第28話 突然の通告

 黒豆のように真っ黒い鼻を地面に擦り付け歩くユーミを先頭に続く男女3名。クルドの予想通り、ジェミニの足跡の痕跡が消えたポイントに、妙に荒々しい動きを遺した足跡の匂いのする足跡を発見。かれこれ一時間程度歩き回った果てに、“如何にも怪しげな細道”に差し掛かった。


「如何にも……犯罪にもってこいって感じの場所だな……」


 廃墟なのかはわからないが、ボロボロに壊れた家々が並ぶ場所。人っ子ひとりとして見当たらず、昼間だと言うのに若干の薄暗ささえ感じてしまうほどの空間は、ホラーゲームのステージに近いものを感じた。


 呟くイブキは内心ビビっていた。オーク三体を屠るほどの力を持っているとはいえ、元々肝が備わっている訳ではない。本来なら男であるイブキが彼女らの先頭に立ち、あわよくばルーツの手を握ってやって吊り橋効果にワンチャンスかける場面だろうが、流石に手汗まみれの手で握れる筈もない。


 ルーツも震えているようだった。何かに触れていないと駄目なのか、前で歩くクルドの髪とか肩とか頬をテディベアみたいなノリで触っている。クルドはものすごく鬱陶しそうに顔を歪めているが、こいつは怖くないのだろうか。


 ひたすらに早く終われと先頭を歩くユーミを凝視して念じていると、彼女の動きがピタリと止まった。


「………ここで途切れたなの」


「え? どういうことだ?」


「イブキ。下」


 クルドが告げる。その言い方がなんとも不気味だったために思わず悲鳴を漏らして身体を仰け反らせる。


「え? なになに!? 幽霊!? 虫!?」


「ち、違うけど……情けなさすぎない?」


「う、うるせぇ!」


「あーわかったからそのまま動かないで。しょーこが消えるかもしんないじゃん」


「えぇ??」


 それこそ、映り込むお化けのように体をくねらせたポーズのまま待機させられるイブキ。クルドはそんな様子には目もくれず、彼の足元にしゃがんで綿を光らせた。


「おい……これきっつい…」

 ーーああもうこんなバカみたいなポーズでずっといるとか拷問じゃねぇか! ルーツだっているんだぞって……まぁあんな弱そうに驚いた時点でいろいろ終わりか……


 変なポーズのままため息をつくイブキ。きっと軽蔑の視線を向けているのだろうと現実を受け止めるため、ルーツのいる方角に目をやる。


「く、クロさッ……クッ!!……ンンッ…プッ!…フフッ……」


 ーーえ、ウケてるの? ツボ可笑しくない? そんな面白い? 涙流してるし……あーカワイイ


 どっかの石像のようなポーズのイブキは、デレデレと鼻の下を伸ばす。そんな彼の眼前にヌッと顔をあげて現れたクルドは、呆れた様子で言い放つ。


「そのポーズで固まってろって意味じゃないんだけどなぁ……」


 イブキは何事もなかったように姿勢を戻し、クルドから背を向けて聞き返す。


「結局何があったんだよ」


「……足跡…どろまみれの……なの」


 クルドの足元に仕えるユーミが答える。彼女が追ってきた形の見えないものではなく、泥をつけてそのままスタンプしたかのような足跡。それが四人のいる更に奥の方へ向けて進んでいる。


『うん』と頷くクルドは続いてイブキの胸のあたりを指差していた。


「……なんだよ」


 答えないクルド。その指は、イブキではなくその奥に控える別のものを差しているようだった。


 無論、からかっているつもりは無いらしい。フードの奥から見える表情がそれを物語っていた。


 基本的にどんな状況でもポケットに手を突っ込んで堂々としている彼女が動揺しているのだから、結構まずい事態なのだろうと固唾を呑む。


 指先は細道の奥に放置された泥だらけの塊だった。綿の光がそこまで届いていないお陰でまだその正体がなんなのか掴めない。ただ足跡といい、イブキたちが探していたジェミニに関連する重大ななにかである可能性は充分に感じられた。


「ルーツ……ユーミ…ふたりは帰った方がいい。これは龍小屋あたしたちの案件かも」


 ポケットに手を入れ、先に送へと向かわんとするクルドは後に続こうとする2人に言い放つ。ルーツは、ぎゅっと拳を握って震えを抑えてから答える


「で……でも………元々は私達の……」


「いいから、見たら間違いなく……キミは自分を責めすぎて壊れる。キミのせいじゃないけど」


 ルーツの細い声を容赦なく断ち切るクルド。押し黙るルーツにかまわず続ける。


「今なら走ればすぐ街にぶつかるし襲われることは無いと思う……けど、なるべく人の多い道を通って帰って」


「わ、わたしはっ」


 それでも食い下がろうとするルーツにクルドは振り向きざまに綿を取り出す。綿は帯電しているのかバチバチと音を立てており、『これ以上進むな』という意思を示していた。


「……どうして?」


 胸の前で拳を作り、問いかけるルーツ。揺れる黒いベアトップワンピースの裾を引っ張るのは狼の姿に戻ったユーミ。


「おねぇちゃん……いこっ」


 ユーミは素直に従うようだった。動物的な感覚を持つ彼女は、特にこういった不穏な空気に敏感である。泥のお陰で鼻はうまく効いていないようだったが、なんとなく奥の塊の正体は勘で掴んでいたのかもしれない。


「ユミちゃん……」


 ユーミに視線を落として考え込むルーツ。しばらくの沈黙の後、託すような眼差しをたたえてクルドを見据えた。


「……あとは…おねがいします……どうかジェミニを」


「うん。なんとかしてみせるよ」


 クルドらしくない優しい声色を秘めた返答にルーツは小さく頷く。ユーミは彼女の前に立つなり、先導するように歩き出した。


「いいのかよ……あんなこと言って。もしかしたらジェミニはもう…」


「あそこで死んでるかもなんて言えないでしょ。つかなきゃいけない嘘だよ今のは」


「……嘘?」


 不思議な返答に戸惑うイブキ。2人が見えなくなった段階でクルドはポケットから別の綿を取り出す。彼女の手から離れて浮遊したそれは間もなく明るいオレンジ色の光を放ち、薄暗い辺りを照らす。


「イブキも、吐くのは……しょーがないけど、大声は出さないで」


 忠告を入れる彼女の後に続き、謎の塊を目指す。近づくにつれ、塊は10歳くらいの少年くらいの大きさであること、大量の泥を被っていることが分かった。


「……お、おい………これ………」


 人の形をしていた。間違いなく人である筈なのに、そうでは無いような……捨てられた玩具のように、それは横たわっていた。


「……こいつ………ジェミニ……?」


 半開きになったジェミニのスカイブルーの瞳にはまったく精気が篭っておらず、打ち上げられた魚の死骸のように虚ろだった。


 どうしても信じられなかったイブキは、泥だらけの手に恐る恐る触れてみる。その肌は案の定まるで人のものとは思えないほどに冷たくて硬かった。どうしようもないほどに“完成された死体”を前に、イブキは慄く。わけもわからず涙すら浮かべていた。


「あっ……ぐっ……お、おまえこれ………これ……」


「外傷はナシ。……窒息死って判断するのが妥当だけど…この泥は……」


 そんな中、淡々と死体を分析するクルドが信じられなかった。彼女はしゃがみんで目の周りや口、身体をぺたぺたと触っている。


「お前……よく平気で触れんな…」


「……平気なわけないじゃんか。でもそれ以上に“死んでまもない死体”は事件をたどるのに重要なものなわけ。……よかった。まだ魔道回路は生きてる」


 思った以上にちゃんとした返答にイブキは黙り込む。彼女は感情よりも先に“事件の解明”を優先して動いているだけであって、彼女自身にもきっと思うことがあるはずである。ルーツと交わした『ジェミニをなんとかする』という約束も果たせなくなったのだから。


『ごめん』と呟くイブキに振り向かないままクルドは続ける。


「とにかく、今からこの子の身体に“魔法的な攻撃”が加えられていないか調べる。魔道回路が死ぬ前にそれだけでもやっとかないと……いちおーイブキは影を張って……」


 ぽつぽつと呟きながら綿を並べるクルドは、作業に集中しているためか気が付いていない様子だった。


 二人に向けられている強い殺気に……。


「危ねぇッ!!!」


 殺気の察知に関してはレイから一通り教わっていた。実際は教えられたというより“叩き込まれた”という表現が近い。


 休憩中、いきなり木刀を振り回された時は気でも狂ったのかと思ったが、どうやら“突然襲われた経験”を一定数味わうことでそういった気配に対しては敏感になるらしい。それからは、修行している時以外に何度か襲い掛かってくるレイに対応する毎日。そのせいで、こういった静かな空間では特に神経を尖らせ、無意識にアンテナを張るようになっていた。


 お陰で寝つきが悪くなったりとデメリットも多かったが、どうやらその努力は無駄ではなかったらしい。猛スピードで向かってきた黒い拳から目を離さず、既に潜ませといた右腕の影で受け止め、突き放す。


 よたよたとおぼつかない足取りで壁に寄りかかる黒い角を生やした男。虚空を見据えた死んだような眼に射止められて、イブキは息を呑む。


「なるほど……そういうことか…ようやく面と向かって話せるな。元孤児院の主、アベル・ダリガード」


 俯き、異形へと変わった右手を握りしめ、監視の際、目印にしていたちょび髭を生やした中年に唾を吐きかけるような勢いで言い放つイブキ。


 アベル・ダリガードは答えなかった。ルーツや子供達らから“パパ”と慕われていながらもその裏で子供たちを売り払い、金に換えていた最低の男。


 かつてあった『本当はいい人なのでは?』と勘違いしてしまうほどやさしさに満ちていた風貌はすっかりなくなり、ただ本能のまま目の前で息巻くイブキをなにも映していないような瞳の中に捉え、いつ襲うかタイミングを計っている。設けた金で買ったであろう高そうな服は所々裂けてボロボロだった。


 何より変わっていたのはメテンの龍皮化に近い異形の右手と、あの狂犬病にでもかかったかのような狼たちが持っていた眉間に生える禍々しい黒い角。


 イブキも同じように右手を異形に変えてから更に啖呵を切る。


「おまえの方から来てくれるなんてこっちとしても都合がいい。もうそろそろ捜索するのもだるかったところだし何より……ルーツを売り払った張本人。ずっと殴りたいって思ってたんだよ」


 ソイツは無機質に俯きながら、拳を握って向かってくる。


「なめんなッ!!」


 殺意を乗せた真っ黒い拳が届くより先に、はためく絨毯のように伸びるイブキの影が相手の腹部を貫く。


 致命傷を受けたダリガードはそのまま力なく崩れ落ちる。どくどくと流れていく鮮血がなんとも生々しくて不快にこそなったものの、それ以上の安心にドッと力が抜けた。


「っぶねぇ……なんとかなったか…」


 事前に察知していた殺気から向かってくるタイミングを先読みし、リーチで勝る這い蹲る黒絨毯シャドウ・レイズで隙をつくという思い付きの作戦。


 始めて戦略を立てて能力を使用してみたが、思った以上に上手くいったことに安堵する。


 それと同時にイブキの頬はぐにゃりと緩んでいた。


 ーーうっしゃっ! 今の俺クソかっこよかったな……できればルーツに見てもらいたかったけどまぁ…しゃあねぇ! いやしかし、あのゾンビ野郎の時といい…俺ってもしかすると……わりと戦いのセンスあったりしちゃう??


 渦巻くは自己承認。中々自己完結するに留まらないそれは、最も他人を巻き込みがちな欲求の一つだろう。少し後ろで黙々と検死に戻っていたクルドの肩を叩き、親指を立てて自慢する。


「どーだこの野郎。俺だってちょっとはやるようになったろ!」


「……うん」


 思った以上に薄い反応が返ってくる。面白くなかったイブキは彼女のフードを引っ張り、注目を引いた。


「お、おいもっと喜べよっ! とりあえず事件は解決したっ! この野郎が犯人だったんだよ! おれがやったんだぞっ!」


 返事はない。フードを引っ張られたまま動かず、そっとジェミニの胸に手を乗せている。


「なぁクルド。確かにジェミニのことは残念だったが……犯人もこうして倒したし、ちょっと……なんかねぇかなぁ……?」


「うっさいってば。今集中してんの」


 イマイチノリに付き合ってもらえないクルドに唇を尖らせ、『もうしらねェ』と顔を背ける。クルドは本当に集中しているようであり、何やら弱々しく光るジェミニの身体に綿を乗せたり、とても四角い建物に囲まれて育ったイブキにはわからない芸当で死体を調べている。


「……イブキさ。ちょっと身体貸してくんない?」


「な、なんだよ急に……」


 急に話しかけてきたかと思えば、一歩間違えれば誤解を生むようなオーダー。思わず身を反らし、両手で肩を抱く。


「ああもう説明すんのめんどい! いいから胸出してってば!」


「お前……まさかそういう…」


「今のやり取りだけでそーゆー発想に至るイブキの気持ち悪さの方が凄いよ」


 ジト目で『ヘンタイ』と訴えてくるクルド。返す言葉の無くなったイブキは黙りこくったまま彼女に近づき、内科の診断よろしく服を胸のくぼみ辺りまでたくし上げた。


「お、おい……なんだよこれ」


 クルドは躊躇することなくそのくぼみへと手を当てる。やわらかく、少しだけ暖かい彼女の手はなにやら熱いものをイブキの身体に流し込んでいるようだった。


 正確に言えば、『流し込んでいる』のではなく単にイブキの身体を『熱くしている』といったところだろう。魔道回路の循環を活性化させ、多少なりイブキの身体を発熱させているようだった。


「……やっぱり」


 ぼそりと呟くクルド。聞き逃さなかったイブキは当然視線を彼女に固定して問いかける。


「な、なにがだよ」


 明らかになにかを発見したような物言い。なのにもかかわらず、クルドは表情一つ変えずに平然と言ってのけた。


「いんや、なんもないよ」


 きょとんとした彼女のあどけない表情はどこか裏を感じずにはいられなかった。おぼつかない言葉でなんとか追及を試みる。


「え、ああ……じゃなくって、やっぱねってなんだよって。俺の身体使ってんだから…気になるだろ」


「なんもないってば、この件はおしまい。さっきの影パンチそこそこよかったよ」


「お、おしまいって……いや…絶対なんか隠してんだろ。教えろよ…おなじ、龍小屋なんだからよ」


「んじゃさ……」


 クルドはフードを被りなおし、じーっとこちらを見据えて言い放つ。


「これ全部話しても……イブキは邪魔しないでいられる?」


「え……」


 言葉が詰まる。


 予想だにもしなかった返答。震える唇を紡ぎ、なんとか聞き返す。


「ど、どういうことだよ……俺が…なんで邪魔すんだよ」


「んー、どこまで言ったらいいのかわかんないからなぁ……関わんないのがベスト。暫くは忘れてレイと一緒に修行してるといいよ」


「い、いや……ここまで来て知るなとか無理だろ。だいいち、孤児院の子供だって襲われてんだ! いつそれがユーミや…ルーツに降りかかってもおかしくないっつーか…」


「わっかんないかなぁ……」


 呆れたようにクルドは言い放つ。ぞんざいに放たれた一言は、彼の心を一撃で破壊してしまうほどには強くて厳しかった。


「もうイブキは使えないって言いたかったんだけど」


「なッ……!!」


 呆然と立ち尽くす。眼前の少女は何事もないようにくりくりした目で固まるイブキを見届け、すぐにまたジェミニの死体へと戻る。イブキは絞り出すように、


「お、おまえ……それは…ねぇだろ……」


「ううん。こっからのこと考えた結果の判断ねこれ。イブキはこの件には一切関わんないで。意外とこういうのって無駄に人数使うより少数精鋭でやってくほーが……」


「っせえッ!!! うっせえんだよッ!!!!」


 気が付いたら叫んでいた。自分でも信じられないくらい枯れた声色で、まだ敵が潜んでいるかもしれないとかまるで考えず、降り積もった泥を吐き散らかすように眼前の少女へ向けて叫んでいた。


 ここまで彼女が冷徹だとは思っていなかった。常にどこか生意気でこっちの心の中に土足で踏み込んでくる鬱陶しい奴だったが、時には謎のうんちくを披露してくれたり、変な一人遊びに付き合わせて来たり、悪かったときはちゃんと謝ってくれたり悪い人ではなかったはずだった。


 そんな彼女が自分を『使えない』と言い捨てたのだ。心の内にあるのは怒りではなく、純粋な悲しみ。


 心の何処かで妹のように想っていた彼女に、自分は使えないといわれたのだから……。


「ざっけんなよ……ふざけんじゃねぇ!! なにが! なにが戦力外だ!! あんなに連れまわしてた癖によぉ! 今更……俺が使えねぇとか…つ、つかえねぇって…馬鹿にしやがって!!!」


 思えば、元々“龍小屋”とはそういう組織だった。自分の抱く野望だけを求め、一時的に敵同士が組んでいるだけにすぎない仮初の組織。クルドだけではなくラディにレイ、キリュウにオオサキ全員がお互いをぼろ雑巾のように利用し合い、用が済んだらお互いに破り合う。


 そんな中ただ一人、野望を抱いていないイブキは“ただ利用されるだけの立場”であり、いつか必ず破り捨てられるだけの存在に過ぎない。今のように戦力外といわれるだけでなく下手をすれば、その場で始末してきそうなほど冷徹であり、残忍な組織である。


 ーーこんなとこ……もういれっかよ……!!


 ひとしきり叫んだところでクルドはなにも言い返しては来なかった。ただただ黙々と、ジェミニやダリガードの死体を調べている。



 そんな非道な彼女には、別れの言葉など届かないことは分かり切っていた。だからこそ何も告げることなく、ただ背を向けて走り出す。勿論、彼女とも住んでいるラディの家ではなく彼のもう一つの居場所、ルーツのいる孤児院へ向かって。


 元々ルーツと共に孤児院で生活したかったし、因縁のダリガードとの決着だってつけられた。仮にまだ脅威が残っていたとして、メテンである自分が彼女の傍にいてやれれば大丈夫なはずである。勿論彼女への想いは薄まるどころかい強まる一方である。ようやく本格的にカドリとうまく連携をとり、彼女を手に入れることに専念できる。


 たださっきまであった居場所がなくなるだけ。寧ろ想い人と一つ屋根の下で働けるなんて一般的に見ても最上級の幸福だろう。


 ーーなん……でだ…よ……


 イブキは理解できなかった。振り切ったはずの足取りは止まり、ついにはへたり込む。


 こみあげてくる熱いもの。どうしようもない感情を一滴の涙に変えて、頬を伝わせる。


 ーーっでだよ……なんで…泣いてんだよ……俺


 考えたって仕方がなかった。たかが外れたようにボロボロと零れ落ちる涙は理解したところできっと制御できない。


 それならばいっそ諦め、ただ今ある心に寄りかかっていればそれでいい。


 結論付けてからはただ無防備に、ありったけの涙で乾いた地面を濡らした。


 ーーなんでだよ……なんでだよクルド……お前は…本当に俺が必要ないって思ってんのかよ!!! そんなことないって……俺を信じて話してくれよ……なんでだよ!!


 人の寄り付かない場所での号泣は不幸中の幸い。部分的に欠けた階段の段差に膝をついて倒れこみ、一人で泣き喚き続けた。


 しかし、イブキは気付いていなかった。


「ありえない……まさか本当にこの魔廻印が……」


 ひたすら平然としていた彼女の振る舞いが、全て見せかけに過ぎなかったことに……。




 手の震えを抑えてもう一度魔力を流し込むクルド。この作業を行うのは三度目になる。今度はジェミニのみに限らず、イブキが屠った元孤児院の主の身体も合わせて検死を進める。


「……こっちは黒角化してるってことで間違いなさそう。でも魔力回路がとっくに死滅してる……。今死んだならまだ攪拌すれば回路だけでも動かせるはず。子供の方は窒息死……時間差で呼吸を止める魔廻印の作動……? でもこの魔廻印は…………」


 ジェミニの身体の魔道回路をより早く回し、強い輝きを放たせる。彼の喉元に浮かせた綿に意識を集中させると、その綿はみるみると喉に吸い寄せられてから、ある紋章を浮かび上がらせた。


 2度目と同じ結果。元から無駄なことにエネルギーを使うのが大嫌いなクルド。そんな彼女が、3度もこの作業を繰り返すのは、“これ以外が原因であって欲しい”という願望の現れだった。


 それでもやはり現実は同じ結末を掲示していた。“発動済”を示している既に効力を失った魔廻印。これによってジェミニは遠隔的に窒息させられたのだ。


 更にこの魔廻印の探知をかけてみると、共鳴するのは自分のポケット。ポケットの中に入っている、あの時ルーツが自分を迷子と勘違いして渡してきた薄ピンク色の飴玉。イブキが自分を煽るようにウキウキしながらポケットに突っ込んだ飴玉。


 クルドは息を呑む。潤いのないカピカピの唇をそっと動かし、とっくにイブキのいなくなった薄暗い細道でポツリと漏らした。


「……いえるわけないじゃんか」

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