第6話 影に沈む怒りの右腕

「はぁ……はぁ……はっ……!!!」

 ーー逃げないと……! 逃げないと……!!


 一心不乱に森の中を駆け巡る一匹の獣、ユーミ。そのすぐ後ろにはゾンビと化したリナが、壊れた玩具のように手足をありえない方向に曲げながらユーミを執拗に追っていた。


 緊迫した状況が故に周りを見る余裕も無く、何度も躓きぶつかり、おまけに持っていた大切なぬいぐるみも手放してしまった。


 切り傷に擦り傷、打撲傷……他にも様々な傷が彼女の身体に刻まれていく。それでもシューゲツやフレイマ、そしてあの時自分を逃げるよう言ってくれたイブキの為にも、逃げ切って生きのびねばならないと感じていた。


 その矢先、前足が何かに躓く。先の尖った鋭利な石ころだった。受身を取れる力も残っていなかった故に、無防備にも頭から突っ込むように倒れた。


「うぅ……シューゲツお兄ちゃん……みんな……」


 歯を食いしばって立ち上がろうと努力するも、とっくに限界を超えていたようだった。心臓が狂ったような速度で鼓動していくのを感じる。


 追い付いたリナは呻き声をあげながら容赦なくユーミに飛びかかり、血だらけの口を彼女へと向けてくる。自我はとっくに失っているのか、かつて姉妹のように仲睦まじかったユーミを容赦なく手に掛けようとする。


 とてつもない恐怖を感じるも、やはり身体が言うことを聞いてくれないようだった。思わず瞑った瞳からは涙が溢れ、脳裏に浮かんだシューゲツらに心の中で縋るように懺悔する。少しでも彼等の事を考えれば、気が楽になるかもしれないから……。


 ユーミは喰われる覚悟を決めた。死んでも天国でシューゲツ達と一緒になればいいと必死に思い込む。たとえそれでも、この悲惨な最後を受け入れる事は出来なかったが、それでも諦めるしかないのだと悟っていた。





 突然現れた二人の男女が、彼女を救うまでは──。




「間に合えッ!!!!」



 声を張り上げる青年は地面に右手を突っ込ませ、その目の前から土で出来た巨大な腕を生やす。


 握りこぶしを作った巨大な土の腕は、ユーミに飛びかかるリナを殴り飛ばし、再び地面の中に還った。


 もう一人、倒れるユーミの目の前にしゃがみ込む少女が彼女の身体を優しく撫でた。不思議な事に徐々にユーミの身体に活力が蘇る。不思議そうに少女の手に視線をやると、その細くて小さな手は幻想的な淡い光を帯びていた。


「ちっちゃい奴よ、生きてるかー? いま回復魔術かけてるから安心していいぞ〜」


 周りを警戒する青年が、追撃を警戒しながら少女に語り掛ける。


「おいクルド。聞いていた話と大分違うようだがどうなってるんだ?」


「う〜ん…思ったより10倍はやばい状況っぽいね。奥に行ってみないとわかんなそうだけどさ」


 うっ……うううぅぅぅ……!!


 二人の会話を割くように元はリナだったナニカが呻き声を上げて立ち上がる。


 もはやヒトの形すら留めず、本能的に襲いかかってくる彼女を2人は睨み付け、構えを取る。


「ごめんね。中途半端になっちゃったけどさ、後は自分で帰れるかな?」


 再び立ち上がり、こくりと頷いたあと、再び森を駆け出すユーミ。そんな健気な背中を見送った後、クルドと呼ばれた少女の方が青年に視線を向けて声を張り上げる。


「ラディ。あたしが決めるから……多分焼けばいける」


 好きにしろっと言わんばかりに構えを崩すラディ。それでもお構い無しにリナは奇声をあげて突っ込んでくる。


「リトル・ファイヤ・トリプルッ!!」


 前に付いているパーカーのポケットのようなものに手を入れたまま、周りに3つの炎の玉が、クルドを取り囲むように出現する。


 それは突進してくるリナに特攻していき、かつて服だった布きれに着火。瞬く間に全身に炎は燃え移り、既に魂のない肉体を浄化するように焼き尽くしていった。


 リナの肉体が地面に倒れると、火が森に回らないようにラディと呼ばれた青年がすぐに土を覆いかぶせ、埋葬まで済ませた。


 焼き焦げた死体に手を合わせるクルドに一遍の土を調べ終えたラディが語りかける。


「ここからずっと北、その先の土の表面が血で濡れている。手遅れかもしれないが、何かしらの証拠はあるだろう」


 死体の埋葬を終えたクルドはラディの隣に立ち、ポケットに手を入れたまま同じ方向をみて答えた。


「なんっか大物がかかりそうな予感がするな……」




 **********



「畜生……畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」



 ほぼ自暴自棄に近い叫びをあげるイブキ。彼を取り巻く黒いオーラと、真っ黒に染まる右腕を見て、メギトは嬉しそうに舌なめずりをしてからイブキのいる場所へ飛びかかっていく。


「おいおい!! なんですかそれ!! 楽しそうな力だなぁおい!!」


 --落ち着け……躱せ…!! いや躱さない方が……!? 無理躱せ!! 躱せ躱せ躱せ躱せェ!!!


 目を見開き、迫り来るメギトに集中する。必死で思い浮かべた回避ルートをなぞるように左へと身体を翻らせた。


「ぁあおい! 避けんなよ受け止めて反撃してこいよ!! 龍魔力が見れねぇじゃないですかァ!?」


「避けた…避けられた避けて良かったのか次は反撃ッ!次はこいつで──── !?」


 イブキは異形へと変わったはずの自分の右腕へ視線を向けると同時にその表情は凍り付いた。


「おいおい!! いきなり利き腕損失ってまじです!?」


 異形になりかけていた右腕が無くなっていた。それも肩から綺麗に取り外されたかのように。


 --うわっ!!あ……あ……嘘だ……なんで……なんで……なんでなんでなんでなんでッ!!!


 左手で右肩を抑え、ブルブルと震え始めるイブキを、もはや呆れたようにメギトが異形の手で頭を掻いた。


「あっれ~? あんまりにも感覚がなかったもんで躱されたって思ったんだけどなぁ……。豆腐かなんかで? お前のお身体は」


 あまりにも軽すぎると一周回って困惑するメギト。しかし、それ以上に困惑していたのはイブキの方だった。


 ーーいやまて……なんだこれは……なんで痛くねぇんだ? なんで今も尚"右腕を動かしている"っていう感覚だけはしっかり残ってんだ? どういうわけだ?? 考えろ……なんかあるはずだ考えろ俺ッ!!


 確かにイブキの肉体から右腕は消失した……筈だった。しかし、切断された右腕が地面に転がっているわけでは無い。“どこかにある”という根拠の無い確信が彼の思考を困惑させていた。


 --どこだ……俺の腕は……動かせ……動かせぇぇぇええ!!!!


 メギトと自身の間に伸びる自分の影に視線を落とす。そこには今ここに映し出されない筈の右腕がくっきりと映っていた。


 --あるッ!! 影には映っている……!? どうして影だけある……? もしかしたら……今ここで……俺の能力が発動してるってことなのかッ!?


 視線を影と右腕に交互させながら思考を巡らせるイブキ。その様子を鼻で笑いながら眺めていたメギトは、もう一度腰を低く構え、今度は心臓を一突きにしてやろうと早くも決着を視野に入れていた。


「んじゃ、あんまり傷つけんのももったいねぇんで…! じゃあな! ヘタレ野郎が!!」


 鋭利な尾を向けて突進するメギト。先ほどとは違い、尾という長いリーチをふんだんに使用してくる分、躱すことは相当な無理をせねばならないと悟ったイブキは躱すことを諦め、まっすぐとメギトを見据えた。


 --もう一回来る……次は躱せない! あんな長いリーチ刺される絶対ッ!! ならどうするひとつしかないやるしかないッ!! 逃げるな! 逃げるな逃げるな俺!!! 感覚は残ってんだ動かせッ!! 右腕を!! 絶対何かが起こってるはずなんだ!! それにッ!!



 ーーずっと情けないままで…終わってたまるかよッ!!!!


「おおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!!!! 出てこいッ!! 腕ェ!!!!!!!」


 吼えるイブキ。感覚のままに右肩を突っ込んでくるメギトへ向けて突き出す。


 すると、イブキの足元に伸びていた右腕の影が地面から剥がれるように出現する。一枚の布のように薄く、真黒な色をしたそれは、メギトの尾以上の長さまで延びていき彼の眼前に迫った。


「なんだそりゃあ!?」


 メギトが気付いて防ぎの構えを取るころには、その具現化した影は、その先端を巨大な三本の爪を持つ異形の手を型取り、彼の肉体を確実に串刺しにしていた。


「ギャッ!!!! い、いってェ!!!!」


 内一本の爪は、急所に近い場所を貫いており、さすがのメギトもあまりの激痛に悶絶する。


「くっそ!! ざけんじゃねェ────!?」


 傷口を抑えながらよろけるメギト。その眼前には歯を食いしばり、正しく龍の形相でこちらに“右手の”拳を向けるイブキの姿があった。


「ッッラアッ!!!!!!」


 右手の拳が、奇妙なデザインのマスクで覆われた顔面を抉る。


 既にバランスを崩していた事もありメギトは踏ん張れず、その肉体は豪快に吹っ飛んでいき、先を阻む大木に叩きつけられる。


「この…野郎が……」


 吹っ飛んだ先のぬかるんだ地面の上で泥まみれになりながら立ち上がるメギト。眼前のイブキを睨み付ける表情もまた、殺意を滾らせた龍のような迫力を帯びていた。


 --よっし! できた! できた! できだできたできたできたぞ!!


 一方のイブキは知らずのうちに戻っていた右腕を見つめながら、自分の大立ち回りに自分で興奮していた。


 しかし、それと同時にとてつもない疲労感と脱力感が襲いかかってくる。


 化け物を討伐したことは勿論、殴り合いの喧嘩をしたことも無いイブキにとって、“命のやり取り”を行うという行為自体、相当精神に負荷がかかるものだった。


 反撃という形で一旦のクールタイムを得たことで、イブキの無理に張り詰めていた精神が途切れ、ドっと力が抜けてしまったのだ。


「ハァ……ハァ……クソッ……力が入らねぇ……ハッ……めまいが……」


 脂汗を滲ませ、膝に手を着くイブキ。痛みに悶えながらもメギトはそんな彼の様子を見て、顔を顰める。


 初めて相手にするタイプの能力とはいえ、少し戦ったくらいでへばるような格下相手に致命傷を負わされたメギト。屈辱感も相まって血反吐を飛ばした後、激しく激昂した。


「て…めぇ!! ざけてんじゃねぇぞ!! ハァ…ハァ……!! ほんのちょっぴり攻撃したぐれぇで…へばりやがってよ!! ハァ…ハァ……! 格下の分際でいい気になりやがって!!」


 再び姿勢を低く構え、追撃の姿勢をとるメギト。イブキも、途切れそうな意識を頬を叩いて何とか保ちながら、反撃の構えを取っていた。


「へへッ!! いいねぇ!! その顔面さァ…!! まじであの女共みてぇに白目剥かせて人の肉にかぶりつくのが最っ高に似合ってそうでいいじゃねぇですかァ!? たっぷり血ィ注いで奴隷にしてやっからよぉ!! 楽しんでいこうぜ!? なぁ!!??」


 メギトは口を開き、体内から練り込んだ力を眼前に集中させる。


 “龍そのもの”の力を持つ転生者、いわゆるメテンと呼ばれる種族が秘める大技の一つ、“ブレス”の準備に取り掛かっていた。


 メギトはシューゲツと違い、右手だけでなく全身全てが人外の皮膚と化している。これは身体の内に眠る“龍魔力”との同調を極めた証である。そんなメギトのブレスの威力は、ほんの数メートル程度逃げて躱せる程温いものでは無い。下手をすればこの森一帯が大きな被害を被る程に強大な威力を誇っている。


 今のイブキにこれを止めたり躱したりする手段は無い。よって、必然的に絶体絶命の局地に立たされることになってしまった。


 --畜生……ここで……終わりなのか……?


 メギトの口元で妖しく輝くエネルギー体の禍々しさを目の当たりにし、絶望を覚えるイブキ。


 どうしようもない無いのかと歯を食いしばりメギトを睨みつけるイブキをみて彼は狂喜し、口を開けたまま叫んだ。


「しねやぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!」


 間もなくブレスが放たれる、寸前の出来事だった。


 メギトとイブキの間を挟むように、火球を握る土で出来た巨大な腕が出現する。


「── ぁあッ!?」


 ブレスに集中していたせいか突然の腕の出現に対応出来ず、ただ迫りくる巨腕に視線を向けるメギト。


 ブレスを諦め、退こうとする頃には握っていた火球が放たれ、容赦なくその身を呑み込んでいった。


「ギャッ!!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! あちぃ!!! やめろ!!! おぉい!! 死ぬ!!! 死ぬ!!!」


「クソがぁぁぁぁぁあああぁぁあああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」


 炎の中で踊り狂うメギト。そのまま肉体は消えゆく炎と共に、狂気に満ちた断末魔だけを残して消滅していった。


「死ねっつといてさ、5秒後位に自分が死ぬってどーよ」


 一連の流れを唖然と眺めていたイブキの真横にいつの間にか現れた、前に付いたポケットに手を突っ込む小さな少女がメギトの最期を嘲笑する様に呟いた。


「大丈夫? キミ」


 キョトンとした顔で首を傾げ、こちらを覗く少女。そのあどけないぱっちりとした浅葱色の瞳を見るや否や、急激な視界が歪み糸が切れたように倒れた。

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