第5話 破壊された一つの理想
凍りつく空気の中、そいつは続けた。
「いやぁ〜いじめってこんなとこにもあるんすねぇ〜? もうちっとくらい……楽園であってほしいんだけどなぁ~?」
上下に身を包むモスグリーンの衣類は森林の中に溶け込む為のものだと察しがつくが、異形の右腕と同じくらい存在感を放つ目元から下を包み込む異様なデザインをしたマスクが、よりそいつの不気味さを演出していた。
「ぁあこれ? ゲリラ戦にゃあマスクは必須でしょって思ってたんすけどこの世界ガスマスクねぇみたいなんでさぁ……武器屋にオーダーメイドしてそれっぽいの作ってもらったんすよ〜! どう? かっこよくないです?」
「お…お前……!! ころしたの…か?」
--なんだよなんだよこいつ……まじで頭おかしいんじゃねえのか!?
「え?メテンがメテンぶっ殺すのに今更理由とかいります? ま、こいつはメテンじゃねえが……そこのスカした野郎の取り巻きだったもんで…ついでにな?」
そいつは全然悪びれる様子もなくヘラヘラと語った。あろうことか前に転がるリアの死体を転がるサッカーボールを1箇所に固定するように足でぐりぐりと踏みつけている。
「紹介がまだでしたねぇ。“黒龍一派”が幹部の…メギト。よろし……」
紹介を終わらせる瞬間、目にも止まらぬ速さでシューゲツがメギトの前に飛び込む。その表情には一切の微笑みも無ければ、冷静さもない。代わりにあったのは大切な人を目の前で殺された怒りで歪んだ男の恐ろしい表情だった。
メギトの顔に、は虫類の様に変化したシューゲツの拳が叩き込まれる。風を切る轟音と共に拳がめり込む。そのままメギトの肉体は5mほど吹っ飛び、その先あった大木に叩きつけられた。
「よくも……よくも僕の大切な仲間を手にかけたな……おまえは……お前だけは許さないッ!!!」
血相を変え、絶叫するシューゲツは右腕に巨大な水の塊を浮かばせる。それを細切れに分解すると、そのままメギトが倒れる先に絶え間なく打ち込まれていった。
「僕の仲間をッ!! よくもッ!! お前だけは……お前だけはッ!!!」
怒り狂うシューゲツと、明らかに異常な力を持ってるメギトの激突。怪物同士が殺し合う様を見て生まれるイブキの決断は、たったひとつだった。
--逃げねえと……マジで死ぬから逃げねえとッ!!!!
奮起し立ち上がろうとするイブキの足首を、何者かが掴む。革のグローブ越しからでもわかる白くて細い手は、信じられない位の馬鹿力を発揮し、イブキの足首を握りつぶさんとしていた。
「お、お前──!!」
「ア…アガア……アアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
白目を向いて絶叫するリアの表情は完全にこの世のものではなかった。白目を剥き、空いた口内から見える歯茎から絶え間なく血液が溢れ出している。
元の端麗な顔立ちの面影を感じさせず、ただ本能的に同種の肉に食いつかんとする狂気の状態を言い表す単語をイブキは知っていた。
--ゾンビだ……。こいつ、ゾンビになってる!!!!
「や、やめろ!! やめてくれぇ!!!」
殺される……そう思った次には必死でリアに抱きつくリナの姿があった。
「おねぇちゃんやめて!!! 怖い顔しないで!!! おかしくならないでぇぇ!!!!!!」
変わり果てたリアを必死に抑えようと狂ったように叫びながら抱きつくリナ。
変わり果てたリアに健気な妹の叫びは届かず、再びの馬鹿力でリナを引き剥がし、襲いかかった。
「イ、イヤアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
咄嗟にリアの喉元を短剣で突き刺すリナ。50センチほどの刃渡りに彼女の鮮血が滴り落ちる。
「おねぇちゃんを……刺しちゃった……」
咄嗟とはいえ、姉の喉を突き刺してしまったリナ。慌てて刃を抜き、傷口から吹き出る鮮血の返り血を全身で浴びる。血まみれになった顔面を拭って再び悲鳴をあげた。
「おねぇちゃん……おねぇちゃあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
風穴の空いた喉を抑えるリア。怪物のような呻き声と共に剥き出しの白目で妹を睨みつけ、彼女の首元へと喰らいついてくる。
イブキの推測の通り、リアの精神は既に死んでいた。肉体のみがそれがたとえ妹であろうと一切の躊躇もなく目の前の肉を食い尽くさんと動くだけのゾンビへと変貌していた。
「なんで……なんで襲うの!!!??? なんでとまらないの!!!やめて!! やめてぇぇぇぇぇぇええええええ!!!!!!!!」
リアが人ではないナニカへと変貌した事を知ったリナは、泣きながら何度もザクザクと刺傷を入れる。それでも止まらないリアは彼女を押さえ込み、血みどろの口で彼女の細首に噛み付いた。
「ィギャアアアアアアアア!!!!!! アアアアアアアアアアア!!!!!!!」
痛みに悶絶しながらも最後の力を以ってリアの頭部を短剣で串刺しにすると、ようやく彼女の動きは止まった。
「ヤダ……あっ……じにた…くない……シューゲツくん……たずけて!!! あ……あっ…グウウ…」
噛まれた首の傷を抑えながらおぼつかない足取りで立ちあがるリナ。もはや手遅れだったか、次第に彼女の言葉にも生気がなくなり、怪物の呻き声のようなものを漏らすだけとなった。
「なんだよ……なんだよなんだよなんなんだよぉ!!!!」
イブキは必死に起き上がろうとするも、腰が抜けている為に何度も転ぶ。どうにかしなければと身体をくねらせていると、丁度ガタガタと震えながらその場に立ち尽くすユーミの姿を見つけた。
「おい……お前ッ!!」
ユーミの視線を追うと、フーッ! フーッ! と息を荒らげてユーミを狙うリナの姿があった。
「逃げろぉぉぉおおおぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」
イブキの叫びでハッとなったのか、ユーミは戦闘時と同じような四足歩行の生物に姿を変え、必死に奥へ駆け出した。
逃げる者を追う野性的な習性があるのか、元々リナだったナニカは、ヒトとは思えないくらいの轟速でユーミを追った。
「マジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬマジでしぬ……」
よろけながら逃げようと、ようやく立ち上がったイブキ。そんな彼の真横からあの時感じた羽虫の大軍に似た不快なオーラが押し寄せてきた。
まさかと思いその側を向くと、そこには風穴が空いた自身の腕を残念そうに眺める、本来ならばシューゲツと戦闘を繰り広げているはずのメギトが並んでいた。
「ひィッ!??」
またしても倒れ込むイブキに気さくに話しかけてくるメギトの不気味さは尋常ではなかった。
「これみてくださいよ〜。酷くない?穴あいてやんの」
「な……なんでお前が……」
「アレ、見てみろよ」
異形の右腕で指す方角には絶望し、顔を俯かせるシューゲツの姿と、先程までメギトが居たはずの場所で蜂の巣にされていたフレイマの姿があった。
まだ息があったのか、フレイマの絶え間ない鮮血を流れ出る口から、蚊の鳴くような声で一言発せられた。
「ひ……どいよぅ……シューゲツくぅん……」
その言葉を最期にフレイマはあれだけ輝かせていた妖精のような瞳から遮る様に光が途絶えた。
「う、う、うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!! あッあッぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!」
頭を抱え、シューゲツは発狂する。狂乱した表情でメギトを見つけると、再び変化した右腕を握りしめて突っ込んでいった。
「お〜怖い怖いっと」
メギトは巨大な大砲のようなシューゲツの拳を、同じく異形と化した腕で受け止める。
いつの間にかその姿はヒトとはまるでかけ離れた二足歩行の怪獣の様な姿に変わっていた。
受け止めた拳だけでなく首から下までが丸々と赤く爛れたは虫類の様な肌に変わり、腐っているのか所々に骨や筋肉の繊維が剥き出しになっていた。尻の辺りから巨大な背骨のような形をした“尾”が生えている。特に変化が見られなかった首から上のみを除き、その姿に名を付けるならば“ドラゴンゾンビ”という単語がしっくり来た。
先程よりも少し低くなった声で、メギトは呟いた。
「なんだ“右腕族”かよ……だせぇなぁ……その癖格下の女囲んでハーレム気取りとか……笑えんなおい!!」
メギトの強烈なカウンターパンチは怒りに震えるシューゲツの顔面を潰れたアンパンのようにへし曲げ、さっきの彼の渾身の一撃よりもずっと遠くまでぶっ飛ばした。
遮る大木に何度も直撃し、その都度それをへし折りながらシューゲツは飛んでいく。5本目の大木で何とか止まるもシューゲツの肉体は何度も大木と衝突した衝撃でズタズタのボロ雑巾のようになっており、内蔵にまでダメージがあったのか、鼻と口から血液がとめどなく流れ落ちていた。
既にボロボロのシューゲツに追い打ちを仕掛けるつもりかメギトは彼の倒れる大木の元へと歩いていく。
「お……ま……ころして……や……!!」
「やってみろよ。スカした態度でダラダラ格下の魔物狩ってたお前に何ができんだ?」
「コロスゥッ!!!!!!!!!!!」
大木に寄りかかるようにボロボロの身体を無理矢理と起こすシューゲツ。足元の自身の血液で出来た血溜まりを踏み付け、血まみれの口を開く。
「ほう……“ブレス”かい……。なにだせんだ? 見せてみろよ」
その瞬間、口から血液を交えた水の奔流が勢いよく放たれ、余裕を見せていたメギトに直撃した。
「ぅお!!!」
受けきれず、体制を崩すメギト。そのまま押し流されるように、奔流を身体で受けていく。
「なか…なかやるじゃんねぇ!? でもなぁ! ちゃんと周りも見ておかないとダメだよなぁ!?」
吼えるメギトにお構いなく力の限り奔流をぶちかまし続けるシューゲツ。そんな彼の横を横槍を入れるように“ナニカ”が突っ込んでいった。
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!!」
先程身代わりにされ、蜂の巣になったはずのフレイマの死体がボロボロになった肉体を引き摺りながら声にならない絶叫をあげてシューゲツの懐に飛び込み、胸部にかぶりついた。
「はっ……ぐッ……」
元から満身創痍だった身体はこれにより限界を迎え、フレイマの下敷きになるように倒れた。
抵抗も出来ぬまま、怪人となったフレイマに肉体を喰らわれ続けるシューゲツ。あろうことか彼は最期の力を振り絞り、血みどろの腕で彼女を抱き寄せた。
「ごめん……よ…フレイマ……。僕が弱いから……君をこんな姿にしてしまったね……。お詫び……になるかは分からないけど……この…身体を……君にあげるよ……。だからどうか…人を食べるのはこれで……最後に……」
シューゲツとフレイマは、非正式だが婚約を交わしていた。フレイマの家系は、彼女の村では有名な名家でもあり、両親も“2人が成人になったら村全体で盛大な式を挙げよう”と裏で計画する位にはそれに肯定的だった。
一夫多妻制が認められている為リアやリナといった他の女性達とも婚約を交わしていたが、フレイマだけは“正妻”として扱っていた為彼女の存在はシューゲツにとっても特別なものになっていた。
そんなフレイマを敵の策略とはいえ自らの手で殺め、更に動く屍と化した彼女に肉体を喰われているシューゲツの心情は、想像を絶するものだろう。
血まみれの手でいつものようにライトグリーンの髪を撫でる。自身の血で赤黒く汚れた髪を見て、シューゲツは堪えるように右手を降ろす。代わりに生まれた水弾は、これが最期だという意思を示すかの様な小さな一滴。永遠にも等しい一瞬が過ぎ去り……。
── 一言だけ答えんと口を開く。
「フレ…イマ……だいす……」
「駄目でしょうが、あんまり食っちゃ。一応メテンなんだしさぁ」
言い終わる直前、2人の背で一連のやり取りをゴミを見るような視線で見つめるメギトが彼らに尾を向け、貫く。それがトドメになったのか、最期の言葉すら発せず、ただ虚ろになった瞳から血液の交じった涙を流しながら、彼に覆い被さるフレイマの死体と交わるように息を引き取った。
「右腕族だが……まあそこそこ働けんだろ」
2名の死体を、尾で串刺しにまま持ち上げて状態を確認するメギト。滴り落ちる鮮血の量はもはや近辺一帯を真っ赤に染め上げる程だった。
フレイマの死体だけを雑に尾から放り投げ、シューゲツの死体を手に取り眺めるメギトの腹になにか焼き付けるような衝撃が走った。
「いッ……たッ!! ぁあ!?」
その正体は、フレイマが狼を狩るのに必要としていた1本の矢だった。
飛んできた方角へ目をやると、ギラギラと目を見開きこちらを睨みつけ、かき集めたたくさんの矢を両手に握りしめたイブキの姿があった。
「 ……こっちだ! バケモノめ!!」
肩で激しく息を吐きながらメギトの注意を引く。本当なら今すぐ背中を向けて逃げ出したかったが、そんな簡単に逃げ切れるような相手でないことくらいイブキも分かっていた。
背を向けた瞬間あの鋭利な尾で刺され、自身もゾンビの仲間入りだろう。“やらなければ殺られる”──。そういった強迫観念がイブキを突き動かしていた。
--やるしかない……やるしかないッ!!!
心で言い聞かせ、無理矢理身体を鼓舞する。イブキにはシューゲツと同じ“龍そのものとなった力”とやらがある。逃げても無駄ならば、ほんの少しでもそれの可能性に賭け立ち向かわねばならないと覚悟を決めた。
眼前のメギトもどうやらイブキ、シューゲツと似たような力を持っているようだった。ただし二名と明らかに違うところは、その力を完全に他者を殺害する為に振るっているところだろう。ある意味その振る舞いは、植え付けられた使命感に従順と言えるのかもしれない。
そんなメギトが近付いてくる。向けてくる鋭利な尾と殺意丸出しの眼光は、必死に鼓舞して作り上げた闘争心を一瞬で塗り潰す程のおぞましさと狂気を孕んでおり、再びイブキは青ざめる。
--こっちを見た……。あの目……間違いなく殺意を帯びた目って奴だ……畜生逃げてぇ……!! 逃げたい怖いやるしかない逃げたい怖いッ!!!!
恐怖と興奮で信じられないほど震わせるイブキの様子を嘲笑う様に鼻を鳴らし、血の付いた尾を向けて威嚇する。
「いいねぇ〜! 俺さぁ〜“水龍”とかいう低レア能力よりお前の方が断然興味あるんだよね〜。どんな龍魔力かわかんないもんで、面白そうじゃねえです!?」
イブキを更に恐怖に貶める為に作ったような高笑いをあげながら突っ込んでいくメギトを、震える足を押さえ込んで迎え撃った。
「畜生……!! 畜生ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
その時、イブキの周りを黒い影のようなオーラが彼を護るように沸き立ち、右腕の形が徐々に“異形”に姿を変えていった。
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