第27話 羊がごちゃごちゃ

 あれから三日過ぎたが、未だに窒息殺人事件の有力な手がかりに辿り着くには至らない。イブキとクルドは巡回しすぎた疲れからか、近隣にあった冒険者専用の食堂の中、溶けたアイスクリームのようにぐったりとしていた。


「なぁ……クルド」


「……なによ」


「お前……綿とか使ってなんとかなんねぇのかよ。流石にしんどいし…あちいわ……」


 汗ばんだ襟元をばたつかせながら目の前で机に突っ伏すクルドへ苦し紛れな提案をする。なんとなく万能なイメージの綿を使えば、なんとか見つからないのかという淡い期待を込めてとりあえず聞いてみる。


「んにゃ? 今もフルで使ってるけど?」


「え? まじ」


 予想外の返答に、イブキは固まる。突っ伏したままのクルドは続ける。


「周囲半径一キロ……100マナ以上の龍魔力が感知できるようにはしてるけどさ……そもそもここ三日間被害が出てないからね」


龍小屋おれたちの存在に気づかれたってことか?」


「んまぁ……そー考えるのが普通。でもいちおー極秘で進めてるものでもあるから今の段階で犯人に気づかれてるとしたら異常かな」


「誰かが裏切った……?」


「んー……わかんないかなそのへんは。内通者こそ綿でわかるし」


 クルドは顔をあげ、丁度良く運ばれてきたアイスクリームに目を輝かせる。アイスを頬張り、顔を綻ばせる彼女をみていると『そう言えばこいつも女の子だったな』と再認識させられる。“黙っていればかわいい”の代表格といえば、彼女が挙がりそうなものである。


「つーか、この世界にもアイスあるんだな」


 同様に運ばれたアイスを口に入れ、思った以上のクオリティに驚くイブキ。


アイスこれ広めたのどっかのメテンらしいだけどね。シウバのらあめんもそうだけど、メテンが持ってくる食べ物にはハズレがないよね」


「作ったまではいいけど、どうやって保存すんだ? こんなくそあちい日じゃあどんだけ作ってもすぐ溶けちゃう気がするけど」


「魔廻機あるじゃん」


 当然のようにクルドの口から出てきた単語に、『なにそれ』という表情を浮かべる。


「あ~説明したことなかったっけ……んじゃ、まずこの電灯」


 ふたりの頭上に吊られた年季の入った電灯を指さすクルド。


「これもいちおー魔廻機ね。辺りが暗くなると自動的に組み込まれた“魔廻印”が作動して微弱な光属性の魔法を放つ仕組みになってる。さっきの質問に出た“食品を冷やす魔廻機”即ち冷凍庫なんかもおんなじように氷属性の魔廻印を……」


「ちょ、ちょちょちょっとまて……」


「なによ」


 恨めしそうにジト目を向けるクルド。説明好きなのかは不明だが、流石の情報量にイブキはまったをかける。


「魔廻機だの魔廻印だの意味わからん。そもそも、そんなもん幾ら組んだところでお前みたいに魔術使えないと意味ないんじゃねえのか?」


「だーいじょうぶ。全部説明したげるから」


 誇らしげに鼻を鳴らすクルド。なんだか妙に癪に障ったが、異世界の仕組みには多少なりとも興味があったため、そのまま聞いてみることにした。


「まず魔廻印っていうのは属性魔法を発動する時に組み込む“印”のことね。といっても一々印を組んで発動してるわけじゃなくてどっかの鉱山とかで採れる“魔廻石”っていう特殊な石を平らにして、印を“焼きいれる”の。そんでできた魔廻印を指でなぞれば、身体に流れている超微弱の魔力と反応して魔法が発動するってわけ。攻撃に使えるくらいおっきなのは無理だけどね」


『ディスクみたいなものか』とイブキは解釈するが、クルドはディスクを知らなさそうなので、口には出さなかった。


 イブキのディスクに対する知識は、データをレーザーかなにかを打って凹凸を作り、光のセンサーでそれを読み取って音声やら映像やらを再生させるといった断片的なものにすぎない。ただ意外にも、その解釈自体は間違えてはいなかった。


「魔術使えんのお前だけなんじゃないのか? 人間に魔力が流れてるんなら、それを使って魔術師になろう! って発想になるやつは絶対いると思うけど……」


 理解してしまった自分がなんだか悔しくなり、別の角度から質問を投げかける。


「んじゃあ……人間みんな体に電気流れてるけど、それを攻撃手段として自由に使える?」


 あっさりと答えられる。顔をしかめて首を横に振るイブキを確認したうえで、クルドは続ける。


「それと同じで持ってるからって自由に扱えるもんじゃないんだよ。寧ろ終始流れっぱなしになってるから制御すらできてない。あたしがよく嘘とか見抜くのに魔力の流動方向調べてるけど、言葉と違って魔力はしょーじきなんだよね。たとえば……」


 クルドは身を乗り出してイブキの胸に触れる。『何してんだお前』とくせ毛な青髪をもしゃもしゃと掻き撫でて引き離すと、滅茶苦茶むかつく顔でこちらをみるなり……


「捜索だるいな。はやく愛しのあの子に逢いたいな」


 と棒読みで呟いた。


「おんまっ!! そんな具体的に読んでんじゃねぇよ!!」


「倦怠感と恋愛感情がごっちゃになってる動きしてたからテキトーにいっただけだけどね~まんまと当たったね。イブキ」


『うるせぇ』とそっぽを向き、アイスを掻きこむイブキ。明らかに苛立っている彼にも容赦なく彼女は煽るような質問を続ける。


「あとさ、最近なんか美味しいものとか食べた?」


「そんなん覚えてるほど暇じゃなかったろ」


 返答を聞いたクルドは、少々神妙な顔つきに変わる。


「イブキのものとは違う別の魔廻がちょっとだけ混ざってたんだけどなぁ。ほら、味のクオリティ抜きに“丹精を込めて作った食べ物”なんかは作った人の“想い”が籠って、無意識にその人オリジナルの魔廻が料理に移る時があるのよ。あっこれあいつの料理だとか根拠もなく思ったことない?」


『ある』と答えるイブキ。絶妙に共感できる例えを持ってくるのがクルドの憎らしい面だ。


「料理に限った話じゃないけどね。陶芸品とかいい例。知らないうちにその類のごはんとか食べたのかもね~」


 小悪魔じみた表情でつぶやくクルド。顔面偏差値だけは妙に高いせいでムカつき度合いが増すのは、彼女の天性のものなのだろうか。こういうのを“うざかわいい”というのだろうなと本件とはまるで関係ない結論を導き出したところで、イブキは立ち上がる。


「なんだかよくわかんねぇけど……これ以上おまえの講義聞いてっと寝落ちしそうだ」


「なによそれ……むっかつくなぁ。んまぁ、魔廻工志望しない限りは割とどーでもいい話なんだけどね。仕組みはわかんないけどなんとなく使える。そんな認識で充分って感じ」


 ムッとした顔でイブキの後に続くクルド。仕方なく彼女の分のアイス代も出してやると、『講義代だね』と余計なことを言ってきたので、少しでも優しさを見せた自分を恨んだ。


 木製のスイングドアを膝で押し開き、外に出る。元居た世界でいうところの“夏”に差し掛かっているのか、うっとうしいくらいの日差しに目をしばしばと瞬かせる。


 その刹那――。


「あ……ちょっと…ど、どいてくださああいっ!」


 鈴の音色のような美声を醸し出すはずの喉に無理をさせているような痛々しい声が、出た先に突き当たる大通りの奥から聞こえてくる。


 別に人だかりもない。少し気を付けていれば走っても問題ないくらいの大通りをわざわざ一生懸命声をあげて進む少女の姿は、どれだけ遠くに留まっていようが、今のイブキが見逃すはずがなかった。


「……ルッ!!」


 彼女の名前を呟いている暇はなかった。多少走っていても問題ないその大通りで、彼女は何故か目の前の女性と正面からぶつかった。しかもあろうことかぶつかった中年女性は、赤い果実を大量に積んだバスケットを背負っている。


 ーーやっべっ!


 駆けるイブキ。時が止まったのかと錯覚するくらいの猛ダッシュ。一応人外クラスの動きができる立場ではあるため、巧みに人をかき分け、舞い上がった果実の前までたどり着く。


 追いついたはいいが、何でキャッチするかである。流石に腕二つで抱えきれるような量ではなかった。


 ならばどうする。そう思っていた矢先に、両手に投げられたバスケット。飛んできた方角を見ると、紺色の勇敢な狼が一匹。


 ーーユーミ……お前最高だよ。


 果実はイブキの両手に抱えられたバスケットの中に吸い込まれてゆく。今この瞬間に限っては、メテンというものを誇りに感じた。


「……おっす。ルーツ」


「はぁ……はっ…く、クロさんっ!」


 相当走り回っていたのか、ルーツの真っ白いワンピースは汗で少々透けている。そんな危うい姿に気付いたのが丁度ゼェゼェハァハァ言ってる彼女と向かい合った時だった為、銃撃されたように身体を仰け反らせて視線を逸らす。


「ちょっ……ちょちょちょちょっ!!」


「……へ? どうしたんですか?」


 まるで気がついていないのか、相変わらず無垢な瞳で首を傾げるルーツ。


 なんて伝えたらいいのか分からず苦悩していると、彼女のほっそりとした肩に黒い布がかけられる。


「着替えたほーがいいよキミ。ウブな部下が喋んなくなる」


 いつの間に購入したのか黒い服を投げ渡すクルドに、イブキは掴みかかる。


「お、おまっ!! へ、へへへんなこと……」


「い、いぶき……今ちょっとそれどころじゃないかも」


「……あ?……ッ!!」


 振り向く先には、ワンピースのショルダーポイントを外しかけるルーツの姿。華奢な肩から白い布がするりと抜けおちて……


「嘘でしょ!?!?」


 クルドと後ろで人型に戻って油断しきっていたユーミがルーツにしがみつき、既のところでズレ落ちる布を抑える。


 イブキも反射的に彼女の目の前まで迫る。服を着せ直してあげようと肩を掴もうとするも、触れる直前、反射的に両手を威嚇するザリガニのように広げ、首をギュイン90度高速回転させて目を背けた。


 --おっおおおおっっおおっっおっっっ……


 それは。イブキの前世今世合わせても拝んだことの無い“未知のエリア”。汗の伝う彼女の鎖骨から下に聳える禁忌を見てしまったかは不明だが、ただ彼の全身は完全に硬直していた。


「おっおまえ……そんなに常識なくってよくここまで生きてこれたね」


「おねぇちゃんの……おからだ……まもるなの」


「んっっっ!! んっ!! んっ!!」

 --俺は見てない俺は見れない俺は見てない見たい見てない俺は見てない見たいッ!!!!


 腰にしがみつくクルド。背中の布をたくしあげるユーミ。バスケのプロ選手並のハンズアップポーズで自己暗示に耽るイブキ。以上3名がここまで尽くしてようやく理解したのか、まっしろ少女は唇を震わせてつぶやく。


「あっ……そっか」


「あそっかじゃねぇよッ!!!!!」


 瞬発的に発した言葉は、あのレイ先生の抜き打ちに匹敵する鋭さだった。



 ********



「んね、あいつまじでなんなのさ」


「俺もわからない」


 路上に並べられたマネキン人形の前で、着替えるルーツを待つ3人……正確には2人と一匹。ユーミは狼の姿に変わり、何故か地面の匂いを嗅ぎ分けては首を傾げてを繰り返している。


「……記憶喪失だからなんか……大変なんだろ」


 躍動感たっぷりのポーズで静止するマネキンの前で腕を組むイブキが続け、


「記憶喪失と幼児退行は違うでしょ」


 横でポケットに手を入れたクルドが答える。


「それにあの真っ白い肌と銀髪……あれじゃゴロツキに金塊に変えられちゃうよ。雪よりも白い肌の女性は金山の価値と等しいってあっちの界隈ではかなり有名」


「詳しいよなお前そういう事情」


「んまぁ……これ以上は言わないでおくけどあの娘……目離してると危ないかもね」


 なんとなく漏らしたであろうクルドの言葉は、イブキにとっては妙なほど染み付いてゆく忠告に聞こえた。


「お、おまたせしました」


 暫く押し黙っていたふたりの間で、消えいってしまいそうな透明の声が通り抜ける。


 声の方角を見やった瞬間、イブキはこの服をチョイスしたクルド……いや彼女の先祖から子孫にあたるまでの遺伝子そのものに一度『ありがとう』と一礼を決め込みたくなるほどの感謝の念を抱いていた。


 ーーか……かかかかわかわかわかわかわわわわかわかかかわかわかわわわわわ


 まるで新品の人形のように汚れのない肌を包むのはいつもの純白とは対極に位置する黒を基調としたベアトップワンピース。服が黒いからこそ、彼女の“純白”がより光る。金の刺繍が入った短いフリルから伸びる脚に、イブキはただ生唾をゴクリと飲み干してから一言。


「クルドォ……ドライフルーツでいいか?」


「は?」


「お前好きだろ。3袋は買ってやる」


「……あ〜。イブキ好きそーだもんねああいう服」


「やっぱナシ。なんか馬鹿にされた気分だ」


『えぇ!?』と表情を歪めるクルドの首にルーツの細い腕が回る。


「ありがとうひつじちゃん。この服、とってもかわいいね」


「て、テキトーにとったやつだけどね」


 頭を撫でられて感謝されるクルドの顔つきは、一見鬱陶しそうに見える中、褒められた嬉しさを上手く隠せていないようにも見えた。


「てゆーか……ユーミはさっきからなにしてんのさ」


 感情を振り切るようにユーミに問いを投げるクルド。出店の並ぶ大通りの匂いをくんくん嗅いでいた彼女は姿を人間に戻してから答える。


「……しない…なの」


「ん??」


「ジェミニの……匂いが…しないなの」


「ん~…ここもだめですか……」


 不思議そうに首を傾げるルーツ。


「またあのクソガキが脱走したのか……懲りないな」


 犬歯を剥き出しにしてイブキがぼそりと言い放つ。正直、あそこまで好き勝手やっておいて許されているジェミニには腹が立っていたし、そんなクソガキの身を今になっても見捨てず、汗だくになりながら追いかけるルーツにも若干ムカッとしてしまう。


 人はそれを嫉妬心と呼ぶが、そんな複雑な心境などわからない彼女は、ううんと首を横に振って続ける。


「いつもは脱走してもすぐユミちゃんに見つかって大事には至らないんです。なのに今回は結構難航してて……」


『ふぅん』と横の髪をくるくるいじりながらクルドは口を開く。


「ねぇユーミ。脱走してるってことが最低わかってんならさ、最低何歩かは孤児院の外に出てるわけでしょ? だから完全に匂いが消えることなんてないし、もし事件性とかあるならどっかで匂いがピタって止まってるはずなんだけど……どう?」


「あ……おうちからちょっとの間は……あったなの。ね? おねぇちゃん……?」


 おずおずとユーミはルーツに答えをパスする。


「はい。ユミちゃん、突然止まっちゃって……でも、ユミちゃんの鼻は凄くいいんです。たとえ何キロ離れてたって……」


「あっそれ間違いだよ」


 クルドは得意げに鼻を鳴らす。きょとんと首をかしげるルーツに向けてスイッチが入ったように語り始める。


「ユーミみたいな……イヌ科? って実は○○キロ先の匂いまで嗅ぎ分けられることはなくって実際に感じ取れるのはせいぜい3m程度。んじゃなんでそんな噂が出来たのかってゆーと、対象が就けた足跡なんかから匂いを感じ取って辿るんだって。つまり、ジェミニの匂いが急に途切れたのは誰かに運ばれて足跡が無くなったって可能性が出てくるってこと」


「……ユーミ。おおかみだもん」


 珍しく頬を膨らませているユーミに驚いたが、それ以上にクルドの語った知識が割と興味深かったが故に、わざわざ挙手をして質問する。


「それは初めて知ったけど、そっからどうやって犯人割り出すんだ? てか誘拐がマジなら結構まずいな」


 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべるクルド。聞かなければよかったと思わず後悔する。


「簡単だよ。ジェミニの足跡が途絶えた付近で少し動きの怪しい足跡を見つける。しゃがんでいたり、もしジェミニが抵抗してたなら抑え込むような力強く踏み込んでる足跡とかね」


「ひ…ひつじちゃんすごい……」


 純粋に感心しているそうだった。自分よりも一回り小さい少女の披露する知識に目を輝かせている。彼女が生徒ならば、きっと教師も教育が捗るに違いない。


 不安げな色を持っていたルーツの表情が明るみ、かみしめるように頷いてから呟く。


「今すぐ最後の足跡に戻ろうユーミちゃん。はやくしないと日が暮れちゃいますっ」


 よしっとガッツポーズをとるルーツに、もう一度狼の姿に変わるユーミ。万が一本当に誘拐ならば、ふたりはかなり危険な領域に踏み込みこもうとしている。当然イブキも両肩を回して参加を試みるが、案の定感じるジトっとくる視線。


「く……クルド。流石にこれはほっとけねぇって」


「ねぇ」


「なんだ?」


「流石に捜索してる時に犯人が来たとかないよね? いちおー騎士団もいっぱい見張ってるけどさ」


「お前も来んのかよっ!!!!」


 ─── またしても一閃。異世界転生を経て、眠っていた彼の妙な才能が静かに磨かれ始めていた。

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