第25話 小屋を飛び出し逢いに行く

 

 ギルドによる清浄化後の孤児院は敷地も広々と開放的になり、昼頃になれば自由時間として子供たちの遊びまわる微笑ましい笑い声が、少し遠くを歩くイブキにも聴こえてくる。そんな不穏な世間の空気を少しばかり和ませる声を聴くたびに、イブキの視線は、次第に孤児院へと固定される。


 というのも別に子供たちの様子が気になるわけでもなければそういう類の性癖を持ち合わせているわけでもない。


 ーールーツ……今日も信じらんないくらいかわいいな……まるで…まるで……なんだ?


 子供たちと一緒に野ばらを掛ける白いワンピースの少女、ルーツへの恋を自覚したイブキは、もはや吹っ切れたように素直に見惚れ、想いを馳せる。


 そんな甘酸っぱい感情に囚われ、みっともなく自分側に突き出している尻をつま先で蹴っ飛ばすクルドは、倒れこむイブキに指を突き刺して言い放つ。


「イブキ、マジできんもい。ってか真面目にやってってば」


「おま……下手に当てるから尻貫通してなんか玉っぽいとこに……」


「んまぁ……狙ってるし」


「尚更最低だろうが……」


「依頼さぼって好きな人のこと覗いてるほーがどう考えても最低じゃない?」


「……すんませんでした」


 おっしゃる通りだった。隙を見てクルドの横を抜け出しては、隠れて孤児院の中で踊る高嶺の花を眺めるイブキの姿は、確かに気持ちが悪い。


 ただでさえ世間は“謎の窒息死体事件”の第一発見から一週間以上経っているのにも関わらず、未だに犯人の足取りも掴めていないということで不安いっぱいの空気が流れている。


 元々現地人からの信頼は薄い故、あまりにも対応が遅いと、いずれ不安が龍小屋こちらへの不満に変わってもおかしくない。故に龍小屋としても迅速に対処し、有用性を示していかねばならないところである。


「イブキ、ただでさえこっちのエリアは最近見つかった死体が多いエリアでさ、まぁ街の人たちは気が立ってんのよ。『多分メテンの仕業』だって言いながらさ。元からメテンと原住民あたしたちあんま仲良くないからさなにかとメテンのせいだって……」


「あーもう! っせえなわかってんだよ。もうしません! もうしません」


「絶対わかってないじゃん。あれか、わかってるんだけどあたしみたいな自分よりよわそーなやつに何か言われるのが納得いかないみたいな」


「……せぇよ」


「は?」


「……っせえんだよ!!!」


 怒鳴り散らかしてから駆け出すイブキ。勿論巡回ルートとは逆の方向に向かって。途中でガラの悪い獣人と肩をぶつけ怒鳴られるも、無我夢中で走り続ける。


 ーー何だってんだよあの言い草は……俺だって本当はルーツと一緒に孤児院でお手伝いしてぇの我慢してこっちの手伝いやってんだろうが。つーかあいついつから俺の上司みたいなポジションになったんだよ! ポッケにいっつもゴミとか溜めてる癖によ。


 わざとらしく大地を踏みつけながら進むイブキの様子を街ゆく人は不審に思ったり、笑いものにしたり、喧嘩を売られたと勘違いしてガンを飛ばしたりと様々な反応を示すも、イブキの耳には何も入っていなかった。


 ーーほんとむかつく奴だ。なんで我慢してる俺があんな言われなきゃなんねえんだ……まぁ、見惚れてたのはちょっとキモかったかもしれないけど! でもなにかと癒しがないとやってらんねえんだよ畜生!! 口開けば信頼だのなんだの……ああくそ!


 ドスッと肩同士がぶつかる音がする。周りが見えていなかったイブキは、突然肩に走った衝撃に驚いて体制を崩す。


「おあっ!!」


『チンピラが難癖付けるために絡んできたのか』と追撃を避けるために急いで立ち上がり、龍皮化させたところで、ハッとなる。


「なんだよ……カドリか…前見ろよ」


 臨戦態勢のイブキに対してまるで驚かず、にこりと糸目を和らげるカドリは『奇遇だね』と一言返してから続けた。


「随分機嫌が悪そうだね。何かあったとみた」


「なにかって……腹立ってしょうがねぇんだよ」


「それじゃ、気晴らしにそこのカフェでチェスでも打とうじゃないか」


「負けたらもっと腹立つ奴だよなそれ」


「君は情熱的だね。それもまたステキなことだ」


 半ば強引にカドリに招かれ、ため息交じりにカフェへと入るイブキ。少しだけ今も一人で巡回しているであろうクルドのことが頭にちらついたが、『知るか』とすぐに忘れた。


 カフェとは言ったが、それは外観の雰囲気に限った話だったなと気付く。内装は海賊の宴かなんかに使われてそうな丸い机が等間隔で置いてあり、それぞれを老若男女様々な人々が囲み、飲み物を片手にテーブルゲームに明け暮れている。勿論“トランプバトル”をやる者はいなかった。


 入った瞬間、どっかで見たことがある大剣を担いだ銀髪の男の『畜生ッ!!』という悲鳴にも似た叫びが聞こえてきたが、イブキは知らないふりをした。


「ここ……そういう店なのかよ……妙にガラ悪いの多くねぇか?」


「ゲームというより、賭け事によく使われてる場所だからね。昼間から酒が呑めるということで客層が固定されてるのだろう……なにか呑むかい? イブキ」


「んじゃ……アイスティで」


 オーダーを聞くとカドリは立ち上がり、ウエイターらしき人に注文を入れる。暫くすると、アイスティ2つに加え、チェス盤と駒をつけて帰ってきた。


「……児童館かよ」


「さて、やろうか。チェスは初めてかな?」


「まぁ何回かやったことあるくらい?」


 カドリはニコリと目を細め、チェスを並べる。ダラダラとゲームを展開させながら、彼は話題を切り出してきた。


「……それで? なにがあったのかな? 」


「最近話題だろ? あの“窒息死体事件”とかいうの。元々興味もねぇし勝手に追っかけててくれ位にしか思ってなかったんだけど、そいつの捜査を俺が任されてな……それで………」


 カドリはコマを動かしながらもふむふむと興味ありげに耳を傾けていた。


「その龍小屋っていうのは、公安ギルドと主従関係にあるのかい?」


「と言うよりは、お互いに利用し合ってるっつーか……」


「酷い組織だ……イブキにもそれなりの事情があるというのに、それを顧みないで怒るのは良くないね。上司失格だ」


「だろ?? その上司っつーかただのちっさいガキなんだけどさ、あいつほっんと生意気なんだよ! 寝坊ばっかするくせにグチグチ愚痴愚痴!!」


「年下に何か言われるのは確かに癪だね」


「あーあー! 帰ったらまーたなんか言ってくんだろうな。1回まじでひっぱたいてやろうかなあのロリガキ」


「……驚いた」


「え?」


 カドリの表情は驚きの色を示していた。目は細めたまま、口を丸くして顎に手を添えている。どこに驚いたのか分からないイブキは、思わず聞き返した。


「まさか戻る気でいたとはね」


「それは……まぁ……あれ?」


 イブキは眉をひそめる。先程自分自身で答えた内容に疑問を感じたからだ。


 ーー確かに……俺が龍小屋に入ってるのだって成り行きみたいなもんだし、そもそもあいつらって別に国の治安とか守ってる正義の味方じゃ無いんだよな? 自分らの願いとやらを叶える為に一時的に共闘してるだけの関係だったよな? つまり黒龍倒したあとは敵同士……なんでそんな奴らの言うこと聞いてんだっけ……俺。


「駒が止まっているよ。イブキ」


「……集中してんだ」


 真っ白な駒に囲まれた黒いキングの駒を適当な場所に動かす。一方的な展開にへそを曲げ、腕を組んで背を向ける。


「……機嫌が悪いときこそ、癒しを求めるべきだろう?」


「……またアタックしてこい攻撃か?」


「一言もそんなことは言っていないよ」


「……チッ」


「でも認めたのだろう? 彼女への好意を」


「だったらなんだよ……っていうか、どうしてあんたは俺とあの娘をくっつけたがるんだ?」


『そういえば』と身体を戻し、机に乗り出すような姿勢で問いを投げかける。はぐらかす為に産んだ咄嗟の質問は、無意識のうちにイブキが気にしていた事柄だったのだろう。


 思えば、カドリもルーツと同様に謎の多い人物だった。更に、ルーツは孤児院でお手伝いさんを始めた以前の記憶を全く覚えていないという“何故謎が多いのか”の裏付けがある。


 対してカドリはどうだろうか。イブキは彼の異世界話を聞いているし、生前どこの国で生きていたのかも知っている。つまり“彼の情報そのもの”は知っているのである。それなのに、どうしてかカドリからは謎めいた雰囲気がどうしても抜けきれない。


「……思えば、あんたあの時突然死にかけの俺の前に立ってたけど、どこで俺のこと見つけたんだ? あんな岩山の岩石に囲まれてる隠れ場所みたいなとこで偶然って……」


「今更どうしたんだい?」


 カドリは目を丸くする……といっても、糸のように細い瞳なので、実際は目を丸くした“ように”という表現が正しいのだろうが、とにかく驚いているようだった。


「いや、疑ってるとかじゃねぇんだ。でもよく言われないか? 『不思議な奴だよな』とかさ」


「……特には」


 カドリは目を伏せて答える。なんとなく機嫌を損ねてしまったように見えたので、すぐにイブキは『ごめん』と謝る。


「確かにあの出会いの仕方は少し偶然が過ぎたかもしれない。最初君に話しかけた時は、僕自身、頑張ったんだ。同じメテンとして、そりが合わなければすぐにでも殺し合わなければならない可能性すらあったからね。でも、君とルーツを見て思った。この子達は凄く純粋で、一緒になればきっとステキになれるってね。それだけだよ」


「……あんた、願いとかあるのか?」


 カドリのはぐらかしたような返答に巻かれ、またもや咄嗟に質問を投げかけてみる。きっとこれも心のどこかでイブキが抱いていた彼への疑問、謎の一つなのだろう。


 カドリはアイスティを口に含み、懐から財布を取り出しながら答えた。


「さあね。とにかくまずは“君たちをステキにしてあげたい”かな? そうすればきっと僕自身の願いもう浮かんで来るだろう。そろそろ行こうかイブキ。彼女も君が来ればうれしいと思うよ」


「ま、まじで行くつもりか」


「逆にいかないつもりでいたのかい?」


「いやまぁ…一応行くつもりだったかっていうと……」


 ごにょごにょと曖昧な返答を行うイブキに構わず、カドリはお勘定を済ませてカフェを後にする。自分の分も払ってくれた彼にお礼を述べつつも、イブキの心は曇りっぱなしだった。


 ーーなんでだ? あいつらなんて別にいいだろもう。カドリだってああいってんだし、俺は悪くねぇ。住むところは……まぁ…何とかなんだろ……なんとかなる…俺は悪くない。


 カドリの横に並び、ルーツのいる孤児院へと向かう。ルーツと喋るのはあの件依頼実に四日ぶりになる。


 一応隠れて様子を覗いていたとはいえ、実際に会って話すとなると訳が違う。最初こそ、クルドのことや窒息殺人犯等の件が頭の片隅にモヤとして残り続けていたが、途中で差し入れ用の菓子を購入したあたりで『最初なに話そうかな』とか『俺の事忘れてないかな』とか、ルーツへの想いで頭がいっぱいになっていた。


 そんなこともあり、体感的にはあっという間に孤児院の門まで辿り着いていた。あの日ユーミを連れて、ルーツと最初に出会った夜になるとオレンジ色の電灯が光るあの通り……。柵の向こう側で恐る恐る、ゆっくりと降りてきた彼女の姿を今でも脳裏に焼き付いている。


「早く鳴らしたらどうだい。イブキ」


「う、うるせぇな! 今鳴らすとこだったんだよ!」


 ふてくされたように犬歯を剥きだして一喝した後、呼び鈴に手をかけたその時のことだった。


「ま、待ちなさいっ! 外に出たって“パパ”は来ないですよっ!」


「うるせぇ!まっしろおんな! 悔しかったらここまでおいでーだ!」


 必死に張り上げる女性の声を背に、勢いよく一人の少年がどこからか飛び出してくる。呼び鈴が吊るされているイブキの背丈程はあるであろう柵をひょいっと身軽に乗り越え、クッション替わりと言わんばかりにイブキの頭めがけて落下した。


「おぶっ!?」


「へっ! そこにいんのがわりいんだよ! ベーっだ!」


「もう! 待ちなさいって言ってるでしょ!」


 声の主であったルーツは、柵の向こう側でもう一度喉に鞭を打つように声を張る。聞き入る様子もなかった少年はあえて立ち止まり、しかめっ面な彼女に向かって変顔でおどけている。


「……ッ!」

 ーーなんだこのクソガキ! あのルーツがこんなに呼んでくれてんのに!! 生意気な野郎だ!!


 立ち上がるイブキ。右手を龍皮化させると同時に、後ろで俯瞰していたカドリが静かに頷く。『行け』といっているようだった。


「わかってるッ!!」

 ーー捕獲かげふみはお手のものッ!! かっこいいとこ魅せるチャンス到来!!


 龍皮化した右手を突き出し、自分の影をクソ生意気な少年へと伸ばす。元は無垢な子供だったのだろうか、異形と化した右手をみて、慄いたように身を引かせる。


 もうすぐ影同士を繋げ、相手の動きを封じることが出来る……はずだった。


「よ、よーし……私も…って…うわあクロさっ!!」


「え? ちょうわあっ!!」


 かの少年と同じく柵を登って超えようとしたルーツが、丁度イブキが真下にいたのを忘れていたのかおしりから背中に向けてのしかかる。


 華奢な体付きをしているルーツであるが、いきなり降ってこられたら流石に体制を維持することはできない。背中から無防備に崩れ、彼女の下敷きになるように倒れた。


「ご……ごめんなさいクロさん…」


「いいっす……へへっ」


 間抜けに重なった2人の様子を見てすっかり、元の人をなめきったような顔つきに戻った少年は、『ばーか』と捨て台詞を吐いて颯爽と逃げていく。


「……カドリ…そろそろ頼むわ」


「今のは事故だと思う事にするよ……イブキ」


 やれやれと肩をすくめ、腕を龍皮化させようとするカドリ。


 そんな彼の頭上を、ふわっと一瞬小さな影が通り過ぎた。


『何者だ』と過ぎていった方角を向くとその先には、暗い紫色の整った毛並みを靡かせた、オオカミのような姿の生き物が果敢に駆けていた。


「あ、あれ……ユーミッ!!!」


 柵をいとも簡単に飛び越え、ついでにカドリの頭上を越したままの勢いで走る人と獣の姿を行き来できる少女、ユーミは、凄まじいスピードでもう既に見えなくなっていた少年の背中を追いかけていき……。


「ちょっ! はなせよ! なんだよおまえ!!」


 少年の服を口で引っ張りながら帰ってきた。


「お、おお……逞しくなってる……」


「………イブキお兄ちゃん? ……なの」


 暴れる少年を乱雑に解放した後、ユーミはぴょんっと飛び上がる。すると瞬く間に、動物の耳のように2つお団子を乗っけたお馴染みの髪型の姿へと変わる。


「おお……これは興味深い」


 感心するようにカドリは呟く。


「知り合いかい? イブキ」


「まぁ……俺がここに連れてきた娘だしな」


 暴れ回る少年の影を踏み拘束するイブキが答える。まもなくしてルーツが管理人さんを連れてくるなり、引き摺られるようにして連れられて行った。


「ユミちゃん〜! 凄いかっこよかったよー!」


 ユーミに飛びつき、お団子頭を優しくポンポンするルーツは、気の済むまで彼女の頭を撫でくりまわしたあと、再びイブキ達に向き直る。


「こんにちはクロさん。飴玉さんも、お久しぶりです」


「うっ……すぅ……」

 ーーはいっ! かわいいーー!


 ぺこりと頭を下げる彼女に見惚れるイブキが持つ手提げ袋をカドリがさりげなく叩く。渡せと言っているのだろう。


「あ……これっす……差し入れ」


「わー! ありがとうございますっ! クロさん達も中で食べていきませんか?」


「……食べるっす」


「いいね。イブキは君に会いたくて仕方な……」


「おっおまっ!!!!」


 とんでもないことを口走ろうとするカドリを咄嗟のタックルで制する。ルーツはユーミの頭を撫でながらその様子をクスクスと静かな笑いで見守る。


「こちらです。中に広いテーブルがあるので、そこで頂きましょう! 改装前と比べてかなり綺麗になったんですよ〜」


 取っ組み合う(と言うよりイブキが単に掴みかかって暴れてるだけ)2人を差し置き、ルーツは楽しげな足取りで門の先にある孤児院のドアを開いた。


「ほら……いつまで暴れてる気なん…だいっ!!」


 突き飛ばされたイブキは千鳥足で孤児院の門を通り、ルーツのいる門の目の前までやってくる。おぼつかない足取りは、玄関の大理石の前で躓き……。


「……ちょっ…よけっ!! おあっ!?」


 反射的に目の前にいた彼女の細い二の腕を掴み、もたれるように押し倒してしまった。


「……へぁ!!? べっすすすすっ!!!」


「だ……だいじょうぶ…です」


 ーーや、やっぱかっわいいいいいいいいいいいいいいいいいっっっっっっっ!!!!!!


 久しぶりの至近距離でのご尊顔拝見。更にラッキーアクシデントによって生まれた『赤らんだ表情』というサプライズ付きに、心の中のイブキは天に向かってガッツポーズを決め込む。


 勿論、そんな下心をうまく隠せる演技力をイブキが持ち合わせているハズもなく。


「へ、変なかお…してますよ? クロさん……」


「へぇ!?」


 ショックと羞恥に苛まれ、石像のように固まってしまったイブキの脇を潜り抜けて倒れた状態から脱出した後、ルーツは彼の手を掴んで、


「はやくいきましょっ! クロさん!」


 無邪気に拍子抜けたイブキを引っ張るルーツを見て、カドリはニィっと口角をあげて呟いた。


「いい感じだね」


「……なにが?」


 そばにいたユーミはなんのことかわからず、首をかしげて問いを返した。

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