殺害してでも現世に戻って叶えたい願いが
それだけではない。願いを持つ、目標を持つ…ただ“持っている”と言うだけで自分が目の前の男よりも劣っていると決めつけられたことが何よりも気に入らなかった。
確かにイブキは生前で夢や目標を掲げた事もなければ、高校受験を除いて“努力”に励んだ事など一度も無かった。自慢出来ることといえば少しだけカッコイイ名前と、人気のソシャゲのランキングバトルで上位3桁台に入賞した事ぐらいだ。自分の人生が“何も無かった”ということくらい痛い程自覚していた。
だからといって
地についた平手が握り拳へと変わる。静かな怒りに震えるイブキを更に煽り立てるような声が聞こえる。
「立てよ。早くしねえ。とおまえみたいな腰抜けはどっかで暴れてるメテンのキャロットケーキになっちまうぜ? “人間”でいたいなら少しの痛みと不便は我慢しろよ」
「……れぇのかよ……」
「…ぁあ?」
「願いを持ってんのがそんなに偉いのかって聞いてんだよ!! 茶髪野郎!!!」
瞬間、ラディの拳が龍皮化する。程よい光沢を帯びた茶色の鱗。その腕をグッと握り締め、吐き捨てるように返した。
「偉いんじゃない……“強い”っていってんだ」
*********
「よしよし、いつもより20
布製の買い物袋を掲げ、意気揚々と大通りをぶらつくクルド。予定していた買い物は済み、ついでに面白そうな店はないかと散策していた。
「おい…またメテンがやり合ってるぞ!」
「見に行こうぜ! おい!!」
「馬鹿やめとけ! あいつらの戦いはいっつもおっかねぇ! 巻き込まれっぞ!」
どうやら近くでメテン同士の争いが起こっているらしく、街を行く人々がざわついているようだった。メテンでは無いクルドだが、龍小屋の一員でいる以上見逃して良いものではない。
--こんな人前で戦うアホがいるのか…“おんぼろ大剣野郎”以外知らないぞそんなヤツ。
不思議に思いつつも、ポケットから掌サイズの綿の塊を取り出す。そっと息を吹きかけて宙に浮かせると、またポケットに手を入れ直してからボソボソと唱えた。
「龍魔力探知…半径1キロ圏内で100
クルドの眼前で滞空していた綿がふよふよと右へ移動する。
--服屋の近くじゃん……まさか……。
綿は案の定、服屋の少し奥にあるオレンジ色の建物同士の間に群がった人だかり付近で停止した。
どうやらメテン同士の争いと言う割には一般市民でもひやかせる程度の規模には収まっているらしい。ただ、“嫌な予感”を覚えたクルドは迷わず野次馬の中へ突っ込み、小さい体を上手く割り込ませて中へと入ってゆく。
「ちょ…どいて……!!」
「なんだよガキ! 隙間に入るな!」
大柄で色黒の男が間を縫うクルドを邪険に感じたのか突き飛ばす。イラついた彼女はそいつを睨み、顎を突き出して煽り立てる。
「うっさいなぁ野次馬の分際で。オマエさっきから興奮しすぎてウホウホ言ってるけどさ、そこはヒヒーン!って鳴けよな。や・じ・う・まらしくさ」
「なんだとてめこの……」
見事煽りに乗せられクルドの胸ぐらを掴む大男。幼い少女でも容赦なく拳を振り上げた時、はらりとクルドの被っていたフードが脱げ、青髪と浅葱色の双眸が顕になる。
か弱そうな風貌を前に大男は思わず息を吞み、呟いた。
「……最後の…魔道士……!! クソッ!!」
乱雑にクルドを解放し、背を向ける大男。そんな背中へ向けて、からかうように告げる。
「分かったでしょ? 見世物は終わりってことで……周りどかしてくんないかなぁ」
「うるせぇ! 生意気なんだよクソガキ! メテンとばっかつるみやがって! いずれ後悔するぜ? メテンはいつかみんな死んじまうからな!てめぇの周りには何も残らねぇぞ!!」
捨て台詞を吐いてから周りの野次馬を強引に捌けさせる大男。
嫌でも耳にこびりつくその罵声に思わず舌打ちしたあと、フードを深く被り直してからぽつりと呟いた。
「……うっさいなぁ」
ようやくたどり着いた路地裏へと足を踏み入れるなり、中で暴れる一人のメテンに問いかける。
「何してんのよ……ラディ」
呆れと怒りが混在する複雑な心境を孕んだクルドの言葉。ラディの視線は彼女に向いておらず、彼の眼前で倒れるイブキへと向けられていた。
「……分からせてやった。生きる目的もないこいつみいたな奴がこの世界で生きるのは無理だということをな」
「はぁ? 忘れたの? 同じ龍小屋同士で争うのは黒龍討伐するまで禁止するってヤツ」
「こんな奴居ても仕方ない。今のうちに心を折る」
「あのさ、ラディなりの優しさなのか知んないけど……それが暴走しておかしな方向に走ってんの気付かない?」
「……あ?」
動揺するラディを他所に、倒れていたイブキの身体がピクりと動く。そのまま身体を起こし唇から流れる血を拭い、打撲痛が走る腕を持ち上げてラディを指さす。
「……ディ…ラス…」
「……何?」
「ラディスラウス…ホスキンス……あんたの…名前……思い出したんだよ……」
「だからどうした。名前を知った所で今後俺と関わることはもう無いだろ」
「知ってんだよ…芸能人とか……興味ねぇ俺でも……あんたの名前と職業位はな……クラスの女子が……あんたでいつもキャーキャー言ってたよ……」
「あ、やっぱ知ってんだみんな」
「黙っていろクルド……それがどうした。俺が生前何をしていたのかなどこの世界じゃ関係ない。どれだけ位が高かった人間でも等しく戦う。おまえにはその覚悟が…」
「……あんだよ…」
「……何?」
イブキは壁を背にして立ち上がる。再び口を拭い、少し動揺するラディを睨みつけ、叫ぶ。
「……気に入らなかったんだよ!! お前が!! 毎日毎日嫌でもテレビとかネットとか学校の噂とかでもテメーの顔や名前が視界に入ってきて!! イギリスかどっかのスーパー歌手かなんかしらねぇけどよぉ!!! ちょっと顔が良くて歌がうめぇからって何億も貰って夢のような人生か!? その癖元から恵まれたもん持ってた勝ち組のお前が夢だの目標だのいいながら殴りやがって!!」
“ラディスラウス・ホスキンス”──。誰もが一度は聞いたことがある名前だった。彼の恵まれた容姿、そして何よりも甘さと男らしさを両立させたような美声から奏でられる歌声に、世界中が魅了されていた。
イブキががむしゃらに振り回した言葉の刃の意味は転生者ではないクルドに分かるはずもない。だがそこに込められた感情というものの分析は簡単だった。
嫉妬。羨望。忌避。拒絶。無数の想いがないまぜにされた“持たざるもの”から“持つもの”への怨嗟の声……。“持たざるもの”であるイブキからすれば“持つもの”であるラディは異なる世界に住む存在であり、自分の苦しみなど理解できるはずもないと思っているであろうことは想像に難くない。
一方ラディをそれなりに近くで見てきたクルドの側から見てみれば、どちらも同じように苦しみ、悩んで……そうやって生きている人間に見えた。
そして他人の言葉を全て受け流してしまえるほどラディは冷徹ではないと……クルドはよく知っていた。
「……決めた。こいつはぶっ殺す…!!」
「……!!」
イブキの刃は、クルドが思った以上にラディの心を抉っていたらしい。
ラディは初めて見る程の憎悪を滾らせ、両手に生み出した双剣を閃かせる。剥き出しの憎しみに慄いたイブキは思わず目を瞑った。無論そんな隙を逃す筈もなく双剣が首を交差するようにイブキの喉元へと迫らせ……。
寸前で停止した。
「……クルド」
ふよふよと淡い青色の光を放ちながら滞空する綿の塊がラディの眼前を滞空する。彼にはこれが、“銃口を頭に向けられている時と同等の状況”であることを知っていた。
ゆっくりと後退し、視線をクルドへと移す。
「あのさ……イブキが死んだら午前中のあたしの苦労とか水の泡じゃんか。なにがあったのか知んないけどさ、今間違ってるのは明らかにラディの方じゃない? だからあたしは
ポケットから綿を取り出すクルド。痛みと疲労で倒れ伏すイブキを護るようにラディの前に立ちはだかる。対するラディも、無言で双剣を構え臨戦姿勢を取る。
「邪魔だクルド。こいつはここで消す」
「無理。本気ならあたしごと殺していいよ」
もはや手足のひとつの動かせない程にまで疲労したイブキは地面と並行になった状態で目線だけを睨み合う2人へと移す。
--またこの子に助けられたな……。
罪悪感と少しの屈辱感を孕んだ複雑な気持ちの中で、イブキの意識は闇に染まった。
気絶したイブキを他所に、まずはラディが空を切るように双剣を踊らせる。クルドが彼の周りに仕掛けておいた無数の綿達は、彼の剣技に揺られて細切れに切り刻まれる。
「……小賢しいな」
「こーでもしないとさ…メテンは倒せないでしょ」
隙を突いて背後を取るクルド。彼女の脚が鞭のようにラディの脇腹を捉える。
「ラディこそ…小賢しいじゃん」
舌を鳴らすクルド。捉えたのはラディの横腹ではなく、彼の形を模した土型の人形の横腹だった。
彼女の更に背後を取るラディ。それに対応するべく振り向いた時には、龍皮化した拳が眼前まで迫っていた。
「うわっ!」
思わず目を瞑り、小枝のような細腕で顔を覆い隠す様にガードするクルド。しかし、拳は慄く彼女の寸前で停止し、ラディは自身の腕を掴む一人の中年男性を睨みつけた。
「……離してくれ。大崎さん」
いつの間にやら現れた“気さくなおっさん”こと大崎。ラディの振るう異形の腕を横から食らいつくように掴み、ついでにクルドの青髪を撫でて2人を牽制した。
「ほなもう、戦わんと言ってくれへんか?」
「……俺はあの男にムカつく事を言われた」
「え? ナニその子供みたいな理由」
「うるせぇぞクソガキ。目瞑ってビビってた癖に」
「う…うっさいなぁ……キャーキャー言われてた癖に」
「こいつほんと……!」
「まぁまぁまぁ。これでまた火ぃ付いたらオレが止めた意味無いやろが。それにあの子は“何かしら黒龍の情報が取れるかもしれへん”から
怒れるラディの手首を握る腕に力が入る。彼に向けられる鋭い視線は“これ以上争うなら俺が相手する”という意志を孕んでいた。
龍皮化を解除するラディ。開放されるなり掴まれていた腕を振り、吐き捨てるように言い放つ。
「……今はあんたらの意向に従う。だが、いずれ必ずそこで倒れてる弱虫もあんたもこの手で潰す。俺の願いの為にな」
彼の宣言を受けた大崎は綺麗に並ぶ白い歯を豪快に見せびらかすようにナッハッハと大笑いしてから、線のように細くて刃のような鋭い眼光で睨み返した。
「やってみぃ。オレは強いぞぉ?」
ラディは背を向け、路地裏を立ち去る。小さくなる彼の背中に視線を預けながら、クルドはお礼を述べた。
「大崎さんごめん! なんでいんのかは置いとくけどさ」
「ナハハ! もう時刻は夕時やからなぁ。こっから夜までこのヘンテコな街ほっつき歩くんがオレの楽しみなんよ。それにしても……ラディくんはいつもピリついてるんか?」
「うーん…ぶっきらぼうっちゃそうだけど…なんか最近はけっこー変なとこでキレるっていうか……」
「んまぁ、キリュウといい陰気な奴多いからなぁ
「あっやば、ごめん大崎さん……てつだってくんない?」
「ナッハッハ! クルドちゃんの頼みなら全然聞くで〜!」
転がるイブキを大崎がおぶり、クルドが綿を傷に当てて回復魔術を施しながら彼女の家へと運ぶ。3人の背中を、赤みがかった空が照らした。
********
「……ハァ…ハァ……。まだ…空いてますか?」
肩で息をするラディ。閉店作業に勤しんでいた服屋の店主に問いかける。
「あっらぁ〜いい男じゃなぁい! もう店仕舞いだったけど、あんたの顔に免じて特別に入れてあげるわね!」
店主の中年女性はラディの風貌に見惚れ、寧ろウェルカムと言わんばかりにグイグイとラディを店へと押し込む。そんな店主のご好意に戸惑いながらお礼を述べつつ、彼の頭の中は別のことでいっぱいになっていた。
--スーパースターか。嫌な事を…いや、寧ろ緩みきっていた俺のネジを締め直すのには丁度良かったのかもしれないな。
選定した服をギュッと握り締め、ある人名を呟いた。
「あいつの為にも……俺は…ッ」
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