第19話 意地のままに力の限り

 イブキが初の依頼を受けている中、他の龍小屋達は教会跡にて公安ギルドから受けた緊急依頼の詳細についての説明を受けていた。


 終始しかめっ面で淡々と説明していた霧生と、依頼書に書かれていた文体の解読に頭を悩ませていた大崎は説明が終わるなり早々とその場を立ち去って行ったが、残るクルド、ラディ、レイの3人はただ深い理由も無くその場に留まっていた。


「……んまぁ……メテンっぽいんだけどね」


「“窒息死体事件”の犯人ですか?」


「ん、肝心の窒息死体は全て“何かに締め付けられた”かのような傷は一切なくって、代わりに死斑が凄いらしいのよ……。実質無傷で逝ってるようなもんだし……どーやってんだろってさ」


 聖書台の上に座り、宙に浮いた脚をばたつかせながらクルドが呟く。ちょうど彼女の真下の段差に腰掛けていたラディにぐりぐりと足の指先を押し付けると、その脛に刃の様に尖らせた手刀が返ってきた。


「うにゃっ!! いったっ!!」


「おいクルド、聖書台の上に座るな。バチ当たるぞ」


「す、脛はやめろよな……」


 聖書台から滑るように落ちて脛を抑え、じとりとした視線を向けるクルドに構わず、ラディは席を立つ。


「解剖はしているのか? それで粗方の死因は特定できるだろう」


「ああ〜もう脛死ぬほど痛い脛死ぬほど痛い脛死ぬほど痛いぃ……」


「クルドちゃん大丈夫ですか!? わたし! 痛みが飛ぶ呪文知ってますよっ! いたいのいたいのぉ〜ぶっとべぇ!!!」


「…………聞けよ」


 脛を抑えてのたうち回るクルドと、介抱するフリをしてなんとか彼女を抱き寄せようと試みるレイ。


 少しだけ表情を曇らせるラディは、彼女の脛を覗きながらため息交じりに、


「……おい、そんなに痛がる事じゃないだろ」


「痛いんだってばっ!! あとレイ!! 動けないから身体離してってば!」


 渋々と胴に回していた手を離してクルドを解放する。すぐに立ち上がり、かなり不機嫌そうに頬を膨らませつつ再び壇上を登り、腕を組んで聖書台に背中を預ける。


「解剖? そんなのする訳ないじゃんか。人間の身体解体バラすのってかなーりめんどい儀式とか許可とかあるんだよ……んまぁ、そのせいで医療技術の発展は乏しいんだけどね。魔力器具無かったら今頃なんかの疫病で滅んでる」


「解剖に儀式……?」


「いわゆる文化の違いですよラディさんっ! “第一条・人の身体を覗いてはいけない” みたいな?」


「……おまえは話をややこしくする才能があるな」


「え? あっ!? ……そんなつもりないですっ!」


「とりあえずってノリで叫ぶな」


 勢いよく立ち上がり、顔を真っ赤にして叱責するレイ。元から通りの良い彼女の声が、だだっ広い教会内に一層響き渡る。


「と、とにかくですっ! 今こうしている間にも殺人鬼は王都付近を彷徨いているんですよっ! い、今すぐ行くしかないんですっ!!」


 恥ずかしさを振り払うように人差し指を向け、高らかに宣言するレイ……の両脇をすり抜け、クルドとラディは相変わらず逆光がウザったいほど差し込んでくる出口へと歩を進める。


「……ていうかさ、レイは早く遠征行かなきゃじゃない?」


「……あっ」


 クルドの唐突な問いかけにレイは青ざめていく。次にクルドが口を開く頃には、まさに光の速さで2人の間を通り抜け、『やばいやばい』言いながら走り去っていった。



 *********



 --なんか馬鹿やってそうだなあいつら……。


 馬車の上でゆっくりと流れてゆく岩山の景色をぼーっと眺めていると、何となくクルドの『うにゃっ!?』とかいう間抜けな悲鳴が脳内で再生される。いつも生意気な彼女だが、居なくなってみると案外寂しいものなのかもしれない。


 --なんか……思ってたのとちげぇな……。


 馬車の往くスピードはとても風を肌で感じられるものではない。それどころか、周りを包囲するように歩く小男達と同じペース……つまり人間の徒歩とほぼ同じ速度で進んでいた。


 道というよりは“そこにあった自然物を退けて無理矢理道にした”ようなでこぼこの通路は、車輪をガタンガタンと派手に揺らしてくれるおかげで、乗り心地も最悪だった。


 岩山なお陰で景色もそこまで面白くない。岩時々草木といった素朴な景色は、任務開始から暫く経つと飽きがやってくる。


 ーーなーんも来ねぇーじゃねぇか……つまんねぇなぁ。


 イブキが歩かずに、馬車に乗せてもらっているのは決して小男共からの好意から来ているものでは無い。彼は護衛として体力を温存し、一番見通しの良い場所で敵襲を察知していかねばならない。


 始めこそメテンとして強化された視力をふんだんに利用して魔物を探しては見たものの、まるで襲ってくる様子も無く、正直拍子抜けていた。


「意外と…平和なんすね……」


「なんだ? もう飽きちまったのか?? ぎゃひひっ!」


 首だけを回し、同じように馬車に座る、彼を最初に案内した小男に向けてぼやく。他のメンバーからの扱いからして、彼がまとめ役を買って出ていることは明らかだった。


「馬……もうちょい早く走れないんすか? これじゃ直ぐに日が暮れちゃいますよ」


「ばぁか! 馬もう一頭買える金がありゃあこんなことしてねえよ俺らだって。文句言わずに周りみとけ! こいつだって若けぇ馬じゃねぇんだ! せいぜい荷物と俺とお前乗せて歩くので精一杯なんだよ」


「はぁ……すいません…………」


「ほんっとメテンにしちゃあ覇気が無さすぎるぜぇオマエ!」


「すいません」

 ーー誰がお前らみたいなの進んで護衛したがんだよ。


「へいっ! そろそろですぜぇ? アニキ!」


 左脇を歩いていた小男が、呆れ返っていたリーダーに向けて告げる。元から不気味だった顔付きが一層ギョロリと歪み、木箱の上に飛び乗り、妙に甲高い声で叫んだ。


「おいてめぇらァ! 休憩ポイントに入ったァ! 今のうちにメシ食うなり糞するなり好きに時間使いやがれェ!!」


 周りを歩いていた小男共が一斉に狂喜する。馬も歩みを辞め、大きな身体をベットのように生えていた雑草に沈める。


 ーーなるほど、これは隠れるのには良い場所か……。


 周りを見渡すと、何処も彼処も乾いた土と岩石で出来たカーテンに覆われており、唯一穴が空いたように先が見える先程イブキらが通っていた道だけに警戒を集中させれば、多少の滞在は可能だろう。


 ーーあ〜あ……ここに“シロさん”が居りゃあ……さながら砂漠に咲いた一輪の花……いや、砂漠に一番必要なのは雨か? だったら雨……違うな……。


 ひとり“シロさん”を想うイブキ。こういった一人の時間が出来る度に彼女の正体について考えていた。正確に言えば彼女は単なる孤児院にいたお世話係の様な存在なのだろうが、それではどうしてもあの美しさの納得がつかない。たとえば、この世界が産んだ芸術そのものの概念的存在だったのではと勝手に考察を飛躍させるのは、元SNS芸人の悪い癖でもあった。


 横になる馬に凭れて寝転がる。背中に馬の心音が伝わり、疲れているんだろうなと心の中で苦労を労った。


 --こんなとこじゃ、猛獣だなんだも住み着くメリットがねぇよな……まじで俺なんで来たんだろ。


 腑抜けな顔で大欠伸をしてからあらためて岩石の壁に囲まれた周りを見渡す。人間3人分位はあるであろう大きな壁。もしそこから飛び降りてまで襲おうとするような馬鹿なヤツが居るのならば、それは恐らく……。




「お前ら、随分……久しぶりに見たけどよ……ぶっさいくだよな」


 立ち上がり首を鳴らすイブキを除いて、小男共は木箱を囲んでプルプルと震える。怯えたその視線の先には、岩の崖の上から囲って見下ろすように黒い狼の集団がボサボサの黒い毛並みを逆立たせ、ヨダレを垂らしながらこちらを威嚇する様子が映し出されていた。


 勿論、その眉間には禍々しい黒紫色に光る黒い角が生えている。初めて遭遇した時と同じように隊列を組み、いつでも食い付いてやらんと臨戦態勢をとっていた。


「あんときゃ……お前らも倒せなかったよな……俺……ま、初見の相手にしちゃあ……」


「か、かっこつけてねえで早く戦ってくれよ!!!」


「きもちわりぃこといってんじゃねえぞ!!!!!!」


「は??? 俺転生者メテンなんだが???」


 背後から聞こえる罵詈雑言に対して、先程までは心に留めておいた取っておきのセリフを返してやるイブキ。野次は止まったが、代わりにぽかんと口を開け、呆れたように固まる小男集団。形は違えど、一応大人しくなったのでマシなのかもしれない。


「随分ヨダレ垂らしちゃって……そんなに腹減らしてるなら味わせてやる。“地獄のレイ道場”で鍛え抜かれた俺の龍魔力っ!!! とくと味わいやがれぇ!!!」


 崖の上で構えていた一番大きな狼が遠吠えをあげるなり、周りに控えていた子分たちが一斉に崖を降り始める。それだけではなく、イブキ達が元々通ってきた一本の道からも押し込んでくるように狼達が入ってきた。


 イブキは二ィっと口角を上げる。純粋に狼らがあの時と同じように襲いかかってきてくれたのが嬉しかった。成長を充分に噛み締められると喜びをいっぱい握り締めた龍皮化した右手を、真っ先に飛びかかってきた狼の顔面にお見舞する。


 横たわる1匹目の影で隠れていた二頭目、更に背後から食い付いてくる三頭目を紙一重で躱し、右手を影に潜ませる。


「そぉら! 餌やるよポチ共っ!!」


 刃のように畝る影が二、三等目を切断。続く四、五頭目は馬に喰らいつかんと牙を向けていたので一層腹が立ち、今度は影を巨大な手として顕現させ、二頭まとめて掴む。


「馬は頑張ってんだよっ!!! 虐めてんじゃねぇっ!!!!」


 そのまま思いっきり崖に叩きつけ、亡きものとする。右手を影から戻し、ざまあみろと言わんばかりに顔を歪ませる。


 ここでイブキの強さに気が付いたのか、狼達は揃って小男達に攻撃の的を絞り、駆けてゆく。


「く、来るんじゃねえ!!!」


「う……うわあああああああああああ!!!!!!!!」


 --ったく……しょーがねぇなっ!


『待ってましたヒーロー!』と言われたいが為か、わざと少しだけ遅れてイブキは必死に棍棒を振り回す小男共の応援に向かう。再び右手を影に忍ばせ、伸ばした影をロープのように中央にある木箱の端に引っ掛け、飛び乗る。


「おいっ!! そこに登るんじゃねぇ!!!」


「は? それが助けて貰ってる奴の態度か? お?」


「……ッ!!!」


 反論出来ずに縮こまる小男共の様子にイブキは一層気分が良くなる。


「それでいいんすよ……それでェ!!!」


 イブキは木箱を台にして身体を踏み込ませ、飛び上がる。右手から伸びる引き上げた影は鋭利な槍のような形へと姿を変え、こちらに飛びかからんとする狼共を空中から一気に串刺した。


「これがおれの必殺技ぁ!! “槍状の夜”ニュクス・スピアっ!!!」


 影の槍を降らせる“槍状の夜”ニュクス・スピア───。雑魚の殲滅には丁度いい上に単純に技として格好がつくものであり、イブキのお気に入りの技だった。もっとも、レイ相手には木刀ひとつであしらわれたが……。


「おお……」


「や、やるじゃねぇか……」


「凄いぞ!“インドラ”!!」


「もっとやれもっとやれェ!! ぎゃひひひひっ!!」


 素直にイブキの力を認め始めた小男共は、罵声にも似た声援を送り始める。一層調子に乗ったイブキは別に大してセットしていない黒髪をかきあげ、いつもより低い声で呟く。


「ったく……しかたねぇなぁ……」

 ーーあー!俺つええええええ!!!!!




 人々の脅威として君臨する怪物を相手に無双するイブキ。その姿はさながら正義のヒーロー。誰よりも強く、何事にも屈さず立ち向かえるこの力は、人生の殆どを怠慢に過ごしていたイブキとは少し釣り合いが取れていなかったのかもしれない。


 というのも、彼にはまだ“人間の形をした生物”を相手に、殺意を込めた拳を叩き込む程の肝が備わっていなかった。


 龍皮化した右腕を振りかぶらんと一歩前に踏み出す直前、自分の目の前に飛び込んできた怪異が、黒い角を生やした人の形をしていることに気がつき、思わず手が止まる。


「おいっ! お前!!」


「なにしてんだ! 叩き潰せよっ!!」


 叫ぶ小男達。それもそのはず、その黒い角の男の右手には刃渡り1メートルは下らないであろう白銀の刃が握られていた。


「おいっ!! “インドラ”ァ!!!!!」




 行動より先に、理性が働く。本当は容赦なく、彼に拳を叩き込むのが正解だったのかもしれない。無気力に、機械的に反射的に向かってくる怪異……龍皮化した腕で彼を殴れば、間違いなく岩盤に叩き付けられ、死んでしまう。


 イブキにはまだ、それが出来なかった。その怪異がヒトの形をしていたから……ソレがかつて“ヒト”だったということをイブキは知っていたから……。だからこそ、理性を失った怪異の攻撃に一歩、遅れた。


「ぐぅ……はっ……!!」


 腹部に伝わる焼けるような強い痛み。生暖かい血液が下半身に伝う。


 ーーお、俺……刺されて……?


 痛みに匹敵する程の大きなショック。突き刺さった短剣に落とす目から、純粋な死への恐怖から来る涙が溢れ出る。


 ーーお、俺……俺……おれおれおれおれおれ……しぬ?? ちょっ……まってくれ!! まてまてまてまてまてまて!!! ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな!!!!!


 次に来たのは怒りだった。目の前で短剣を突き立てる虚ろな顔をした怪異への怒り。よくもこの俺をこんなんにしてくれたなという、純粋な怒り。


 龍皮化させたままの右手で、憎らしい汚れた刃を握り潰す。思ったよりも身体には力が残っていたようだった。


 そのまま右手で怪異の頬を抉る。先程同様、想像以上の力が加わる。成人男性の平均身長程度はあるであろう怪異の身体は、無気力な顔立ちのまま勢いよく飛んでいき、岩盤に叩きつけられる。転がる死体はまるで赤い絵の具を拭き取りきれず、ぐっしょりと濡れたボロ雑巾のようだった。


「……あ……あああ…………」


 赤く染った右腕をみやる。その瞬間にやってきた視界の歪みの原因は、貧血のせいだけでは無かった。


 --俺……今……人を…………。


 瞬間、喉から熱いものが込み上げてくる。それがかなりの量の血液だったと理解する頃には、もはや自立を維持することすら困難となっていた。


 膝を付く。赤黒く染まった地面を見るなり、イブキは絶句した。


 --これ……俺の血かよ…………


 両手で必死に患部を抑える。とにかく出血だけでも止めねばならない。虚ろな目で視線を前に持っていくと岩陰からぞろぞろと黒い人型のシルエットが見える。残った小男達も怯えている様子から、これが幻覚では無いことが確認できた。


 --ダメだ…………こりゃ死ぬな……………なんだこの終わり方………………くだらねえ…………


 黒い角を生やした人型のシルエットが小男達に襲いかかる。棍棒を振り回す等の彼らなりの抵抗を見せるも、虚しくなぎ倒されてゆく。


 --ざけんなよ………ここで終わりかよ……………


 力なく地面に寝そべる。生暖かい血溜まりのベットは案外体温と馴染んで心地良いものだった。元々イブキ自身の血であり、彼自身が流したものなのだから当然といえば当然ではあるが。


 --クルド……先生……ラディ……ユーミ……シロさん…………ごめん…………




「……ごめん?」


 自らが思った言葉に引っかかる。


 --ちょっと待てよ何がごめんなんだ? 俺なんも悪くなくね? 確かにこの任務受けたのは俺だけどよ、与えたのはあのでかい男だったよな?? こんな道をちんたら歩いてたのもこのチビ共だよな?? 俺だったら普通に馬走らせるし。いみわかんねぇよな? そんな意味わかんねえ奴らの意味わかんねえ行動のせいで俺は死ぬのか……??


「……ざけんじゃ……ねぇ……!!」


 拳を握ったまま、血のベットに溺れていた身体を上げる。全身を走る悪寒を押し殺し、次に片膝を立てる。


 --何故……までして戦…い? このまま……れば…せに……るはず


 突然、聞き覚えのない声が頭に響き渡る。聞かれるがままに応えてみることにした。


「い……意地…………」


 --意地? そんなも……に…らぎを?


 まるで夢の中での会話のようにふわふわとした質疑応答を繰り返す。自我を失わない為にも、今はその言葉の糸に縋ることにした。


「いい…んだ……それが……俺だ………とにかく…………悔しいんだよ!!」


 イブキの見据える先には、バラバラになった木箱と共に惨劇に逃げ惑う小男達の姿があった。黒い人型のシルエットは容赦なく人も馬も攻撃し、岩盤には彼らの鮮血が飛び散る。


 そんな彼らを不憫に感じたし、助けてやりたいとも思った。ただし、それだけで死にかけの身体を起こそうと奮闘するような“できた人間”では無いことは、イブキ自身が一番よく分かっていた。


 イブキに大義名分はない。代わりにあるのはここで終わってたまるかという“意地”のみ。最も純粋で、強力な生きる為の燃料…………。


 イブキに問いた人物は彼の横で肩をすくめた。


「では、君に“飴”を与えるのはまだ早いね。代わりに今は……君の力になってあげよう」


「それは……ありが……たいっす……」


 ガクガクと嗤う膝を抑え付け、もう一度立ち上がる。一度死の淵まで追いやられた彼の眼光は研ぎ澄まされ、殺気に満ちていた。


 不思議と血が止まっていた腹部を確認するなり、改めて声がした方角に首を向ける。


「あんた……誰……??」

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